第二 非常勤裁判官制度とは何か

一 イギリスの非常勤裁判官たち

二 日本で考えられる非常勤裁判官モデル

 1  非常勤裁判官制度シンポジウム構成劇

 2 地家裁支部モデル

 3 幻の「阪神・淡路大震災に起因する民事調停事件の処理に関する特別措置法」

 4 民事調停主任

 5 合議事件には非常勤裁判官は向かないか

三 日本で非常勤裁判官制度を導入する意義

四 非常勤裁判官制度の法的スキーム

五 まとめ

第二 非常勤裁判官制度とは何か

 本章において、非常勤裁判官とは、裁判官と弁護士とを兼職し、裁判官としての執務形態が非常勤であるものを指すものとする(注2)。非常勤裁判官制度は、弁護士会が思いつきで提唱している机上の空論ではない。歴史的に存在している制度である。非常勤裁判官制度を論ずるにあたって、まずそのイメージを持っていただくためにも、イギリスにおける制度を概観しておこう。

一 イギリスの非常勤裁判官たち

 非常勤裁判官は、そもそもは、英米における「パートタイムジャッジPart-time Judge」を邦訳したものである。ところで、英米と一言で言っても、イギリスのパートタイムジャッジとアメリカのそれとは全く実態が異なっている。アメリカのパートタイムジャッジは、退職裁判官Retired Judgeや、連邦治安判事裁判所でしか活用されていないようである。それに対して、イギリスでは非常に広範にパートタイムジャッジ制度が採用されている。

 イギリスのパートタイムジャッジを日本に紹介した当初は、「パートタイム裁判官」と称していた(注3)。もっとも、こう言うと、裁判官がスーパーのレジの前で立っているようなイメージを想像する向きも多かった。パートタイムジャッジは、フルタイムジャッジFull-time Judgeに対応する概念であり、フルタイムで裁判官を務める代わりに、パートタイムで裁判官を務める制度である。それでは、パートタイムで裁判官を務めた残りの時間は何をしているかというと、一般市民として職に就いている者もいれば、弁護士として職務をしている者もいる。一般市民がパートタイムで裁判官をしているのが治安判事

Magistrate,Justice of the Peaceであり(注4)、弁護士がパートタイムで裁判官をしているのがここでとりあげようとする非常勤裁判官である。イギリスではレコーダー

Recorder やアシスタントレコーダーAssistant Recorder 等という官名で呼ばれている。彼らは弁護士の職務を本業とし(注5)、年間二〇日程度を裁判官として執務する。二〇日間と言っても、日本の法廷のように一か月に二日とか、二週間に一日だけ五月雨的に裁判執務をするのではなく、原則として二週間(一〇日間)連続して執務する。そして、このサイクルを年に二回こなすのである。イギリスでは公判Trialが開始されれば、陪審審理の影響もあり、連続開廷・集中審理・非並行審理が原則であり、二週間の間に一件終わればまた次の事件と幾つもの公判を連続して処理する(注6)。担当するのは、民事専門の弁護士であっても、刑事事件が原則である。このようなパートタイムジャッジがイギリスにレコーダー八五六名、アシスタントレコーダー三九八名の合計一二五四名(一九九四年末現在)おり、クラウンコートCrown Court(刑事法院)の全開廷日数の三〇%(注7)、同裁判所の全事件数の二一%を処理している(一九九四年)。

 それに対し、このようなパートタイムジャッジに対応するフルタイムジャッジは、ロードジャスティスLords Justice 二九名、ハイコートジャッジHigh Court Judge 九五名、サーキットジャッジCircuit Judge 五〇四名の合計六二八名(一九九四年末現在)にしかすぎない。そして、フルタイムジャッジは、このようなパートタイムジャッジの経歴を経て選任されていくのである。

 イギリスは法曹一元の母国であり、裁判官は弁護士からのみ選任されていくのであるが、フルタイムの法曹一元裁判官という氷山の頂上の下には、このように広範なパートタイムジャッジ層がいるのである。イギリスの法曹一元を考えるにあたっては、この水面下に隠れたパートタイムジャッジ制度を抜きにして法曹一元はあり得ないことに注意しなければならない。まさにパートタイムジャッジ制度がイギリス法曹一元の根幹を支えているのである(注8)。

二 日本で考えられる非常勤裁判官モデル

 非常勤裁判官のイメージを具体的に持ってもらうために、まず母国イギリスの状況を概観してみた。それでは、日本ではどのような非常勤裁判官が考えられるのか。非常勤裁判官制度の意義や憲法・裁判所法との整合性を検討する前に、まず具体的なイメージを共有してみたい。

 1  非常勤裁判官制度シンポジウム構成劇

 一九九四(平成六)年七月に日弁連が主催した「非常勤裁判官制度シンポジウム」(注9)は、地裁支部における民事・少額・単独事件を担当する非常勤裁判官のイメージを打ち出していた。法服を着ずに、ざっくばらんで、親しみやすい雰囲気で、両当事者から主張を細かく聞き出し、そのような充実した弁論の後に集中証拠調べを行い、即日結審して、和解ないし判決を言い渡すイメージである。執務スタイルは、イギリスと同じく集中審理であるが、隔週一日執務で、担当事件を最初から最後まで処理する(すなわち、訴状審査から判決・和解に至るまで)。少額事件に限定しなくても、複雑でない通常単独事件で、即日結審可能な事件であれば同じように処理できるのではなかろうか(注10)(注11)。また、民事保全事件や民事執行事件、刑事通常単独事件や刑事令状事件、家裁甲類審判事件なども、同じように非常勤裁判官による即日処理が可能だと思われる(注12)。

