お葬式の場で

数年前まで、私は誰が勧誘に来ても生命保険には絶対に入りませんでした。その理由は、人の生命を金に換算する生命保険が大嫌いだったからです。

お葬式にお参りさせていただいていると、よくこんな話を耳にします。
「あのとーちゃんな、でけー保険に入っとってな、かーちゃんにでけーこと銭が降りてくるげといや。」
「そりゃあ、とーちゃんは死んだけど、かーちゃんはけっこうやなあ。」
というような会話です。
保険が退職金や恩給(年金)になったりしますが、いずれも人の死が金で評価されるという内容に変りはありません。

家庭の大黒柱である親父が死んで、たとえ何億、何千万という遺産が残ったとしても、とーちやんが死んだおかげで大金が入ったと喜ぶ家族がいるものでしょうか。
万一そういう家族がいたとしても、私にはとうていそれを「けっこうやなあ」とうらやむ気持ちにはなれません。

もし妻が死んで保険金が入ったとしても、私は使い道に困るだけで嬉しいとは思わないだろうし、妻もたぶんそうであろうと思っています。
だから、人の生命を金で換算し、人の死という一大事を金が入るというだけで「けっこうなこと」にしてしまう生命保険というものが大嫌いでした。


自分はいつ死ぬ?

しかし、「私が死んで保険金が入っても決して家族は喜ばないであろう」と考える時の、私が自分で想像する死期というのは、必ず、子供が成人して年金が支給される年老いた年齢でした。
ですから、生命保険には入りませんでしたが、老後の小遺いに不自由しないためにと、個人年金には妻と二人で入っていました。
長男が成人したら、早く所帯を譲って、旅行でもしながらのんびりと暮したいというのが、妻と私の人生設計でした。

しかし、数年前、風邪をこじらせて肺炎で入院をしてから、時折「私もそう長くは生きられないかな」と考えるようになりました。
なんとなく体がだるくて無気力な日が続いたり、やたらと体や心に疲れを感ずる時、「私も衰えたなあ」と実感します。

また、ご門徒や身近な人の死に出会った時、特に20〜60歳という今でいう早死にの方のお葬式にお参りさせていただくと、「私も早死にの口かなあ」と考えます。
これまでは、若死には特別なものだと思っていましたが、自分の体力と能力の衰えを実感するようになると若死にが身近に感じられます。
「若いのに気の毒になあ」といった同情でお参りしていたものが、「私も早いだろうなあ」と、自分の死を考えるようになりました。
息子の仕事を手伝いながら、年金を貰ってのんびりと老後を暮したいと思っていましたが、自分ははたして年金が貰えるまで生きていられるのだろうかと、早死にするのではなかろうかと考えるようになりました。


生命保険加入

もし本当に私が死んだら、家族はどうして暮していくでしようか。
私が死んだら、私の収入のみをあてにしている家族の生活は破滅してしまいます。
収入のない妻は、3人の子供を抱えて路頭に迷います。
家族を路頭に迷わせてはいけない、私が死んでも家族が最低限の生活が維持できるようにしておくのが、夫として、親としての責任だと思い、私は生命保険に加入しました。



のほほんと

しかし、本当に私が自分の死を自覚し、死を見つめながら生きているかというと、それはかなりあやふやです。
自分の死を本当に自覚したならば、生きていることの価値を認め、生を充実するように努めるはずです。
やがては失われるものと自覚できたならば、生に対して限りないいとおしさと尊さを感じるはずです。

ところが私の生活の実体は、死は生あるものが迎える必然の掟であると、いくら知識として理解していても、
「我やさき、人やさき、
 きようともしらず、あすともしらず」(白骨の御文)

という現実に毎日のように出会っていても、
虚弱な体であるといくら病気が教えてくれても、
自分の死は自覚できないで、毎日何となくのほほんと生きています。

かつては「人生50年」と言われ、それが当然なこととして社会全体に受け入れられていたのが、現在では「人生80年」となったために、いかにも老(病)・死はまだまだやってはこないだろう、などと漠然と信じ込んでしまっているようです。

