吉川英治 折々の記−蓮如をおもう−より

民衆のくらい“いのち”のさまよいに向って、宗教の暁鐘は鳴ってくれないのだろうか。
宗教家白身が、宗教の無力を肯定してしまっているのだろうか。
 法然出でよ、親鸞出でよ。蓮如、今日に生れよ。なんて、そんな大それたことを、今日の教団に向って、私はねがわない。
到底、失望しているからである。−が、せめて、末法的なら末法なりに、蓮如さんの草鞋の一そく分ぐらいな慈悲をもつ人はあっていいはずと、たれもおもうであろう。
ことし、蓮如上大の四百元十年の大遠忌と聞くにつけても。
法然に起り、親鸞を祖とし、蓮如によって中興を見、今日まで庶民に“たのまれ”て来た宗教としては、いまはよほどな考え時-と、私には考えられる。
蓮如上人の大遠忌を修行するというにつけても、その蓮如をいまに偲ぶにつけても、私は考えられてならない。
これでみな、浄土真宗の宗教家として、安んじて居られるのだろうかと、ふしぎにさえおもわれる。

なぜことしも、蓮如の大遠忌などをやるのだろう。
いや、大遠忌はけっこうである。
が、依然たる大伽藍の荘厳と、儀式と、むなしい法会修行の群集をほしがるような形式を捨てないのであろうか。
私には、わからない。

 仏教の慈雨は、そんなことでは降らないとおもう。
仏教のさかんとは、そんな作った光栄や、演出ではないとおもう。
目に見えず、しかも急速に、真宗崩壊の音が、どこかでするばかりである。
本願寺のもつ使命の晩鐘とならなければ倖せである。

今にして心から醒めなければ、ああ勿体ない、本願寺は、地上がらなくなるだろう。
教行信証や、御文持や死も生もない“いのち”をもった不減の文字は、ただ心あるもののみには恃たれて残りもしようが、伽藍、及び教団のごときは、いくらその大を恃みにしてみたところで潰え去るであろう。
なぜならば、元々、庶民の中に芽ばえ、庶民によって、育てられ、愛され、敬され、維持されて来たものであるから。


 私が、もし蓮如さんだったら、大遠忌をかなしむだろう。やめてくれと、言うとおもう。



 蓮如上人の大遠忌をいとなむならば、蓮如のこころになってやるのがほんとだとおもう。


 この御遠忌の催しには、前例もあるから、さだめし数万、或いは十数万もの人々が、京都へ詣るであろう。
だが、それは物質的に、また、境遇からも、来られる資力と、都合のゆるされる人だけである。
蓮如さんは、来たいにも、来られぬ人々をこそ、どんなに思いやっているかしれまい。
地下から起きあがって、もう一度、あのわらじダコのある足に、草鞋をはいて歩きたい、とおもっているかなどと私には妄想される。

MENUに戻る