まぁざぐぅすって / What's Mother Goose
1. 何かそれは,不気味なもの
−私のマザーグース初体験
「だれがコマドリを殺したのか?
ワタシだ,とスズメが言いました.
ワタシの弓と矢で,ワタシがコマドリを殺したのだ.」
なんでしょう.この不気味な言葉は.
ラジオから流れてきた,この不思議な唄は,半ば呪文のように唱えられ,聞いていた私の中には言いようのない薄気味悪さが残っていました.
これが,私と「マザーグース」との出会いです.
NHKのラジオ番組「基礎英語」の中で紹介されたのでした.
真面目なアナウンサーの方が,堅調な言葉で読上げます.
それが,一層の違和感を感じさせたのでしょう.
それ以来,私の中にはマザーグースなるものが棲みついてしまったらしいのです.
2. あるいは,かごめ,かごめ,
−マザーグースとは
「かごめ,かごめ,
篭の中の鳥は,いついつ出やる.
夜明けの晩に,鶴と亀が滑った.
後ろの正面だあれ.」
これは,みなさん良くご存知の「かごめ」の唱です.
このような「遊びうた」をはじめとした「童謡」は世界の至るところで歌われているようです.
そして,英語圏での「童謡」が「マザーグース」や「ナーサリーライム」と呼ばれるものです
しかし,「マザーグース」は単に「英語の童謡」だけには終わりません.
私たちは,「童謡」というと子供のものと思ってしまいがちです.
けれども,マザーグースは大人のものでもあるのです.
といっても,英米の大人達が「子供の遊び」をしているわけではありません.
マザーグースは子供たちに愛され,それは大人になっても忘れられずに広く親しまれているのです.
例えば,新聞記事,映画や小説などにマザーグースやそれをもじったものが日常的に顔を覗かせます.
英語圏では子供たちが最初に手にする絵本の中には,大抵マザーグースがあるそうです.
こういった,誰でも持っている幼い頃の思い出が,大人になってもそのまま日常的に現れる,というのはとても羨ましいことですね.
0. ちょっと長い蛇足
−日本のマザーグース−
日本にはマザーグースはない,と言われてます.
もちろん,マザーグースそのものは日本にはありませんが,それに相当する物もなかったと言われています.
でも,私はやはり日本にも「同じような存在」があったと思うのです.
口伝えの童謡などを総称して「口承童謡」という言い方がよく使われます.
そして,これがマザーグースと比較する対照と考えられています.
しかし,ここで「童」という言葉に気を付けなければいけません.
「子供の発見」という事をご存知でしょうか?
これはある人の著書なのですが,「子供」という存在が発見されたのはそう古くはないのです.
つい最近まで「子供」は存在していませんでした.
そこに居たのは「半人前の大人」だったのです.
つまり,子供の文化は「半人前」としてまともに扱われなかったのです.
これはマザーグースに限ったことではありません.
また,次のような問題もあります.
「子供」を発見してしまったために,「子供」と「大人」の間にはっきりとした垣根を作ってしまったことです.
これは,マザーグースのように子供から大人へ継続していく文化を考えるときに注意しなければいけない問題です.
ただ口にするもの,唱える言葉として「唱え言」として知られているものがあります.
我も食いたきゃてったいせい.
これはボクが母からよく言われた言葉です.
「てったい」というのは「手伝い」のことです.
小さい頃は誰でも同じようなことを聞かされたと思います.
ところが,ある時これに続きがあることを知りました.それは次のように続いていたのです.
我も食いたきゃてったいせい.
てったいしよにもタスキがねぇ.
隣いって借ってこい.
隣のばあさ,かきもち焼いてヘソ焼いて,
その手でお釈迦の顔なぜて,
お釈迦くさいと鼻つぅまんだ.
「借りてくる」ことを「借ってくる」という言い方は関西弁ですね.
今の金沢では,もうこの言い方はされないです.
そういうことから見ても,このライムはもう随分古くなってしまったと思います.
でも,ほんの少し前まで日本にもマザーグースに似た日常があったのだと思います.
では,最後にもう一つのライムを紹介してこの「蛇足」を終わりにします.
これは雷が鳴ったときに言う「唱え言」です.
カミナリ,山いけ.
山にゃカニおる.
クワ持って走れ走れ