消しゴムかけのおもひで


ここでは、以前掲示板のほうでも少し話題にあがった「ゲーメスト創刊号の消しゴムかけ」についてお話したいと思います。

ゲーメスト創刊時の合言葉(笑)は「いくぜ、同人誌のノリだ!」というものでした。ゲーメストはもともと「ゲームサークルVG2の会報を商業誌ベースで再現してほしい」という新声社の依頼から始まった雑誌ですから、創刊号はよい意味でも悪い意味でも(悪い意味のほうが圧倒的に大きかったのですが)本当に「同人誌」でした。内輪ネタや稚拙な文章(自戒の念も含めて)の羅列、誤植の嵐(これは今でも残っている----)、はっきりしない編集方針(当時はファミコンの記事にもかなりのページを割いていた)、時代にそぐわない古臭い表現(これは某Tさんの影響大)etc----。VG2の会報(VG2連合誌といいました)においても「次号より連合誌は書店で購入することがでます」とか予告していたくらいですし、やはりそれは「同人誌」でしかなかったのです。


完成した創刊号を手にして「これは売れるよ」と手を震わせていた某氏----そりゃぁ私だって編集に携わった人間ですから、そう思いたかったのですが、本心は不安で一杯でした。

「会員以外の誰がこんな同人誌に金を払ってくれるのか?」

その不安は当然のように的中しました。


通常の雑誌っていうのは売れるのが7〜8割、返本はせいぜい2割程度といったところでしょうが、創刊号は全く逆。返本8割で売れたのがたったの2割。書籍の取次さんにまで「この数字普通は逆ですね」と言われる始末で、全くの惨敗でした。「商業誌ベース」というものをあまりにも安易に考えていた私たちに天罰がくだったのでしょう。


柴田ビルという今にもくずれそうな2階建てビルに入居していた新声社。零細企業にはこの失敗は致命傷といえるほどの痛手だったのです。 当時のゲーメストは隔月刊でしたから、店頭に並んでいた期間は2か月間。紙面がA4サイズで大きかったせいもあって、傷みも激しく、返本の山のなかでそのままバックナンバーとして再販売できるものは数えるほどしかありませんでした。社長を含めて3人しかいない社員全員と私たちライター陣は傷みの少ない返本を選んで手 に取り、誰かれともなく消しゴムをかけはじめました。汚れがとれるまで、黙々と黙々と----。



「自分は捨て石でいい。」


大学卒業を間近に控えたころ、私は後輩編集者にこう呟いたことがありました。消しゴムかけから3年。自分は精一杯ゲーメストのこと、読者のことを思い、どうすればよい誌面がつくれるかひたすら考えてきたつもりでしたが、とうとうタイムリミットがやってきたのです。

表紙色に汚れた消しゴムかすを知らない彼らが、この言葉から「初心を忘れることなく、君達がこれからのゲーメストを盛り上げていくのだよ」と
いうメッセージを感じ取ってくれたのかどうかは分かりませんが、その後ゲーメストは部数もページ数も増加し、隔週刊へと成長しました。新声社の社員もライターも大きく膨れ上がり、とうとう自社ビルを所有するまでに至りました。

しかし、私の心の中にある編集部はいつまでもあのオンボロ柴田ビル。創刊号の経験は消しゴムかすといっしょに吹き飛ばされてしまうような軽いものではなく、私の社会人としての心構え、そしてゲーメスト本誌および共に苦労した仲間たち(編集者・読者)に対する思い入れとして胸に刻み込まれているのでした。



−現役ライター諸君−


君達は原稿料なしと宣告されてもベストの記事が書けるかい?ぼろぼろになるまで一冊のゲーメストを読みふけっているかい?----できないようなら君はゲーメストに対する思い入れがまだまだ足りない。何故なら昔はそんな「読者」が山のようにいたからだ。今君達はそんな「読者」に出会えているかい?そんな「読者」を生み出しているかい?ゲーメストを育んできたのは他でもない、熱心な読者とそれに応えようとする編集者の心意気だったのだよ。−

−年寄りの戯言−御旅屋−


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