靖国神社の起こり

 

日本の歴史をふり返ってみると、いつの時代でも時の権力者は、天皇を利用し、宗教を利用する傾向があったようです。

明治以後は、国を統一するため、超国家主義の恐ろしい考え方から天皇を国の中心に据え、神社神道を国の宗教として定め、国民道徳の根本として、国民に崇拝・信仰を押しつけました。

靖国神社は明治2年に最初は招魂社という名で建てられました。

それまでは、だいたい古代の神話であって、全く信頼性はないのですが、支配する側の天皇の祖先である天照大神を祀る伊勢神宮と、それに対して天皇に服従する臣民の代表としての出雲大社という位置づけがされてきました。

それが明治になって、出雲大社に替わるものとして、新しく靖国神社がつくられたのです。

 

 

靖国神社の性格

 

靖国神社はもちろん国家神道の中の一つの神社としての位置づけをもつわけですが、この神社は他の神社と違った特別な性格をもっています。

他の神社は過去の神さまを祀ったお宮であるわけですが、この靖国神社だけは過去の神さまだけではなくて、未来の神さま、つまり、新しく次々と祀られる神さまが増え続けていくという仕細みになっています。

神社には例大祭とか、新嘗祭といった大きな重要な祭りが定められていますが、靖国神社、各道府県の護国神社だけには「合祀祭」という大祭が設けられています。

つまり、靖国神社は常に新しい神さまがつくられ、それが神さまとして祀られていく神社であるわけです。

 

 

神様になる資格

 

そこで、靖国神社の新しい神さまになる資格は何かということが問題になります。

先ず天皇に忠義を尽くして死んだということが第一の条件ですが、その上に戦争で死んだということが条件になっています。

それでは、戦争で忠義を尽くして死んだら誰でも祀られるかというと、必ずしもそうはいきません。

祀られるには天皇に直属しているという身分が必要です。

その身分のない人は、軍隊と一緒に戦っても靖国神社の神さまには祀ってもらえません。

つまり、あくまでも天皇の軍隊に所属する軍人として、あるいは天皇の官吏、お役人として戦事の公務に従事していて死んだ、戦争で死んだということが条件です。

身分とか死に方によって祀られるか祀られはいかという差があります。

こういう宗教はめずらしいと思われます。

まず神として祀られるか祀られないかという条件、身分が問題になり、それから、祀られるにしても、同じ戦没者であっても、戦闘中に弾に当たって亡くなったのか、あるいは病気で亡くなったのかでは差がつけられます。

靖国神社に神さまに祀られた人の名簿である祭神名簿がありますが、その名簿には、病気で亡くなった軍人については「特旨をもって合祀」と、つまり本来ならば、病気で死んだのは犬死だから靖国神社の神さまになる資格はないのだが、天皇の特別のお恵みをもって神さまに祀るのだという意味が、そのように書き分けられています。

弾に当たって亡くなった戦没者と病気で亡くなった戦没者とでは、はっきりと差別待遇されているのです。
(現在は、こういう差別はないとの御指摘もありました)

もちろん、祀られた日付も違います。

必ず戦病死した戦没者の合祀は、弾に当たって亡くなった戦没者よりも遅らせて祀り、わざと時期を遅らせることによって、扱いの違いを示すことが行なわれています。

このように何重にも差がつけられたかたちで靖国神社の神に祀られるのです。

これは同時に、天皇のために忠義を尽くしたということが、どういう死に方をしたかということで判断されるということです。

天皇の軍人・公務員として戦場で弾に当たって死んだとき、最も天皇に対する最大の忠節を尽くしたという評価になるのです。

その次が天皇の軍人・官吏として戦争に行って、病気にかかって亡くなったときで、それ以外はいくら戦闘の最中に弾に当たって死んでも、一般の民間人であれば靖国神社の神さまに祀られる資格はないという差がつけられています。

 

 

靖国神社の目的

 

そういう資格が要求されるのは、戦没者を神に祀るということは、もちろん忠魂を慰めるという意味が込められていますけれども、それ以上に、あとに残った生きている国民に、天皇に対して今後ますます忠義を尽くせという意味をもっています。

そのためには、忠義を尽くすとはどういうことなのかをはっきりさせておく必要があるということで、神に祀られる条件を厳しく決めたといえます。

天皇の官吏・公務員・職業軍人は、自ら希望してそういう職に就くのですが、それ以外は徴兵制度によって義務として軍隊に入った人で、靖国神社の神さまとして祀られている大部分は、徴兵によって戦争に連れて行かれて死んだ戦没者です。

