雑記帖 - つれづれのことのは

No.101
ホームシアター

連休中にDVDを2本観ました。まずは「阿弥陀堂だより」。大好きな香川京子さん、樋口可南子さん、そして可愛い北林谷栄さんと芸達者揃いの上に、寺尾聡、井川比佐志、田村高廣といずれも味のある役者さん揃い。もう20年以上スキーで通い慣れている飯山の自然の風景を見事にとらえた名匠小泉監督の作品です。山間の馬曲温泉、緑豊かな棚田、渓流釣り、紅葉の錦秋、雪をかむった藁葺屋根、囲炉裏の火といずれもなつかしく、世界に誇れる美しい日本の四季の風物。「質素な暮らしのおかげで長生きができた。貧乏のおかげだよ」というおうめ婆さんのセリフが身に沁みます。我家も、一応目指すは一汁三菜なのですが…(反省)。

2本目は「ウエスト・サイド物語」。同じ作品に何度も映画館まで足を運んだというのはこれが最初の映画。中学生のお小遣いでは大変な出費だったのですが、サウンドトラック盤を買い込んで擦り切れる程聴きました。チャキリス様、ベルナルド様の踊りとスタイルに憧れ、あがめてうっとり。映画大好きで名画という名画を観ては目を輝かせて感動を語る母の聞き手になっていたおかげか、小さい頃から邦画を観ては姉と2人で振りやセリフをまねっこ遊びしました。「ウエスト・サイド」もしかり。階段の踊り場や干場で「まりぃあぁ~まりぃあぁ~♪」「とにぃ~とにぃ~♪」と唄いあい、歌詞も殆ど英語で覚えました。

昔を思い出し、うっとりしながら大画面にみとれていると、トニィー様でもなければベルナルド様でもない、古典的日本人体型のおじさんト様がパジャマ姿で目の前をうろうろ。現実は、ひょっとこ踊りが上手な夫と友人からペコちゃんと渾名されるおかめの妻とで、でこぼこコンビの取り合わせの夫婦なのでしたとさ。

(2003-07-20)

No.102
三勝三敗

今月の勝率は?
花豆 うずら豆 金時豆
大豆と昆布 黒豆 大根と豚の三枚肉
前者は「総菜家ぺこぺこ食堂を開けば大繁盛間違いなし」と家族から誉められた。一方後者は、向こう三軒両隣にお焦げの香りがぷぅ~ん「かぁ~さん、こげとる~」「あっちゃあ~、またやってもうた。家こげんでよかった」
今月はこれで三勝三敗。来月は5割を切らないように頑張ろう。

(2003-07-28)

No.103
赤シャツ

青年座の「赤シャツ」をみました。ご存じ夏目漱石の「坊ちゃん」を題材にしたマキノノゾミ作品を宮田慶子の演出で思いも掛けない秘密を演じてくれます。固定観念、偏見・差別、歴史的考察等を次々に提起しながら、パズルを解明してゆく様なテンポのよい展開。毎回膝を叩いて笑ってしまう井上ひさしさんの「こまつ座」作品にも共通する意外性、面白さ、愉しさで、最後まで舞台に引きつけられました。坊ちゃんの登場しない「坊ちゃん」という処もなんとも面白い。「う~ん、うまいっ!」という演技、舞台作り、役者揃いで我が家の特別ランク作品殿堂入り間違いなしと声が揃いました!

