ありがとうおじさんのお話から その2

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宇宙の謎へもどる

前のページから続く、ありがとうおじさんのお話からの抜粋のつづきです。


以下、ありがとう広場より抜粋(カッコ内は日付と題名)


 鏡餅も同じ意味を説いてます。鏡は輝く身です。無限に無限に輝いてる意味です。天照大御神様の象徴です。昆布を垂らしてるのは「よろこんぶ」です。無限の無限の喜びを持ってます。橙(代々)は永遠の意味です。干し柿の柿は昔輝きと名前が付いていました。くしは駆使の神通自在の働きです。十は十全、完全な意味があります。全ての働きが1つに串で貫き通されてます。本当の神通自在の全ての働きを持ってる意味です。お正月には本心の自覚に戻れの意味で鏡餅を模型としてお供えします。常に極楽世界に自分を置く為に鏡餅の心をしっかり自覚して新年を出発するのです。常に地獄を一瞬に極楽世界に変貌させる力を発揮する意味です。どんな世界に自分が行っても一瞬で極楽世界になると言う大自覚を持って生きるのが大事です。「ありがとうございます」の中に全てがあります。

 最近不況不況と言いますが、原因は力を発揮しなかったからです。元々バブルは働かずにお金を貰ったのです。お給料もどんどん上がるし、土地も安い土地を高く売っただけです。働かずに幸せを生み出せる訳がないです。どれだけ人の為に尽くしたかです。人を幸せにしたかです。その与えた分しか帰って来ません。先進国と途上国を比べたら先進国ほどお給料が上がり過ぎてるから駄目になります。同じ働きしてもお給料だけ上がってます。世界を1つに見ると不労所得いっぱい背負った事になります。世界から借金いっぱいしてるから必ず衰退します。地球上の歴史を眺めても滅ぶ時は必ず先進国から滅んで行きます。借金を積み重ねて滅びます。

 今年をどんな1年にするかは1人1人の自覚です。自覚によってどんなにでも変わります。感謝する人は神様の全てを受け直して神様のお手伝いをします。神様のお手伝いをして神様の大きい助けを受けます。助けは外から来ないです。棚からぼた餅ではないです。その助けは偽物です。自分の中から湧き上がる力が働きが本当の神様の助けになります。だから不可能はなくなります。神様が自分の中から働いた時はどんな働きも出て来ます。色んな発明発見も出来ます。疲れずにどんな仕事もこなせます。だから何も無い所から良いものがいっぱい生み出せます。中から生み出すのが本当の神様の助けを受けた事になります。だからゼロから、マイナスから出発しても良いのです。そこに神様の助けを受けて無限のプラスを加えて行くのです。現実化して引き出す訳です。
(2002年1月1日 「2002年のメッセージ 」より抜粋)


質問者:
 思いで目標を立てる事はいけないと思いますが、仕事で売上目標を立てる事は良いですか?
ありがとうおじさん:
 その数字は人の側の数字です。神様の側の数字ではないです。お祈りは神様の目標を立てるのです。神様の目標は人間が立てる目標と全然違います。どれだけ感謝を深めるか、どれだけ人を本当に活かせるか、どれだけ商品を本当に活かせるか、神様の方から神様の最高表現を現実化する為の大きい目標がどんどん出て来ます。それに心向けると助けいっぱい受けれます。そしたら人間の立てる目標なんか余りにも小さくてつまらんです。数字だけの目標なんて大した事ないです。それを達成しても人を幸せに出来ません。神様の目標は本当の意味で皆を幸せにします。
 目標は神様の目標をキャッチして立てる方が良いです。その方が楽です。お任せになれます。その大きい目標に心向けると神様の助けを受け易いです。大きい得をします。神様のお手伝いと言う意味で目標を立てさせて貰うのです。神様が既に目標とするものがあります。例えば地球を完全平和の極楽世界にしたい目標があります。その為に1人1人を感謝の深い状態に変えたいとか、無限に出て来ます。それを自分の置かれた立場で1つ1つキャッチしては具体化して行くのです。次から次へ目標が出て来て良いと思います。変化させる方が楽しいです。ありがとうセールでも同じです。「ありがとうございます」の言葉を前面に出すとお客さんまで「ありがとうございます」に巻き込んで行きます。また商品でも今週はこの商品をセールしようとすると作ってる所まで光が届けられます。皆を幸せにする為の神様のお手伝いの形で色んなものを自由自在にアイデアを出して行くとその方が数字の目標よりも楽しいです。その方が具体化して行くと思います。

問者:
 「ありがとうございます」を中心にして行動する事が大事だと思います。
ありがとうおじさん:
 色んな製品作る場合でも「ありがとうございます」唱えながら作るのと、唱えずに作るのでは全然違います。光の入り方が全然違います。神様の光が入る方が皆を幸せにします。さっし1つが凄い守りになったら原爆落ちても防ぎます。そのぐらい気持ちを込めて製品を作ったりお客様と接すれば、本当の幸せを作る人も味わえるし買った人も味わえます。
(2002年1月9日 「 目標 」より)



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質問者:
 自分のマイナスを消す事が宇宙や地球、世の中の為になりますか?

ありがとうおじさん:
 そうです。自分の1つの思いは宇宙を駆け巡ります。宇宙に影響を与えています。思いを1つ消して貰うだけでも全体にとって大きいプラスです。同じ波の合うもの同士は大きく影響し合えます。自分が思いを消して貰って感謝に切り替わっただけで、自分の心の波に合う無限のものが全部救われて行きます。自分と自分の回りだけがプラスに変わるのではないです。大きく宇宙全体が変わると見た方が良いです。表面的に大きく広くの意味だけでなく、奥深く影響を与えて行きます。自分が感謝出来る様になる事は天地の間に光の柱が通る事です。無限の無限の次元全部に光が通されます。天から自分の居る所まで光の柱が1本通って仕舞います。その途中の全次元へ光を送れます。凄い働きです。「ありがとうございます」と唱える事が無限に大きい最高の働きをします。自分の力で唱えてるのではないです。大勢の神様の助けを受けて唱えさせて貰ってます。宇宙の大神様の力を受けて唱えさせて貰ってます。表面の結果に対して先に神様の助けが入っています。先に大きい力を添えて貰ってます。その結果が「ありがとうございます」と心で唱える状態になってます。「また大きい働きをさせて頂いてありがとうございます」と1つ1つ確認して行けば良いです。だからお金儲けなんかせんで良いです。つまらんです。1回の「ありがとうございます」の方が大きい価値があります。
(2002年1月18日 「全体の為  」より)


質問者:
 道路を作る為に土地を売って財産が入ってくる事は借金を背負う事になりますか?
ありがとうおじさん:
 本当はそうです。自分が人の為に何も尽くしてないです。無料で提供したら人の為に尽くした事になります。交換すると差額が出て来ます。差額が借金です。国の税金でしています。国の税金は高利の借金になります。余り得しないと思います。借金の取り立ては後で来ます。その人に本当の徳が有るなら貯金を引き出してます。徳が無かったら借金になります。

質問者:
 年末ジャンボなどの宝くじが当たる事も借金ですか?
ありがとうおじさん:
 当らない方が良いです。当ったら怖いです。全部神様からの預かりもんと言う形で受けてたら楽です。自分の所有物にすると自分が背負います。財産として受け継いだ物でも預かり物として受けてる人はまだ楽です。これは自分の物なんだ自分が自由に使えるんだと思うと大きく重荷を背負います。預かり物なら幾らでも活かして使えます。ちょっとは楽になります。財産を沢山持ってたら管理が大変です。山でも何百町も持ってる人もいます。どう管理してるのかと思います。今だったら山の手入れにお金がかかります。木を売っても余りお金になりません。持ってるだけでお金が要ります。国に引き取って欲しいぐらいです。

質問者:
 土地を所有する感覚は神様の感覚と大きく違うと思います。
ありがとうおじさん:
 間違いです。自分の土地として私物化するのは間違いです。土地は神様の体です。皆預かり物です。預かってる時は正しく使う役目があるだけです。活かして正しく使えば良いです。必要無くなったら直ぐお返しする必要があります。私有財産制は間違ってます。
(2002年1月20日 「借金」より)


質問者:
 人に良く見られたいも思いですか?
ありがとうおじさん:
 虚栄心の心は思いです。神様を受け直した時本物になります。感謝してる時だけ本物になります。感謝忘れると偽物、虚栄心です。人に良く思われたいなんて、つまらんです。人は何とでも思います。人の自由縛らんで良いです。私も小さい時は、背広来てネクタイして幼稚園に通ってました。小学校に上がった時から耐乏生活が始まります。そうなると人と違う事する必要があります。皆良い服着てても、私だけボロ服です。何か恥ずかしい様な気持ちになります。最初はそんな感じでした。違う事をする事が怖い感じです。皆と同じだったら溶け込めるからのけ者になってない感じです。それは虚栄心です。人と同じ事が出来ない状態にしばらく置かれると平気になって来ます。違うのが良いんだです。逆に開き直りが出来ます。人が何を思っても平気の感じになると段々と虚栄心が消えます。そんな形で虚栄心を取って貰いました。人と違う事を恐れなくなりました。人は人、自分は自分です。皆違って良いんだと思える様になって来ます。世間は皆と同じ様に真似をしたいと思ってます。それで安心感を保ちます。
(2002年1月20日 「虚栄心」より)


質問者:
 自分の力で何でも出来ると考えています。更にお金が入って来ると天狗になって仕舞うと思います。
ありがとうおじさん:
 それは一時的な栄えです。草や木も同じです。根が有ってこそ永遠に栄えます。花も咲き実を結びます。根を切り離したら駄目です。一時的に花開いててもしぼんで枯れて仕舞います。根は1番大事です。根は神様への感謝です。神様への感謝があって神様と繋がります。まず根をしっかり養う必要が有ります。根に比例して地上の栄が伴って来ます。木でも根の浅い木と深い木があります。根を深く降ろす木は、少々日照り続きで雨降らなくても大丈夫です。影響を受けません。今の世の中の状態も同じです。不景気だと言いますが、どんな状態になっても神様と深く繋がってる所は絶対大丈夫です。感謝してる所はどんどん栄えます。感謝を忘れて根の浅い所はやっぱり影響を受けます。不景気になると影響を受けて倒れたりします。根を降ろす事は深く深く感謝を深めて行く事です。どんな状況になっても栄えるばっかしが良いです。

質問者:
 根は神様ですか?
ありがとうおじさん:
 はい。根源です。
(2002年1月20日 「謙虚」より)


質問者:
 知り合いで母親がガンの人がいます。死ぬまで看取る事になるだろうと言っています。どうアドバイスすれば良いですか?
ありがとうおじさん:
 1番良いのは「ありがとうございます」と感謝して神様と繋がる事です。ガンは自分だけ良かったら良い生き方を続けるとガンの姿を取ってマイナスの心消して貰う為に出て来ます。全体と解け合う必要が有ります。あんまり頑張り過ぎたら駄目です。一生懸命働くのは良さそうに見えますが、頑張り過ぎて自分だけが大きくなっても駄目です。それもやっぱりほどほどです。大抵頑張り過ぎて財産作ってガンの様な心になります。そこまで無理しなくて良いです。全体に生かされて全体への恩返しで自然な楽な生き方をするのが良いです。感謝に生きてたら自然に戻ります。ガンの症状は心の間違いを消す為に出て来ます。心のマイナスを早く消す手立てが必要です。感謝するほど早く心のマイナス消して貰えます。それで症状が消えます。この世的な治療だけでは駄目です。心のマイナス消す為に出て来ます。心のマイナス消す為の感謝行は良いです。

質問者:
 看取る方も一緒に感謝する方が良いですか?
ありがとうおじさん:
 そうです。誰でも良いです。感謝をする事によって自分と回りの人の思いも消して貰えるから、どんどん軽くなって楽になります。別に治そうとする意味でなくて「ありがとうございます」を無心に唱えさせて貰えば良いです。そうすると幸せがどんどん大きくなって気付いて行けます。それも1つのきっかけかも知れません。感謝に入るきっかけかも知れません。
(2002年1月20日 「ガン」より)


