ヴェスタリオミア物語 第3章 森(9)

 

 




昔、ひとりの男がいた

名を、オスナム・ファレシアという

彼は“森”の秘密を求めて奥深くを目指し

生と死の境界線にある生命たちの集いに出会った

そして彼は“メイゲン”を知る



森は、心の結晶である

心からはあらゆるものが想いとなってほとばしる

愛も悲しみも、信頼も憎しみも、何もかもが

いきいきと息づきながら、積み重ねられ

息苦しいほどに深い、深い森となる



けれど心が森を求めなくなれば

心と心が想い合いをあざ笑うようになり

森を世界に現象させる想いがなくなってしまえば

森は消え去るしかなく

やがて生命も消え去るしかない



そんな当たり前の生命の法則に気づき

そして法則すらも変えてしまおうとするほどの想いが

決して触れてはならない“メイゲン”の扉を開ける

ヴェスタリオミアはオスナムに無表情で告げた

汝、自らを“導管”とせよ、と



森を愛し、森を求め続けた男は

森のためではなく、たったひとりの愛する人のため

生身のその両手だけを使って、大地に穴を掘った

皮が破れ骨がのぞいても、ひたすらに深く深く

愛する人の笑顔に届くまで、彼は掘り続けた



穴が自分の胸のあたりまでの深さになると

ようやく彼は掘り進むのを止めた

そして森の息吹の中にそっと身を横たえ

原形をとどめないほど傷ついた両手を筆にして

大空というカンバスに最後の言葉を刻みつけていった



その言葉たちは空間に満ちる微粒子を揺り動かす

それらはただの微粒子に過ぎないけれども

しかし群れ集うことで、生命となる

そして彼らは、想いを載せる“風”となって

惑星の上を縦横無尽に、愛しさのもとへと駆けめぐる



ティミア 君は心が朽ち果てるまで 僕の夢を支えようとしてくれた そんなにまでして愛を注いでくれた君 僕は優しい言葉のひとつもかけられなかった ティミア 君は世界の全てと戦いながら 生命を少しずつ削り落とすように水を注ぎ 僕の持ち帰ったちっぽけで身勝手な種を こんなにも疾走し続ける森へと育てた 君の心が壊れていくのを 僕は抱きしめていようと思っていた 君の代わりに僕が、世界中の無遠慮な視線の矢尻を受け止める そうして僕がボロボロになるのを見た君が正気を取り戻す そんな甘いおとぎ話に、僕はあやうく溺れかけていた ティミア 毎日の暮らしの中で君を一番傷つけたのは僕 その事実が心に映らないように僕は森に逃げ込んでいただけ 無理解と怒鳴り合いの喧噪の中で、それでも君は時々微笑んだよね その視線の先に僕は、ふたりの夢の結晶、始まりの森を見つけた その森も今は枯れ始めている 部屋の窓から見える風景はあんなにも若々しかったのに やがて土色の倒木と枯れ葉に埋め尽くされてしまった それでも君が水をやるウィティの花だけは 輝いているけれど 何故・・・? 始まりの森は ふたりの証しであり、世界の証しなんだ 君と僕が、人と人が、生命と生命が想い合っていることを そして君の心が愛に満ちあふれているんだってことを 静かに、永遠に語り継いでいく愛しい現象なんだ だから、枯らすことは、できない。 僕は森の生と死を追いかけ始めた どうして森は死に、どうすれば森は生きるのか その答えは、最後の森と始まりの森の“境界線”にある それはぐんぐん速度を増しながら遠ざかっていくから 僕はやがて、君の待つ家に帰れなくなってしまった ティミア あんなにも互いをぶつけ合った日々の中でさえ 君と僕は心音を聴き合い、肌を重ねるようにして生きていた そうやって世界中から、ふたりがふたりでいることを守っていた 今の君は、どうやって僕を抱きしめているのだろうか 初めから遠くの想いなら 微かに届く心の温もりがあれば生きていける けれど、そばにいることしか知らない心と心には 途切れがちに伝わるシグナルが切なさを増すばかりで 夜の静寂に挫けてしまうかもしれない こうして森に寝転がると 樹々の枝の重なりに開いた窓から 太陽の力を見失った薄墨雲が波紋のように 明日の日の出を探して一途に走っていくのが見える 僕はその急流に想いを乗せようとして目を閉じた 再び目を開けて、闇を深めた天上の窓を見上げると まるで深い深い井戸の底をのぞき込んでいるみたいだ 君は毎朝、井戸から水を汲み上げては 大切そうに両手のひらにすくい取っていたね どんなに寒い朝でも、手移しでウィティに水をやる ティミア お腹に生命を宿してからも君は 深い井戸から水を汲み上げ、冷たい水をその手にすくった ウィティの花の輝きが、新しい生命の魂を現しているのだと あかぎれた手の痛みが増すほどに、君は嬉しそうに笑った そして、あの子が生まれた。 