(2003-08-02)

No.104
赤いもん

待ちに待った本格的夏の暑さ!ベランダにずらっと並べて梅を干し、ここ3日間は梅命。おかげさまできれいに干せて、ほっと一安心。とりわけながぁ~い梅雨の雨に、初めて白梅酢にも赤梅酢にもうっすらカビがきてしまい、丁寧にそぉっと焼酎で洗い、梅酢を沸騰させて漬け直した今年の二瓶の梅干しは一層愛おしい。

梅干しが終わったと思ったら、今度は知人から赤ズキがどっさり届きました。ぽこさんとふたりでひたすら皮むきで、ズキの酢のもんもどっさり出来上がり。根っこに近い部分は味噌汁に。まっ赤な色はなんとも食欲をそそります。

(2003-08-06)

No.105
いろはかるた

先日、待ちに待ったT-ONE(薪ストーブ)が我が家にやってきました。無事点火式もすみ、掲示板の常連さんに全国各地からお集りいただいた真夏の「我慢大会」も賑やかに終わりました。富山は、また雨、雨。あまりに家中じめじめなのと、美しい炎がみたくて昨日は家族で我慢大会。すっかりT-ONEにご執心のトさんがすすんで火付け人。もちろん、ぽこ猫さんもストーブの前にながながと寝そべって。美しい炎を愛でつつ、おいしくワインを飲むうちにトさんの作品ができあがりました。即興の「T-ONEいろはかるた」

いつまでも、ポカポカポカと常春の家
ろーコスト、財布もポカポカうれしいな
はいセンス、どこからみてもビューティフル
にだいめも、T-ONEで決まりです
ほっとする、放射熱がいいですねー
へー、こんなんでストーブか
とペコポコ(人)ポコ(猫)ご満悦
ちきゅうに、優しいT-ONEです
りっぱな効率、核融合
ぬれた薪は、あきまへん
るすでも、安全T-ONEだから
ヲーロラの揺らぎ体感T-ONEで
をがわさん、感謝感謝でございます

(2003-08-20)

No.106
鰹節

実家で愛用してた鰹節削りは、鉋がいつも手入れされ、それはそれはよく削れました。そして木の台からは出汁が出そうな程?手当たりでつやつやになっていたもんでした。今は兄が使っています。鰹節は、いつも繁盛していた地元の乾物屋さんで買ってました。なぜか、背と腹を両手に持って軽くこんこんとうち鳴らして、お店のおかみさんと品定めしてました。ちょっと持ち重りがしてかつ響きの良い物がおいしいと言ってたのですが、はたして意味があったのかどうか今となっては確かめようがありません。

我が家の鰹節削り器は、戸棚にしまわれたまま。どうもいまいち削り具合がよくないのです。最近、我が家で、出汁に使っているのは、プロも使うという燻蒸製法で仕上げられた花削り。ふりかけようには血合いを抜いて手もみされたけずりぶしを月に一度は購入して使ってます。もちろん、どちらもぽこにゃんの大好物。

前述の乾物屋さんでは、ラウス昆布も買うのですが一枚一枚吟味しながら選ぶ母の横で、昆布の甘酸っぱい香りにひどく空腹を感じ唾を飲んでいたことを思い出します。女将さんが昆布飴なぞをおまけにちょっと手に乗せてくれるのがお目当てでもあり、それがとっても美味しかったのです。ここのお店は、その昔、乾燥数の子を扱っていたのですが、暮れが近くなると、母はそれを水戻しして、なんと瓶にいっぱい漬け込んでいました。白状します。瓶の蓋をあけては、そぉ~っとつまみ食いしていたのはわたしです。干し貝柱・干し真鱈・干しいか・鱈子は五大好物で、今でもりっぱなのを見ると値段かまわずに手を出したくなります。しかし、これがまた、母の味にはなかなか及ばないのです。

(2003-08-28)

No.107
タカラモンとタカラモノ

絵:釣りあげた
釣りあげた
辻まこと氏は、ト・ぺこのスキーの定宿「石の湯ロッジ」の発起人の一人です。昨日読んだ「辻まことセレクション1 山と森」(平凡社ライブラリー)からのはなし。

作者が磐城の国で3日がかりで釣りあげたヌシといわれる岩魚の岩太郎を木彫にうつしたそうです。オオシラビソの木から岩魚を彫り出すのになんと1週間もかけて。そしてこの木彫の岩魚を展覧会に出したら、一人の婦人が立ち止まり長々と眺めたあげく、作者を振り返り一言「あんたヒマね…」

