雄山で教え子を待ったのだの巻
  (H11.8.1〜2)

 夏休み前に、テント泊や山登りの企画があり、募集定員40人のところ我がクラスから8名が参加することとなった。1つのクラスからの参加の割合としては、とても多い。これはこの担任の影響ではないかと思う。キャンプや山に行って来るたびに、デジカメでとった映像をテレビで見せながらその話をしていたのである。
 さてさて、子どもたちには「頂上で待っている。」と言っていたのに・・・なんとなんと寝坊! いかんいかんといいつつ慌てて立山駅へ!駐車場はいっぱい、立山駅のケーブルカーの乗り場も人でいっぱい。ふつうなら日曜日は避けるのに仕方ないとつぶやいていると、いつの間にか美女平に着いた。ここからはバスなのだがここでびっくり!!ザックなどの大きな荷物を持っている人は300円の別料金が取られるのだ。頭に来た。立山とは登山をするためのもなのに、ここは全然登山者を大切にしていない。穂高の山に登るときには上高地までバスで行くのだが、大きなザックを持っているとかえっていろいろと配慮してくれる。別料金を取る立山とは雲泥の差だ!
 ・・・なんてことを思っているうちに室堂に到着。
 バスから外の駐車場を眺めてみると、何と子どもたちがもう到着しているではないか。「いかん。」何としても子どもたちより早く着いて余裕の顔で「よう!」と言いたいのだ。雷鳥平にテントを張って、重たい荷物をおいてから頂上を目指そうと思ったが、それを断念した。重たい荷物と一緒に頂上へダッシュ!
 待ち受けていたのは大渋滞!これには参った。一の越からは傾斜がきつくなるが、渋滞のためゆっくり登りさほどきつさは感じなかった。その時突然、「あぶなーい」の声。頭の2〜3倍位の岩が3個ほど上から転がってきたのだ。幸い途中で止まったが、一歩間違えば何人かが大変なけがをしていたところだ。原因は小学生くらいの子がふざけて通路以外のところを走り回り、蹴落としたのだ。その親らしき人は、周囲の人に謝るではなく、子供をしかるでもなくただ子供を自分の方へ引き寄せただけ。怒っていたのはまわりの大人だけ。その親は、自分の子供がしたことについてどのように思っているのか?大したことではないと思っているのか?とするとその親の無知から来る態度なのか?うーん
 さて、頂上に着いたはいいが、そこも座るところを探さなければならないほどの混雑。それに肝心な子どもたちがなかなかこな〜い。30分待てども来ない。1時間待っても来ない。1時間30分ほど待って、やっと見慣れた顔が。
「よう、やっと来たか。」
それに対して子供が返した言葉は、
「あれ、先生。何でここにおるが〜?」
何だと〜。こいつら覚えとらんのか。
「頂上で待ってるゾって言ったじゃないか。」
「だって、本当に来るなんて思わんだもん。」
「・・・」