田舎弁護士日記(その4)

 地方にいると、それも34人しか弁護士のいない小都市では、いきおいいろんな事件に首を突っ込むことになる。

 冤罪事件が1件有罪で確定した。10年前に福井で起きた凄惨な福井女子中学生殺人事件(前川事件)である。平成7年2月に1審無罪判決を覆す逆転有罪判決が出た。私が福井で司法修習中に発生した事件であり、その事件の弁護もあって、私は福井に帰ってきた。ところが、その弁護側上告を棄却する決定がこの11月に出たのである。常に、最高裁の上告棄却決定は、普通郵便で、何の事前の連絡もないまま、突然にやってくる。このときも突然だった。

 金曜日の夕方、新聞社から上告棄却の決定が出たらしいとの第1報が入る。主任弁護人に確認すると、郵便受けに確かに上告棄却決定が普通郵便で入っていたという。憲法違反、事実誤認の上告趣意に対して、三行半の門前払いの決定で、驚きの余り、声も出ない。だって、弁護団は、既に上告趣意書の後、2通の補充書を提出し、3通目を用意している最中だったし、最高裁調査官にも秋には鑑定書を用意して持参すると告げてあったのだから。

 週末とあって、主任弁護人は、金沢で打ち合せだというし、事務所のシニアパートナーはこの事件の報告に日弁連に行っているし、1審からの弁護人は誰もいない。

 やりきれぬ思いを押さえながら、異議申立書の起案に入るや、立て続けに新聞記者からの問い合わせ・取材が殺到する。世の中、情報化の時代だし、誤った記事を書かれても困るので、1社に対応すると、それっとばかりに他社からも取材が山のように入り、起案をするために打ち合せ室にこもったのに、そこが記者会見場のようになってしまった。

 夜11時前には異議申立書を書き終わり、翌日には、最高裁に提出した。翌日の朝刊には、まるで私が一人で弁護活動をしているかのように私のコメントが報道されていた。自白も物証もなく、暴力団関係者等のあやふやなえせ目撃供述しか証拠のない事件であっただけに、真犯人を弁護する悪徳弁護士という誤った論調でなかったのが唯一の救いだった。これから、再審請求の長い闘いが再び始まるのかと思うと、気が重くなる。

 今、日本で市民オンブズマン組織がないのは、福井と沖縄だけだという。これまで、弁護士の中でも、誰もオンブズマンを引き受ける者がいなかった。行政事件や地方自治を勉強してみたいという気もあって、福井に来ただけに、引き受け手がいないとなると、やらざるを得ない。

 12月に入って、中日新聞が福井県の監査委員事務局のカラ出張の裏が取れた、今日、記者会見でやっと県がそれを認めたという。それでまた、出張先までコメントを求められた。出張先の法廷が終わり、やれやれと思って、電車に乗ってビールを飲んでほろ酔い加減のところに受けた取材だったので、思わず出たのが、「けしからん」という、何とも法律家らしからぬ言葉だった。記者のことだから、もっと格好よく書いてくれるのだろうと思ったら、新聞にはそのとおり載っていた。

 そうしたら、翌日から、また他の新聞社の取材や、市民の方からの情報提供が相次いだ。どうもカラ出張が、単発ではなく、組織ぐるみの恒常的なものだという疑惑が裏付けを持ち出し、県もこれを認めて全庁調査に乗りざさざるを得なくなってきた。これは、もうこの時期に、オンブズマンも正式に発足させるなり、監査請求等のアクションに入らざるを得ない。多忙を極めるばかりである。

 朝、新聞を読んでいたら、中学生の窃盗団8人検挙の記事が載っていた。いやな予感・・・。週末、こういう記事が載った土曜日に事務所に出ると、決まって、あわてふためいた親から少年事件の依頼が来る。

 年末は、世知辛い。早く、福井も弁護士50人になってほしいと切に願うばかりだ。

97年12月5日