 問題は、即日で処理できず、続行期日を指定しなければならない場合や、期日外に判断を要する事項(たとえば、期日の変更申請や刑事事件の勾留関係の処理等)である。しかし、これについても執務予定日以外であっても必要に応じて随時登庁するなり、裁判所外(要するに法律事務所)で処理することにすれば、克服できるのではなかろうか。現在でも、裁判官が常駐しない地家裁支部や簡裁では同じように処理されているのである(注13)。

 2 地家裁支部モデル

 日弁連司法問題委員会では、非常勤裁判官制度の議論をするなかで、自分の単位会で非常勤裁判官を実現するとしたら、どのようなモデルが考えられるか検討をしてみた。そこで、岩手弁護士会水沢支部の会員や仙台弁護士会の会員から一つのシュミレーションが呈示された。

 盛岡地家裁水沢支部では、常駐の裁判官はおらず、盛岡地家裁から二名の裁判官がそれぞれ週に一日ずつ填補に来るだけで(水沢簡易裁判所には常駐裁判官が一名いるが、地家裁兼任ではないため地家裁事件は処理できない)、民事(保全、破産を含む)、刑事、家事事件のすべてを処理している。調停事件が多いことから、調停期日は大変込み合い、無駄な待ち時間が非常に長いという。そこで、仙台弁護士会から(水沢は仙台と盛岡の中間であり、また岩手弁護士会自体会員数が少ないため、隣県の仙台弁護士会から派遣することを検討した)一人でもよいから、非常勤裁判官が週一日配属されて、家事調停、民事調停、民事保全及び破産事件を担当するようになれば、事件の処理スピードが大幅に改善されるという。

 また、仙台地家裁大河原支部では、仙台地裁裁判官一名が週二日、仙台家裁裁判官三名のうち誰か一名が週一日填補に来て事件処理をしている。事件数はさほど多くないから一般民事・刑事事件では深刻な問題は生じていないが、緊急を要する民事保全事件・破産事件や、家事調停事件では問題があるのではないかと心配されている。そこで、水沢支部同様、仙台弁護士会から一人でもよいから、非常勤裁判官が週一日配属されて、民事保全、破産、家事調停事件を主として担当し、一般民事・刑事事件も必要に応じて取り扱うようにするならば、住民に対する司法サービスは大幅に改善されるという。

 地方小規模地家裁では、本庁に裁判官が六、七人、支部には裁判官が一人しかいないというところが多い。この陣容で、民事事件も刑事事件も行政事件も家事事件も少年事件も処理している。そればかりか、水沢支部や大河原支部で見たように、常駐裁判官がいない地家裁支部はごく普通である。これらの地家裁庁の裁判官は裁判官非常駐支部への填補もしなければならない。大都市に比べれば事件数は少ないのかもしれないが、種々雑多な事件をこれだけの人数で処理できるのだろうか。今、最も裁判官が必要とされているところは、このような地方小規模地家裁・支部であろう。ところが、最高裁判所は、現在、裁判官を地方・支部から都心部に集中配置する政策をとっている。最高裁判所がいうには、事件数に応じて裁判官を配置しているに過ぎず、それも地方に手厚く配置しているのだという。しかしながら、現実には、地方・支部からはどんどん裁判官が減員されており、裁判官がいないからまとまるべき調停がまとまらず、口頭弁論ですら数か月先、証拠調べに至っては半年先といった状況すら生じている。だから、一層地方・支部では事件数が減る。悪循環の繰り返しである。事件が少ないから暇かというとそうではない。事件数は少ないが異種雑多な事件を取り扱うのと、事件数は多いが同種定型的な事件を取り扱うのとどちらが大変かと言えば、前者の方が負担が重い。事件数の多寡だけで裁判官の配置を変更するのは、裁判官の負担を増やすばかりか、地方・支部の住民の「裁判を受ける権利」を侵害する。そこに、非常勤裁判官を地家裁支部に配置する意義がある。最高裁判所としても裁判官の負担が減って助かるはずである。住民から最も必要とされるところに、弁護士会自身が裁判官を送り出すこと、弁護士会が最も求められていることではないだろうか(注14)(もっとも、その前にまず弁護士過疎を克服しなければならないが)。

 

 3 幻の「阪神・淡路大震災に起因する民事調停事件の処理に関する特別措置法」

 一九九五(平成七)年一月一七日、阪神・淡路大震災が発生した。死者五〇〇〇人以上、家屋損壊一〇万件以上に及び、近畿弁護士会連合会の各弁護士会の法律相談には借地借家(罹災都市借地借家臨時処理法)、建築請負、ローン、破産等様々な法的相談が殺到した。これがそのまま調停・訴訟事件として提起されれば、現行の裁判所の執務体制の下では処理しきれないことが予想された。関東大震災の時ですら、東京市内十数か所に「借地借家調停委員会出張所」が増設され、震災後三か月で約二〇〇〇件、一年で約九〇〇〇件の調停が成立したという。阪神・淡路大震災ではそれ以上に法的紛争の激増が予想された。そこで、日弁連司法問題対策委員会では、裁判所がこれに対して迅速かつ適正に対処するための法的スキームとして非常勤裁判官制度の活用を考えた。