質問者:
 目が悪いので良くする方法がありますか?
ありがとうおじさん:
 目は良い物をプラスを美しい物を素晴らしい物を見る為に必要です。プラス思考でプラスばっかし見る心になろうとするのが良いです。良い物をしっかり見様とすると必要性が出て来ます。大抵この世から目をそらしたい気持ちがちょっと残ってます。この世で素晴らしい物見たい人の方が少ないです。心の底でこの世から逃げ出したいとか、この世の嫌な姿から目をそらしたいとか、そんな心がちょっと残ってると自分で見えなくするのです。それでも何か必要性があったら見え出します。これを絶対見る必要があるとなると見え出します。だから目は必要性があって使う方が良いです。良い物美しい物を鑑賞するのが良いです。そうすると目が良くなります。
 耳も同じです。聞きたくないのがあると耳が遠くなります。回りから色々注意されたり愚痴を聞かされたりして聞きたくない気持ちが溜まって来ると年取った人大抵耳が遠くなります。どんな物でも翻訳して聞く様になってたら良く聞こえます。目はどんどん変化します。悪くても良くなります。良い目でも一夜で悪くなる時があります。本当に見たくないなら直ぐに悪くなります。ほんのちょっとの差です。最近目の訓練で良くなってる人が多いです。ちょっとした心の持ち方と思います。ちょっと工夫したら良くなります。素直に受けてちょっと訓練するだけで見え出します。神様を見ようとする心になると、この世は古い番組だから肉眼で見えなくても神様が見えた方が1番良いと思います。でもこの世の物見えた方が良いと思います。その意味で良い物だけ見る方が良いです。

質問者:
 目は大きな視野で考えたり、小さい視野で考える事に影響しますか?
ありがとうおじさん:
 影響します。何時も遠くを見る遠視的な考え方で生きてる人は遠くが見えてます。身近なものを第一に考えて身近なものばかり見る人は目が近視的になります。それが必要なのです。
(2002年1月20日 「目」より)


質問者:
 ネットワークについてどう思いますか?
ありがとうおじさん:
 ネットワーク、網は大事です。人を救うでも1人1人今までは1本釣りで救っていました。もう1本釣りでは追い付きません。網でごそっと救いあげる方が良いです。その結び合いの核になる人が出来て網が出来れば、多くの人を一挙に救えます。その意味でもネットワークが必要です。色んな面でネットワーク的な働きが大きくなります。ネットの利用の仕方が色々あります。良い様に良い様に神様のお手伝いの形で利用すれば最高の働きになって行きます。
 お互いに手を携えて助け合ってする方が本当の運動が大きくなります。仲間が増える事は本当の意味のネットワークを作っています。ただお金儲けは余り良くないです。お金儲けを先に来るとマイナスが出易いです。人を幸せにする為の働きを先に出して行けば、後に必要なものは付いて来ます。最高番組の極楽世界は無償で与え尽くし合う世界です。良い物を全部神様から受けて無償で与え尽くし合うのが良いです。
 どんな物も特許を取ってそれをお金に換えるのは間違いです。アイデアは神様からの愛がそんな形で出て来てるから、無償で与え合うのが本当は理想です。それでアイデアが天から無限に降って来ます。極楽世界を生み出す1番の生き方が本当の無償で与え付くし合う世界を現実化する働きです。そんな先駆けがこれから出て来る必要があります。
(2002年2月9日 「ネットワーク」より)


質問者:
 「ありがとうございます」以外の表現方法を教えて下さい。
ありがとうおじさん:
 表現は自由自在に無限に飛び出してくれば良いです。まず神様の働きを褒め称えるのが1番大事です。無限に褒め称える事が大事です。その働きを感謝して受けるのです。受けたら喜び湧き上がります。その喜びは自由自在です。踊り狂っても良いですし、歌いまくっても良いし、本当に何をしても良いです。自由自在に喜びを表現するのが良いです。
 天照大御神様を引っ張り出す方法を天の岩戸開きと言います。天之うずめの命の裸踊りは肉体人間的に見たらちょっと誤解を受けます。裸踊りも本当に自然な無我無心の心で喜びをいっぱい表現しています。そうすると更に良いもんが天からいっぱい降って来る感じです。その連続が良いです。だから自由自在が良いです。
 1人自然な中に喜びを表現すると宇宙全体へ喜びが広がります。そうするとまた喜びがいっぱい集まって来ます。喜びを運んでくれます。
(2002年2月9日 「表現は自由自在」より)


質問者:
 人間以外の生き物全てにも守護霊様守護神様の様な存在が付いてるのですか?
ありがとうおじさん:
 宇宙の大神様が全てを守る為に色んな働きをして下さります。人の場合は心の働きが複雑です。マイナスを積み重ねて法則から外れる様な生き方取った時でも、しっかり守って正しい方へ向き帰させる為に大きい力を入れてくれてます。そんな時に守護霊さん守護神さんの形で専属に守って導いてくれる方が良いです。でも動物だったら余り思いを出しません。その場合は種族を守る形で神様が大きく守って下さります。植物も同じで、不滅の霊魂は無いです。大木とか古い古木には木の精が付きます。木の種族を守る為に付いてます。でも若い木には付いてません。昆虫も同じです。1匹1匹には魂がありません。種族が絶えない様に種族全体を守っています。1匹1匹は数を調節する必要があるから必要な守り方を神様の方はします。
(2002年2月9日 「霊精」より)


質問者:
 「ありがとうございます」と唱え続けても求める心を起こすのは駄目なのですか?
ありがとうおじさん:
 心の向きが神様に向く必要があります。神様から受けるのが1番良いのです。ところが神様に背を向けた途端に良いものを受け損ないます。一瞬の問題で一瞬感謝に生きるか、思いを出すかの違いです。今の一瞬どっちを選ぶか決めるのです。感謝を選ぶ場合は神様だけです。「無限の無限の輝きがいっぱい、ありがとうございます」と受けるのです。それがずーっと続けば思いは絶対出なくなります。でもちょっと心の隙が出来ます。現実を見るとなったら思いの自分です。思い通りしたいとなったら思いの奴隷です。そうなると感謝が忘れられます。それを交互に繰り返してるかも知れません。感謝に生きると絞り込んだ方が良いです。そうすると何時も神様だけが回りにいっぱいになります。神様は宇宙全体だから、天からも地からも横からも何所からも入って来ます。全体が神様の光源になります。何所からでも神様の光が降り注いで来ます。そうすると思いは一切出なくなります。「ありがとうございます」を隙の無い様に絞り込むと1番楽になれます。

質問者:
 その心境になるまで時間がかかると思います。
ありがとうおじさん:
 時間がかかると思うと思いです。それも止めて「ありがとうございます」「ありがとうございます」と続けるのが1番楽です。今の一瞬「ありがとうございます」と生きるのが良いです。それがある程度続いたら感謝三昧と言う感謝しかない状態になって来ます。後はほっといても湧き上がる感謝になります。今の自分にとってどっちを選ぶかの問題です。過去は感謝を忘れ思いを選んでました。その惰性がちょっとあります。でもその惰性は対した事ないです。惰性は1回選んだものを次に選ばないで、そのまま任せる事です。本当は今の一瞬一瞬自由自在に選ぶのが大事です。今感謝を選んで生きるのが良いのです。本当の自由の発揮はそうです。神様から素晴らしいプレゼントを一瞬一瞬受ける気持ちです。宇宙全体が神様の愛の塊です。無限の無限の光り輝いた姿です。

質問者:
 実際の生活の中で感謝を選び続けるのは難しいです。コツを教えて下さい。
ありがとうおじさん:
 コツは大きく受ける事です。常に大きく宇宙全体を受け直す心になってるとプラスばっかしに感じるはずです。大きく受けてる時は良いものが無限にあるからマイナスを感じる暇がないです。だから会社で働いてる時でも会社を小さく掴んでそこで大きく拡大します。大きい中の小さい1点ぐらいに見てると絶対マイナスを感じません。宇宙には太陽以上に輝いた星が無限にあります。光いっぱい浴びている感覚で地球上の小さい部分を見るだけです。大きく受け直すのが大事です。「無限の無限の輝きいっぱい」と言う「ありがとうございます」が良いです。どんな闇もえくぼの凹みに見えます。どんなマイナスもある意味冗談みたいなもので、楽しまして貰う為にえくぼの凹みがそこにある感じです。ある程度大きく受ける練習を積んだらマイナスは軽くなります。それで囚われが無くなって仕舞います。みんな楽しむ為にあります。
 ゲームみたいなもので、どんなマイナスもプラスに翻訳する遊びと思えば良いです。プラスに置き換える練習をゲームとして楽しむのです。翻訳の名人になるのです。ちょっとしたマイナスをプラスに変えるのは簡単です。無限に大きいマイナスも一瞬で無限に大きいプラスに置き換える翻訳の仕方が良いです。何でもプラスに受け直せるのが、1番幸せを大きくして楽しく生きる秘訣です。雨が降っても槍が降っても皆プラスに受けるから良いです。矢が降っても槍が降っても皆花びらに変わって仕舞います。一瞬に変える練習です。
(2002年2月10日A 「感謝を選ぶ」より)


質問者:
 心の器しだいで全てが変わると思います。
ありがとうおじさん:
 変わります。器が無くなる方が良いです。器があると器の中にしか入って来ません。小さいから器を消して貰うのが良いです。神様を自分の中に呼び込む時はまだ器が有る時です。自分を神様の中に飛び込ませるのは、器を消す時期になった自分です。神様の中に飛び込めば良いです。それで器が消えて仕舞います。大きくなります。「ありがとうございます」は神様の中に飛び込む練習です。光の海へ飛び込む練習です。神様は大きい光の海みたいなものです。何時も神様の中に入って泳ぎ回れば良いです。羽がはえて来て自由に飛び回れます。「ありがとうございます」を無心に唱えてるうちに段々と神様の方から変えてくるから上手に出来ます。
(2002年2月10日A 「心の器」より)


質問者:
 病気、怪我はどの様に受けとめて行けば良いですか?
ありがとうおじさん:
 病気したり怪我したりする時大きいマイナス同時に消して貰っています。心が綺麗になって来ています。思いが消され少なくなった分だけ光の心に変わっています。光の心、感謝の心が気付きを増やして行きます。みんな1回病気するごとに気付きが増えてるはずです。同じマイナスの状態なら病気をする方が幸せかも知れません。気付きが増え易いです。感謝さえ続けていたらマイナスの体験は要りません。感謝のお祈りの方が気付きが増えるから病気をしなくても良いです。
 事故で死んだ場合、この世だけだはなくあの世で気付きます。この世の縁ある人の気付きを増やせる場合もあります。自分1人だけではないです。皆お互いに助け合いで気付きを増やせる様になってます。この世の誰かの気付きが増えたらその分皆が助けて貰えます。この世で気付かずにあの世に行ってからでも助けて貰い易いです。
(2002年2月10日A 「病気(怪我)」より)


質問者:
 感謝「ありがとうございます」を別の言葉で言うと謙虚または全託ですか?
ありがとうおじさん:
 そうです。素直も、全てがあります。感謝の中に神様の働き全部含まれています。「ありがとうございます」唱えたら無限に無限に謙虚になれるし、無限に無限に素直になれるし、無限に無限に明るくなれます。全部備わります。思いの方は小さく限定されて行きます。
(2002年2月10日A 「感謝一筋」より)


質問者:
 計画とか目標は良いですか?
ありがとうおじさん:
 人間が立てる計画も目標も小さいです。神様の大きい計画の下、神様に入って来て働いて貰う方が良いです。それが大きい働きになります。一瞬一瞬神様を受け入れると後で見たら大きい働きが結果として出て来ます。神様の計画の下に動かして貰うのが1番大きい幸せになります。一瞬一瞬「ありがとうございます」が最高になります。自分が何も分からなくても良いです。神様が全部知ってて手足動かす様に動かします。大きい働きをする時はそれが1番楽です。そうでないと大きい働きが出来ません。神様は凄いです。

何所からか危ない物が飛んで来るとします。猟師が撃った鉄砲の弾が飛んで来たとします。それに気付かなくても良いのです。その時にすっと下を見て何かを拾っているだけで良いのです。マイナスは相手にせんで良いのです。何時もプラスプラス拾って行けば良いです。何所かで火事になりそうでも、火事になりそうと言って飛んで行かなくても良いのです。そんな場所に行ったら先に気付いています。だから火事になる前にやかんをかけ忘れて火がばーっと出てる状態でも、水がかれる前に先に行ってます。必要な事をすっとして仕舞います。
神様だから出来ます。神様は全体を見て必要な事常に見抜いているから自然に動かしてくれるのが理想です。それは「ありがとうございます」の中で全部してくれます。