したがって、ますます忠節を抽きんでよということの意味が、天皇に直属する身分であって、民間人ではないという身分が限定されることにより、徴兵制度のもとで兵隊にとられ兵役の義務に服し、戦争に行って天皇のために戦って死ぬということが国民の最大の天皇に対する忠義なんだということを際立たせるのが、靖国神社の一つの目的であります。

国家宗教・軍隊宗教としては、神道は死者の霊魂を慰めるよりは、むしろまだ生きている軍人兵士・国民を励ますお祭りということが重要なわけで、したがって、靖国神社の神さまが増え続ければ増え続けるほど、逆に生きている国民に対しての天皇に忠義を尽くせという励ましが大きくなります。

だから、単に死者の霊を慰めるのではなく、生きている人間が喜んで天皇のために死んでいく、そのための励ましとする神社、それが靖国神社なのです。

護国の兵士たちの霊である靖国の神々は、わが父や、母や、妻や、子、そして美しい郷土を守る兵士では駄目なのです。

護国の神とされるのは、万世一系の国体を守る天皇の兵士であるということに限らざるをえなかったのです。

昭和60年の夏、公式参拝のおり、
「戦没者を祀る靖国神社を国の手で維持しないで、これから先、誰が国のために死ねるか」
ということを当時の中曽根総理大臣自身が発言しています。

これから将来、国のために命を捨てさせるために過去の「忠魂」を靖国神社に祀るのだということです。

昭和四十四年、国会に初提案されて以来、五回も廃案になった靖国法案が、最近、天皇や首相が公人として参拝できるようにという、靖国公式参拝という形で、再び戦前の靖国神社がそのまま復活をする方向が出てきています。

この動きの行きつくところは、靖国に祀る新しい神々を生み出すこと、つまり、再び戦争への道へとひた走る結果となってしまいます。

 

 

英霊への償い

 

戦争で亡くなられた人達は、何を願いながら亡くなられたのでしょうか。

私たちは、2度と再びこのような悲惨な戦争を、子供や孫達に繰り返しさせてはならないはずです。

「国の犠牲になった者に対して、天皇や首相が公式に参拝したり、国家で護持して何が悪い。当然ではないか。」という意見がよく聞かれます。

しかし、一見もっともなようなこうした見解の中には大きな落とし穴が待ちかまえているのではないでしょうか。

戦争で亡くなった人々に対して「このままではすまされない、何かせずにはおられない」という気持ちがあることは、遺族に限らず私たち全てが抱く戦争に対する責任意識として、当然のことです。

特に自発的に戦争に行ったわけではなくて、義務として兵隊にとられ、軍隊に入り戦争に連れていかれ、そして戦争で亡くなった人の遺族にとっては、国家の手で何らかの形できちんとしてほしいという気持ちは非常に強いと思います。

しかし、この「何かせずには」という声に代表される意識が、なぜ靖国神社に「英霊」として祀らねばならないということになってしまうのでしょうか。

靖国神社は、戦前、天皇制軍国主義の精神的支柱となり、そこへ合祀された人々を「英霊」とすることで、戦争を正当化し、美化するための施設として発展してきました。

侵略戦争を「聖戦」とするための施設・道具であったのです。

戦没者の霊を慰めるといいながら、生きている人間が、新たに喜んで死んでいける励ましのための施設なのです。

なぜそのような施設が、わざわざ現在の「平和日本」のために再度使われなければならないのでしょうか。

「何かせずには」「祈らずにおれない」という素朴で自然な感情が、ここでたくみにすりかえられていることに気付かねぱなりません。

家族や友人が理不尽な死においやられたことに対する怨念が、彼らを殺した国家やその支配に対する怒りとなって燃えあがらないで、その国家に死者を祀ってもらうということでごまかされてしまってはいなでしょうか。

戦争によって流された血は、ふたたび、それが決して流されぬようにすること以外によっては、つぐなわれないと思われます。

「申し訳ありませんでした。国として済まんことをしてしまいました。もう2度と戦争はいたしません。戦争は放棄するという憲法を守りぬきます」というザンゲの意識が微塵もない靖国神社にいくら祀られても、素朴で自然な祈りが、純粋かつ清浄なまこととして「霊」にとどかないのではないでしょうか。

「何かせずには」「祈らずにおれない」という心情については、人間である限り、これに形をつけたいという方向に動いてくることは、よく理解できます。

しかしその形が靖国神社でなければならない必然性はないはずです。

私たちは終戦後50余年を経た今、もう一度、戦争で亡くなった人たちの本当の願いに出会い、戦争犠牲者の願いに応えることのできる道を歩んでいきたいと思います。

日常的な目先の欲に目がくらみ、自己中心的な欲望満足のためになんでも利用してしまおうとする私たちですが、いついかなる時でも充分に自分を知り、明るくゆったりと、落ちついて、正しい道を歩んでいきたいと思います。

 

  

  

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