 罹災地借地借家事件は、裁判所に提訴されると、まず調停に付される(罹災都市借地借家臨時処理法二三条)。そして、罹災地借地借家調停事件についても民事調停法が適用され、調停主任一人と民事調停委員二人の三人で構成される調停委員会が調停を行う。民事調停委員は弁護士その他市民の中から任命され、現行法の採用する数少ない市民の司法参加制度の一つであるが、調停委員会の一員としてしか行動できない。それに対し、調停主任は裁判官の中から指定されることになっている(民事調停法七条一項)。さらに、裁判官は調停委員とは異なり、単独でも調停を行うことができ(同法五条一項但書)、調停委員会の調停が成立する見込みがない場合でも、裁判所として調停に代わる決定をすることができる(同法一七条)。先に調停委員会は三人で構成されると述べたが、実際には、調停は調停主任不在で進められ、最終的に調停が成立または不成立になるときにだけ調停主任が出席するのが通常である(調停主任の数が少なく、調停事件全件に立会できる余裕がないから、というのが実際の理由である)。したがって、調停が当事者の間でまとまっていても、逆に調停がまとまりそうになくても、調停主任が来るまで当事者も民事調停委員も待っていなければならない。非効率きわまりない話である。事件が激増することが予想され、普段にもまして機動性が要求される震災関連事件では到底耐え難い。

 そこで、日弁連司法問題委員会では、「阪神・淡路大震災に起因する民事調停事件の処理に関する特別措置法」を制定し、「阪神・淡路大震災に起因する民事調停事件(民事調停法による調停の申立のなされた事件。同法二〇条や罹災都市借地借家臨時処理法二三条による調停事件を含む)の処理にあたっては、地方裁判所は弁護士の中から、調停主任または民事調停法五条一項但書(注:単独調停)もしくは同法一七条(注:調停に代わる決定)に定める裁判官の職務を行う者を指定することができる。」(いわゆる臨時調停主任官)との条文を盛り込むことを検討した。

 裁判官に代わって多数の弁護士が臨時調停主任官となれば、調停期日も機動的に入り、現地調停・単独調停・調停に代わる決定を活用して円滑な事件処理が可能となるものと期待された(もっとも、多忙な弁護士が臨時調停主任官となれば、かえって機動性が阻害されるおそれもあるが)。それに、このような特別立法によれば、民事調停法そのものを改正する必要もなく、また端的な非常勤裁判官制度の導入とは異なり、弁護士に裁判官資格を付与するのではなく、裁判官の職務代行権限を与えるものにすぎないから、裁判所職員定員法や裁判官の報酬等に関する法律の改正も必要ではない。いわば検察事務官が検察官の事務を取り扱う(注15)のと同様であり、問題はないと考えられた。

 ところが、今までのところ「阪神・淡路大震災に起因する民事調停事件の処理に関する特別措置法」は幻に終わろうとしている。その原因は、震災関連調停事件の伸び悩みである。神戸簡易裁判所における震災関連調停事件数は、一九九五(平成七)年一月から一一月末日まで計一三五九件(震災関連外も含み全件累計二〇一三件で前年比一三五・四%増である(注16)。これが当事者間で法的紛争が円満に解決されている結果、申立件数が少ないのであれば言うことはないが、そうではない要因で申立が阻害されているのであれば問題である。調停申立件数の伸び悩みの原因が裁判所の調停能力に対する市民の不信の現れでないことを祈るばかりである。

 いずれにしても、調停申立激増から裁判所の調停処理能力がパンクし、臨時調停主任官を設けざるを得なくなり、それが弁護士調停主任制度そのものへと発展し、さらにはそこを突破口として非常勤裁判官が導入されるというシナリオは幻に終わった。

 4 民事調停主任

 震災関連の臨時調停主任官は不発に終わったが、弁護士調停主任制度はあっても良いのではないだろうか。現在、弁護士は、民事・家事調停委員として調停委員会の一員として司法参加している。弁護士が調停委員として関与するときは、割り当てられた事件の調停の成立に向けて大いに努力し、一か月に一回程度のペースで最後まで付き合い、調停条項のチェックも行っている。

 東京弁護士会司法問題対策特別委員会が一九九二(平成四)年に東京弁護士会推薦の調停委員・司法委員(合計四一〇名)を対象としてアンケート調査を行ったところ、調停委員の平均手持事件数は六〜一〇件程度、一か月平均の執務時間数は六〜一〇時間程度であり、中には事実調査や調停に代わる審判・決定に関与した経験を有する者もいた。そして、調停委員・司法委員の経験を踏まえて非常勤裁判官についての意見を求めたところ、非常勤裁判官の導入に賛成する者が大半であり、調停委員・司法委員制度を活用して、まず調停手続に非常勤裁判官制度を導入することを求める意見が多かった。

 このように、弁護士はすでに、調停主任ないし家事審判官の職務(注17)を事実上行ってきているのである。これを制度として正式に認知してはどうだろうか。

 ところで、民事調停の弁護士調停主任制度については、実は一九七四(昭和四九)年の民事調停法改正の臨時調停制度審議会答申には、「練達の法曹有資格者を非常勤の裁判所職員たる調停主任官(仮称)に任命し、民事調停における調停主任の職務を行わせることができるようにすることの可否を慎重に検討すること」と指摘されていた。すなわち、既に最高裁判所の側から非常勤の「弁護士調停主任官」制度構想が示されていたのである。ところが、当時の日弁連は、司法調停の本質は裁判官の関与にあるとして「弁護士調停主任官」制度に反対した(注18)。