セールスしてる人は一軒一軒家庭訪問して売り込まなくても良いです。喫茶店で「ありがとうございます」と唱えながらコーヒー飲んで休憩してたら、回りに集まって来る人がお客さんになります。世間話をしてるうちに話しが幾つもまとまります。それで1日が終わりです。神様のする事はそんなものです。無駄が全然ないです。「ありがとうございます」と感謝する事は本当に凄いです。何時も大奇跡の連続です。この味をしめたら止められません。
(2002年2月10日A 「計画(目標)」より)


質問者:
 自分がしっかりしていれば政治経済なんて心配しなくて良いと思います。
ありがとうおじさん:
 そうです。人のする事は対した事ないです。1人の人の背後に大勢の神様が付いて守っています。その神様の助け受けたら全部良くなります。自分勝手に動いても良くなりません。感謝をする人が増えて行けば世の中は良くなります。まず感謝する人の回りからどんどん良くなって行きます。感謝する人は必ずよくして貰えます。それがお手本になって皆もそれに習って行きます。回りの人のマイナスをどんどんプラスに置き換えて行けます。自分で一生懸命頑張っていると言っても皆逆の事をしています。神様の邪魔をしてるかも知れません。政治家が一生懸命頑場ってる様ですが対した事ないです。「ありがとうございます」と唱えてる人の力の方が遥かに大きいです。
(2002年2月10日A 「政治(経済)」より)


質問者:
 「ありがとうございます」と唱えていても、如何して良いのか分からなくなる時があります。
ありがとうおじさん:
 「ありがとうございます」と感謝する事は本当の神様を呼ぶ事になります。呼ばれたら神様がすっと助けに入ってくれて、必要な助けを与えてくれます。神様が身近にいると安心感が生まれてきます。何時も神様と一緒の気持ちだと心が安らかになります。でも神様から放れると寂しくなります。孤独を感じます。思い通り生きたい時は孤独になって行きます。神様の助けをある意味拒絶しています。今はまだ助けは要りませんと言う形です。神様の助けが欲しいんだと言う気持ちで「ありがとうございます」唱えて呼べば良いです。必ず呼んだ時に必要な助けを与えてくれます。寂しい時は「ありがとうございます」と唱えれば神様がすっと入ってくれます。だからどんな問題でも解決してくれます。
(2002年2月10日B 「問題」より)


質問者:
 天照大御神様について詳しく教えて下さい。
ありがとうおじさん:
 「あ」が光とか光源の意味で、1番命の本源の意味です。「あ」が出て来て「ま」は全ったきもの完全なの意味です。「あま」で完全な宇宙の意味です。

 完全な宇宙全体が無限に無限に輝いた姿を取ります。全体を照らすと同時に自らも照り輝いています。照る、照らす働き同時に持ってて、それが「す」になって何時も循環しています。絶対に戻ってまた表れてまた絶対に戻ります。「あまてらす」で絶対から無限の無限の輝きを持った宇宙が表れて一瞬一瞬置き換わって行きます。これが本当の姿です。

 「あまてらす」の上に「おおみかみ」と付きます。大きい「み」、体と見た方が良いです。全てと言う意味です。 「あまてらすおおみかみ」と言うのは宇宙の大神様の全体像と言うふうに見るのです。中に絶対を持ち創造の働きを持って分身として無限の無限の八百万(やおよろず)の神様の姿を持っています。ありとあらゆる姿形全部中に保ってる状態です。これが本当の意味の「あまてらすおおみかみ」です。

 その他に対立する神様はないです。ただ1人、1神だけです。本当の見方は天照大御神様だけです。伊勢の神宮にお祭りされていますが、あくまでも小さい模型の模型もう1つ小さい模型です。模型の中には本当の神様は居ません。そこに心向けて本体を掴み易くする為の物です。皇室の先祖も小さい囚われです。女神様でもないです。そんなに小さいもんでもないです。大きい意味で天照大御神と捉えます。それは「ありがとうございます」と同じ意味になります。「ありがとうございます」の神様の働き全て(全体)を中に持っている言葉なんで、無限に無限に輝いた姿と捉えます。
(2002年2月10日B 「天照大御神様」より)


質問者:
 安らぎ村の役割について話して貰えませんか?
ありがとうおじさん:
 何故こんな所に集まってくるのでしょう。ばかされてないでしょうか。ここも不思議な所です。私達が7年前にこっちに移って来たのも不思議でした。実は神様の計画が大昔からあったみたいです。そこに山があります。あそこを中心に昔からの聖地になっています。本物を発信する場所として昔から用意されている場所です。山全体が聖地として働く場所です。大勢の名前を隠す立派な神々様が応援しています。不思議と山を歩くだけで心がスッキリします。あまり可笑しい人は来ません。それを世間ではまともと言います。
 これから本当のものをしっかり捉えて、それを表現する人が増える必要があります。今までは人真似が多かったです。これからは1人1人が個性を発揮しないと本物になりません。まず神様と1つに繋がって、神様と繋がった時始めて1人1人の個性がはっきり表れます。そんな形で皆さん1人1人が本当の個性を発揮した時に世界が大調和の姿を取ります。神様の理想が現実化します。聖徳太子さんも凄い働きをされています。でも余り表面に出ません。影の働きを一生懸命されています。歴史上名前の出てない立派な方も大挙して応援についています。余り皆さん有名ではないです。自分の名前隠しても良いのです。影でする働きが本当の大きい働きです。

 宇宙の大神様を谷神(こくしん)と言います。谷は隠れて仕舞います。山は表に出ます。本当の神様の働きは影に隠れて下から皆を支えて大きく働きます。影で働く方が本当の神様の働きになるみたいです。そんな働きをお手伝いとしてさせて頂くと神様に使って貰えます。そうすると大きい働きに自然と変わってきます。「ありがとうございます」と心に唱える事は人に目立ちません。あの人は何してるのか分からない感じです。でも「ありがとうございます」唱えて影で働く事は本物の働きに変化します。大きい力がすっと入って来て自分の心を輝かせて下さります。知らず知らず大きい影響を回りに与えて下さります。これからは影で働く大きい力が本物になって行くと思います。それが中心に立つ事だと思います。
 今までは上に立ちたい人が多かったです。上に立つと自分の思い通りみんなを動かしたいと思います。皆を支配したいとか、自分の思い通り変えて行きたいと思います。でも中心に立つ人は逆です。皆のマイナスを引き受けて補って行こうとします。皆が幸せになる為だったら自分を犠牲にしてでも皆を助け様とします。最後の尻拭いをします。それが本当の神様の働きです。これからその意味で大きい運動に私達1人1人を神様が使ってくれる様になります。

 この地は本物を発信する場所として本物を養成する場所として神様は計画してるみたいです。菩薩を生み出す地湧の菩薩を生み出す、また神我一体の神人を生み出します。そうゆう人達が本当に自由な働きをする事によって本物が世界に広がって行きます。世界維新の大きい偉業を成し遂げるのです。でも名前を出したら駄目です。「ありがとう村」と仮についてますが、何もない方が良いです。「私はこれをしてます」もない方が良いかもしれません。あくまでも影で影でが神様の願いの様です。自分を隠して隠してする方が神様が働き易いです。
 今までは人が中心になったり、宗教でも教えが中心でした。でもこれからは必要ないです。本物の神様だけが中心であれば良いです。そうしたら争いもなくなって本当の神様の助けを受けて皆が本当の意味の幸せになって行けます。その為の1つの場として神様の計画で与えて貰った様です。これも不思議です。何時の間にか出来上がっていました。私は何にもしてないです。「ありがとうございます」と言ってるだけです。場所も材料も人もすんなり集まって来ました。神はからいとしか思えません。神様の応援があってありがとう村が出来たのです。
(2002年2月10日C 「安らぎ村」より)


質問者:
 道についてお話しを聞かせ下さい。
ありがとうおじさん:
 道路の道の様に全部繋ぎ合わすのです。みんなを1つに一体化して幸せいっぱいにしてくれます。道路がなかったら本当に困ります。みんなバラバラに孤立します。ちょっと土砂崩れで道がふさがれただけで移動が出来ません。網の目の様に道路があるのは凄い事です。心のネットワークも同じで、自由自在に行き来出来る様に道を作りましょう。それが宇宙全体に満ち渡ったら神様の理想が現実化すると思います。全ての道と付く武道、古神道、はがき道などは皆お互いを繋ぎ合わせる道作りだと思います。繋ぎあわせないと駄目です。良い仲間を1人でも多く作って行く事が大事だと思います。それが幸せを大きくしてくれます。道も平坦な道だけではないです。立体交差の道がいっぱい出て来ています。これがまた面白いです。無限の立体交差になると思います。
(2002年2月10日C 「道」より)


質問者:
 人に「ありがとう」とか「ありがとうございます」と言うのは照れくさいです。アドバイスを下さい。
ありがとうおじさん:
 心で「ありがとうございます」唱えてたら良いです。それで十分伝わります。それで必要だったら自然に出て来ます。照れくささがあったらはがきに書いても良いです。1番楽が良いです。心で「ありがとうございます」しっかり唱えるのも良いです。そしたらそのまま心が通じ合ってるのでたまに「ありがとうございます」言うのも良いです。
(2002年2月11日 「 1番楽が良い」より)


質問者:
 富士山をどう思いますか?
ありがとうおじさん:
 形から見ても素晴らしいです。日本の中心的な働きでもあるし、地球上でも日本の富士山は他の星から見るとひときわ輝いています。地球のピラミッド的な働きもしています。この世的にも霊的にも素晴らしい働きがあります。出来るだけ価値を大きく認める方が良いです。宗教団体の施設も近くに沢山あります。それだけ素晴らしい場なのでしょう。琵琶湖も良いです。琵琶湖は逆に逆さまになります。富士山が入るらしいです。姿を隠して谷神の影の働きです。対になってるかもしれません。
 琵琶湖は昔から、みいほうどううみと言います。女の人の子宮と言う感じです。そこから何かを生み出します。ある意味中心です。
(2002年2月11日 「 富士山、琵琶湖」より)


質問者:
 「ありがとうございます」と感謝する事はどんな要求が来ても断る事をしないのですか?
ありがとうおじさん:
 いったん「ありがとうございます」で受けて仕舞うのです。必要なかったら向こうがすっと消えます。人から色々仕事を依頼されると、いったん「ありがとうございます」で受けます。そして必要なものだけが残ります。必要ないものだけが向こうから断ってきます。与えられた仕事は必要な仕事です。それを全力でさせて貰ったらどんどんプラスに変化します。いったんは全部「ありがとうございます」で受けた方が良いです。喜ぶ為に受ける事が必要なのです。
(2002年2月11日 「感謝して受ける 」より)


質問者:
 嬉しくてたまらない時は神様と一緒と考えて良いですか?
ありがとうおじさん:
 喜びが湧いてくる時は神様と一緒です。自分だけ喜ぶのは小さい喜びです。神様が喜んでる時は喜びが大きくなります。神様の喜びを自分の喜びとして頂くのが良いです。皆の為に一生懸命尽くしてる時に大きい喜びが出て来ます。それは神様の喜びです。人を喜ばして幸せにするのが良いです。人の必要な事を与えるのが良いです。して欲しい事より必要な事を与えた方が良いです。食べ物がない人に食べ物を与えたら喜んでくれます。でも何時もご馳走を食べてる人に食べ物をあげても余り喜びません。欲しい物と必要な物は全然違います。必要な物をその時に与えるのが良いです。
(2002年2月11日 「喜びが湧いてくる」より)


質問者:
 お祭りが色々あります。例えば惟喬親王の「ひどり」があります。その「ひどり」の「ひ」とそれ以外の「ひ」に違いがありますか?
ありがとうおじさん:
 お祭りは元々神様の心と1つに「つりあう」という、神様の心を受けて自分の心にするのがお祭りです。それは喜びいっぱいです。だから、どんちゃん騒ぎの喜ぶ姿を取るのです。神様の御心に波長を合わす為にお祭りがあります。その「ひ」を決めてするのも、その原点に戻る為です。喜びいっぱいの心に自分を戻す為にそういう節目がある方が毎日を喜びいっぱいに生きられます。毎日盆と正月の方が良いです。何時も楽しんで喜んで幸せいっぱいが良いです。
(2002年2月11日 「お祭り」より)


質問者:
 欲しいものがある場合は求めない方が良いですか?
ありがとうおじさん:
 必要なものと欲しいものの区別を付けられたら付けた方が良いです。神様の方は必要なものを与えて幸せいっぱいにしようとします。そのズレがなかったら良いのです。必要なものと欲しいものが一致した時は神様の方が必ず与えて下さります。求める心起こさなくても「ありがとうございます」と感謝してた方が早く受けられます。本当に必要で欲しいものが有ったら、「既に与えて下さってありがとうございます」と「感謝の先取り」を先にするのです。それで欲しいものと必要なものが一致してない時は、マイナス面だけ消して必要な大事なものだけ残してすっと与えて来ます。その修正もして下さります。
(2002年2月11日 「必要なものと欲しいもの」より)


