壊れかけの電車に揺られ 錆び付いたホームに降り立ち 松の間を潮の香りに導かれながら 不安を一息にかき消して 空を見ないようにして 枯れ落ちた松葉の道を抜けると あなたが広がっていました 海です 真っ白な 木綿のように しなやかな感触で 五感に染みわたるほど こころを解きほぐしていく そんなあなたの歌が聴きたくて 今日またひとり この海を見に来ました 力強く そして大きな 冬の海です ここに来るときはいつも 裸になれる気がします どんなに風が痛くて あなたが受け入れてくれないことを はじめから知っていたとしても ある時は身を投げ ある時は水際に裸足を濡らし ある時は砂浜に腰を下ろし そうして少し目を閉じて 過ぎ去っていく人たちのことや 大陸から叩きつけてくる風や 上手くはいかない人生を 素直に感じています 林檎が浮いて 蒼ざめています 歩き出したばかりの冬は たおやかな緑を湛え 鋼色の海の 諦めの彼方から 雪よりも白い太陽の光が こみ上げてきます 逆巻く風は 唇の端から漏れるように 哭き叫んでいます 冷え切った隙間には 躰から絞り出される温もりが 寂しげにほとばしりを待ち 波間の小さな日溜まりは 野の花の潔さです ここには ルネサンスの躍動があります 大陸から乗り上げてくる 寒気団の鬨の声と そして合唱の 響き逢う夢の火照り 融合のさざめき 三界の歌が流れ込んできます 冷たい窓に息を吹きかけて 願いを込めてなぞるあなたの名前 そういう気持ちをいつまでも 決して忘れないでいて欲しいなって 語りかけてくる波の繰り返しを見つめて 打ち寄せてくるこころを感じて あなたの歌は海の力です 希望の誘惑です 急速に時間が増して 雲が集まり始めています 必死に覆い隠そうとするほど 雲間から漏れ来る光の束は 涙よりも熱く切なく 神々しいほどに ぐんぐんと冬を際だたせ やがてひとひら、小雪が舞います あなたと空の境界を 羽ばたいていく真っ白な 小雪と小さなこころのステップ あるいは夢は夢のままで凍り付いても 現実を歩く切なさの内側に 大切に縫いつけられています だけど少し泣きました 吹雪の前にいます 吹き付けて そして過ぎ去る白 これは毎日の暮らしです 熱と一緒にわき上がる 光の矢です 大好きな太陽の おおらかな力が凍った 吹雪は陽射しと同じものです 風が凍ります 波が凍ります 人が凍ります 喜びが閉じこめられて ビュウビュウと雪つぶてが顔を打って 悲しみだらけの生活が傷跡になって それでも目を開けてみると あなたはまだ、歌い続けています 冬になっても 海は海のままです 空間が冴え渡るほどに あなたの歌の優しさが際だって この吹雪さえも力に変わる そういう場所にいます こころはいつも あなたの歌を覚えています 夢のような吹雪が しかし現実である吹雪が 躰よりもこころに吹き荒ぶ日々を暮らして 遠くにある春のときめきなんかよりも この冬に温もりを打ち込んでいる あなたの想いの凄まじさを こころの灯火にして ずっと海を見ています 愛してる人は 遠く離れたところにいます ここからだと、あなたの海を越えて 大陸をふたつ越えて また海を越えて ようやく辿り着くところ やっぱり遠いです 改めて、溜息が出るほどに 溜息は 疲れと涙です 愛する人は遠くにいて そうして、どうしようもなくて 隣にいる人に恋をします 理由もわからず 比べながら 子供みたいに恋をします そんな時 あなたは鈴の音のように 優しく響いてきます 怒るでもなく 諭すでもなく こころの扉を開きます 罪は罪だけれど それでも愛しているのだと いつの間にか 吹雪の去った海は暗く 白砂を踏みしめふと振り向くと 視界の半分は雲、半分は海 信じることを手放した この世界に生きていると 自分の中にある輝きさえも 信じられなくなっていきます 信じることは難しくて 何を信じるかは、もっと難しくて 凍ったような海に浮かんで 林檎は真っ赤に滲んでいます かろうじて波が 振り子のように時を刻み あなたは息を殺して 逡巡の行方を見守ってくれます しかしいつまでも 空は澄み渡ることなく 遙か沖のほうに ひとつ、ふたつ、みっつ 真っ黒な竜巻が産声を上げ 微かに見えた気がする答えを 巻き上げては叩き落とし 心臓が泣きやみません 諦めに立ち止まり 散らばったこころを懐に詰め込んで 帰り支度を始めようとした時 遠雷に呼び起こされて 再び水平線の彼方に 太陽の涙が溢れ出します 悔しくて、悔しくて、悔しくて こころの深みから言葉がわき上がってきます ああ、悲しい。 生まれ落ちた生命は 圧倒的な光の洪水を拒絶しません 与えられる輝きを受け止めて 見つめる力を手にします それなのに人は いつの間にか優しさを拒んで こころを育むことを止めてしまいます 信じることを疑ってしまいます こころが言葉を産むのです 言葉が愛を伝え、優しさを運び 信じることの意味を再生するのです 枯れ落ちてしまいそうなこころは 言葉によって育まれ蘇るのです こころとこころをつなぐ 温もりを言葉の連なりへと変えて 頷くようにあなたが歌います あなたはいつも海の中で 海のように歌っているだけで 決して抱きしめてはくれないけれど この灰色の夕暮れを深呼吸してみると ほんの少しあなたに近づいた気がします 信じることは、お腹が空くから 今夜はこれで帰ります 最終列車の行き先は、きっと吹雪です