雑記帖 - つれづれのことのは

No.11
すずしろ粥

昨夜は、加賀蓮根であつあつのすり流し蓮根を作って食べました。ネギもぶつきりでたっぷり入れると芯から身体が温まります。仕事始めの7日はゆっくりお粥さんを炊いている余裕がなく、食べそびれた粥を今朝から炊きました。それも、七草粥ならぬすずしろ粥。

農家の方から緑濃いふさふさの大根菜が付いた泥付き大根を頂きました。北陸の野菜は雪の下で甘みを増してくれます。何処を捨てるのももったいないことなので、葉は大きな銅鍋で色好く茹で、細かく刻んでごま油で炒め、味醂・味噌で味付けし、お米から炊いた粥に混ぜ込んで「すずしろ粥」のできあがりというわけです。ふ~ふ~いいながら、う~ん、あま~い!と二杯もたいらげました。大好物の「菜めし」もいいのですが、「すずしろ粥」も捨てがたい。取り合わせは、蕪(すずな)の鶏挽肉あんかけ煮・隠し味は柚の絞り汁でした。

(2002-01-08)

No.12
みかんとりんご

父はみかんの皮をかぜのくすりと称して時には食べていました。思い出して私も小さくて皮の薄いみかんの時には食べてみることがあります。きんかんの様な味がします。小袋の周りの白い筋が漢方薬として利用されるそうです。我が家では、この季節になると無農薬でノーワックスのみかんの皮は捨てません。少し干してからっとさせたのを布袋に入れ、お風呂に入れています。とっても。身体がぽかぽかして、肌がつるつるします。

りんごのすりおろしも父の好物でした。冬になると、毎朝のようにりんごを二切れ宛食べたのですが、歯の弱い父だけはすりおろしたりんごでした。「一切れは人を切る」三切れは身を切る」で武士が嫌ったと、先祖が斎藤の姓を名乗る武士だった母が言っていました。なんか物騒な話しですが、奇数の好きな日本人も漬け物だけは、一人宛には二切れって不思議ですね。いつの頃からでしょうか?なんか、しょっちゅう、すりおろしたりんごを絞っていた母の姿を思い浮かべます。だって、こうして書いていると専用の布巾が、りんごでまる~く赤茶に染まって干されていたのが目に浮かぶんです。

(2002-01-22)

No.13
草食動物

肉や魚が苦手です。全く食べない訳ではないのですが、自ら進んで食べようとは思わず、まさに食指が動かないという所。ことに牛肉や青い魚は苦手。タンパク質はもっぱら「畑のお肉」大豆製品に頼っています。毎食の味噌汁、豆腐・納豆が好き。毎日が精進料理だって平気という具合です。一方で小魚や削り節は好物なので、出汁や山椒煮等にかかさず使うおかげでしょうか、毎年誕生日に検査する骨量は平均値をはるか上回り、医師や看護婦さん達に驚異の目でみられてしまうのが自慢ときています。身体を動かしているのが好きなのも影響してるのでしょうか。

ご先祖様は「牛?」という位に、草(野菜)が大好きの草食動物です。その上、牛と同様、生のタマネギやネギも苦手で、よく火が通っていないときまっておなかを壊します。この頃、狂牛病が問題になっていますが、食べたくもない羊の脳や内臓を餌に与えられた牛さんは、きっととても迷惑で、まさに構造が狂ってしまった末の狂牛病なんでしょうね。「やれ、食べろ。やれ、大きくなれ。」と、一方的な効率・採算主義に捕らわれた人間というやっかいな動物に育てられた牛さんこそ、とんでもない迷惑です。

菜食主義というほどの確固たるものはないのですが、基本的に「食べたいものを食べたいときに食べるのが、一番消化吸収によいのだ」と一人合点して、無理には食べないことにしています。「人間の身体を作るのは、食べ物が基本なんだ」という単純なことを、いつも自分にも言い聞かせています。