質問者:
 私は物凄く部屋を散らかします。物にしても情報にしても収集するのですが上手く整理出来ません。それに頭の中は屁理屈ばっかしです。ものの捨て方のコツを教えて下さい。
ありがとうおじさん:
 捨てると言っても闇雲にどっかに捨てるのではないです。本当の捨て方は、適材適所に配置する意味です。心の中を整理整頓すると通りが良くなります。神様の知恵がすっと流れて、配置されたものを使って自由自在な働きをして下さります。色んな情報も良いです。それをただ適材適所に配置して残しとけば良いのです。必要ないものは最初の時点で捨てたら良いのです。必要なものだけをちょっとメモを取るとか資料を残すとかして心の中に体系づけて整理するのが大事です。
ものは必要があって出て来ます。その使命を果す様に活かしてあげましょう。活かしてあげる事が大事で、自分の所に回って来たものは神様からの預かりものです。これをどう活かして使って役目を果させるかも自分の勉強です。必要な所にさっと渡せば良いです。自分1人で全部使いきるのは難しいです。預かったものは自分だけが使うのではなしに縁ある所へどんどん渡す役目もあります。必要な所は何所か探して、それをすっと届ければ良いです。その循環が早くなればなるほど極楽世界が現実化します。
 自分にとって不必要でも他の人に必要かもしれません。必要な所を探し出すのも必要です。それがお互いの情報交換です。必要な所にすっと渡しとけば、今度また自分が必要になった時にまた他からすっと入って来ます。将来の必要性を考えて溜めとく必要はないと思います。先に先に必要な所へ渡せば良いです。その方がスッキリします。
(2002年2月11日 「捨てる」より)


質問者:
 お祈りする時感謝の対象を色々考えて「ありがとうございます」を唱えています。もっと無心になってお祈り出来る方法はないですか?
ありがとうおじさん:
 神様を太陽に例えると、太陽から無限に光が放射されます。その全体をしっかり捉えるのが良いです。その捉え方で光源へ心を向けたら大きい輝きとして感じられます。でもその時、細かい所まで見えません。その生き方も良いです。今度、逆に背を向けて光の流れをバックから見るようにすると、細かい光の区別がよく付きます。また横から眺めても色んな光の彩模様がよく見えます。それを自由自在に全部こなす方が良いのです。だから現実にあるものでも順番に数えあげて「ありがとうございます」と唱えるのも大事です。1人1人思い浮かべて「ありがとうございます」と唱えるのも必要なんです。また1人の人を通しても、その人を通して心を光源へ向けた時は、その人が無限に輝いた姿をとります。それも必要です。また全体を大きく眺めて神様の光源だけをしっかり認めるのも「無限の無限の輝きいっぱい」と見るのも必要です。ただ1つに囚われたらいけません。全部あった方が味わいが深くなります。それを自由自在に心を色んな立場に移して全体を総合して「ありがとうございます」と受けるのが良いと思います。全部活用されるのが良いです。
(2002年2月11日 「お祈りの方法 」より)


質問者:
 自分の行動、限界、咎めの心、そんな所が駄目だなと思って嫌になります。こうなりたいとか、感謝を深めたいとか、人の役に立つようになりたいとか、喜んで貰える存在になりたい気持ちから来てると思います。これはマイナスでしょうか?「ありがとうございます」を唱え続けて感謝し続けていれば良いのでしょうか?
ありがとうおじさん:
 マイナスがプラスに置き換わってきます。マイナスに気付くというのは、その気付く自分はプラスの自分です。それでマイナスをプラスに置き換えたいと思います。マイナスの自分だったらマイナスに気付きません。それが良いと思ってるからマイナスには絶対見えません。それが正しい良い事だと思ってるからです。マイナスに気付いた自分は既に本当のプラスの自分です。その自分が現実のマイナスに飽き足らないのです。それをプラスに変えて良い表現をとりたいのです。区別が付いたらもう大丈夫です。後はプラスだけをしっかり認めていけば良いです。「ありがとうございます」の言葉を中心にして、その中に全てのプラスが含まれてるので、「ありがとうございます」だけでも良いですし、そのマイナスと対極のプラスの言葉を使って、良い物をどんどん引っ張り出して置き換えて貰えば良いです。後は自然に良くなって来ます。
(2002年2月11日 「 マイナスに気付く 」より)


☆受け入れる事で天命も果たせるといっても自分がこれで受け入れていることが出来ているのかよく判りません。じっとしていていいのかそれとも動き出した方がいいのかと・・?
ーおじさんー
必要なだけ自然に出ているんです。じっと待ってるのが必要ならそうなっているし、自然にスッと動き出していてもそれもいいんです。全て神様が見通して必要な事をズーッと与え続けてくるからそれも瞬間瞬間で変化します。今じっと待っていても次の瞬間勝手に動き出しているかもしれないです。ただありがとうございますと神様を受け入れていたらいいです。そうしたら知恵も力も何もかも全部湧き上がってくるようになるんです。外からの働きかけも全部来るんです。中から湧き上がってスーッと動く時もいいし、外から誘われてスッと動き出すのもいいし神様が全方向から助けてくるから強制する事なしに無理なく自然に動かしてきます。誰かに誘われて何か始めるのもそうで神様が自然に外からスーッと助けて来るんです。だから今を楽しんだらいいんです。何かしなければと思わなくてもじっと座っているだけでも寝てるだけでも大きい働きの時はちゃんとしています。存在するという事が大きい働きになっているし、あと必要な事は神様がスッとさせてくれます。ただ自分にとって本当の必要な役割は何かというとその時その時で全部変化します。例えば自分に子供がいて子供の教育の為にいろんな家事手伝い全部をさせなくてはいけないというときは母親が病気させられるんです。病気をして寝ている方がいいんです。そうすると子供が何もかもできるようになって親孝行になります。子供を親孝行に育てる必要な働きとして病気の姿をとるんです。そのときは何もしてない状態だけどそれが必要な大きい働きになるときもあります。それが自由自在に神様は何をするか判らないです。でも絶対マイナスはないです。プラスにプラスになっていく事に気付いていくんです。ありがとうございます唱えることによって気付かせてもらって幸せをどんどん大きくしてもらうから形に囚われないいいんです。
(2002年2月22日 「必要なだけ自然に出ている 」より)


☆子供にとって三歳までの環境が大事と言われていて、たとえば笑いのない子供で親からたくさんのマイナスを押し付けられているように感じることがあります・・・。
ーおじさんー
人によってたくさんいろんな見方があります。周りの人全部の勉強材料かもしれないし子供にとっては子供の勉強がいっぱいあるし親にとったら親の勉強材料があるしみんな神様からの愛のプレゼントなんです。
三つ子の魂百までという諺がありますけどこれも幾通りも解釈があって三つ子の魂というのは過去世からずーッと積み重ねたその子の総決算という意味の姿が三歳くらいまでにはっきと出ているんです。もし何か天才的な芸術的な働きの姿が出てきたらその子は過去世でずっとそれを続けてその天才的なものを積み上げています。三歳くらいの時の姿にその片鱗を見るだけでそれは必ずこの一生にずーっと花咲いて出てくるんです。だから生まれて三歳くらいまでに与えられたものではなくて過去世のものがそのまま現れているのが見えるというそれがこの一生にずっとと花咲くように出てくるという意味なんです。これもひとつの解釈ですけど大体正しいと思います。三歳までに与えられた親からのひどい仕打ちも過去世のものが出て来てそういう姿をとっている運命をとっているとみたほうがいいです。そして小さい時に消してもらう方が軽く済むんです。小さい時いろんな悪戯なんかしますけどそれも大人になってからするより小さい時にしておく方がいいです。小さい時消してもらう方が軽く済みますから悪戯っぽい子ほど大人になったら真人間に戻るというか悪いことをしなくなるという場合が多いです。小さい時に消してもらうほうがいいです。だから三歳まででも親からひどい仕打ちを受けたら過去世の大きいマイナスを軽く消してもらったから、後は運命的にどんどん明るく開けるんです。それもひとつの見方です。常に神様の愛が大きく働いています。マイナスがあったら軽く消そうとしています。
(2002年2月22日 「三つ子の魂百まで 」より)


☆現実とはかけ離れている夢を持っているのは問題ないですか?
ーおじさんー
夢はたくさん持っているほうがいいです。神様からの本当のプレゼントで夢いっぱいがいいです。それを心に受ける意味では本当はお祈りがいいんです。お祈りは心に受けとる最高の夢です。それが必ずこの世なりに現実化してきます。無限の無限の幸せでいっぱいというのもひとつの夢です。神様のプレゼントみたいなものです。それを心にスッと夢のような姿で受け入れたら現実が幸せいっぱいになってきます。人が考えつく思いつく空想できる全てを神様は用意しています。何でも受け取れるからいい夢はいっぱい持ったほうがいいです。
(2002年2月22日 「いい夢はいっぱい持ったほうがいい 」より)


☆宗教によっては蚊も殺さないものがあって、私たちは命をもらって食べていますが神様は殺生をどこまで赦してくれるのですか?
ーおじさんー
 無限の無限のチャンネルの番組が既に用意されているということは、一切殺さないという最高番組から殺し合いの番組まであるんです。番組ごとに全部違います。一切殺さないというのは神様の大きい命を完全に生かしきるということです。神様の命がどれだけ輝いているかによって番組が段階を追って違ってきます。神様の命はみんなが幸せになる大調和の姿をとるという宇宙全体の大きい命です。
 例えばこの世でプラスとマイナス、殺生している生かしているという両方がありますが、それもどういうふうに見るかという見方によっていろんな見方が出来ます。小さい命が自分の命を大きい命に捧げているといったら殺生ではないです。逆に大きい命が小さい命を無理矢理奪ったというなら殺生に見えます。見方によって殺生にも見えるし逆に生かしあっている捧げあっているというふうに見えるんです。だからプラスに見える方がいいです。小さい命は大きいものに命を捧げてどんどん自分が大きい命に変化していく進歩向上しているという命の捧げ合いであれば別に殺生ではないです。
 もし蚊や蝿がいっぱい出て来てそれが無限に増えたら蚊や蝿の世界になってしまいます。人間がそこで生活して何か大きい神様の心を実現するという世界ではないです。蚊や蝿ばっかりの世界もありますが、人間がこの世に現れてこの世を理想の世界に変えようという目的をもってきている限りは、蚊や蝿ばかり繁殖させたらダメなんでもっといいものをいっぱい調和させた姿で出してこないといけないです。だから蚊も蝿も必要だったら残してあげないといけないけど必要最低限でいいんです。一匹か二匹残ったら希少価値になって無限の価値があるかもしれないです。増えすぎたらちょっと困る可能性がありますから種属を絶えさせないでバランスをとらないといけないです。植物も何でも放っておいたら雑草ばかり増えてきます。山の木も苗木を植えて放っておいたら最初はわっと繁るんですがそのうち日陰が増えて細くなってみんな枯れて共倒れになってしまいます。間伐や枝打ちを何度もしないと日が当たらなくなって根も張らなくなります。全体が地滑りして山がダメになってしまう山が死んでしまいます。人間が全体を見て調和するようにしないと手を入れないといけないんんです。本当に必要なものを残すようにしていかないといけないです。種属を絶やすとこまでいくとダメですけど種属を護って調和させる為には間伐しても殺生ではないです。ちゃんと種属を護って生かして必要な大きい働きをしているんです。何が一番理想の姿かという目的がはっきり定まらないとダメです。
 はっきりと定まったらその目的に向かって進んだらいいんです。花壇を作っても雑草ばかりだとそこに美しい表現は生まれないです。自分の植えたい花をきちんと配置して雑草を抜かないとそこに美的表現は生まれません。ひとつの雑草だけ蔓延する番組はあってもいいし、そういう番組は既にあるから、その表現がいいと思う人はその番組を引っ張り出して雑草をどんどん蔓延さすんです。
 でももっと別な番組を引き出してそこにもっといい美的表現を現実化したいというならやり方は変ります。本当に神様の命を生かすというのは最高番組を現実化するのが正しいんです。低い番組よりもより高い番組を現実化する方が大きく命を生かしていることになります。より大きいものが生きるなら、場合によっては間引いてもいいし虫を殺しても構わないです。
 その時は殺すというのじゃなしに卒業してもらう、ふさわしい世界へ戻ってもらうんです。ただ一瞬一瞬の移り変わりの姿というのを執着して掴むから殺したように錯覚するんです。一瞬一瞬出て来てくれていると思えばいいです。今ここには用がないから元に戻ってて、顔を出さないでと言う程度がいいです。それだと必要な姿で一瞬一瞬だけ顔をだして現れてくれるというのがいいです。
 舞台でもいろんな俳優さんがいて役割に応じてスッスッと出て来ます。悪役が出て来るときもあって、でもストーリーどおりに進んで今はもう悪役はいらないとなると引っ込んでしまいます。いろんな役割の人が次々に出て来ます。この世もストーリーどおりに動いていって必要な役割の人がスッスッと出て来ます。
 だから虫を殺していると言わないで送り返したと、この世から還るときに殺生の国のマイナスを背負って消してみんなに負担をかけないようにお土産を残して還っていったと、よりよくするための働きだったと見ればいいんです。
 昔のように地球に大恐竜がいっぱい現れたら人間は生きられないです。何から何まで生かして残しておいたら大変なので時代時代でみんな移り変わっていいんです。普通は人為的なものをあまり加えなくても事前に数が調整されていくんです。鼠でも鼠算的に増えるかというとそうではなくて普通ある一定の数で止まります。人間もそうです人口がどこまでも増えるかというとそうじゃないです。食べ物の少ない時代にはそれに合うような人口に調節されています。すこし豊かになって食べ物がたくさんつくれるようになった時また人口が増えたりその辺も調整されてきているんです。
(2002年2月23日 「殺すのではなく卒業してもらう」より)


