ローマ人への手紙16章25−27節
「啓示された福音」
私達は、2年半前からローマの信徒への手紙を学んできましたが、今日で 最後になります。 このローマの信徒への手紙は、パウロがローマの教会の信徒にあてた手紙で すが、キリスト教信仰の中心的な使信が記されており、昔から聖書の中でも 最も重要な書として尊重されてきました。 そしてローマの信徒への手紙は、多くの人に大きな影響を与えてきました。 あの有名な宗教改革者ルターも、このローマの信徒への手紙を研究して回心 を体験し、それが宗教改革の基礎となりました。 聖書の注解書においても、ローマの信徒への手紙が一番多いようです。 キリスト教信仰の中心の一つは、「私達はイエス・キリストを信じる信仰に よって義とされる」というものです。 そしてそれは、このローマの信徒への手紙が典拠になっています。 それは、3章21節以下に記されています。 21−22節。 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証さ れて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じるこ とにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何らの差 別もありません。 そしてこれは、私達の日本基督教団の信仰告白でも告白されています。 すなわち、「神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰によ り、我らの罪を赦して義としたまふ」と告白されています。 さてパウロは、今、この手紙を終えるに当たって、神を讃美しています。 「終わり良ければすべて良し」という言葉がありますが、もし私達の生涯も 神を讃美して終わることができれば、本当にしあわせではないでしょうか。 ローマの信徒への手紙は、何かそのようなことを私達に教えてくれているよ うに思えます。 25節。 神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によっ て、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々に わたって隠されていた秘められた計画を啓示するものです。 ここでパウロは、「わたしの福音」と言っています。 パウロの生涯を支えたのは、この福音でした。 パウロは、この福音を伝えるために神に召されました。 そのことは、このローマの信徒への手紙の冒頭で言われています。 すなわち、1章1節において、 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒と なったパウロから、 と言われています。 そしてその15節の所を見ますと、 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人に も、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 とあります。 パウロは、このキリストの福音こそ、私達すべてに救いをもたらす力であ る、と信じ、またこれを特に異邦人に伝えるために生涯働いたのです。 異邦人に伝えることができたのは、自分自身がこの福音によって生かされて いたからです。 今日の所でも、「福音はあなたがたを強めることができる」とあります。 パウロはまさに、この福音によって強められたのです。 さてパウロは、ここで、「福音は秘められた計画を啓示する」と言ってい ます。 この「秘められた計画」は、口語訳聖書では、「奥義」と訳されています。 すなわち、隠された事、秘密ということです。 神のみ旨は、旧約聖書の時代には、まだはっきりとは示されず、秘められて いたのです。 この秘められた計画というのは、一体何でしょうか。 それは、端的に言って、神が人間を救うということです。 あるいは、神は人間を祝福するということです。 これが、神のみ旨であり、計画なのです。 この神の計画は、旧約聖書において既に現されているのです。 まず、神は天地万物を創造した記事が創世記1章に記されていますが、そこ で最後に神は人間をご自分の形に造って、それを祝福した、とあります。 また、神はアブラハムを選んだ時、アブラハムを通して全人類を祝福する、 ということを述べました。 また、聖書全体は救済の歴史だ、と言われています。 その最も基本にあるのは、イスラエルの民のエジプト脱出です。 これは出エジプト記に記されていますが、エジプトで奴隷の民であったイス ラエルが神から遣わされたモーセの指導のもとにエジプトを脱出した事件で す。 これは、神の救済の業として、後々までも語り伝えられました。 そして、イスラエルの歴史の終わりに、神は一人子イエスをこの世に遣わさ れたのですが、これはとりもなおさず、私達人間を救うためでした。 このイエスがこの世に送られたことは、聖書の救済の歴史の頂点と言うこと ができるでしょう。 このイエスの十字架と復活の出来事を通して、私達は罪から救われ、新しい 希望に生かされたのです。 この出来事において、旧約の時代には秘められていた福音が啓示されたので す。 私達は、この啓示された福音に与っているのです。 26節。 その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き 物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるよ うになりました。 ここでパウロは、福音というものは、私達を信仰による従順に導くものだ、 と言っています。 私達は、福音を信じる信仰によって、従順にさせられるのです。 私達を従順にさせるのは、福音の力なのです。 従順とは、神のみ旨に従順ということです。 従順の反対はかたくなです。 人間は、その罪のため、しばしば神にかたくなになります。 これは旧約聖書において、イスラエルの民がしばしば陥ったものです。 モーセに導かれてエジプトから救出されたイスラエルの民も、荒野をさまよ った時、従順になることができずに、しばしばかたくなになりました。 荒野には、食べ物が少なかったので、人々はモーセにつぶやき、元のエジプ トに戻りたい、と言いました。 このようなつぶやきに対して神は、彼らを裁くのでなく、彼らをマナで養っ た、とあります。 イスラエルの民は、しばらくはこのマナに満足していたのですが、しばらく するとそれにも飽き、今度は肉が食べたいと不平をもらしたのです。 すると神は、今度も彼らのつぶやきを聞いて、うずらを送った、とありま す。 私達も、しばしば神の恵みを忘れて、つぶやくことがあるのではないでしょ うか。 キリストの福音は、私達のつぶやきを従順に変えて下さるのです。 27節。 この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りな くありますように、アーメン。 このローマの信徒への手紙は、神に栄光があるように、という言葉で終わっ ています。 神に栄光を帰するということが、聖書において最も重要なことです。 イエスが誕生した時、羊飼いに天使が現れ、 いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。 と讃美しました。 神をほめたたえているのは、地上の人間だけでなく、天においては天使もそ うなのです。 私達人間は、神の被造物です。 従って、自分たちを創造し給うた神の栄光をほめたたえるのは、人間の責務 です。 私達は、週の始めに教会に集まり、まず神をほめたたえることから一週間の 務めをしますが、これは被造物たる人間の責務であります。 私達は、今度、新しい会堂が与えられました。 どのような会堂を建てるか、ということを何度も検討しましたが、その時ま ず第一に考えたのは、この会堂が神の栄光を現すにふさわしい建物である、 ということです。 それは、礼拝第一ということです。 新しい時代に開かれた教会になるということも勿論大切なこことして考えま したが、しかしまずは神の栄光を現すにふさわしい建物であるということで す。 そのために、落ち着いた雰囲気で礼拝ができるように、ということでした。 そのために、旧会堂の落ち着いた雰囲気をできるだけ取り入れようとしまし た。 これは設計者の方も十分理解して下さり、ほぼ希望通りにできたのではない でしょうか。 さて、パウロは、聖書の神のことを「知恵ある唯一の神」と言い表してい ます。 聖書の神は知恵ある神です。 これは真の知恵です。 この真の知恵ある神が、私達の救いのために福音を啓示して下さったので す。 私達は、この福音を最も大切なものとし、この福音に堅く立って歩む者とな りたいと思います。 (1993年10月10日)