教育を考える1

 新潟県神林村村立平林中学2年の男子生徒(14)が、2006年11月14日の夜、自宅の納屋で首をつって自殺するという事件がありました。
その日の4時間目終了後の掃除時間中に、女子を含む生徒数人の前で級友の男子1人にズボンと下着を下ろされ、その後の授業は泣きながら受けていました。
異変に気付いて声をかけた担任教諭には「大丈夫」などと答えていましたが、仲の良い同級生に「女の子に見られたことがつらかった」と話していたといい、一緒に下校した3人には「死にたい」などと漏らしていました。
放課後の委員会や部活動にはいつも通り参加していました。
同校では、ふざけてズボンを下げる遊びがはやっていたそうです。
男子生徒はこれまでに2、3回、同級生にからかわれるなどしたということです。

 11月16日の北陸中日新聞に、「ズボンを下ろされたことを断定的にいじめと結論づけるのは控えたい」「男子生徒はやさしいので、からかわれたことはあった」という勝間校長のコメントが報道されていました。
校長は、生徒という他人事だからこういうコメントができるのだと思います。
校長会などの宴会の席で、先輩・同僚の校長先生たちからからかわれてズボンを下ろされたら、勝間校長は、自分はやさしいので皆からからかわれてズボンを下ろされたんだと笑って許すことができるでしょうか?
許すことができないでしょう?
からかい、ふざけた上での行動なら何をしても許されるということはないと思います。
大人がふざけて他人のズボンや下着を下ろしたら、それは犯罪であり逮捕されます。
そういうことを教えてやるのが教育なのではないでしょうか?
大人の世界では許されないことが、学校では許されてしまう、そういう誤った世界を先生たちは作ってしまっているのではないでしょうか?
中学生なら、ズボンを下ろされても、恥ずかしくないのでしょうか?
中学生ならズボンを下ろされても恥ずかしさを我慢しなければならないのでしょうか?
そうではないでしょう。
大人がされて嫌なことは子供だって嫌なはずです。
校長の感覚は、教育者以前に人間として狂っていると思います。

 小学校や中学校の生徒がイジメを苦にして自殺をするという事件が続きました。
学校現場の先生や教育委員会は、自分たちの評定に傷がつくことを怖れ、自分の保身のためにイジメがなかったことにしたり、遺書すらなかったことにしようとしていたことが明らかになりました。
これは、傷害事件が起こったにもかかわらず、警察が自らの成績のために事件がなかったことにするようなものです。
生徒が過ちを犯してしまったら、過ちを過ちだと教え、反省を促すのが教育です。
しかし、その過ちをなかったことにされたら、過ちを犯した生徒は、過ちを繰り返してもかまわないと教えられたことになります。
弱いものは虐めてもかまわないと教えられたことになります。
大人の欲のために子供の教育が誤ったものとなってしまっています。