ウィトン 森の子供、ふたりの結晶 森の木漏れ日と湿り気に育まれた生命の輝き いつしかあの子は、無邪気な笑顔に氷漬けの仮面をかぶっていた あの子から心を奪ったのも、君からあの子を奪ったのも、僕だ 君にとって 始まりの森とウィトンはひとつの生命だから あの子が旅立った日、君の心は引きちぎられたんだね それからの君は僕の夢よりも あの子の無事を祈って水を汲んだ 井戸の水がだんだん少なくなる 君はそう言って、少しずつ心の平穏を失っていった 君の心が枯れるほどに、始まりの森も朽ちていったように思う もし、この僕の生命を永遠の点滴に変えることができるなら あの天上の井戸へ滴って満たしたい、ふとそんな気になる どうすれば、井戸に水が満ちる? どうすれば、始まりの森は甦る? その答えに、僕はとうとうたどり着いた 永遠の点滴にはなれないけれど 僕は一本の管になるよ 生命の源から“メイゲン”を汲み上げ そして森に注ぎ込むために、僕は一本の管になるんだ 僕は夢見る ふたりの森が永遠に深緑をたたえ やがて帰ってくるウィトンと君を優しく包み込むことを あの子が巡り会う大切な人を、君もまた、愛してくれることを そして世界中の人々がみな、森に包まれて生きることを ああ、この想いが、君に届きますように・・・!
それから彼は 人としての最後の涙を拭い おもむろに立ち上がると 穴の中に、大地の中に その身を突き立てた 間もなく彼の体の芯を 一直線の冷気が突き抜ける それに少し遅れて 全身の血流と神経軸索流が逆流し始めた この世の全ての苦痛が、彼に流れ込んだ 惑星全体の生命の溜まりから ちっぽけなオスナムという導管に向かって流れ込んだ“メイゲン”は 凄まじい勢いで彼の毛細管と腸管と気管支を逆流し、上昇していった そして一瞬の静寂の後、少し前までは眼や口や鼻や耳であったはずの穴から 嗚咽とも絶叫ともつかないような濁音と共に、真っ赤な液体が噴き出した しばらくは導管の周囲を、真っ赤な液体が満たしていたが やがて湧き出る液体の色は薄くなり、透明な粒子の流れへと変わる その頃になると、オスナムであったはずの導管はいつの間にか サラサラとした光の粒子が湧き出すいくつかの穴の開いた 深い深い緑色の一個の岩へと姿を変えていたのだった 岩から溢れ出した“メイゲン”という名の粒子の流れは 少しずつその水かさを増しては、次から次へと森の中へ滑り込み 幾筋もの小川の清流となって、合わさっては離れ、離れてはまた合わさり 森の隅々までも潤しながら流れ行き、遙か遠く、ティミアの待つ懐かしい村までも 心地よい水音を響かせながら、滔々(とうとう)と駆け抜けていったのである 人々は、森の奥から流れてきたこの新しく豊かな河の流れを まるで、ずっと昔からそこに流れていたかのように受け入れた この河の周りにはいつも、芳醇な実りがもたらされ 新しい森がいくつも生まれた その森に囲まれて、人々は幸せな世代を重ねた 今もまた、オスナムの河はこの街を潤して流れ 森と、そして生命たちの根源について語りかける その流れは決して荒ぶることなく、穏やかで豊かに 遙かなる時を超えて、愛しい人への想いを伝えている たったひとつの想い合いが、この星を創っている 忘れないでいてほしい この星とその上で暮らすひとつずつの生命は 幾億もの想い合いの日溜まりに生じた愛しい現象 偶然この物語に出会った、大切なあなたたち 誰かを想い、誰かに想われていることを どうか、忘れないでいて





作・ 小走り

 


 

<コメント>

今回は、エミィが惑星ヴェスタリオミアに不時着した時代(第1章の時代)から昔を振り返る といったような視点で書きました。あまり直接的にオスナムの視点で書くと、収拾がつかなく なる感じだったので(汗)。次回はいよいよ、第3章の最終回です。長い長い物語の中では通過 点のひとつに過ぎませんし、書き足りないことはたくさんあるのですけれど。第3章で書きき れなかったことは、また他の章で書くこととして。この章を通して、“森”とは何なのか、少 しでも伝わってると嬉しいのですが・・・。半分、自叙伝みたいな(?)第3章です(笑)。

 

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