ヴェスタリオミア物語 第3章 森(8)

 

 


世界には白い人と黒い人と、灰色の俺がいる。

俺は白い世界で、白い人に交じって仕事をしている。

白い人のフリをしている。

白い人の中にも薄汚れたのがいるが、

彼は磨けばピカピカの白になる。

俺はいくら磨いても灰色になるだけだ・・・。



けれど、

そんな俺でも白い人を好きになることがある。

そして俺はパグ屋だから、彼女にパゴイラを届ける。

ただ、とびっきり美味しく焼いたパゴイラを、

なんの魂胆もなく彼女に届けにいく。

すると彼女は、俺なんかの名前を呼んでくれるんだ。



“あら、キィ・・・!

 ありがとう、またパゴイラを焼いてきてくれたのね。

 なんて美味しそうな香りなのかしら。

 あなたって、パゴイラづくりの天才なんだわ。

 わたし、あなたが来てくれるのを楽しみにしているのよ。

 だって、ここに来てくれるのはもう、あなただけなんだもの。”



彼女は、イカレちまってる。

たったひとつのものを信じて愛するために、

それ以外のものをみんな、疑うようになっちまった。

彼女は村中を疑い、村中が彼女を疑うようになった。

いつからそうなのか知らない。

俺が気づいたら、そんなふうになってた。



“信頼と裏切り・・・。

 それは自分が作り上げた殻の中の出来事ね。

 自分が勝手に信頼という枠を相手にはめているの。

 相手は必死に、一番大切なものさえも切り捨てて、枠にはまろうとする。

 そうまでして、勝手な信頼に応えようとしてくれるものなのよ。

 でもその相手が枠から一歩でも外れようものなら、

 裏切られたと言ってなげく自分地獄・・・。

 自分勝手に裏切られるのにね。”



彼女は狂気によって研ぎ澄まされ、混じりっ気がなくなった。

他の連中は信頼と愛をあちこちにばらまいてるけれど、

彼女はたったひとつのもののために、注ぎ込んでるだけなんだ。

ホントはもう、どこにも余ってるハズのない彼女の信頼。

俺はそのオコボレをもらって、細々と存在してる。

俺だけが彼女の言葉を聞き続けてる・・・。



“キィ、あなたには夢があるかしら・・・?

 夢。

 それは、遙か彼方から舞い降りてくる。

 あるいは、生命の奥底からわき上がってきて、

 息づき、人生の全てを注ぎ込まれて、

 ほとばしり、

 そして叶おうとするその瞬間、

 それは鮮やかに牙を剥き、自分に襲いかかるわ。

 それが、夢。

 そしてね、その激痛に貫かれることをいとわずに、

 ただひたすらに前へ前へって歩き続けるとね、

 あらゆる価値の檻を放たれて、夢は無言のままに輝き渡るのよ。

 するとね、とうとう生命は夢と融合して、想いからさえも解き放たれるわ。

 広大なる天空へと押し上げられていく・・・。”



彼女の夢、たったひとつだけのもの。

それは、“家族”を守ること。

俺はただのパグ屋で、しかも翼さえ持ってない。

だから永遠に、彼女の家族にはなれない。

俺の夢、それもたったひとつだけ。

彼女の夢が叶いますように。



“みんながわたしを見ているわ。

 わたしがやることをいつも監視していて、

 逐一、報告し合っている。

 なにを怖がっているのかしら、あの人たち。

 あの森が広がっていくのを、怯えながら監視してる。

 バカみたい、

 わたしはただ、毎日ウィティの花に水をやり、

 森を眺めては、オスナムとウィトンの無事を祈ってるだけ。

 でもね、

 その森も今、枯れ始めてるのよ。

 まだ生まれたばかりだというのに、枯れ始めてるのよ。

 それはきっと、世界中の人がわたしを監視してるせい。

 ヒソヒソ、ヒソヒソ、うわさ話で心を汚しているせい。

 だから、

 わたしだけは信じ続けるの、

 オスナムとウィトンが帰って来るって、

 わたしだけは永遠に、信じ続けているのよ・・・。”



たったひとつを信じ、たったひとつを愛す。

他の全てを疑ってしまうほどに・・・。

俺には絶対無理だ。

だから彼女はイカレていて、そして崇高だ。

俺にとってこのティミアって女は、

生まれることによって失っちまった、俺の翼なんだ。



“ねぇ、キィ。

 雪は好き・・・?

