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昨日、職員室で連絡帳を書いていたときに、3年生の玉ちゃんがお母様からの手紙を持ってきてくれました。玉ちゃんとは学年も違うので、ときどきろうかでおしゃべりをしたり、体力作りで出会うことはあっても、一緒の授業になることもないので、とても不思議に思いました。
 玉ちゃんのお母さんが書いてくださったお手紙の中にはびっくりすることが書かれていました。それは高野さんという友人が突然亡くなったという報せでした。
 高野さんとは10年ほど前に出会いました。
 わたしはそのころ、加賀にある錦城養護学校に勤めていました。子ども達と一緒にいるうちに、子ども達が、たとえば、どんなに重い障害をもっていたとしても、たくさんのあふれる気持ちを持っていて、それを、歌や、踊りや、それから言葉や絵や粘土などの作品でいつも私たちにたくさんのことを伝えてくれているんだと知り、その表現の素晴らしさを自分たちだけで見ているのはもったいないと思うようになりました。作品は、劇の背景として書かれた、たたみ8畳分の大きさの物何点かから、手に載るサイズの粘土の作品や絵など、200点ほどの作品があったように思います。
 橋立の郵便局で最初の子ども達の作品展「たんぽぽの仲間たち作品展」を仲間達と企画し、開いて頂き、そのつぎには、やはり橋立にある硲伊之介美術館で2週間にわたって作品展をしていただきました。その作品展を見に来てくださって、ご自分達のおうちでも子ども達の作品展をしたいと言ってくださる方がおられました。そして、金沢や辰口など4つの会場で、「たんぽぽの仲間たちおうち作品展」が開かれたのですが、そのうちの一つの会場が高野さんのおうちでした。
 高野さんのお人柄や、高野さんがいつも伝えたいと思っていたことを、昔書いた物があるので、見て頂けますか?
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通信には、ここに「たんぽぽの仲間たち」(三五館)の何ページかをコピーして載せさせて頂きました。
 そのうちの少し抜粋を書きます。
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 その日は金沢の高野さんのおうちにおじゃましました。2,3日前から高野さんちで、「たんぽぽ展」を開いて頂いていたのです。今回の作品展は、私たちが作品展を開き続けている重いを「同じ、同じおんなじ気持ち」と言ってくださった方々が、自宅で一週間ごとに4カ所でバトンタッチをしながら、開いてくださったものなのです。
 おうちを解放してくださるということはたいへんなことだと思います。毎日の暮らしがあるわけで、そこに会ったことのない方もたくさんみえることになるし、作品のことや子ども達のことをお茶を飲みながらお話していけるようにと言う配慮はとても気をつかわれるとおもうのです。でもね、みなさん「そこがおうちギャラリーのいいところじゃないの」と言ってくださいました。
 玄関を開けたとたん、子ども達のたくさんの作品が目に飛び込んできました。奥の四角い部屋には、真ん中に大きな机が置いてあって、お茶やお菓子が並んでいました。そして壁には、いごこちのよさそうに作品たちが飾られていました。
 二階からお兄ちゃんの圭悟くんが降りてきました。お庭へ出て、水道の蛇口をいっぱいいっぱいに開けて、ガレージの壁や屋根に勢いよく水をかけました。そrからお部屋でピョンピョンしならく跳ねてまた二階へあがって行きました。
 圭悟くんは水遊びがしたかったのかなと思ったけれど、違うかもしれなおとおもったら、お母さん(高野さん)が「やっぱりいつもの家と違うから、落ち着かなかったり不安だったりするんでしょう」とおっしゃいました。そして、「あのこの様子を見て、『なんにもわからん子』なんて言われたことがあるけど、ちゃんといろいろ考えているんですよね」とにっこり笑っておっしゃいました。”なんにもわからん子”という言葉をよく聞くことがあります。
 子ども達が何かの理由でした行動(いたずらとか乱暴ととられてしまって)に対して、「なんにもわからん子がしたことやから、しかたないわいね」というふうに外で言われてしまうのです。お母さん方はそんなとき心で(なんにもわからんのじゃない。ちゃんと理由があるんや)と考えながら、でも迷惑をかけてしまったからという気持ちがあるからそれを口に出すことがはばかられて「すみませんでした」と謝っておられることが多いのだと思います。そして謝りながらいつかこの子のことをみんなにわかってもらいたい・・・そうおもっていらっしゃるのだとよくうかがいます。
 しばらくしたら今度は二階からドンドンという音が聞こえてきました。「圭悟が、僕はここにいるよ」って行ってるのだとおっしゃって、お母さんは二階へ上がって行かれました。わたしはこんなふうに圭悟くんの気持ちに添われていらっしゃるお母さんとお会いできたことをうれしく思いました。
 それから弟の秀文くんが帰ってこられました。秀文君はお母さんにとてもうれしそうにお菓子作りの話や、スケッチブックがなくなったので、もう買いに行かなくてはならないことなどを話していました。「絵を描くの?」と何気なくたずねたわたしに、「もう書くのが好きですぐスケッチブック一冊終わっちゃうの。そうしたら、自分で一冊ずつ買いに行ってるの」と高野さんが教えてくださいました。
「見たい、見たい」とわがままを言うと、奥から出してくださったスケッチブックの山は、素晴らしい宝の山、高野君達の気持ちの山でした。輪亜つぃはきっと海賊が宝の山をはっけんしたと同じくらいに喜んだのだと思います。まわりにいたみんなに、わたしがあまりに喜びすぎでおかしいと笑われちゃったけれど、本当に背中がぞくぞくとするくらいその絵たちに惹かれたのです。
「すてき、すごい」を連発するわたしに高野さんは「うちは二人ともなの」とおっしゃいました。おそらく、圭悟くんにも秀文君にも障害があるのだとおっしゃりたかったのだと思います。その作品を少しだけ見てください。あとは省略させてください。(作品は本や学級通信にはにのせてあるのですが、ここでは省略させてください。ごめんね)
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 高野さんはおにいちゃんの圭悟くんが、中学校を卒業をしたときに、地域の中で生きていきたいという思いを大切にしておられました。お仲間と作られた「それいけ仲間たちの家」という作業所の圭悟君は一番のりでした。去年クラスのとしくんが、「それいけ仲間たちの家」で実習をされたときに、高野さんは毎日のようにメールでとしくんのようすをしらせてくれました。それから、としくんが、車や電車の絵がとても好きだということや、私たちの知らないとしくんのことをたくさん教えてくれたのです。
 その姿勢はお子さんと一緒に添っておられる高野さんの姿勢そのままでした。
 子ども達と一緒にいるということはどういうことなのかを教え続けてくれた高野さんのことを、いつもいつも心の中においておきたいと思います。
 昨日のお通夜にはたくさんの方が見えていました。玉ちゃんとお母さん、としくんのお母さん、それから、3年生のこんちゃん、そして、たんぽぽの仲間たちおうち展を開いてくださったなつかしい仲間達。とてもとてもあたたかく、そして悲しいお通夜でした。
 お聞きすれば、土日と、また楽しい旅をご家族でされてきたところだとのこと。そして、月曜日に、お庭の草をとっていたときに、倒れられたとのことでした。



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