☆調整という意味では戦争もそうですか?
ーおじさんー
大きい意味ではそうかもしれません。人口の調整の為に戦争も起こり大自然の天変地異で大勢の人が死んだりします。

☆子供の少子化もそうですか?
ーおじさんー
国によっても違いますが全体にとったらそうかもしれないです。子供がどんどん増え続けるのがいいんじゃないです。地球上の今の人口でも多すぎます。もっと理想的な星に変化するとしたらもっと少なくてもいいです。ただこの世はあの世から見ると修行の場所として最適な場所だからというので大勢生まれてきていますけど、この世の人が本当にお祈りをしっかりし始めてあの世の人も大きく助けてもらえるようになったらもっと人口が少なくなっても構わないです。大自然と調和しながら本当に理想的な姿を現します。わざわざ一度に大勢この世に現れて修行しなければならないということがなくなります。小さい教室に詰め込まれてぎゅーぎゅー押し込まれて勉強している感じです。勉強はあの世でもいっぱいあるからもっとゆったりした場所で必要な勉強をするようになったほうがいいです。だから別に少子化も何も心配しなくていいんです。心配する人は日本が少子化になったら外国に太刀打ちができなくなるとかしょうもない心配をしているんです。地球全体がひとつなら競争をしなくてもみんなが助け合うんですから外国に子供が生まれたらそれでいいんです。増えるところは増えるし減るところは減るし全体が助け合いになればそれでいいんです。
(2002年2月23日 「調整」より)


☆ありがとうございますの意味を知って言うのと何も知らずに言うコンビニのありがとうございますは同じですか?
ーおじさんー
 ありがとうございますは同じですがその人にとって今何を必要としているかで必要なものを与え続けててもらえるんです。深い気付きが必要な人はそれが今必要だからありがとうございますで深い気付きを与えてもらえます。そこまで必要ない人もあります。ものをもらってありがとうございますの人はその段階で必要なものを与えてもらうんです。それは全部それでいいんです。必要になったら必ず変化します。必ず必要なものを与えてくれるというのが本当なんです。気付きが増えて大きい幸せを与えてもらう方が幸せかもしれませんけどそれも時期です。時期が来たらそうなっていきます。
 みんな幸せの道を歩んでいくのでどんどん幸せが大きくなるそういう時期はあります。一足飛びに最初に大きい幸せ掴んでまた下に落ちていく人もないとは言えませんけど、歩み方は自由自在なのであまり幸せすぎてもう一回下へ落ちて苦しみを味わってと思う人もあるかもしれないです。歩み方は自由自在にいろんな道があっていいんです。大きい目で眺めたら一回ありがとうございますで幸せになってもう一回下へ落ちて苦しんでというのもさらに大きい幸せを味わう為なんです。行ったり来たりしながら大きい幸せを掴んでいってます。螺旋階段を上るように光の当たる面と闇の面の両方を交互に昇りながらという感じで必ず上に昇っているというのがいいです。
(2002年2月23日 「今何を必要としているか」より)


☆以前重い責任のある仕事でうまく行かなくてものすごく苦しんだ時に心のどこかでそれを楽しんでいるような感じがありました。すごく辛い状態なのに・・・あれは何だったのかと・・?
ーおじさんー
肉体人間という立場でいろんな苦労をさせられて苦しんで悩んでという状態におかれるとその状態を奥の自分、守護霊さん守護神さんはいい修行が出来ると手を叩いて喜んでいるんです。だから心の底では本当は喜んでいるんです。
本当にいい勉強になるんです。重い責任のある仕事をさせられてそれを果たせずに文句ばっかり言われて馬鹿にされてというのも大きい心の修行です。何を言われても不動心になればいいんです。いろんな角度から勉強させてもらって背後の神様はすごく喜んでいるからその心をスッと感じると表面は苦しんでいるけど内心は喜んでいるんです。表面も喜んでいると修行にならないです。
(2002年2月23日 「背後の神様はすごく喜んでいる」より)


☆働くのは好きですが職場の人間関係が少し苦しくて、周りの人を全て神様の表現と思うようにしていますがとても難しい・・どうすれば自分をこの場に置き続けられるかと考えてしまいます。
ーおじさんー
一秒単位で受けなおす練習をするといいです。そうすると過去を引きずらないから人の姿がみんなプラスに見えてくるんです。神様の現れ・神様の表れと一秒単位で受けなおすと悪い姿が見えなくなる、消えてしまうんです。バカヤロウと言われても最初の一秒は「バ」と聞いて次の一秒が「カ」ですその次は「ヤ」なんです。例えば人をビックリさせる時も「バー!]です。過去を掴んで過去をズーッと長く引きずると番組を下げてしまう、マイナスに見えて来るんです。そこが大事なんです。一瞬一瞬新たに出来るだけスピード化して新しいの新しいのを受けなおす練習です。一秒単位で受ける練習をするとプラスばっかりに見えてくるんです。それもひとつじゃなくて沢山あるから同時にそれをしようとするならもうひとつプラスばっかりと見たほうがいいです。そうしたら周りに誰がいても引っ掛からなくなります。プラスだけを感じるし、いい人だけ見えます。一秒でみんなを見るのは忙しいです。一秒で全部は見えないからいい人だけをみるんです、その中で最高の人だけ一秒見たらいいんです。その次の瞬間もその中で一番いい人だけをみるんです。二番目三番目のいい人くらいまではみてもいいですけど最低の人は楽しくないから見なくていいんです。そうすると楽しくなります。それもプラスを発見する練習です。 一番いいものを選ぶ練習で感謝のひとつの練習の方法です。特にこの世はいいものを選びたいと決めたらそれをどんどん自由に選んでいく練習なんです。
(2002年2月23日 「一秒単位で受けなおす」より)


☆歯並びがよくない為に食べ物を噛み切れないとか発音がうまく出来ないとかがあってお金が出来たら矯正したいと思ってきたのですが、それはよくないことですか?
ーおじさんー
本当は矯正も何もしないで自然なのがいいんです。みんな異なる歯がいいので歯並びも違う方がいいんです。きれいなのがいいのでなく平均点がいいんじゃないんです。歯がきれいに並んだからいいというのではなく神様は全部違う歯を創っています。全部違うようにして声の質まで全部変えてくるから歯並びが違うだけで声の質が変るんです。発音の仕方が変るから個性が出て来てそれがまた素晴らしくて素敵なんです。聞きにくいとしたら何度も聞かれて注目されます。マイナスじゃなくて何倍もプラスになっているんです。食べ物も何でも噛み切れたらいいんじゃないです。柔らかく噛むだけでもいいんです。動物も歯並びはみんな独特です。それぞれ特徴があってすばらしいです。人間もみんな同じです。違うからいいのでそれで完結なんです。他の人は真似できないんです。
(2002年2月23日 「歯並び」より)


☆親がギャンブルで稼いだ遊びのお金で子供を育てたとしたらその子供が働かなくなるとかがありますか?
ーおじさんー
お金に付いてくるマイナスを背負うんです。それを心に背負い続けたらその影響は受けます。心にマイナスの思いが貯まると考え方がマイナスに向いていくから働けなくなります。もしギャンブルで当たってありがとうございますと感謝しする親だったらギャンブルをしなくなります。そういう方に心が向かなくなって働いてお金をもらう方がいいと徐々に心が向いていきます。

☆現実に今は人の役に立つような仕事の収入がなくてギャンブルの才能があってそこから収入を得ているような時もあると思いますが・・?
ーおじさんー
ギャンブルで得たマイナスのお金をいい事をしている仕事の穴埋めとして使ってプラスに変えてるというのは悪いことじゃないです。でもいい働きをしていいお金が手に入るともっといいです。
ただギャンブルも徳がなかったら勝てないでしょうから徳があるから収入にできるんだし技術以上の運がなかったらそういうものは出来ないです。

☆ギャンブルも風俗もみんながそこでマイナスを消してまた元気になる意味ではプラスだと言えるし、競艇の笹川良一さんのような人もいます・・。
ーおじさんー
みんなの不労所得を全部吸い上げて消してくれているといえますが消す役目の人はお祈りしないと大変です。本当の大菩薩というのはそういう所に身を置いてマイナスを消すんです。どんな汚いお金でもきれいに清められたらいいんです。寄付する時は清めて渡さないといけないです。清める力がなかったらもらったところが大変な目に会います。
(2002年2月23日 「ギャンブル」より)


☆寄付をするという以前のこととして楽をして得たお金というのは基本的には低い番組のものがついているんですか?
ーおじさんー
そうです。たとえば笹川さんから寄付してもらうとしてそれが清まっていないお金だともらったところが後で大変な目に会うんです。絶対よくならないんです。寄付してもらった時は喜ぶんですけど後にしんどい思いをします。
(2002年2月23日 「寄付」より)


☆感じやすい人が神懸りのようになったり、そういうものを受けやすいということについて教えてください。
ーおじさんー
根本はみんな一人ひとり自分の心で波を合わせて受けるんです。波が合わなかったら絶対会わないんです。どういう状態が起こっても波を合わしてしまっているので敏感というのとは少し違って、波が合うから受けるんです。敏感な人でも敏感なほど波を高い方に合わしていたら低い波に絶対に会わないです。敏感なほどピタッと高い方に合わしてしまえばいいんです。波長合せの精巧なものを敏感というんです。同時にみんなに合うのは鈍感です。ピタッと細かいところまで合うのが本当の意味の精巧な敏感な姿です。自分が高いものに合わせてしまったら絶対低いものは感知しなくなります。
☆高いものへ合わせる方法はありますか?
ーおじさんー
ありがとうございますをしっかりと唱えていると高く高くなってきます。それで無限の無限のプラスだけとなってくるとマイナスは一切感じなくなります。
周りの人がみんなマイナスに見ても自分だけは無限のプラスに見えます。敏感な人ほど神様をよく感じられるのでいいんですが無防備になったらいけないんです。自分をしっかり守っておかないといけないです。自分の心はしっかり自分が整えておかないといけないんです。ありがとうございますをしっかり唱えていると一番高いところへ波長を合わせていけます。
(2002年2月24日 「高い波長に合わせる」より)