 しかし、民事調停の本質は、民事紛争を当事者の互譲により、すなわち市民社会の私的自治のルールに忠実に、当事者の交渉と合意により解決することを目的として、調停委員会が法的見地と社会的見地から当事者の交渉と合意の斡旋・促進を図るものなのであるから、裁判官が必ずしも関与しなければならないものではない。かえって、裁判官を調停主任に固定したことで調停主任不在の調停手続が常態化し、あるべき民事調停手続の発展が妨げられてきたのである。むしろ、めざすべきは、本章冒頭に述べたように、紛争の性質・内容にふさわしい適切な手続的保障を伴った多様な紛争解決チャンネルを整備することなのである。そのためには、正面から弁護士を民事調停手続の主宰者=調停主任とすることを是認すべきである。

 そのための法的スキームとしては、臨調審答申にあるような「調停主任官」という新たな官職を設けなくても、調停主任を裁判官に限定している民事調停法七条一項を改正し、「調停主任は裁判官または弁護士の中から地方裁判所が指名する」(傍点筆者)というように、「または弁護士」を付け加えれば足りるのである。そうすることによって、弁護士が調停主任として調停委員会を主宰することができる。ところで、現状でも、弁護士が調停委員として関与しているのであるから、二人目の弁護士を調停主任とすることに意味があるのかという疑問もあろう。しかし、弁護士調停主任が制度化されたときには、弁護士は一年間程度調停委員の経験を経て研鑽をした後は、もっぱら調停主任として調停にかかわるのである。調停委員は二名とも市民から任命される。そのうちの一人は、不動産鑑定士の資格を有する等専門家委員となることもあろう。弁護士と市民二名から構成される調停委員会は、市民の司法参加の趣旨に則り、裁判官からの監督から解き放たれて、自ら責任を持って、調停前の措置を講じたり(民事調停法一二条)、事実調査・証拠調べを行い(同規則一二条)、生き生きと紛争解決に努めることだろう。

 同じことは家事調停についても言える。「調停は、家事審判官一人及び家事調停委員をもって組織する調停委員会がこれを行う」と定める家事審判法三条二項、二二条一項を改正し、民事調停法と同様に、「調停は、調停主任一人及び家事調停委員をもって組織する調停委員会がこれを行う。調停主任は裁判官または弁護士の中から家庭裁判所が指名する」と定めればよいのである。

 さらに、弁護士が調停主任の権限の範囲を超えて、民事調停法や家事審判法が裁判官に付与している権限(裁判官による単独調停、調停に代わる決定・審判等)を行使するには、弁護士が非常勤裁判官として、裁判官の資格に基づいて行うこととなる。調停主任の経験まで持った弁護士が非常勤裁判官として民事調停法や家事審判法が裁判官に付与している権限を行使するのは、困難なことではあるまい。

 

 5 合議事件には非常勤裁判官は向かないか

 これまで、非常勤裁判官の関与形態として、もっぱら非常勤裁判官が単独で事件処理をする場合を考えてきた。合議事件には非常勤裁判官は適さないのであろうか。山下薫教授は、合議の慣行を崩すおそれがあるばかりか、陪席裁判官は判決起案や当事者との連絡折衝にあたるのだから、細切れ的処理では事件処理ができないという理由から、非常勤裁判官の合議事件への関与は無理ではなかろうかと言われる(注19)

 しかしながら、関与する事件を数件に限定し、かつ予め合議時間を指定確保するならば(フルタイムの裁判官はそれ以外にも日常的に事実上の合議をするのであろうが、それとは別に)、決して合議事件に非主任陪席裁判官として関与することを不適当と考える理由はない。期日外の決定等は、書記官を通じて電話連絡で非常勤裁判官の意見を聴取すれば足りるのである。非主任裁判官ということについては、それであれば非常勤裁判官が関与する意義はないのではないかとの疑問、あるいはそこまでして非常勤裁判官を合議事件に関与させる必要はないのではないかとの疑問もあろうが、たとえ主任裁判官ではなくても、弁護士の経験を踏まえた意見・視点を合議に持ち込むことの意義はやはり非常に大きい。異質な経験・能力を有する者が合議に参加することにこそ合議事件の真骨頂があるのではなかろうか。

 さらに、単独事件よりも複雑な事件が予定されている合議事件にこそ、非常勤裁判官の社会的経験や専門的知見を活かすことが望まれているのであるし、官僚裁判官が三、四年で異動することを考慮すれば、非常勤裁判官はその事件が終結するまで関与するのであるから、かえって直接主義を満たすことになり、心証の断絶を防ぐことができる。また、非常勤裁判官の欠点となることが予想される訴訟指揮や判決起案の不慣れ(とりわけ主任裁判官として判決起案を担当しないときは)からも解放される。少なくとも新任非常勤裁判官の研鑽の場として、合議事件への陪席関与は適切であろう。