 わたしはね、好きよ、雪が好き。

 雪は、冷気ね。

 どんなに美しくても、それは人を殺すわ。

 逃げ道を探してようやくたどり着いたわたしに先回りして、

 雪はこんなちっぽけな隙間にも降り積もってるの。

 重力をもてあそぶように、垂れ下がって積もっている。

 どんな人にも分け隔てなく、美しさと死を与えてくれるわ。

 ああ、世界中が雪のようであったら・・・。”



彼女は俺と同じ孤独や痛みを生きてる。

孤独な俺は、動物や虫が好きだ。

けれども彼女は、雪だとか月だとか森だとかって、

俺には思いつきもしないようなのが好きだ。

そして俺を引きずるようにして、

広くて大きな世界に飛び込んでいく。



新緑のステナ、あの緑の月を見上げながら、

彼女は一心不乱に祈りを捧げる。

心の波動が伝わって、

宇宙の仕組みさえも変えようとするように、

世界中が忘れちまった、あの森を復活させたように、

遙か彼方の空や月さえも自在に想いに乗せちまう。



“あの月は、わたしを狂わせていくこの世界のように、

 優しい大地みたいな存在として、空にあるわ。

 でもあそこには、わたしが映らないの。

 生きているわたしの姿が、映らない。

 キラキラと輝く明るい心と深く沈んだ悲しみの心。

 わたしの心を月にして、空に浮かべてしまいたい。

 深い森の奥からでもわたしが見えるように、

 あの人の瞳に、わたしがいつも映りますように・・・。”



彼女の心はいつも、森と共にある。

そして森を蔑み森を焼き森を忘れた連中を、彼女は憎んだ。

俺もまた、彼女に憎しみを植え付けた連中を憎んだ。

けれど憎しみの果てに、

俺は愛想笑いと生きることを知り、

彼女は暖かい想いへと突き抜けていっちまった。



“キィ、見て、村の灯りを。

 木々を彩るイルミネーション・・・。

 色とりどりにきらびやかで、みんなみんな偽物だと思っていたわ。

 卑しさが作り上げた幻なんだって、そう思っていたの。

 だけど違ってた。

 ひとつひとつの偽りに、なんて熱い魂が込められて、

 涙みたいにリフレインしている・・・。

 高めあい、波のように、わたしの胸にうち寄せてくる・・・。”



そんなことを歌うように呟く彼女は、

一瞬にして俺の知らない世界に飛んでいっちまって、

やっぱりイカレてるだけなんじゃないかって思うことがある。

ブツブツ呟いて歩き回る、危ない女なんだって。

けれど彼女の瞳は聡明に輝いてる。

俺の廃れた心を突き放しながら、もう救ってるんだ。



“わたしね、信じてるの。

 あの人は、オスナムはわたしのために、森に入ったのよ。

 わたしは愛しています、オスナムを、ウィトンを、この世界を。

 そして、わたしが“愛する存在”だということを、書き残したいの。

 だから、

 あの広大で深遠な大宇宙(おおぞら)に届くような、

 大きくて確かな筆をわたしに下さい。

 信じる心にも似た、永遠に届くような筆を・・・。”



そう呟く彼女の目は、もう俺のそばにはいなかった。

どこか、俺の届かない世界にいっちまった。

だけどティミア、心配はいらない。

俺があんたに筆をやるよ。

あの空のそのまた向こうの星の彼方に届くような、

そんなでっかい筆をこの星の上に立ててやる。



あのオスナムって旦那が、森に入って6ヶ月。

村中が知ってる、あの旦那は奥方に嫌気がさして、

森を抜けて山向こうの村に逃げちまったって。

息子もずっと東の国にいっちまったって。

だからもう、ティミアには俺しかいないんだ。

俺だけが、彼女の言葉を永遠に残してやれるんだ・・・。



大空を渡る鳥たちも、空中を舞う人たちも、

空で生まれたわけじゃない、空で死ねるわけじゃない。

鳥も人も大地で生まれ、そうして大地で死ぬ。

ただ想いだけがいつも、あの大空へと帰っていく。

鳥も人も、そして俺も帰る・・・。

翼なんかなくたって、俺は必ず空へ帰るよ。



永遠に届く筆になるために、俺は空へ帰るよ。







作・ 小走り

 


 

<コメント>

この時代には、いわゆる“アルティメア人”しか存在しません。ですから今回のお話に出てくる“キィ”は、翼がないと いう奇形を持って生まれたことになります。彼のように翼がなく空を舞うことができない人たちのことを、この時代くら いから“ヴェスタリオ”と呼ぶようになりました。直訳すると“大地の人”となります。そしてこの言葉は、一種の蔑称 となっていきました。この惑星の名である“ヴェスタリオミア”は“母なる大地”といった意味合いであり、“大地”と いう概念はこの星の人々にとって、その価値観の根底を成すものでもあったのですが、それほど大切な言葉さえも侮蔑的 に転用してしまうほど、この時代の人の心は成熟と荒廃を併せ持っていたのですね。やがて環境破壊が進み、超絶的な力 を持ちながらも非常に繊細であるアルティメア人たちが、絶滅の危機に瀕する時代がきます。ところが、それまで蔑まれ 見下されてきたヴェスタリオたちは、非常に環境適応能力が高く、破壊された環境の中でも生き延びることができたので した。後世の人々は、彼らが翼を失ったために大地と深くつながることができ、その結果として生き残れたのだ、と信じ るようになります。そして人々は、大地との接点を失わない街づくりをするようになりました(第一章参照)。しかしな がら一方で、科学者と呼ばれる輩は“大地とのつながり”ではなく、彼らの“遺伝子”に注目したのでした。そうして、 環境適応能力を高めるために科学的に産み出されたのが、“アルティメナ人”だったのです。これらのことは今回のお話 とは直接関係ありませんが、こういう背景の上に物語を組み上げてるんだという、裏設定に触れてみました。蛇足です。

 

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