ローマ人への手紙6章15〜23節

「義のしもべとなった」



 15節。

   それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからと
  いって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。

パウロが異邦人伝道をなした時に主張したのは、律法からの自由ということ
でした。
そしてこれが、ローマ人への手紙の中心のひとつでもあります。
すなわち、3章28節にありますように、

  人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのであ
  る。

今まで聖書の伝統になかった異邦人に、律法のいろいろな戒めを守らせると
いうことははなはだ困難であるし、またキリストの福音はそのような戒めか
ら解放されることにある、と理解したからでした。
こういう主張には、当然のことながら、ユダヤ人のキリスト者からは反対が
起こりました。
そこで、この問題を解決するために、エルサレム会議というのが行われまし
た。
キリスト教の歴史において、重要な問題が起こった時は、時々会議が開かれ
て、問題の解決に当たられましたが、このエルサレム会議は、その教会会議
の最初のものと言えます。
これについては、使徒行伝の15章に記されています。
パウロが属していた教会は、シリアのアンテオケの教会で、ここは異邦人の
教会でした。
パウロは、異邦人の教会の代表としてこの会議にのぞみ、ユダヤ人のキリス
ト者の代表はエルサレム教会の指導者(イエスの弟のヤコブ)でした。
使徒行伝では、この会議において激しい議論があった、と記されています
が、最終的にパウロの主張が認められて、異邦人には律法の戒めを守らせな
くてもいい、ということになりました。
これは非常に重要な決定であり、もしこの会議でパウロの主張が認められな
かったなら、キリスト教はこんなに世界中に広がらなかったかも知れませ
ん。
もし、私達も、律法のいろいろな規定を守らなければならないとしたら、果
たしてこの信仰を受け入れたでしょうか。
その律法の規定には、例えば、食べてはいけない動物とか、安息日とか割礼
などがありました。
このようなことを守るのは、異邦人には中々困難だと思います。
 さて、パウロは、異邦人伝道において、この律法から自由にされたという
ことを基本にしてキリストの福音を伝道したのですが、この自由はしばしば
誤って理解されました。
例えば、コリントの教会においては、この律法からの自由ということが、何
をしても許されるのだ、と誤解され、教会内においてもはなはだ乱れた不道
徳が行われた、ということです。
先日の旅行においてコリントにも行きましたが、パウロの時代のコリントの町
は、ローマ帝国のアカヤ州の首都で、港町ということもあって、道徳的に非
常に乱れた町だったようです。
そして、コリントの信者の一部の人は、パウロの自由を誤解して、そのよう
な生活も許されるのだ、と考えたのです。
しかしパウロはここで、「断じてそうではない」と言っています。
 パウロは、基本的に自由ということを主張しました。
しかし、この自由というのは、理解によっては実は難しいものです。
それは、コリントの教会の一部の者のように、それが放縦と理解されるから
です。
学校の規則などにしてもそうだと思います。
規則を厳しくして、生徒を縛りつけるのは問題です。
先日の校門圧死事件のようなことも起こります。
だからと言って、校則をなくしたら、秩序というものがなくなってしまうで
しょう。
自由というのも、へたをすれば、身勝手ということになりかねません。
自分は自由だけれども、相手をはなはだ不自由にさせているとか、迷惑をか
けている、ということもあります。
 聖書の最初の物語りにおいても、人間には、基本的に自由が与えられまし
た。
すなわち、エデンの園において、神はアダムとエバに「園のうちのどの木か
ら取って食べてもよい」という自由を与えられました。
しかし、その自由は、神の支配の下での自由でした。
ですから、園の中央にある木は禁じられていたのです。
そしてこの神の戒めに従うということが、本当の自由だったのです。
ですから、本当の自由、神によって与えられた自由というのは、その人を本
当の意味で生かすものです。
ところが、自由を履き違えた放縦というのは、自由のようであって、結局は
自分を生かすことにはならず、だめにしてしまうものです。
パウロの主張する自由というのは、その人を本当の意味で生かす自由です。
この自由を私達は、キリストによって与えられているのです。
このパウロの主張は、ガラテヤ人への手紙において非常に明確に述べられて
います。
ガラテヤ人への手紙5章1節(P.298)。

  自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さった。だ
  から、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