(2002-01-23)

No.14
年ゆけば

この歳まで生きてみると、有名人ではなくてもまっとうに暮らしを続けるということは、なんと大変で幸せなことなのかと思えます。生命の歴史が50億年とすれば、ひとりの命のなんとはかなく短いこと!かさこ地蔵のように真面目に正直に働き、趣味や思いを友と語らい、人生を終えた生き様は、後に続く者達にも幸せの余韻を残してくれます。背筋をぴんと伸ばし無理をしない腹八分目の暮らしぶりの幸せがようやく判り掛け、しみじみと感謝するこの頃です。

「歳いってからこその夫婦だよ」っていうのは、ほんとなんですね。長所も欠点も併せ持つ人間だから、相手が良く見えるときには自分自身も良く見えているような気がしています。最近は、「夫婦って、鏡のように相手を映し合うね」って話します。う~ん、きっと、いやなとこも似てるかも?くわばら、くわばら。

(2002-01-29)

No.15
方言

私は方言が大好きで、普段のおしゃべりにはもっぱら方言を使う方なので、ときどき、聞く人が面くらうようです。仲良し友人夫婦と連れだって海外旅行に出かけた際にも、会話を聞いていた日本人の方から、「翻訳してもらえませんか」と笑われたくらい。

特別に意識しないのですが、感情をうまく表現するにはやはり方言がぴったりなのです。「だめだ」「わるい」という意味の「おぞ~いことになった」という言い方だと、「だめ」なことも「わるい」こともやんわりと包み込んで受け入れるような優しい表現になります。許容範囲が、広いというか、どこかしら直截ではない表現になるのかな。

しかし、文字では表しきれないものがあるのがちともどかしい。できれば、食と同時に地方の特色をもった言葉もしっかり残したいと思っているのですが…。そんなら、また。

(2002-01-29)

No.16
お餅

友人のお餅やさんから毎年お歳暮代わりにお餅がどっさり届くようになり、自宅では作らなくなって10年。お餅が大好きだった母や姉がいなくなり、作ってあげる人をなくしてしまった、ということもあるのですが…。

昔は、草餅をよく作りました。春に摘み草したヨモギを茹で水にサラして灰汁抜きしたものを細かく細かくきざんで冷凍保存しておきます。餅つき機で半分程付き上がったところへ解凍ヨモギを絞っていれ、塩を加えると、見る見る間に深い緑になってゆきます。古いメモを見ましたら、もち米1.8リットルによもぎ1カップ、塩は小さじ1でした。

丹波の黒豆入りも作ったことがあります。黒豆は一晩三倍量の水に漬け込みふやかしたものを蒸し、芯の残らない程度にやわらかくします。柔らかくしすぎて豆も一緒につきあがり、なんとも形容しがたい おーっもっち~?になってしまい、お腹を抱えて笑ったこともあります。黒豆の方は八分通り付き上がったところへぱらぱらとお餅の上に捲き混むようにしてやりました。こちらも味付けは塩だけ。

寒の水で作る「かんもち」はおいしく、とぼ(かまぼこ状)にしたお餅を切って菅で編み、風通しのいい廊下の天上近くに渡した太い竿につり下げたかき餅は美しくも懐かしい思い出です。

(2002-01-30)

No.17
あざみ、花豆、真鱈

先週のスキーは富山県の南西地方の福光にあるイオックスアローザで滑りました。和名のまま「いおえやま」(五百重山)と命名すればいいものを、スイスのスキー場を知る者にはちょっと恥ずかしい名で、笑えないのですが。それはさておき、やはり山深いところで、スキー帰りに、地元の温泉で汗を流すのがスキー同様快適このうえありません。それに、地元の山の幸を買ってくるのが、また、お目当てで楽しみです。あざみ、花豆、やまうど、かたばの塩付け、あかずきの酢のもん、おばちゃん自慢のふくしん漬け等々買い込んできました。

