私(わたし)的な行政訴訟


2000年7月16日自治体合同法務研究会最終日のリレートーク


 全国の自治体職員有志が年に一度集まって政策法務について研究をする場がある。どういうわけか、私のような自治体職員でもないし、自治体顧問弁護士でもないし、行政法学者でもない者が、もう4回もこの研究会に出席させてもらっている。九州大学の木佐教授から、お前の行政訴訟の負け経験をみんなの前で披露して、おもしろい話をしろ(注 木佐教授は紳士ですからこのようなものの言い方はされません。筆者の適当なアレンジです)と言われたので、次のような話をした。


 湯川 行政訴訟はこれまでほとんど敗訴して行政の皆さんに貢献している、裁判官になれなかった湯川です。

 ところで、今、清水さん(注 東京の清水勉弁護士)は、行政訴訟に全部勝訴していると言いましたが、行政が訴訟を勝ち負けで捕らえるのは好きではないし、誤っていると思います。(別にいつも負けている腹いせではありません)。法治行政だから、行政が適法と判断されて、勝訴するのが当たり前だからです。マスコミにも問題はあると思うが、住民勝訴判決が出たときに、行政側のコメントとして「行政の言い分が認められずに残念」というコメントが載るが、それもおかしい。福井なんかでは、空港拡張計画をめぐって反対派の提起した訴訟で、反対派敗訴判決が出ると、行政は「原告またも敗訴」ということを書いた広報誌を空港対策連絡協議会の名義で発行したります。これに至っては言語道断と言うべきでしょう。

 果たして行政訴訟は勝ち負けでしょうか。

 行政のお役人は(福井にいると、「お役人」「小役人」という言葉を使いたくなります)、行政訴訟がどうして生じているのか考えたことがあるのでしょうか。

 行政紛争は行政の説明義務の懈怠によって生じているのです。行政訴訟も、不服申立も、監査請求も、住民が求めているのは、行政との法的対話です。

 訴訟になるまで、住民は一度もまともな説明を受けることができない。住民が法的に意見を述べて、それに対する行政の法的応答が義務付けられているのは、訴訟のみなのです。だから、住民は訴訟を提起するのです。しかし、住民は行政から法的応答をしっかりしてもらえるならば、訴訟は提起しないのです。もっと行政は説明上手になり、打たれ上手になるべきです。行政が100%を目指す=行政の無謬性は、放棄すべき。

  ところが、このように住民が行政との法的対話を求めているのに、行政は、不服申立でも、訴訟でも、監査請求でも、何ら法的応答をしません。仮に応答したとしても、1年間の監査請求期間を徒過したから却下されるべきであるとか、原告適格や、処分性がないから訴えは不適法だとかいう訴訟要件しか述べず、行政の内容について説明をしない。訴訟の場においても、法的対話が保障されていないのが現実です。


   それはどうしてでしょうか。行政が法的応答ができないのは、そもそも行政訴訟が有効に機能していないから。地方自治法や行政事件訴訟法自体が行政に中身で反論することを求めていないからです。

 それに加えて、裁判官も行政法のことを何も知らないから、中身のことを聞いても判決が書けない(裁判官の方、ごめんなさい。でも、住民に分かりやすく説明をしないで、住民の訴えを問答無用で切り捨てるから、住民もこういわざるを得ないのです)。行政争訟法を改正して、訴訟要件を緩和し、行政訴訟を提起しやすくして、行政の内容の議論ができるようにするべきです。

 中身の議論をするときに、重要なのは、裁量処分です。裁量処分については、政治的裁量だ、政策的裁量だ、技術的裁量だ、だから適法だといいます。しかし、それは処分に裁量の余地が認められる一般的根拠であって、個別具体的な処分をする場合は、処分の前提となる事実を認識し、それについて処分基準に照らして、理由を考えて処分をしているはずです。裁量処分が訴訟で問題となるときは、そういった個別具体的な理由・根拠を示すように訴訟法を改正するべきです。そして、裁判所も専門の裁判所にして、独自に行政から証拠を収集できるようにするべきでしょう。

   ところで、そもそも、法的対話ができないのは、行政が処分時にはそのような判断過程を意識することなく、不服申立や訴訟になってはじめて処分の理由を考えているからではないでしょうか。それでは、住民の納得できる行政は実現できない。自治体職員としての法務能力を高めて、処分をしようとする時点から処分の基礎事実を確認し、処分の理由を十分に認識して、名宛人との間で法的対話を行うべきです。それが行政手続法の理念であり、皆さんが制定された行政手続条例の理念のはずです。行政手続をしっかり履践できていれば、不服申立でも訴訟でも、いつでもすぐに中身についての法的な説明が可能なはずです。

   日本では行政訴訟の提起件数は1400件しかありません。それに対して、ドイツは20万件、フランスは10万件です。せめて行政訴訟の提起件数を増やして、訴訟の場で法的対話ができるようにしたいものです。

 私が住民に行政訴訟法改正の話をするときは、住民が行政訴訟に勝訴できるように改正しますと説明していますが、皆さんは、むしろ、法的対話を保証するために行政訴訟法を改正するのだと理解してください。自治体職員にしても、そんな訴訟が起こされたら行政が停滞し、萎縮するから反対だ、とか、訴訟にされたら嫌だなと思うのではなく、監査についてのアメリカ流の捉え方と同じで、行政のやっていることが適法なのかどうかを採点してもらう場だ、採点してもらいたいと考えるべきではないでしょうか。


   これは行政法学の誤りでもあると思いますが、行政争訟は「行政救済」の項で扱われています。しかし、今述べたように、行政争訟は、本来あるべき行政執行過程ー事実を認定し、処分基準に照らして、根拠を持って処分をするという行政過程を事後的に検証する作業に他ならないのです。そうして、住民との間で、法的な対話を通して、適法な行政が何かを発見することが、行政争訟なのです。そしてまた、このように行政争訟をとらえていくならば、みなさんが自治基本条例を制定し、個別的な政策実現のための条例を制定する際においても、行政紛争が生じた場合の処理のあり方をも念頭において条例を策定していくべきであろうと思います。PHPの地域司法機関論も、実は、昨日の札幌の報告にあった「苦情処理機関」に専門性と第三者性を付与しようという構想に過ぎず、皆さんの議論から離れた突拍子もない構想ではないのです。

   このフリートークの冒頭に、木佐先生は「行政がどんなに説明しても納得しない住民や業者に対して訴訟を直ちに提起できないのが問題」と問題提起されましたが、むしろ私の結論は、「行政が住民が理解できる言葉で十分な説明をしないことが問題だ」ということでした。

 いつも行政訴訟に「負けている」私のぐちを聞いていただき、ありがとうございました。

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