☆自分では自分を卑下する癖があると思っていますが友人から謙遜エゴといわれました。謙遜と卑下とエゴについて教えてください。
ーおじさんー
 謙遜、謙虚はいいことです。ただその謙遜も謙虚もプラスに見ることです。マイナスに見たらダメです。プラスに見るというのは神様からどんなものでも小さいものでも大きいものでも全部プラスに見て受けることです。今の自分の状態も全部神様に与えてもらっています。存在している生かされているというのも全部そうです。どういう状態もそうです。それをみんなプラスに見た方がいいんです。
 もし何もなかったらゼロですから存在することが無限の価値があるんです。動かないでじっとしていても価値があるんです。彫刻みたいにじっと立っているだけで何もないのと較べたら無限の価値があります。そして動き出すんですから、存在するだけで無限の価値があったんです。それが動き出してまた価値が増えるんです。その動き方またプラスにプラスに神様の大きい働きとして動いていくんですから更に価値が増えてくるんです。
 だから本当は常に無限の価値があるんです。そういうふうに無限の価値があると認めることが謙虚、謙遜と言うんです。マイナスは数えないんです。もう卑下慢はないんです。楽観的にプラスにプラスに受けて喜ぶだけです。一番下に置かれても文句をいえない自分なのにこんなにプラスがいっぱい幸せがいっぱいと喜べばいいんです。自分に何かがあると掴んだら、いいものがあるなどと掴んだらこれは高慢です。何もないのに一番下なのにいいものがいっぱいと喜べるんです。一瞬一瞬いいものをいっぱい与えてもらってと、いいものは無限にあるんです。周りの人は認めているのに自分がないないと言ったら馬鹿です。みんな無限に価値がある、素敵だと認めているんです。
(☆・・いえいえ・・・。)
 そういう時はいえいえと言ったらダメです。おかげさまでと言うんです。
いいところはいっぱいあります。おかげさまでを言う練習をしたほうがいいです。

(2002年2月24日 「謙遜」より)


☆寄付をする時に自分がするんだという思いのある時は業想念が入りますか?
それでもした方がいいのか、しない方がいいのか教えてください。
ーおじさんー
 そのままだったらあまりプラスにはならないです。感謝があるかないかなんです。少々の業想念は感謝があれば全部消えます。世間的にいろんな事をする場合でも本当にお礼の感謝の気持でする時はプラスに変化します。義理とかそういうものですると感謝が忘れられてしまいます。そのときはダメになります。思いだけを持っていくと相手に思いをかぶせたりします。だから神様事で寄付するのも本当の神様に使ってもらうのはいいんです。
 本当の神様に使ってもらうのはいいけど宗教団体というのは神様じゃないです。偽物のほうです。宗教団体という組織が出来て、組織の業がいっぱい貯まると求める心が出来てくるんです。お金を持って来なさいとかここへ寄付したらいいですよとか言って上手に言葉で縛ってきます。それに乗せられたらあまりいいことはないです。本当の神様にお手伝いという気持で奉仕するんです。それは宗教団体に奉仕するのとは違います。
 自分が使わないとダメで、自分が正しくいいことに使えばいいんです。みんなの幸せになるように神様のお手伝いになるようにといいことに正しく使ったら神様が自分を通して使ってくれます。これが本当の神様に使ってもらう生き方なんです。神様のお手伝いという気持で自分がさせてもらうのが一番いいんです。どこかの団体に寄付したってそこでどう使われるか判らないですから直接自分が使ったほうが正しいです。それは小さいことから始めたらそれでいいんです。ちょっとずつちょっとずつ神様に使ってもらう練習をすればそれが積み重なったら大きくなります。
 宗教団体が最初は純粋で良さそうに見えてもだんだんおかしくなるのは、みんなお金をかき集めすぎるんです。オーム真理教もそうですが組織を維持して宣伝する為の費用がいっぱいかかりますから、みんなにお金を出しなさい財産を寄付しなさいとか言うんです。そういうことで業をいっぱいかき集めて狂ってしまうんです。最初の純粋な気持くらいでは負けてしまうんです。そういう意味では似たりよったりの宗教団体がいっぱいあります。
 だから感謝して喜んでお手伝いの気持で協力してくれているのはマイナスはなくてプラスばっかりですけど、無理矢理に強制的にといったらダメです。みんなが喜んで喜んで神様のお手伝いをさせてもらってと喜んでするのは光がいっぱいなんです。そういうのはみんなの思いも消して幸せいっぱいに変えていく働きなんです。
 真理の本も書いた人が著作権と言い出したら光はなくなります。著作権、版権を主張して印税がいっぱい入ったらもうダメです。神様のものを勝手に自分のものにしたらダメなんです。そういう人はどんどんおかしくなって狂っていきます。
(2002年2月24日 「宗教団体というのは神様じゃない」より)


☆花粉症で苦しんでいる人が今の時期に多いのは、何か意味があるんですか?
花粉症の解決法はありますか?
ーおじさんー
 どんなものも神様の現れという限りプラスに働くんです。今の時代、花粉症と騒がれますけど昔は騒いでなかったです。逆にいっぱい吸って、花粉を吸えば元気になると森林浴でみんな元気になったんです。だからマイナスに見るということは神様を悪者にしているんです。言い換えたら感謝を忘れているんでプラス の働きを受け損なっているんです。感謝を深めて神様の助けを受けたらみんなプラスに変化するんです。それで自由自在に対処していけたら一番良いと思います。
 先ず悪者に見るというのはよくないです。花粉を悪く見るというのは・・健康を与えようと思ってせっかく花粉が飛んでいるかもしれないです。いろんな病原菌に対しても敵対する心を起こして、それをやっつけようとする感じでは病原菌も腹を立てて仕返しをしてくるかもしれないです。
 もともといろんな微生物、細菌というのも悪役を演じているんじゃないです。人を幸せにするために働くんです。人間は特に万物の霊長として皆から大事にしてもらう役割なんで、感謝してその働きをしっかり認めたらプラスの働きをしてくれるんです。だから感謝するというのは大事です、花粉に対しても。そうすると今のようなマイナス面が少なくなってプラスに変化するかもしれないです。

2002年3月22日A 「微生物、細菌」より)


☆無限のチャンネルが、仮に100あるとしてそのうち50では地球がひどいことになって滅亡していて、あとの50では皆の意識で素晴らしい地球になってという、そういうたくさんの地球があるということなんですか?
ーおじさんー
 そうです。どういう番組でも現実化できるんです。ただ高い番組ほど力が出てくるから、神様の応援でバックアップが大きいから一人高い番組に合わす人があったらマイナスをどんどん消してしまいます。

☆地球を救うかどうかは出来るだけ大勢で高い番組を見ましょうということですか?
ーおじさんー
 そうです。そうしたら全体が明るくなってしまうんです。高い番組は明るいんで、低い番組は暗い・・光が乏しいんです。だから一人高い番組に合わしたら全体が明るくなってしまうんです。そうしたら暗い番組をいくら引っ張り出そうとしても出て来れないという感じです。だから高い番組に合わす人を「いい番組を選ぼう」という人を増やせばいいんです。

☆例えば隣の人が大地震にあってエライ目に会う番組を見ていて、自分は地震なんかない番組を見ていたとしたら、同じ土地にはもう住めなくて、どちらかが別の星へ行ってしまうとか・・・?
ーおじさんー
 この世はひとつの波の中でいろんな番組が共にあるという感じなので、大地震と言っても家が壊れるとこと隣でも壊れない家がありますし、傷つく人と傷つかない人があるんです。原爆が落ちても大丈夫、死ぬ人もあるし何の影響も受けない光のバリアに包まれて何ともない人もあります。台風が来てもそうです、壊れる家もあるし絶対壊れない家もあるし、同じところを通過してもいいんです。感謝している人はいろんなかたちで護りが大きい・・プラスになっていくんです。その違いがあった方がいいんです。そうしたらみんないい方へ心を向けやすくなるんです。
(2002年3月22日A 「いい番組を選ぼう」より)


☆ズーッと神様のことを一生懸命考えてきて、ある宗派の教えに従ってご先祖様も供養してきたんですが50歳くらいから壁に当たってしまって、自分が死んだらそういうものをどうしようとか世界には水葬とか鳥葬とかいろいろあって、まだ悟っていないので、本当にどうしたらいいかと・・・。
ーおじさんー
 ありがとうございますと唱え続けられたら過去の必要ないものを全部消してもらうんです。そして新しいいいものをどんどん受けていけるんで何も心配することないんです。自分は幸せをどんどん大きくしてもらうだけで、過去の必要ないものを全部神様が消してくれるから、お葬式ももう関係ないです。必要だったら必要なだけのお葬式は誰かがしてくれるかもしれないし、必要なかったら何もなしでいいです。(☆・・安心しました。)全部、神様がしてくれます。
 だからいろんな宗教の教えがあるんですけど、その教えに縛られたら自由を失うんです。もともとは教えは自由を奪う為じゃなかった、自由にする為にもともとは教えがあったんです。ところが自由を縛ってしまう・・言葉に縛られてしまうんです。だから言葉の縛りから早く抜けた方がいいです。自由に幸せになるためだったらその言葉を活用すればいいです。もし縛りに来るんだったらその言葉を捨てたらいいんです。必要ないんです。お墓も必要だったら残るかもしれないし必要なかったら消えてしまうかもしれないです。ありがとうございますは本当に皆が幸せに自由自在になるための言葉で神様の助けを受けるだけの働きですから、何も心配ないです。神様が全部引き受けてみんなを幸せにするように働いてくれます。
(2002年3月22日A 「自由にする為に教えはあった」より)


☆自分自身の天命がまだ掴めていないのですが、例えば一人静かにありがとうございますを唱えていくのを天命と考えてもいいのでしょうか?
ーおじさんー
 天命というのは本当はそこに存在すること、これが大きい天命です。神様に存在させていただいているということが大きい働きを一瞬一瞬させていただいているんです。ここに存在するということが大事なんです。それが大きい天命を果たしている姿なんです。あと何かをさせてもらうのは枝葉の問題です。
(2002年3月22日B 「天命と存在」より)


☆中国から来た「氣」と、昔から日本にある元気とか勇気の「気」に違いはありますか?
ーおじさんー
 本当は神様の働きを「氣」と呼んでいるんです。ただ神様と言うとみんなに受け入れてもらえないから別な言葉をと探している感じの「氣」なんでしょうね。
 「氣」というのも昔の字体の中が米と書く、中心があって放射されていると言うような感じの意味の強い「氣」がいいらしいです。無限の無限の輝きがいっぱいというような、これを言い換えたら神様です。だから神様の命をいただいているというのが本当は氣を受けているという状態なんです。一番自然な状態で感謝していると氣はどこからでも全方向から入ってくるし、中から湧き上がるしというのが本当なんです。一方向からどこか行くんじゃなくて、本当の神様の氣、命というのは全方向から飛び込んでくるんです。
(2002年3月22日B 「氣」より)


☆座禅の修行では集中力を要求されましたが、ありがとうございますでは特に集中力は必要ないのですか?
ーおじさんー
 ありがとうございますという言葉に溶け入るような感じで言葉に集中すればいいです。そうすると言葉が無限に広がったり必要なものに心が向くようにしてくれるので、自然に神様との一体感というのが出てきます。だからありがとうございますで確認するような感じがいいでしょう。
(2002年3月22日B 「集中力」より)


☆今年は観測史上始まって以来の暖冬で、地軸が従来よりかなり変異していてナサあたりではその科学的な原因を掴んでいるという話を聞きましが・・・?
ーおじさんー
 全て必要なだけが変化して出てくるんです。無限の無限のチャンネルからどれを引っ張り出すかにしても、どういう移り変わりを体験するかにしても、全部必要なだけを与えてもらっているんです。その原因を表面から探ったってわからないでしょう。奥から変化してくるので結果だけを見ても、それで推測しても理由付けしても大したことないです。また、温暖化で暖かくなったらダメかというと、そうでもないです。もっと気温が上って良くなるかもしれないし、寒くなって良くなるかもしれないし、必要に応じて変化するんです。
 昔もっと気温が高い時もいっぱいあったんです。木が繁茂して何百メーターという大きい木になったときなど温度は高かったです。だから今の時代に合わせて必要なものを与え続けて、どんどん変化させてくださるんです。
 それを過去を掴むと比較してはマイナスに見たりいろいろするんです。常に「今必要なものを与えていただいて」と感謝していたら必ずプラスに変るはずなんです。だからマイナスに見てあまり心配しない方がいいです。マイナスに掴むこと自体が低い番組に波長をあわすことですからマイナスの運命に変えるんです。感謝していたら必ずプラスになるんですから、マイナスじゃなしにプラスにプラスに変化しているというふうに受けていく方がいいです。
 氷が全部とけて新しい大陸がでてくるかもしれないです。ただ、これが自分の国・領土と感じるとそこが消えてしまうと困りますけど、みんなのもの・共有財産というふうに見ていたら、必要なところへすっと移ればいいんです。変化を喜んで楽しんで受けたらいいです。
(2002年3月22日B 「温暖化」より)


