03/6/3 
いやピョン病

 クラスに「いやピョン病」が流行っています。可愛いけれど、なかなか手強い病気です。「朝の会だよ」・・・「いやピョン」   
「体力作りに行こう・・」「いやピョン」
「さあそうじだね」「いやピョン」
なんでも「いやピョン」と言って、着替えのカーテンの中へ隠れてしまう・・・そういう症状が流行っています。
 時には授業まで、「いやピョン、さぼろーっと」といったまま、そこにいるのです。一人でいる分には「疲れただろうからそういうこともたまにはあるかな」と思うのですが、この症状の怖いところは、「わたしもいやピョン」と「いやピョン」を合唱して、二人でそこにいてしまうことです。ときには授業や体力作りに出ようとしている友達の手をひっぱって、仲間に引き入れようとしてしまいます。
 ところで、仲間には決して加わらないのが、加奈ちゃんです。加奈ちゃんのすごいところは、どんなにゆかちゃんとみいちゃんが「いやピョン」をしようと、「ダァメ、わたしは出る」「ダメやよ」とやさしく言って、しっかり授業も体力作りも掃除もみんな必ずして、でも、ゆかちゃんやみいちゃんと仲が悪いわけでなく、とっても仲良しなことです。
 いやピョン病の二人、「新しい生活も始まって二ヶ月、そろそろ疲れたのかな?」そう思ったけれど、でも、そうではないのじゃないかなと思うのです。
 上手に言えないのだけど、いやピョンと言った後に、二人はそれぞれ別々に、必ずと言っていいほど、私のそばにきて、私の体をぎゅっと抱くようにしたり、手をつないだりするのです。
 私は3人が大好きです。こんなことを言うのって、おかしいかもしれない・・・それから照れくさかったりもするけれど、まだ2月ほどのあいだに、3人はどっかりと私の心の座っていて、土曜日、日曜日とお休みのあったその日の夜は、3人に会いたくて会いたくてたまらず、明日、会えると思うとうれしくて、早く明日になって欲しいと思うほどです。そして、朝、3人が決まって、「おはよう」と飛び込むように私のところに来て抱きついてきてくれるとき、本当になんて幸せなんだろうと思うのです。
 3人の3人ともを同じように好きだと感じているけれど、でも、もしかしたら、3人はそうは思わないときがあるのかもしれません。あるときはかなちゃんと手をつなぎ、あるときやゆかちゃんといて、あるときはみいちゃんの肩を抱いている・・・それを見て、寂しいと思って、自分の方だけを向いてほしいなと思うこともあるのかもしれません。
 それから、この学校は、割合自由な雰囲気があると思います。たとえば、「したくない」と言った子どもさんのことを無理にでも、しなくてはならないという考え方ではないと思うのです。どうして、嫌なのか、どうしてしたくないのか・・・それを教員がまず考えようとしている姿勢があると思います。それから、たとえばですが、おもちゃや漫画の本を学校へ持ってくるお子さんがいたとして、そのことを誰もとがめるひとはいないと思うのです。けれど、その自由の中に「おもちゃや漫画の本、持ってきてもいいけれど、いつでも読んだり遊んだりしていいわけじゃない。休み時間だけなんだ」ということを子ども達自身が考えて、子ども達自身が「休み時間だけにしなかったら、持ってきてもいいおもちゃも持ってきてはいけないよということになってしまうかもしれない・・だから、休み時間だけ遊ぶようにしよう」と考えられることが大切と思っているのだと思うのです。
 けれど、その自由な雰囲気の中で、いったいどこまで、どんなふうに自由にしたらいいのか最初はなかなかわかりにくいと思うのです。それで、どれもをいやピョンと言ってみているというようなこともあるかもしれません。でも、そのあと、不安になって、また私や他の先生のところへ行くということもあるかもしれないと思うのです。
 それから、誰だって自分を見つめてほしいという思いは一緒だと思います。いろんな方法があるけれど、いつもこっちを向いていて欲しいという思いは誰もが持っています。もしかしたら、今、ゆかちゃんやみいちゃんは、「いやピョン」と言ってみることで、自分を認めてほしいと思っているのかもしれません。
 そして、それはかなちゃんも同じだと思うのです。かなちゃんはけっして「いやピョン」って言わないけれど、時には他の二人よりもずっとハードは作業班にいるのです。そのことでつらいなあと思う日があったり、時にいやピョンって言ってみたいなと思ったり、あるいは、私だけを見ていてほしいと思うことだってあるかもしれません。
 うれしいことは、みんながいろんなことで、自分の気持ちを出してくれていること。気持ちを出してくれれば、一緒に、いろんなことを考えていけるし、もっともっとわかりあえると思います。そしてもうひとつうれしいこと、それは、3人ともが、たぶん、私が3人を可愛くてしかたがないと思っていることを、知っていてくれるということです。
 それがあればどんなことも大丈夫な気がするのです。
 今日も、いやピョン病が朝から発生しました。ときには、「嫌なら、じゃあ、この部屋に一人でいてね」と言われてしまったり、あるいは、「来てくれないとさびしいから・・・」そんなことがあったり、あるいは、「これはどうしてもしてもらうよ」とまるでけんかみたいに、ひっぱりあっこをしてしまったりするけれど、お互いが大好きと思い合える関係の中だったら、どんなことも楽しくうれしいことだという気がしています。

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