内村鑑三「目的の進歩」

あなたは1997.10.10以来番目の来場者です。






余は始めは地理学者にならんと欲した。
 札幌農学校に入りし時の余はそれであった。

余は其次ぎに水産学者とならんと欲した。
 札幌農学校を出し時の余はそれであった。

余は其次ぎに慈善家とならんと欲した。
 米国に渡りし時の余はそれであった。

余は其次ぎに教育者とならんと欲した。
 米国より帰りし時の余はそれであった。

余は其次ぎに社会改良家とならんと欲した。
 朝報社に入りし時の余はそれであった。

余は其次ぎに聖書学者とならんと欲した。
 ルツ子を葬りしまでの余はそれであった。

余は今は何者にもならんと欲しない又何事も為さんと欲しない、
 唯神の遣わし給ひし其独子を信ぜんと欲する。

余が今日為さんと欲することは
 イエスが人の為すべき事として示し給ひし業である。



富岡幸一郎著「内村鑑三〜偉大なる罪人の生涯」(リブロポート)より


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