平成七年(あ)第二八〇号

異議申立書

被告人 前川彰司

右の者に対する殺人被告事件について、平成九年一一月一二日上告棄却の決定があり、弁護人は、同月一四日、右決定の謄本を受け取ったが、左記の理由により異議を申し立てる。

平成九年一一月一五日

主任弁護人 小島峰雄

弁護人 吉村悟

同 藤井健夫

同 佐藤辰弥

同 湯川二朗

最高裁判所第二小法廷 御 中

上告棄却決定(以下「本決定」という)は、要旨、憲法三九条違反をいう点は「前提を欠き、その余は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。」との極めて簡略な理由で上告を棄却したものであって、いわゆる三行半の決定である。しかし、これは最高裁の果たすべき「人権の砦」としての機能を忘れた、言語道断の決定であると言わざるを得ない。実質的な理由が何も付されていない本決定は、最高裁が、弁護人及び被告人の主張を歯牙にもかけず、門前払い、審理拒否をしたものに他ならない。上告趣意書が提出されてから二年弱の間、最高裁は、一体何の調査・審理・検討をしてきたのだろうか。本決定は、何の検討もしていなかったことを端的に物語っている。

本件は、一審無罪判決に対して、二審ではほとんど証拠調べらしい証拠調べもないままに逆転有罪判決が言い渡された事案であり、しかもその証拠構造は、被告人の自白も明らかな物証も犯行の目撃者もなく、唯一、薬物事犯の犯罪歴ないし非行歴を有する者らによる、事件発生直後から翌日早朝にかけての被告人に対する目撃供述及び被告人から本件犯行を実行したことを聞いたとする供述証拠のみによって組み立てられている。それだけに、最高裁としては、情況証拠のみによる事実認定のあり方に対して慎重に臨むべきであり、そのあり方の範を垂れるべきであった。

しかるに、本決定は、事実認定はすべて二審の専権に委ねて何ら省みず、情況証拠のみによる事実認定には何ら関心を払わないとするものであって、最高裁の人権保障機能を全く忘れたものとして強く非難されるべきである。

とりわけ、本件は、二審で有罪判決を受けての上告であるから、いわば一審で有罪判決を受けて直ちに上告審に係属しているのと同様の状況にある。刑事事件における三審制は、被告人の利益のために事実審を二審制にし、最後に法律審を設けたものであるから、その趣旨に則って、最高裁は、控訴審に準じた事実審としての機能をも期待されているのである。しかるに、本決定には、何らそのような見地に立った検討を加えた形跡が認められないのである。無実の罪を着せられた被告人の苦悩、被告人の真実の叫びに全く耳を傾けようとしない最高裁は、もはや「人権の砦」と言うべくもない。

第一 上告趣意第五点(憲法三九条違反)

本決定は、「刑訴法三五一条の規定の憲法三九条違反をいう点は、検察官の上訴が同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問うものでないことは、当審の累次の判例により極めて明らかである」というが、その第一に掲記された最高裁昭和二五年九月二七日大法廷判決は、量刑不当の上訴の事案であって、本件のような無罪判決に対する事実誤認の上訴ではない。したがって、本来、本上告理由に対する判断としてのリーディングケースとはなり得ない事案であった。しかも、右判決が出されてから、既に半世紀近く立っている。

弁護人は、右判決に続く一連の判例が存在するのを承知の上で、判例変更を求めて、上告趣意第五点の憲法三九条違反の主張をしているのである。「裁判所も、憲法三九条の解釈として、ほとんど形骸にしかすぎぬ「継続的危険」というこそくな手段を弄することを止めて、憲法上、本来の「二重の危険の禁止」により、少なくとも、無罪に対する事実誤認を理由とする検察官上訴を不適法とする、判例変更を行うべきときにきていると思われる。」(坂口裕英福岡大学教授・別冊ジュリスト憲法判例百選T(第二版)二四九頁)との憲法学者の批判を真摯に受け入れるべきである。

したがって、それに対する最高裁の応答としては、判例変更をする必要がないことを判示すべきなのであって、「当審の累次の判例」が存在することを掲記することは何の意味もないし、弁護人の主張に対して何も答えていないことに帰する。

第二 上告趣意第二点、第三点(その余の憲法違反)

弁護人の上告趣意は、事実誤認の主張のみならず、刑事裁判の鉄則である「疑わしいときは被告人の利益に」違反、憲法三一条違反、同三二条違反、同三七条違反、九八条二項違反の主張をしていたものであり、単なる法令違反、事実誤認の主張にとどまるものではない。

とりわけ、憲法三七条違反をいう点(上告趣意第三点第三)は、原判決が「(横山は)投げやりともとられるような不真面目な供述態度を取っているが、このことについては、弁護人により詳細かつ重複とも思える尋問がなされたこととの関連性も否定できない」(判決書五六丁)とか、「岩見が第二次供述をするに至ったのは、弁護人による右事前テストの影響が大きいというべきであるが、右のような方法による弁護人の証人になろうとする者への働きかけは、それが被告人の無罪を確信し、岩見の捜査段階における供述内容を弾劾し、かつ同人のありのままの記憶を喚起させようとする弁護人の熱意、努力によってなされたものであるとしても、なお、証人となろうとする者の供述内容に影響を及ぼしたものと解される。」(判決書七二〜七三丁)などと判示して、弁護人の反対尋問権(憲法三七条二項、三項)を否定する判断を下したことに対して論じたものである。

