裁判の判決の結論は、「訴えを却下」という敗訴のようですが、裁判所という公平な立場で判断をするべく第3者機関で、私側の主張であった以下の点が認められたということは大きな収穫であったのではないかと思っています。

◎ 御遠忌等の懇志金、経常費の問題は、信仰の対象の価値や宗教上の教義に関する判断が必要のない問題なので、具体的な権利義務や法律関係の問題として裁判をすることができるということが認められました。つまり、御遠忌等の懇志金、経常費の御依頼は、宗教上の問題であるから司法が介入すべきではないという本山・教務所側の主張は明確に退けられました。
◎ 御遠忌等の懇志金、経常費は、法律上の債務(支払う義務を負うもの)ではないということが、本山・教務所によっても確認されました。

 なお、願事停止を含む願事の取り扱いによる御依頼完納の義務化の是非、割当基準の見直しの是非に関しては、もともと訴訟の対象となっていないため、明確な判断はされませんでした。

 また、裁判を起こした当初は三浦内局の時期で、「御依頼すれども割当せず」という方針が打ち出され、裁判においても早い時期での和解の成立が期待できる雰囲気がありましたが、、突然の三浦内局退陣、熊谷内局誕生という本山の政変により、裁判における本山・教務所側の態度も硬化したように感じました。
 しかし、そのような中においても、本山による御依頼割当基準の適正化への努力が認められ、また門徒戸数調査が計画されるなど、本山としての改革の姿勢が伺えるようになったことについても、この裁判の影響は少なからずあったと思っています。さらに、別紙の通り、能登教区においても願事停止の免除が申請できるようになり、これも裁判の成果だと思っています。

 裁判できないという判決には不本意なものを感じますが、上記のように事実上は私の主張が認められ、また、本山・教務所においても改革の姿勢が認められることから、今回の判決に対しての控訴はせずに、本山・教務所の更なる改革を見守ろうと思います。

 仏教教団の財源は、信者の信仰心による自発的な布施であるのが本来でしょうが、現実は理想通りには成り立たないと思います。私は、宗派に属するものとして、教団の運営費を負担するのは当然のことと思っています。ただ、割当御依頼の現状は大変不平等だと感じており、不適切な割当御依頼金の完納を願事の条件としていることは、まことに理不尽で不合理なことだと思っています。したがって、報奨的な性格のある教師や法要座次等の願事はともかく、事務的な諸手続などにおける願事停止や経常費完納の強要などがあった場合、弁護士さんや皆さんとも相談し、今回の裁判より一歩踏み込んだ願事停止の是非を問う訴訟を含めた諸行動も辞さない考えでおります。

 教団内の問題ですので、教団が自主的に改革していくことが理想だと思いますが、長い伝統の上に成り立つ教団が自ら変革することに困難も多いように感じています。裁判という場での議論することにより改革に動き出しやすくなるということもあるのではないかと思いました。
 今後とも、皆さんのご指導とご協力を賜り、真宗大谷派僧侶として歩んでいきたいと思います。