☆お酒や煙草の飲みすぎでいつもしんどい、疲れたとかいう人に対してお酒や煙草を止めてほしいと思うのですが、それもその人に必要でそうなっているんですか?
ーおじさんー
 それも必要な姿をとって移り変わっているんです。
プラスに見て感謝すれば必ずプラスになっていくんです。お酒を飲むのでも飲んで健康になるときもあるんです。気持が明るくなって運命が良くなる時もあるんです。プラスに受けたらそうなりますがマイナスに見て心配すると、それをマイナスにまた向けてしまう可能性もあるんです。
 プラスに見て感謝していけばそのうち飲まなくなるかもしれないし、それも自由な変化なんで、だからプラスにプラスに見て感謝を深めていけば全部プラスになって来るんです。
(2002年3月22日B 「酒や煙草」より)


質問者:
 私は今五十いくつやけど、もう後十年しかないと思っています。まだ悟りが見つかってないです。その境地までいけるでしょうか?
ありがとうおじさん:
 ここに来られてる方は特別に神様から護りに護られてズーっと来てるんです。「世界維新」は「これ新たに」です。置き換えの働きの役目として感謝の行をする、お祈りする菩薩が必要なんです。
 だから、今まで皆さんもありとあらゆる苦労をズーっとさせて貰っています。人並み以上に色々苦労をさせて頂いて、それが大きい磨きになってるんです。苦労の少ない人もたまには居ます。それは背後の神様が全部肩代わりしてくれてるからです。過去生でもう済ませてるから、軽く済ませてお祈りへ導いてくれてるのです。だから必ず神様の大きい助けがスーっと中から涌き出るように出て来て、神様のお手伝いをするようになるんです。これはもう神様の力の方がはるかに大きいです。なんぼ拒絶しても拒絶しても駄目です。今まで拒絶し続けたかも知れないです。それで色々苦労に苦労を重ねてやっと拒絶の心を取って貰ってお祈りに入るはずなんです。
 神様の方では、もう決まってるんです。大きい役割天命を与えて今花開かせようという段階にきてるんです。その時期に来たから「ありがとうございます」に心が絞り込まれて来たんです。後は神様の助けを自然にスット受けて行くだけです。肉体の自分が何かするんじゃないです。神様が降りて働くようになるんです。
(2002年3月23日B 「護られています 」より)


☆マザーテレサが亡くなった時、持ち物がダンボール一個しかなかったという話を聞き、自分もそうなりたいと身の回りを整理しようと思ってもなかなか進まないのですが・・?
ーおじさんー
 ものというふうに見ると自分の所有物になってしまうんです。これは神様の愛の変身の姿と観るんです。そうしたら神様が自分に必要だから愛の変身の姿で今ここに護りについてくれていると、そうしたらあることは本当はありがたいんです。神様の愛の現れと、ありがとうございますと受けていると必要な変化が速いんです。必要でなかったらスッと別な姿で変身するんです。だから常に自分の周りは神様の愛の変身の姿だけ、神様の愛の塊だけがあるとしっかり捉えるようになっていくんです。そうすると神様は自由自在に動いて働きを大きくしてくださるから、ものでも本当に働いてくれるんです。じーッと座っているだけじゃなしに動き回ってくれるんです。そうすると必要なところへスッと行って大きい働きをして帰ってきてくれるんです。循環して流通して働きを大きくしてもっともっと大きい愛を持ってくるんです。やっぱり拝むこと、だからありがとうございますなんです。ものにも感謝すると神様が動き出すんです。
(2002年3月23日C 「ものでなく愛の変身の姿」より)


☆その人の働きを評価するためにお金が神様の化身として集まるような、良いお金持ちの姿はありますか?
ーおじさんー
 本当の良い働きは神様のお手伝いの姿をとるんです。いろんな発明発見をするんでも神様からアイデアがスッと降りるんです。神様がみんなを幸せにしたいから、自分を使ってくれて良い役をさせてくれているだけなんです。本当は無償で「神様のプレゼントです」と恩返しの気持だけで、みんなに配ればいいんです。お金に換えなくていいんです。そうするといつも天からの神様のプレゼントをいっぱい受けられる状態になるんです。お金に換えてしまうと神さまのお手柄を自分のものにしてしまっているから自分が神様のプレゼントにストップ掛けているような感じです。お金を出さないと渡さないよという感じで邪魔したことになるかもしれないです。その分だけ結局神さまから助けを受けにくくなっていきます。常に神様のプレゼントはみんなに自由に行き渡る方がいい、邪魔をしないほうがいいです。お手伝いのほうがいいんです。
 神様からでないものでも、人からもらった分はもうひとつ人の思いが付いて来るのでそれをもらいます。その思いを消す力がなかったら自分にとって重荷になって負担になります。だから人からもらうよりもあげる方がいい、その方が軽くなります。もし人からもらったら、もう一回神さまを通した方がいいです。神様に預けてもう一回神さまから預かり直すんです。そうしたら人の思いを消してくれるから今度は使いやすいお金になって良いことに使えるんです。

☆預かり直すというのは一旦心の中でお返しすればいいんですか?
ーおじさんー
 そうです。「神様ありがとうございます。ありがとうございます」で一旦神さまに預けて、もう一回預かるんです。そうしたらお金が光り輝いて良いことに使えます。みんなを幸せにするために使えるようになるから楽になります。これを神様に預けずに自分が持っていたら思いに負けて悪いことに使う、良いことに使えないんです。だから入ってくるお金は必ず神棚へお供えしたりするのはそういう意味なんですが神棚がなかったらありがとうございますだけで、ひと言だけでいいんです。
(2002年3月23日C 「お金の良い働きは神様のお手伝いの姿」より)


☆今はそういう思いで、ちょっとしたご縁のある人にシールをお渡しするようにして、今の段階では神様のお手伝いはそれくらいしか・・・。
ーおじさんー
 どんなお手伝いでもいいんです。神様のお手伝いをすれば神様が働いてくれるから、いっぱい光をもらうんです。
 例えば病気になって、病気が治ってから神様のお手伝いをしようという人は治りにくいです。病気を持ったまま何かお手伝いに入ると不思議と治ってしまうんです。あれは不思議です。どんな問題を抱えていてもいいんです。そのまま神様のお手伝いに入ればもうどんな問題もスッと消えるんです。一番早い治しかたなんです。
(2002年3月23日C 「問題を持ったまま神様のお手伝いが一番」より)


☆いい言葉が心を作り・・ということですが、人の想念の段階でのいい言葉と無限の段階からスースー流れるものとは微妙に違いがあるような・・・?
ーおじさんー
 この世のいい言葉も無限の何々とつけるのとちょっと違います。無限の何々という言葉を使うのは神様のほうへ心を向けた唱え方で、その方が大きい力があります。幸せでも「幸せ」というだけでは小さいんですが「無限の幸せ」というと大きい神様からの幸せなんです。それに本当の力があるわけでそれだと心はすぐに幸せな状態になって形も幸せに番組がすぐ変るんです。
 神様からの受け直しというのがいいです。神様からの受け直しは「無限の」とか「無限の無限の」をつける方がいいです。そうしたらどのいい言葉も本当に生きてきます。
 ありがとうございますひと言でもそうです。最初は浅いです。この世に対してのありがとうございますだと浅いので「無限の無限の」を付け足すと、本当の神様への感謝のありがとうございますになりやすいです。たまには「無限の無限のありがとうございます」を使う方がいいです。そうすると本当のありがとうございますに早くなるんです。
(2002年3月23日C 「「無限の無限の」をつける方がいい」より)


☆他人と意見が対立して自分の意見を押し通した時は、ありがとうございますが言えてないと思いますが、いつもどうぞどうぞだと収拾がつかない・・最適点をどう見つけたらいいですか?
ーおじさんー
 みんな違うというのが一番正しい見方で同じものはない方がいいです。必要だったらみんな違わないと嘘です。ただ、違うけれどもありがとうございますを唱えてさえいたら必要な人が必要な働きをしてうまく行く、全部が自分を主張しないんです。その時はひとりの人でいいんです、必要な人が必要な働きをしてくれます。それでありがとうございますで調和するんです。
ありがとうございますがないと、みんな自分を出そうとします。そうしたら意見が十あったら十の姿が出てきたら、ひとつでいいのに十も出たら困ります。
ありがとうございますを加えたらいいだけです。十人いてもその時に一人だけ出て来てくれれば九人は謙虚に引っ込んでくれます。ただ、意見は全部違う方がいいんです。みんな違う持ち味があって、必要な時に必要な働きをしてくれるというのがいいです。出番が違うだけで、必要な時に出てくればいいだけなんです。必要な働きも瞬間瞬間で変化するんです。
(2002年3月23日C 「意見違うけれどもありがとうございます」より)


☆よく自分を愛するとか自分を好きになるとか聞きますけれど、そういうのはどう思ったらいいんでしょうか?
ーおじさんー
 自分のいろんな段階があります。この肉体の自分、魂の自分、神様と一体の自分とかいろんな自分があって、それを全部好きになった方がいいんです。
 好きになる、愛する、というのはそれをプラスに見ることです。本当の価値を見出せたら大好きになります。肉体の自分ひとつ見ても、この全身の細胞が無限に輝いていると思うと、無限に輝いた体です。一個一個の細胞が本当にダイヤモンド以上に輝くんです。なんて素晴らしいんだ、と思うでしょう。これは神様からの預かりもので、まあ、借りものなんですけど一瞬一瞬新しいものに置き換えて新陳代謝させて与え続けてくださるという、こんな素晴らしいプレゼントをいただいているんです。それだけでも大好きになります。そういうふうに自分の全てを価値あるものとして気付いていくというのがいいです。そうすると、みんな好きという本当に自分を愛するという状態になります。
(2002年3月23日D 「好きになる」より)


☆2年程前から仕事が全然ダメで、能力的に出来なくなり、もともとそんなにやりたくない仕事でもあったのですが、どうしたものかと・・・?
ーおじさんー
 仕事は何でもいいんです。自分の出来ること、人の幸せに繋がることだったら、必要なことを何でもさせてもらったらいいんです。ただ、みんなお金にならないと仕事とは思わないんです。道路のゴミ拾いでもいいし何でもいいんです必ず人の幸せに繋がります。それが必ず自分の幸せになって帰ってくるんです。
 だからお金に換えなくっても仕事なんです。そういう仕事を、できることを順番に増やしていけば、大きい幸せに繋がっていきます。だから何でも楽しんでされた方がいい、いやなことはもうしないでいいです。楽しんで出来ること、喜べることをどんどんしたいことから始めたら、ボランティアの本当の幸せを掴む仕事です。
(2002年3月23日D 「お金にならなくても仕事」より)


☆おじさんは三歳からで、私は今六十三歳で六十歳くらいから始めたから、その六十年間は埋まらないと思いましたが、感謝の内容で埋まっていくのですか?
ーおじさんー
 そうです。みんなの感謝が自分の為の代わりの感謝なんだと思うと、みんなのしてきた感謝を全部いただけるんです。そしたら、得します。(☆おじさんの分もいただけるんですか?)はい、そうです。 出遅れたんじゃなしに、先に皆に代わりにしてもらっていたんです。皆まとめてありがとうございますと、それで無限の人がいたら無限のありがとうございますを全部もらえばいい、だからみんな大丈夫です。
(2002年3月23日D 「みんなの感謝が自分の代わりの感謝」より)


☆嫌だなぁ、困ったことを言うなぁ、という人が目の前にいるとき、どう対処したらいいのでしょうか?
ーおじさんー
 そのときの受ける心なんです。受ける心が、思いの心だったら嫌だなとかマイナスに見えたりするんです。先ず感謝の心になっておくといいです。だから、ありがとうございますを唱えている心だと別に引っ掛からないんです。ありがとうございますの心は、マイナスを言われても翻訳するんです。”馬鹿”と言われたら・・”賢い”・・と瞬時にプラスに翻訳してしまうんです。瞬間にプラスに翻訳してしまうんです。翻訳の名人なんです。
(2002年3月23日D 「翻訳の名人」より)