三 日本で非常勤裁判官制度を導入する意義

 以上検討してきたように、日本でも様々な形態の非常勤裁判官制度が導入しうることが分かっていただけたと思う。それでは、日本で非常勤裁判官制度を導入する意義はどことにあるのだろうか。もちろん、非常勤裁判官制度の導入の意義は、裁判官不足を解消して市民の裁判を受ける権利を実質的に保障するとともに、司法の民主化を推し進め、法曹一元を実現することにある(注20)。

 しかし、ここで留意しなければならないことは、「非常勤裁判官制度とはこういう内容のもので、こういう意義を有するものである」という定式はないということである。陪参審が各国の歴史的所産であるように、官僚司法制度も日本の法文化・社会特質に即応した歴史的所産であり、非常勤裁判官制度も特殊日本的な制度なのである。大陸法系システムに非常勤裁判官制度が存在しないのは、「大陸法系だから」ということではなく、その国の弁護士の質・量・業務形態に起因しているのであろう。

 日本の弁護士は、人数は必ずしも多くないものの、その質は高く、統一修習制度の結果、裁判官・弁護士の間の同質性も確保されており、何よりも法廷活動を業務活動の中心とするものであるだけに、イギリスのバリスターと近似性が認められる。フランスやドイツではこのような条件は認められない(注21)。逆に、英米法系システムであっても、アメリカでは必ずしも非常勤裁判官制度が発達していないのは、フルタイム裁判官(もちろん、法曹一元裁判官)の数が十分であるとともに、弁護士の業務スタイルがアドバーサリー・システムに順応しきっている(いわば党派性が強い)からではないだろうか。このように考えてみると、日本では非常勤裁判官制度を導入しやすい素地があると言えよう。

 近時、規制緩和論との関連で官僚批判が高まっているが、官僚機構改革の方向の一つとして民間人など異質の人材を活用することが提唱されている(注22)。裁判所においても然りである。いやむしろ、官僚司法制度こそが最も純粋な官僚機構であり、最も硬直しているのであって、この分野でこそ民間人の活用が最も必要とされていると言えよう。そして、その方策として一番簡便なのが非常勤裁判官であり、弁護士任官なのである。

 裁判所でも、裁判官と検事との間の人事交流(いわゆる判検交流)や、裁判官の国内研修の一環として民間企業・報道機関・法律事務所などでの研鑽もなされているが、これなどは、裁判所と法務省との人事の一体化であり、また一部のエリート裁判官のみの研鑽にすぎず、何ら官僚司法制度の弊害の除去には役立っていない。行うべきは、大多数の裁判官が継続的に在野の活動を経験することなのである。その意味で、非常勤裁判官制度は、弁護士が非常勤「裁判官」として裁判所の中に多数入っていくことを求めるものであるのみならず、キャリア裁判官が非常勤「弁護士」として活動することを認めていくことにもつながろう。

四 非常勤裁判官制度の法的スキーム

 それでは、日本で非常勤裁判官制度を導入するためにはどのような法的スキームが考えられるのか。それとも、憲法上、非常勤裁判官制度を導入することは困難なのであろうか。

 結論として、憲法上、裁判所法上、非常勤裁判官は禁じられておらず、現行法のままで(但し、裁判所職員定員法、裁判官の報酬等に関する法律の改正(注23)は必要である)非常勤裁判官制度を導入することは可能であると考えられる。それは、非常勤裁判官を、憲法、裁判所法上の裁判官としてキャリア裁判官と同じシステムで採用されるものとし、裁判所法五二条二号により最高裁判所から弁護士業務を行うことの許可を得るものとするのである。憲法・裁判所法上の「裁判官」は、官=資格・地位・身分であって、常勤か非常勤かという執務形態とは別であり、「常勤裁判官」でなければならないというものではない(注24)。したがって、裁判官の職務が本職なのか、弁護士の職務が本職なのかは(要するにどちらに従事している時間が長いか)は、裁判所法五二条二号の兼職許可にあたっても区別されるものではない。 

 憲法は、「すべて裁判官は、その良心に従い独立して職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法七六条三項)と定め、また下級裁判所裁判官の任期は一〇年とする身分保障規定をおく(同八〇条一項)。この規定は、裁判官の職権行使の独立を保障するための規定であって、このことから裁判官が常勤でなければならないことが導かれるものではない。それでは、弁護士が裁判官として裁判事務を行うことが、裁判官の職権行使の独立性に反するか。これも否である。非常勤であっても、裁判官として裁判事務を行う場合は、当然、憲法及び法律にのみ従い、公平無私な態度で審理に臨むものであるから、非常勤裁判官は憲法の規定には何ら違反しない。もし問題があるとすれば、非常勤裁判官による裁判は「裁判の公正」を害するのではないかという点であろう。この点は、次に述べる裁判所法の兼職禁止の理解にかかわる。