この奴隷というのは、今日のテキストで言うなら、「罪の奴隷」ということ
です。
ローマ人への手紙6章17−18節。

  しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えら
  れた教の基準に心から服従して、罪から解放され、義の僕となった。

ここで「僕」と訳されている語は、ギリシア語ではドウーロスと言いますが
、これは奴隷という意味です。
新共同訳聖書では、「罪の奴隷」「義の奴隷」と訳しています。
私達は、自由だと思っていても、実は何かに支配されているのです。
そしてパウロはそれが、罪に支配されているか、罪から解放されて義に支配
されているかのどちからだ、と言うのです。
そして、私達キリスト者は、罪から解放されて、義の僕となった、と言うの
です。
 そしてこれを言う時パウロは、「神は感謝すべきかな」と言っています。
これはパウロの実感を言い表したものでしょう。
かつてのパウロは、非常に厳格な律法主義者でした。
律法主義というのは、結局は、自分が基準なのです。
自分を是とする、あるいは絶対化するというのが特徴です。
イエスの時代のパリサイ人たちの多くはそうでした。
自分たちは、律法を厳格に守っているという自負心がありましたから、それ
を守れない人を厳しく裁いていったのです。
そのようにして、イエスも裁かれ、最後は十字架にかけられたのです。
また、パウロも、新しく起こったキリスト教なるものが自分の考えとははな
はだ違うので、これを許すことが出来ずに、激しく迫害しました。
そして、その迫害のためにステパノという人が石打ちの刑に処せられまし
た。
エルサレムの城壁にステパノ門というのがあり、私達も先日の旅行において
見てきましたが、これはその門の前でステパノが殉教したところからその名
がつけられたそうです。
かつてのパウロは、律法に厳格であり、自分の考えと違うものは許せなかっ
たのですが、これは結局自分自身を絶対化し、自分に支配されていたとい
うことになります。
そしてキリスト者になった後に、かつての自分は、やはり罪の奴隷になって
いた、と思ったのです。
そして、キリストによって、それから解放されたということで、神は感謝す
べきだ、と言っているのです。
自由だ、という場合、私達はしばしば自分自身の考えや欲に支配されている
のです。
先日自民党の金丸副総裁が右翼の者にピストルで撃たれました。
取り調べに対して、その右翼は、「北朝鮮などを訪問した国賊は許せない」
と言っていたそうです。
以前長崎市長を襲撃した右翼も同じようなことでした。
殺そうとするというのは、論外ですが、私達にも自分の考えと違う者を許せ
ないという思いはあるのではないかと思います。
やはり私達は、自分中心であり、自由という場合にも、その自分の考えに、
あるいは欲に従う訳です。
しかしそれは、本当の自由ではないのです。
パウロはそれを「罪の僕」と言っています。
そして、そのようなものの終極は、死である、と言います。
21節。

  その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは、今では恥とする
  ようなものであった。それらのものの終極は、死である。

キリストが私達を解放して下さったというのは、そのような自分自身にも束
縛されているものから解放して下さった、ということです。
そしてそれが本当の命である、と言います。
22節。

  しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実
  を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。

ここで「神に仕え」と訳されている語は、ギリシア語では「奴隷」を意味す
る語の動詞の形です。
ですから、罪から解放されて、神の奴隷になる、ということです。
私達人間は、何かに支配されて生きているものなのです。
そしてパウロは、罪に支配されるか、義に支配されるかのどちからである、
と言います。
主イエスも、私達は神と富との二人の主人に兼ね仕えることはできない、と
言いました。
そして一方の終極は死であり、一方の終極は、永遠の命です。
そして、私達はキリストの恵みに入れられ、永遠の命に招かれている訳です
から、パウロと同じように「神は感謝すべきかな」と言わざるを得ません。
23節。

  罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主イエス
  ・キリストにおける永遠のいのちである。

私達は、神の賜物によって、永遠のいのちに招かれていることを感謝する者
でありたいと思います。
そしてパウロが言うごとく、二度と奴隷のくびきにつながれたくはないと思
います。
この世の考えや欲に支配されることなく、また自分自身の欲や考えに支配さ
れることなく、義のしもべとしてキリストに支配されるものとなりたいと思
います。

(1992年3月22日)