あざみは、春に、葉のてんぷらやお浸しは食べたことがあるのですが、茎の部分は始挑戦。沸騰したお湯で三分、茹でこぼした後は、丸一日水につけて塩出し。この手順でおいしいあざみとあぶらげの炊き合わせができました。ほんのり苦みがあるのですが柔らかいふきのような美味しさです。いつもの銅なべで茹でると鮮やかな緑になり、まさに山の恵み、山の幸。根は「やまごぼう」と称して漬け物にしますし、花を愛で、葉も茎も根も食してお腹を潤す。丸ごと食べ尽くす山の人の知恵に改めて感動しました。

花豆は、3時間かけて、ふっくらぽったり炊きあげました。あくが強いので三度茹でこぼした後、魔法瓶に入れ、三倍のお湯を入れて一晩おきました。今朝、目覚めると一番に「花豆、花豆」と炊き始めたのです。花豆は豆そのものが味のあるので、いつも甘さは控えめにします。三温糖にお醤油の香りもちょっときかせておいしく炊きあがりました。

まさに雪の如くに白い真鱈にネギのぶつきりをどっさりいれた粕汁は身体の芯から温まります。義妹が送ってくれた純米大吟醸「真澄」で喉をうるおし、おありいかのお造りを肴に「今日の元気な泳ぎに乾杯」と益々食が進んでしまったのでした。

(2002-01-31)

No.18
心優しい父さん達よ!

今日は、俳優座の千田是也氏追悼公演「肝っ玉おっ母とその子供たち」ブレヒト劇を三人で鑑賞。第二次世界大戦前夜に警告の意味で書かれた作品が、こうして今日の日本にとっても、痛烈な批判となろうとは!歴史から学ぼうとしない「死の商人」の暗躍は、いったいいつまで続けると気が済むのだろうか。つくづく、人類という者の愚かさは、なげかわしい。

帰路、久しぶりに駅の名物?「立ち食いうどん」で空腹を満たしました。「はいっ、ちゃんぽんひとっつ」と肝っ玉母さんのように元気なおばさんの声に比べ、背中を丸め、どんぶりをかかえこみ、うどんををすすり混んでいるのは、仕事帰りの疲れた中年のおじさん達。みんなに「ご苦労さん」とねぎらいの声をかけてあげたい心境でした。

(2002-02-01)

No.19
静かな休日に

ヴェルディのオペラ「椿姫」とドイツの児童文学者ケストナーの名作「点子ちゃんとアントン」をDVDで鑑賞。イタリアオペラは明快で単純。人生は愉しくなくちゃが舞台一杯に繰り広げられます。ケストナーの作品は、純粋な子供の目を通して社会を風刺していたり、勇気と友情と家族の絆を暖かく描いています。毎日、馬鹿げたニュースを聞いているとしらけた思いがするのですが、人間も捨てた者ではないんだと嬉しくなります。

読書は奥本大三郎「斑猫の宿」に続いて「当世虫のゐどころ」を読んでいます。生き物が大好きな人を訪ね、目に余る自然破壊に警鐘をならす仏文学者で昆虫協会会長の書。小さな虫達が生きられなくなっている環境は、ひいては人間も行きにくくしている筈なのに、人間よ驕れるなかれです。

(2002-02-03)

No.20
ネットの道案内

北國新聞「ネットの道案内」にうちのサイトが紹介されていますよと、知人が教えてくれました。「企業にはつくれない地元感が漂う地域発信の個人サイトのひとつ」として写真入りです。「地のもんを大事にし、おふくろの味を伝え、手書きの図や絵入りレシピやつれづれがたりの昔話等、読むほどに愛着がわく」という簡潔で嬉しい評価。あたりまえのことだったのでしょうが、毎日が手作りの暮らしぶりだった両親に改めて感謝です。好奇心旺盛だった母が生きていれば、きっと掲示板にも登場するのではないかしら。

(2002-02-06)