 裁判所法五二条が裁判官の兼職を原則禁止しているのは、「いやしくも裁判官であって、一部の党派に動かされあるいは私的の利益にいざなわれているかのごとき印象を与える行動があるならば、その裁判官による裁判官、ひいては裁判制度全般に対する国民の信頼を失わせ、法治国家の組織を危うくすることにもなりかねない。そこで、本条においては、裁判官の公正かつ廉潔な地位を守るため、これを傷つける行為を列挙した」ものとされ(最高裁判所事務総局編『裁判所法逐条解説』一七〇頁)、「報酬のある他の職務に従事すること自体は、必ずしも常に裁判官の公正、信頼を疑わせ、品位を害することでもなく、裁判官の地位にもとづく職務上の義務に矛盾しない限度において、許可されてよい場合がないではない。」(同一八〇頁)とされる。ところで、弁護士は、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命」(弁護士法一条)とし、勝敗にとらわれて真実の発見をゆるがせにしてはならず(弁護士倫理七条)、良心に従い依頼者の正当な利益を実現するものであって(同一九条)単に一方当事者の利益の代弁者ではないのであるから、弁護士が非常勤裁判官を兼職したとしても、何ら裁判官の公正、信頼を疑わせ、品位を害することはない。イギリスでも、アメリカでも、弁護士の非常勤裁判官が存在することはこのことを裏付けよう(注25)。とりわけ「正義は外から見て分かるものでなければならない」「外から見て裁判が公正に行われているということは公正さそれ自体と同じくらい重要である」として「裁判の公正らしさ」を重んじるイギリスにおいて、非常勤裁判官について裁判の公正らしさに対する疑問が全くないということは重要なことである。

 なお、弁護士法三〇条一項本文は、「弁護士は報酬のある公職を兼ねることはできない」旨定めるが、同条但書きによれば「常時勤務を要しない公務員」となることは許されているから、非常勤の執務形態をとる非常勤裁判官は、弁護士法上も問題がない。

このように非常勤裁判官制度は、現行法制の枠組みの中でも十分に実現可能であると考えるが、こと「市民の裁判を受ける権利」に関わるものであるだけに、裁判所法の中に明記するのが望ましいと言えよう。その場合は、たとえば次のような規定を新設するようなことになろうか。

「裁判所法五二条の二 弁護士の職を有していた者の中から判事、判事補または簡易裁判所判事に任命された者は、最高裁判所の許可を得て、常時勤務を要せず弁護士としての職務を兼ねることができる。」

 このようにして導入される非常勤裁判官は、権限において常勤の判事、判事補または簡易裁判所判事と同等である。司法行政上の権限も、常勤の判事らと異なるところはない(注26)。

 

五 まとめ

 非常勤裁判官制度は、決して実現不可能な課題ではない。非常勤裁判官制度が、市民の司法参加や自治体司法(注27)などと一緒に実現されるならば、日本の司法は本当に大きく変わるであろう。しかし、非常勤裁判官制度だけであったとしても、それが実現されたならば、裁判官不足を解消して市民の裁判を受ける権利を実質的に保障し、また司法の民主化を推し進め、法曹一元への道筋をつけるとともに、何よりも硬直した官僚司法制度の弊害を弱め、そこに在野の新鮮な息吹を入れてくれるだろう。それと同時に、非常勤裁判官制度は、弁護士にも新たな知識と経験を与え、弁護士自身にとっても限りなく貴重な経験となる。これらは、相まって弁護士と裁判官との間の信頼関係の醸成にもつながり、市民の「裁判を受ける権利」を保障し、日本の司法システム全体により健全な発展をもたらすことであろう。そして、それはやがて市民の司法参加などと結びついて行くことだろう。あるべき司法のために、きたるべき二一世紀には是非日本に非常勤裁判官制度を実現させたいと願うものである。

<(注1)「裁判を受ける権利」は、通常、具体的に、民事事件及び行政事件については、何人も自己の権利・利益が不法に侵害されていると認めるときは、裁判所に対して、その主張の当否を判断し、正当と認めるならば、その権利・利益の救済に必要な裁判をなすことを要求しうるという積極的内容を有し、また刑事事件については、裁判所の裁判によらなければ刑罰を科されることはないとの消極的内容を有すると説かれる(兼子一=竹下守夫『裁判法[第三判]』一四六頁)。しかしながら、現実には市民の裁判へのアクセスは極めて制限されているにもかかわらず、通説的理解の下では何ら「裁判を受ける権利」の侵害として理解されておらず、「裁判を受ける権利」は市民の権利保障には何の役にも立っていない。「裁判を受ける権利」は、単に裁判へのアクセス権にとどまらず、一定の内実を持ったものとして、裁判手続におけるデゥープロセスと実効的救済を受ける権利を保障したものと理解すべきである(松井茂記『裁判を受ける権利』(日本評論社)(一九九三年)。>

<(注2)>もっとも、このように定義づけをしたところで、「非常勤裁判官」というのは弁護士会における「造語」にすぎず、普遍的に理解されている概念ではない。それだけに、誤解も多く、最高裁判所に至っては、その内容を正確に理解しようともせずに、「憲法上疑義がある」と拒否反応を示しているほどである。

<(注3)坂井興一『パートタイム裁判官』判例タイムズ七九一号四頁、萩原金美『パートタイム裁判官制是非論』同八〇六号四頁、拙稿『パートタイム裁判官・再論』同八一四号四頁>

<(注4)イギリスの治安判事の数は、一九九四年中に新たに一五九三名任命され、同年末で三万八八名となった。彼らがイギリスの全刑事事件の実に約九八%を処理している。イギリスの人口が五七八〇万人(『朝日年鑑一九九五』)であるから、国民二〇〇〇人に一人が素人裁判官として裁判をしていることになる。 そして、治安判事の場合は、年間二六回以上(一回は半日単位)登庁することが義務づけられている。私が会った治安判事は、自分は自営業(自動車エンジニア)だから毎週金曜日の午前中に執務をしていると語っていた。彼らは実に生き生きと、刑事事件の事実問題・量刑問題を処理していた。ローカルガバメントの一端を担っているという感じであった。>