既に上告趣意書で論じたごとく、憲法の保障する弁護人依頼権は、被告人の防御権を保障するものであって、それは弁護人による有効な援助を受ける権利を意味する。そして、弁護人が有効な弁護活動を行うためには、弁護人の証拠に対するアクセス権が保障されなければならないのであり、弁護人による検察側証人に対する事前面接活動は、その一内容として当然に保障されるべきものである。

ところが、原判決は、このような弁護人依頼権の否定の上に成り立っているものであり、この点は、事実誤認・法令違反を離れた独自の重大な憲法問題である。

しかるに、本決定は、この重大な憲法問題について何ら触れるところはなく、事実誤認・法令違反の問題と同視している。ここにも最高裁の弁護人依頼権に対する理解が現れているというべきであり、このような原判決による弁護人依頼権の否定を是認する判断は、断じて許されないものである。

第三 上告趣意第一点(事実誤認)

しかも、事実誤認の主張ひとつをとっても、単に事実誤認の一言ですませることのできない重大な問題を含んだ主張を弁護人らはしているにもかかわらず、本決定は、何らの補足説明も加えていない。

本決定は、弁護人らの上告趣意が単なる事実誤認であると決めつけているが、原判決には、次に述べるとおり明らかに判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、本決定にはこれを看過した違法がある。

一、物的証拠の不存在

本件は、犯行場所にも、「逃走車両」にも、「犯行後の立ち寄り先」にも、被告人に関する物証が全く存在しない。そればかりか、被告人の着衣や身体に血液が付着しているのを見たとする関係者の「目撃供述」にも、その裏付けの中核となるべき物証(血痕の付着した衣服・逃走車両であるスカイライン内の血痕)が全く存在しない。のみならず、被告人と被害者との接点を示す物証さえもない。このように被告人と犯行とを結びつける物証が皆無であるばかりか。むしろ被告人が犯人であることとは矛盾する物証(犯行場所の鴨居に吊されたドライヤーコード)さえ存在するのである。

原判決は、重要な物証の不存在という犯罪の証明にとって消極的証拠を看過したものであり、重大な事実誤認をもたらしたものである。

二、信用性に欠ける「目撃供述」

右に述べたとおり、本件には全く物証が存在しないため、関係者の「目撃供述」の評価が重要なポイントを占める。しかし、その「目撃供述」は、いずれも著しい変遷を示し、相互に重大な矛盾をはらむものであった。

原判決は、「(横山、水野こと中川、岩見)の各供述は、その内容に変遷が認められるものの、大筋では一貫しているのみならず、客観的な裏付けもあり、これらの供述は相互に絡み合い補強し合うことによってさらに高度の信用性が認められる」旨判示しているが、ここに重大な事実誤認があることは明白である。

すなわち、第一に、原判決も右三名の供述内容が「変遷している」ことは認めざるを得なかったのであるが、健全な一般常識に照らせば、「目撃供述」のいずれもが変遷を示していることは異常かつ不合理極まりないものであって、これを「その内容に変遷が認められるものの」という一節で片付けることは断じてできないはずである。

また、第二に、関係者の供述は、「大筋で一致している」と判示しているが、何をもって「大筋」とし、「一貫している」とするかは全く不明瞭であるばかりか、むしろ「全く一貫しない」供述をもって「一貫している」と強弁しているにすぎない。たとえば、犯行後の被告人を横山のもとに連れてきた人物が「仲川崇雄」から「水野こと中川輝雄」に変遷している事実は、「大筋では一貫している」とは言えないはずである。また、血の付いたトレーナーの処分に関する横山供述は、「被告人が家に持ち帰った」「底喰川に捨てた」「まだ持っている」「荒川の土手に埋めた」と変遷を繰り返し、一貫性が全く認められないものであるにもかかわらず、原判決は何故か「その変遷は被告人の犯人性に関する横山の供述の信用性を損なうものとは言えず、被告人が犯人であることに合理的な疑念をさしはさむものとは言い難い」などとして横山供述を擁護している。ここに至っては、原判決は、合理的な判断から離れて独り善がりの論述を展開しているとの誹りを免れないものである。「血の付いたトレーナー」は、被告人と本件犯行を結び付ける重要な物証であり、横山が供述する「血の付いたトレーナー」が発見されていない以上、横山が供述する処分経過が変遷している事実は重大であり、「供述の根幹部分」すなわち「大筋」に相当する部分の変遷に他ならない。かかる重要なポイントを看過した原判決には重大な事実誤認があると言わざるを得ない。

第三に、原判決は、関係者の供述には「客観的な裏付け」が存在すると判示しているが、これも明白な事実誤認である。多数の登場人物が入れ替わり立ち替わり多数の立ち回り先を回っている本件「目撃供述」の関係部分について、裏付けが全くないことは極めて不自然不合理であると言うべきであり、これを看過した原判決は取消を免れない。

以 上