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 あっという間に一学期がすぎようとしています。毎日毎日、私自身、とても楽しく学校に通えたのは、本当にみんなのおかげだなあと思うのです。たとえば、身体の調子が悪くなって、熱が出たとしても、みんなの顔を見たら元気になれる・・・そう思うと、朝、たとえ重い身体を引きずるような日があったとしても、学校さえ行けば、みんなに会えさえすれば、元気になれると思った日も幾日かありました。
 みんなはどうだったろうと思うのです。3人は、おんなじように学校を楽しみにしてくれただろうか、お休みしたくないって思ってくれただろうかと思うのです。
 一学期を通して、みんな毎日笑顔でいてくれました。朝会えば、私にとびついてきてもくれました。でも、みんなに、「こうしてほしい」「ああしてほしい」というようなこともたくさんあったなあと思うのです。
 掃除の時間の掃除も、7月の今になっても、毎日のように、「掃除をするよ」ということの繰り返しです。掃除のほとんどの時間をかなちゃんと私でして、それでも、どうしてもどうしても掃除をしてほしいと繰り返し言ったり、あるいは、「こんなに上手なんだもの。大丈夫ね」とゆっくりお話してみたり、あるいは他の先生が見かねて声をかけてくださったり・・・怖い声で話してみたり・・でも、今も実は、変わりありません。
 どうしてお掃除がいやなのか・・・何度も「掃除をするよ」と言われるより、さっさと掃いて終わりにするほうが、よっぽどらくだと思うのに、そうしない理由はどこにあるのでしょう。どこかに私自身のみんなへの誘い方だったり、お話の仕方にいけないところがあるのではないかなあと思うのです。最初は朝の会もいやだったし、当番もイヤと言っていたし、係の仕事もイヤーと言っていたのが、どれもみんな取り組んでくれるようになったのです。掃除ばかりはどうしてなのでしょう。
 狭い教室です。かなちゃんと二人で、掃いても、少ない机を動かしても、あっという間に掃除は終わってしまいます。今日も、お掃除できなかったなあとため息をついて、そのことを悲しく思うとき、ときどき、隣のクラスののりくんの掃除を見に行きます。
 のりくんは一階から二階にかけての階段と踊り場と階段下を一人で掃除しています。ていねいに一段一段、一粒の砂粒も残さないくらい、掃いて掃いて、次の段にごみを落とします。そして、また次の段へ。時間がかかるから、お休み時間のうちから掃除場所へ行って、掃除をしています。腰をまげて汗をかいて、ただひたすら一生懸命に掃除をしています。私はそんなのりくんを見ていると、ときどき涙が出そうになります。すごくいとおしくなるのです。私が階段の上の方に座って、じっとのりくんを見ていると、このあいだ、のりくんが急に私のところへ飛んできて、手をぎゅっとにぎって、「腰痛い」って顔をしかめて言うのです。「のりくん、どうしよう・・ちょっとお休みする?」のりくんはちょっとだけ考えて、すぐにまた掃いていた段にもどって、掃除をし出しました。またのりくんがいとおしくなりました。
 でも、掃除の時間に、なかなか掃除が今のところできていないゆかちゃんやみいちゃんのことがいとおしくないわけではもちろんないのです。掃除だからできないのではなく、掃除の前の休み時間にすごく楽しく遊んでいて、それが疲れてしまうのかもしれないし、どこかで、私に甘えてだだをこねてみたいのかもしれない、それから、掃除というものはしたくないものだという考えを変えにくいのかもしれない・・・それから、これが一番大きいのかもしれないけれど、二人だから心強くて、中学校のときはしていたのだけど、今はお友達と二人、気持ちを共有して、「しないもん」って言っていたいのかもしれない・・・
 無理にひきずるようにして掃除をしてもらいたくはないのです。やっぱり、掃除は必要だと知ってほしい・・しなくてはならないことがあると知ってほしい・・怒られるからしようと言うのはきっと間違っている・・ 私はやっぱり、いったいどうしたらいいのだろうとわからないままです・・・二人が、最後にちょっとひと掃きして、あるいは、ゴミ捨てだけをして、なんとか掃除に参加したことにしてしまっていていいのかなあという迷いを心に思いながら、今日も教室の掃除のあと、のりくんを見ていました。
 のりくんは、ぽとぽとこぼれる汗をときどき拭いて、掃除を終えると教室へ行って、コップを取りに行って、そして、お水をていねいにごくごく飲んで、それから次の授業に走っていきました。



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