「ついにゆく道とはかねて聞きしかど
    きのうけょうとは思はざりけり」(在原業平朝臣)


死の自覚

しかし、老・死から顔をそむけながらなんとなく生きていたのでは、ある日突然やってくるかもしれない「死」にあわてふためくことになるでしょう。
一瞬一瞬の間に衰え、老(病)が身に迫り、そして死の瞬間が、たとえそれがいつやってくるにしても、確実に近づいているのは事実なのです。

一休禅師が、
「元旦は 冥土の旅の 一里塚
   めでたくもあり めでたくもなし」

と詠んだと言われているように、老い(衰え)はすでにやってきているし、死もほんのそこまで近づいているのかも知れません。

明治二十九年生れである小説家の芹沢光治良氏は、
「夜眠るときは、これで死んでいくんだと思い、
朝、目が覚めると、ああまた生れたわいと思って、日々暮しています。
そのために平安な毎日です。」

と言われておられます。

同じく小説家の水上勉氏も
ねる時に・・・・死ぬつもりになるんです。
・・・・あした死んでもいい。
子供にも女房にも“さようなら”と(心の中で)いって寝るんですけれど・・・・
これがちゃんと目覚めるのですね。
この時のうれしさといったら、もうけた感じがする。」

と毎日の暮しを言っておられます。

こうして死が主体的に実感できれば、一日一日にけじめをつけること、一日一日に死んでいくことができるようになるでしょう。
ウラがえしていえば、今日一日を生き切る生活ができるのでしょう。
精一杯生きて生きて生きぬき、思い残すことなく燃えつき、明日への未練を残さない生きざまではないでしようか。


武者小路実篤


武者小路実篤が晩年に書いたものに、こんな詩があります。

私はいつまで生きるか、そのことを知らない。
しかし私はそのうちに、死ぬことはまちがいない。
私はそれを知るが、それで、あまり悲観しない。
・・・・死ぬのはあたりまえの運命と思う。
あんまり苦しみたくないと思うが、
そのことをいま考えても、あまり役に立たない。
・・・・人間は人間だ。
生きている間に、少しでもいい仕事がしたい。
いい仕事をしても、何にもならないとは思うが。
・・・・いい仕事をしたい。
この世は美しい。
そう思っていることが、実に楽しい。
何にもならないと思うが、それが楽しみだ。
そう思っている。
我ながらの喜び」

老境に入って「死ぬのはあたりまえ」と思いとり、苦しみたくないと願いながらも、そのことを今考えても「あまり役に立たない」とあきらめ、いい仕事をしたいと思いつつも、また「いい仕事をしても、何にもならない」と思いきっています。
自分の生命にも、仕事にも、それにまつわる執着をさらりとすてた、任運自在の世界です。

  


自然法爾
 

とかく私たちは成功を追い、失敗を逃げ、病気をいとい、健康を願い、老死を忌み嫌い、長寿を望むけれど、気ままな私たちの思いとは関係なく、成功、失敗、幸、不幸、生老病死、すべてがやってきます。

つまりこれらが人生の道具立てなのです。私たちは一方のみを欲しがりますが、一方だけではもう一方も存在しません。
死がなければ生もなく、失敗がなければ成功もなく、病気があってはじめて健康の喜びもあるというものなのです。

いつ、どこで、どんな状態にあっても、願われ生かされているありがたさを心底喜び、生のときは生を生ききり、病・死の時節には病・死を行じきっていくという、自然法爾(じねんほうに)の世界に生きていきたいと思います。

生きている一日一日を「おかげさま」とよろこび、かくて、大らかにさわやかに楽しく生きぬき、時がくればいさぎよく、ほとけさまにおまかせできる、そういう人生を歩みたいものだと思っています。

 

   



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