正覚寺アルバムより


明治42年春某日 蓮如上人四百回忌法要庭儀実況
明治43年輪島大火 焼失前の正覚寺本堂にて

 

大正元年某日 本堂建築 どうづき式
一本松公園の名前の由来の一本松が写っています


大正元年某日 本堂建築 どうづき式 実況
大火焼失後の現在地での本堂再建


大正三年7月3日 本堂上棟式
棟梁 珠洲郡鵜飼 安田源次郎



昭和11年9月17日 鐘楼堂 搗初式

昭和11年9月18日 鐘楼堂落成式記念写真
寄進者 京都 下地仁左エ門(右寄り6人め)
下地さんは輪島市稲舟町の出身で京都の東本願寺の門前の通りで酒屋を営まれました。
故郷への恩返しの気持ちから当寺へ鐘楼堂を寄進して下さいました。
このようなりっぱな篤信家によって寺が成り立ってきたんでしょうね。

ところで、このページをご覧いただいたあなた、気がつきましたか?
明治43年の大火後、焼失した寺院5ヶ寺は郊外へ強制移転させられたんです。
ですから、どうづき式や上棟式の写真は田んぼの真ん中なんですよね。
ところが昭和11年の鐘楼堂落成式の写真ではもう家に囲まれてしまっているんですよ。

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