☆おじさんのお話にある神様は理解できるんですが、一般には神の名を語ったら宗教団体で、人の心を捉えて縛ってしまっているのが目に付きますが、そういう人たちが解放されるにはどうしていったら・・・?
ーおじさんー
 みんな宗教団体の教えに縛られるというのは本当の神様にまだ心が向いていないからです。本当の神様に心を向けたら自由になります。全ての縛りを消してくださる、自由になってそれで最高のものを受けるので自由自在になります。何か選ぶのでも無限のものがあったら、そこからひとつ選ぶのでも自由を与えてもらったという感覚が湧いてきます。でもひとつだけ与えられて、それひとつ選んでも縛られてる感じです。だから無限にいいものをいっぱい与えてもらった状態でないと、本当の自由というのは感じにくいです。
 本当の神様をしっかり捉えていかないと、この世に出てくる宗教団体の教え程度では小さい部分的な縛りの教えなんです。全体を指し示す言葉の教えじゃないです。
 だから無限の無限のチャンネルの番組が揃っていて何でもあるという方がいいです。この世はその中から一部選んでいるんです。その一部の中のもうひとつ小さいのがこの世の宗教団体の教えですから、その選択範囲が狭すぎます。それで縛られた感覚で縛られてしまう、もっと無限に無限にいっぱい教えがあっていいんです。その中からひとつ自分が勉強の為に選んでると言うのだったら縛りにはなりません。
 これだけが最高でこれしかないというと縛られてしまいます。神様の教えは宇宙に無限に無限にいっぱいあって、今ひとつ勉強する為に選んでいると言えばいいです。そうしたらどの教えも勉強して縛られずに済みます。そこから何か勉強したらすぐ別な方へ心は向きますしそれを価値あるものとして受けるだけでいいんです。

☆そういう宗教団体の人が勧誘にくるのは、断っていいんですか?
ーおじさんー
 私はもう卒業しましたと、もっといろいろ教えてあげましょうかと・・・。
遠い過去に勉強していてそれはよく知っています。もっといいものを沢山知ってますと言えば、けなさずに済みますし、二度と来てくれないです。
(2002年3月23日D 「教えに縛られる」より)


質問者:
 「ありがとうございます」とみんなで唱える事は凄い草の根運動になる訳ですか?
ありがとうおじさん:
 そうです。地湧の菩薩っていう言葉があります。この地湧の菩薩の意味は幾つかあります。丁度、泥沼から蓮の花がスット美しく開きます。そういうふうに1番底辺から美しいものをそこへ持って来る働きです。これも地湧の菩薩の働きです。
 「地」は地球の「地」でもあるでしょう。地球を救う働き、完成させる働きは他からの進化した星からちょっと応援がくると楽に出来ます。他の天体から応援を受けて立派な菩薩級の人が一杯応援に来たら直ぐに完成します。これは他の人にして貰った作品です。これでは駄目です。だから地球を完成させるのは地球の菩薩です。地球から生まれた菩薩が地球を平和にし完成させる意味が1つあります。大地は1番の根本、全ての根源です。「絶対」と見た方が良いです。みんな大地から生み出されてきます。そういう意味で絶対から新たに新たに生まれてくる菩薩です。これは下から修行して積み上げて立派になった菩薩じゃ駄目です。ここがちょっと問題です。
 「絶対」と繋がって「絶対」から生まれて来る菩薩です。この菩薩が古いものと新しいものを置き換える菩薩です。だから「絶対」から一瞬一瞬舞い降りて来る大菩薩が地球を救います。それは感謝行をする人がその大菩薩です。絶対から神様の最高のものを受けてそれを振り撒く働きです。置き換えをする働きです。感謝する人が菩薩、地湧の菩薩です。「小聖は山に隠れ、大聖は街に潜む」と言います。自分だけの救われを求める小さい悟りを求めて生きる人を小菩薩と言います。山に隠れて静かに自分の心境の安らぎを求めます。でも大菩薩は街に出てみんなのマイナスを引き受けて背負ってそれを消しきる働きをして全体を良くしようとする働きです。これが大菩薩です。思いの少ないところでお祈りすると楽です。でも現実の社会に降りて人の思いを一杯かぶりながらお祈りをするのは大変です。でもそれが出来るのが本当の大菩薩です。置かれた場でしっかり「ありがとうございます」と言える人が本当の大菩薩の働きをします。そういう人が本当の地球を救う働きをします。皆さんにピッタリです。みんな地湧の菩薩ですから。
(2002年3月24日 「地湧の菩薩 」より)


質問者:
 頑張るマンは菩薩じゃなくて「ぼさっ」としてると「菩薩様」ですか?「ぼさっ」としていれば菩薩様、神様の役目が降りて来て初めて菩薩様になるのですか?だから絶えず「ぼさっ」していれば良いですか?
ありがとうおじさん:
 「ぼさっ」は「つ」が小さいです。「ぼさつ」は「つ」が大きいです。神様が降りたら大きくなります。大菩薩は大きいです。普段はぼさっとしてて良いんです。それで「ありがとうございます」唱えた時に必要に応じて神様がスッと降りて大菩薩になります。だから余り自分の力で力んでする必要もないし、努力も何もする必要は本当はないみたいです。必要に応じて神様が降りて助けて下さります。それで菩薩の働きをさせて下さります。本当の菩薩の働きはみんなそうです。下から積み上げた力で救う働きなんてもうホント小さい働きなんです。これは小菩薩の働きです。でも大菩薩は神様から必要な全ての力頂いて、今度それを振り撒くようにみんなに与えるのです。無限のものを振り撒くから大菩薩です。常に神様から受け直しただけで良いという生き方です。「ありがとうございます」で常にそれが可能になって来ます。「阿呆」になります。「ありがとうございます阿呆」です。馬鹿と阿呆は違うらしいです。馬鹿の「ば」は馬で「か」は鹿で、動物的な感じです。「あ」は天照大御神様の「あ」です。それを「呆」って「保ってる」です。
(2002年3月24日 「「ぼさっ」 」より)


質問者:
 私のおじさんが植物人間になって六年ぐらいになっています。身内は色々お世話をして大変なようです。意識がないような方でも神様に生かされているのでしょうか?
ありがとうおじさん:
 何かあって初めて家族が仲良くなったり、力を合わせて何か良い働きをするようになる時も多いです。プラス思考の時は全部そうなって行きます。でも逃げる心だとマイナスに見ます。折角の勉強材料を活用せずに終わる場合もあります。でも必要な勉強材料として必ず神様は与えてくるので、誰かそういうふうに障害を持って動けなくなった時は家族みんながお祈りを深めるチャンスです。また愛の心をしっかり引き出すチャンスです。それで大きい幸せを掴めるようにして下さります。本当はプラスに全部受け取って活用しないと損します。その為の勉強材料を与えて下さるのです。でも1回受け損なってもまた与えて下さります。必ず必要な勉強材料を与えて下さります。
 それが長引く姿をとるかも知れないです。本当は早くそのマイナスを消し切って幸せを大きく感じ取れる自分になった方が良いです。その意味で感謝は大事です。感謝して与え尽くす愛をしっかり発揮するのが大事です。必ず神様が与える心と感謝の心さえ起こしたら幸せに変えて下さります。先ず自分が幸せを受け取って幸せになる事が大事です。その為の勉強材料なんです。神様はそれを願っています。形を良くして幸せを感じるなんてあんまり大した幸せじゃないのです。先ず幸せな心に変えたいのです。何があっても幸せを感じ取れる心に変えたいのです。その方が無限に大きい幸せなんです。神様の願いはそこにあります。形を変えるのは神様は何でも出来ます。ポッポッと置き換えれば簡単です。でも心を幸せな心に変えるのに時間がかかるのです。だからどんな状態でも幸せを感じて欲しいのです。その為の必要な勉強材料を順番に与え続けて心を鍛えて下さるのです。最初は何もなかったら大体感謝しないです。何かあって初めて感謝の練習を始めます。それだけでも物凄いプラスです。1回1万円以上で徳を積んで貯金を増やしてるし、お祈りの練習自体が本当に気付きを増やしてプラスを幸せを感じる働きなんです。幸せを一杯感じます。
 また、マイナスを見る事によってプラスが必ず価値あるものに置き換わって見えて来ます。色んな働きが一杯あります。神様の方は至れり尽せりです。幸せを与えよう与えようと一生懸命になって下さります。だから障害者が家族になるとマイナスに見ない方が絶対に良いです。必ず大きい幸せを与えて下さります。また障害を受けてる人自体が家族または縁者の大きい身代りの姿をとっています。その分、自分がマイナスの思いを消して貰って引き受けて貰って、かなり感謝し易い状態に必ず置いて貰っています。もしそうでなかったら自分の心が七難八苦の業の思いで一杯で苦しいかも知れないです。でも1人障害者が居て初めて自分の心が軽く済みます。感謝が出来るように変えて貰っています。最大の恩人かも知れないです。それだけに対してでも「ありがとうございます」と感謝すると直ぐに幸せを感じます。色んな意味が一杯あります。
(2002年3月24日 「障害者 」より)


質問者:
 子育ての事でお聞きしたいのですが、神様から見たら、叩いて育てるのと、頭なでなでよしよしと育てるのではどちらが良いのでしょうか?
ありがとうおじさん:
 頭なでて可愛い可愛い褒めて褒めてするのと、叩いてするのも、どっちも人間の育て方なんです。本当の神様の育て方は人の側が神様の現れと受ける事です。元々子供は親を喜ばす為に幸せにする為に神様が子供の姿をとって出て来ているのです。最初は赤ん坊の姿で出て来ます。そして順番に成長する姿を神様が変身して取り続けるのです。それで幸せを親に対して与えようとしています。育てるのは親ではないです。神様が親を育ててるのです。親の心を幸せになるように育て上げているのです。親の心が幸せを大きく掴めるようになったら良いのです。順番に幸せを与え続けて神様からの幸せを大きく受ける練習をさせて貰ってるのです。最後に子供が立派に花開くのです。「ああ、素晴らしいなあ」と、本当に大きい幸せを受けて喜ぶのです。そういう見方が神様の子育てです。
(2002年3月24日 「子育て 」より)


質問者:
 自分から出て来る自然な思いを人の喜びで一杯にしたいのですが、でも、「しんどい」です。その「しんどい」も感謝で消せますか?
ありがとうおじさん:
 感謝して受けることも良いです。それと言葉を「無限の無限の喜びで一杯」と使い続けるとその通りになります。そしたら「しんどい」も「疲れた」も消えます。良い言葉を使い続けるのが1番ベストです。
(2002年3月24日 「思いを消す 」より)


質問者:
 私は知らない事が多くて、それがコンプレックスになっています。勉強するべきですか?
ありがとうおじさん:
 最高の生き方は阿呆になりきる事です。次の生き方はみんなから教えて貰う事です。子供にでも教えるんじゃなしに、子供が勉強した事を聞いてあげる事です。「教えて頂戴」と言って、それも阿呆になりきって教えて貰うと、良い情報一杯与えて貰えます。本物を見る方が良いのです。知識よりも本物を直接見る方が良いです。それで今、目の前に現れた本物をみんな神様の現れ、神様なんだ輝いてると感謝して受ける方が1番良いです。それが身に付いたら1番幸せです。知識はやっぱり偽物です。ウソかも知れません、騙されます。

質問者:
 阿呆になりきって教えて貰うという事ですか?
ありがとうおじさん:
 そうです。そうです。天皇陛下は、同じ話を始めて聞くように聞いて下さるのです。「私知ってる」と絶対言わないのです。もう全部何回も聞いて、もう嫌になるほど聞いてるのに、また色々言うてくれたら「ありがとうございます」で受けるのです。凄いです。それも常に新たに新たに聞き直して下さります。新しいものとして受けたらそうでしょう。

質問者:
 阿呆が最高の生き方だと思って生きて行きたいのですが、帰れば職業を持っててプロという事で、阿呆では通じない世界なんです。どうしたら良いのでしょうか?
ありがとうおじさん:
 阿呆のプロ。

質問者:
 お客さんは阿呆と扱ってくれないです。
ありがとうおじさん:
 何でも「ありがとうございます」と言うのは1つの阿呆です。「ありがとうございます」を連発したら、みんなから大事にして貰えます。助けてくれます。全部カバーしてくれます。「あの人の為に何でもしてあげたい」と言ってくれます。だから、何でも「ありがとうございます」と言ってご覧、本当の阿呆になるけど、それを1つ実行すると凄い体験すると思います。

質問者:
 阿呆の本当の意味は?
ありがとうおじさん:
 「あ」は神様です。輝いて明るいです。本当にそうです。

質問者:
 阿呆は何ですか?(「あを保つ」ってさっき言うたやん)(本当の阿呆や)
ありがとうおじさん:
 辞書に載ってる「阿呆」の「呆」は人偏が欠けてます。でも人が「阿呆」になったら人偏が入るんです。だから人の阿呆は神様になるいうことです。敏感なんです。神様はよく分かっています。
(2002年3月24日 「 阿呆 」より)



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