特大の岩魚の木彫を捧げ持った芸術家本人即ち作者の写真を添えて、大衆というものがいかにゲージツを理解しないかと実感し、本人が作って本人が感心し満足しているからこれこそゲージツで、ほんとうのタカラモノだと得意そう。

ある人にとってのタカラモノが他人にとってはタカラモンにすぎないらしいと述懐されていて笑えます。東北地方では、ぶらぶらと何にもせずに怠けている人物を叱る時に、「このタカラモンがっ!」というそうな。時には、タカラモンになりたい私であります。

(2003-09-07)

No.108
自然流

絵:感謝
感謝
人間が作った人工物は圧倒的に幾何学的な物が多いのに、自然は実に流動的。一つとして同じ形は存在せず、それぞれ。人間も人それぞれで「あるがまま、ありのまま」をお互いに認め合うことのなんと困難なことか!その上、人には心というものに野がついて野心も野望も生じたあげく争いごとまで生じてしまう。先日岩波ホールで見た「氷海の伝説」は、厳しくも美しい自然に暮らすイヌイットの一族の家族愛と野心と野望を描いて示唆に富んだ作品でした。

昔から家庭には庭が欠かせず、自然をとりこんで心安らぐように、一輪の花や緑に自然を感じ、一点の風景画や床の間の掛け軸にほっと安らぎを感じるようです。どちらかというとアール・デコ調のものに惹かれる私ですが、最近アールヌーボーを求める人の心が少しばかり判るようになってきました。

残暑の日には、風通しのよい場所を求め、籐の敷物の上に、でろぉ~んと寝ころんでひたすら惰眠をむさぼり、実にしあわせそうなぽこ猫さんにも教えられる。自家栽培の無農薬野菜の美味しさが味わえるこの季節は、つくづくとお天道様に感謝で、元気な野菜達に笑いかけてしまう。しらじらと明け初める空につい手を合わせてしまいます。医食同源、身体は食べ物で成り立っているんだという基本を忘れず、出来る限り自然流で暮らしたい。

(2003-09-11)

No.109
うりぼう

菜園の端に芽を出した南瓜がどんどん大きくなり、見事な南瓜が収穫できました。もともと堆肥の中にあった種から自然に芽が出て育ったもので、ベランダ横の倉庫の屋根を利用してそのままはびこるに任せています。雨の多かった今夏は水やりした覚えもないし、手もかからず立派に育ってくれました。大きな黄色の花から花へ、働き者のマルハナバチがぶぅ~んぶぅ~んと賑やかしく飛び回り、忙しそうに働いてます。ホースのように太くなってからみあう茎の茂みのなかに綺麗な縞模様でころっとした瓜も発見。もちろん植えた覚えはないので、これも嬉しい「堆肥からの贈り物」。さて、どうやって食べようかな…。

(2003-09-18)

No.110
お米

明治者に育てられた私は、お釜を洗う時にも例え一粒のお米も流さぬ(捨てぬ)様にと躾られました。

ところが、子供の担任だった若い先生が「お米を研ぐと、いつもお米を流してしまうし、炊飯器を洗うと残り御飯も捨ててしまう事があり、母親に注意されている」と、懇談会で困惑気味に話されておりました。先日参加したワイン会では「一日に一回も御飯なんか食べない日はしょっちゅう。そういえば、ここ一ヶ月御飯はたべていないしぃ~」という日本人の若い女性にもお目にかかりました。

「八十八の手間かけて作られるから米だよ」と教えられて育った世代とは、すこし違うのだなぁと思える今日この頃。いろんなことが機械任せになってきた現代の感覚なのでしょうか…。三度の食事が御飯の私は、炊きたての御飯も好きならお弁当の冷めた御飯をよく噛むのも、おじやもおかいさんも大好き。冷夏の心配はお米のでき具合です。

(2003-09-17)