<(注5)イギリスの弁護士はバリスター(公判弁護士)とソリシター(事務弁護士)に区分されるが、一九七一年の法改正によって、バリスターのみならず、ソリシターからも裁判官となれるようになり、一九九〇年法によりソリシターからの非常勤裁判官採用が一層促進された。>

<(注6)二週間連続執務スタイルは、バリスターの執務形態とも合致しているが、ソリシターの場合も、二週間連続執務を原則としている。その間は、弁護士業務を一切やらないかというとそういうわけでもないらしく、日弁連で一九九二年にイギリスに視察に行った際には、あるソリシターは開廷日には二時間前に事務所に出て弁護士業務をこなしてから、裁判所に登庁していると語っていた。>

<(注7)クラウンコートに限定せずに、裁判所全体で見ても、レコーダー、アシスタントレコーダーの執務量は全開廷日数の一六%を占める。裁判所全体で見た場合の執務量が減るのは、ハイコートHigh Court やカウンティコートCounty Court と呼ばれる民事裁判所でのレコーダー、アシスタントレコーダーの執務量が少ないからである。なお、ここでの統計上の数字はいずれも、イギリス大法官府『司法統計年報JUDICIAL STATISTICS一九九四年版』による>

<(注8)イギリスの非常勤裁判官制度については、日弁連司法シンポジウム運営委員会外国調査団『開かれた司法をめざして』(一九九二年)五頁以下、庭山英雄『刑事裁判の活性化と非常勤裁判官』(福田・大塚博士古希祝賀・刑事法学の総合的検討(上)有斐閣)六四三頁以下、小島武司『非常勤裁判官制度と司法の課題』(法律時報一九九四年六六巻一一号二三頁以下)参照>

<(注9)このシンポジウムの詳細は、日本弁護士連合会司法改革推進本部・司法問題対策委員会『非常勤裁判官制度シンポジウム報告書』にまとめられている。>

<(注10)ここでは、現行の民事訴訟実務スタイルである短時間・五月雨式の審理モデルではなく、一日で充実した弁論を行い、集中審理を行うという審理モデルを前提としている。ただし、このような考え方に対しては、かえって当面の非常勤裁判官制度の導入を困難にすると思われるとの中尾弁護士の批判がある(中尾正信『民事訴訟と非常勤裁判官』(法律時報六六巻一一号四八頁)。同弁護士によれば、現行民事訴訟実務を前提としても、非常勤裁判官制度の導入は可能であるとする。>

<(注11)このように非常勤裁判官の審理モデルを集中審理型のものとすると、非常勤裁判官が担当する事件とキャリア裁判官が担当する事件とでは、審理方式が異なってくる可能性がある。しかし、本来、審理方式というのは訴訟法に基づいたものである限り、裁判官によって異なっていても何ら問題はないのであって(それが「裁判官の独立」の所以である)、裁判を受ける市民の平等を害するということはないと思う。しかし、制度発足当初は、市民の誤解やいらぬ混乱を招かぬよう、非常勤裁判官が担当する事件については第一回期日前に当事者の同意を得るということも考えられて良いだろう。当事者の事前同意の点は、東京弁護士会法友会政策委員会で非常勤裁判官制度の導入について議論した際に、小島武司教授から指摘がなされたポイントである。>

<(注12)前記「非常勤裁判官制度シンポジウム」で、山下薫教授(元東京高裁部総括判事)は、即日ないし短期間に処理できる裁判事務(執行・保全・令状・家事甲類審判・少年在宅)が原則的執務対象であり、多少継続する事件のうち調停主任、家事審判、簡裁少額民事・刑事は処理が可能であると述べておられる(前掲『非常勤裁判官制度シンポジウム報告書』四二頁以下)。

 なお、同教授は、『「非常勤裁判官制度」をめぐる日弁連のシンポジウムについて』(駿河台法学八巻一号一五〇頁)のなかで、地裁民事・刑事単独事件については、一回結審は例外に属するのだから非常勤裁判官が担当するのは無理ではないかと述べておられる。この点は、先の中尾弁護士とは方向を異にするが、現行民事訴訟実務を前提とする立場からの批判である。>

<(注13)民事・刑事訴訟事件を非常勤裁判官が担当するときに考えられる実務上の問題点については、前掲中尾論文、吉田勧『刑事訴訟と非常勤裁判官』(前掲法律時報四九頁)参照>

<(注14)この点は、前掲「非常勤裁判官制度シンポジウム」の閉会の挨拶でも、土屋公献日弁連会長も強調しておられた点である。ちなみに、同会長は、その挨拶の中で「非常勤裁判官制度の問題を司法改革の一番大きな目玉として進めていきたい」との力強い決意表明をされた。>

<(注15)検察庁法三六条は、「法務大臣は、当分の間、検察官が足りないため必要と認めるときは、区検察庁の検察事務官にその庁の検察官の事務を取り扱わせることができる。」と定めている。検察官となる資格のない者にも検察官の事務を取り扱うことを認めていることに対比すれば、判事(補)資格を有する弁護士に、民事調停法上の裁判官の職務代行権限を与えることはさして問題はないというべきであろう。>

<(注16)日弁連新聞二六五号一頁>

<(注17)家事調停の調停委員会は、家事審判官一人と家事調停委員二人以上で構成されることになっており(家事審判法二二条一項)、家事審判官は家事審判法に定める事項を取り扱う裁判官とされている(同法二条)。このように家事調停は、民事調停の場合と異なり、「調停主任」という用語は使われておらず、裁判官の関与が前面に押し出された形になっている。これは民事調停が民事紛争を対象としており、私的自治に委ねれば足りるのに対し、家事調停は人の身分に関する人事・家庭事件を対象とし、私的自治に全面的に委ねるのを適当しないことから、このような差異が生じているのであろう。しかし、この区別はあまりに観念的である。家事調停といえども調停であり、当事者間の交渉と合意を斡旋し、紛争の自主的解決を促進することを本質とするのであるから、弁護士が家事審判官に代わり調停を成立させることに問題はないと言うべきである。単独で職権を行使し得ない未特例判事補であっても調停委員会を構成する家事審判官足りうるのに、人間や家庭に関する深い洞察力を有する弁護士が調停委員会を主宰できないのは合理的な理由を欠くと言うべきであろう。>

<(注18)拙稿『民事調停と非常勤裁判官制度』(自由と正義一九九五年七月号六三頁以下)参照>

<(注19)前掲『非常勤裁判官制度シンポジウム報告書』四五頁、山下薫『「非常勤裁判官制度」をめぐる日弁連のシンポジウムについて』(駿河台法学八巻一号一五〇頁)>

<(注20)非常勤裁判官制度について、「弁護士からパート・タイムで裁判官になる制度をつくる場合、その目的と司法制度上の位置づけを明確にしなければならず、ただ裁判官が不足しているからこれを補うための手助けをするものとすれば、それは片手間意識をもって臨む気風が生ずるおそれがある。」(松井康浩『法曹一元論』(一九九三年)一六三頁)とか、「いまの司法官僚制に手をつけずにキャパシティーの増大だけを考えるのは、決して司法の民主化にならず、かえって司法官僚制の支配を私的セクターにまで拡大することになりかねない。現在の司法体制のもとで、さしあたりキャパシティの増大という点でいま注目されている非常勤裁判官制度も、果たして司法民主化の第一歩となりうるのか、それとも司法官僚制の支配を補完するものとなるのか、今後の運用が注目されている」(前掲『日本の裁判』二八八頁)との批判があるが、非常勤裁判官制度は単に裁判官の人数あわせの手段ではなく、本稿で述べるような意義を有するものであると考えられる。とりわけ筆者は、非常勤裁判官制度自体の最大の意義は、その導入形態がいかなるものであるにせよ、司法官僚制度の弊害を確実に弱める点にあると考えている。それは、非常勤裁判官制度の導入によって、裁判官にはいろんな人がおり、いろんな審理スタイルがあることが明らかになり、「裁判官はかくあるべき」式の固定的権威的なイメージが失われることだけでも、十分だと思うのである。司法が実現すべき「法の公正」は、平等・画一的であることよりも、妥当・個別的であることを、非常勤裁判官は分からせてくれるのではないだろうか。>

<(注21)もっとも、大陸法系システムであっても、ノルウェーは法曹一元制の国とされる(但し、一九二〇年から一九六九年までの間に判事職に任命された弁護士出身者は二七・八%にとどまるから、法曹一元と呼ぶには異論もあろう)し、スウェーデンでは、オープンシステムのキャリア制度が採用されており、一九七四年には政府系委員会から法曹一元への転換を提案する報告がなされたという(萩原金美『法曹一元(論)の試論的検討』神奈川大学法学研究所研究年報一九八三年五頁以下)>

<(注22)たとえば、日経新聞一九九四(平成六)年六月二三日朝刊の官僚三者座談会の席上で長岡実前東証理事長は、「官民の人事交流をもっとやるべきだ。官僚の社会の中で官僚だけが顔を突き合わせ、官僚同士だけで通じる言葉で話し合い、官僚の世界だけで通用するものの考え方をする人間集団になってはいけない。それには若いときに民間に行くべきだし、官側も民間の人に門戸を開放すべきだ。そして民間人が行政官を経験してみて仕事が向いていたら、最後まで官僚として過ごす道があってしかるべきだ。」と発言しているが、これなど官僚を裁判官に置き換え、民間を弁護士に置き換えればそのまま通用しそうである。また、脇山俊『官僚が書いた官僚改革』(産能大学出版部)(一九九四年)二一〇頁以下には、官僚改革の方向性として「(ア)本格的なスペシャリストと本格的なゼネラリストを養成する。(イ)民間人など異質の考えの人材を活用する。(ウ)人事異動の周期を長くする事により、担当の仕事についての経験を蓄積させるとともに、責任の所在を明らかにする。(エ)(略)(オ)重要な問題について長期的な観点から個人の立場で提案するための政治家、官僚、民間人の三者からなる研究チームを編成する。」という提案がなされている。>

<(注23)報酬額については、非常勤である以上、常勤を前提とする裁判官と同額の報酬というわけにもいかないであろうから、同期の裁判官と同程度の額の報酬をベースに執務時間を考慮して決定することとなろう。ちなみに、イギリスでは、一日単位で報酬が支払われており、一九九二年四月一日現在で、レコーダーは二九四ポンド(一ポンド二〇〇円で計算して約五万八〇〇〇円)、アシスタントレコーダーは二三〇ポンド(四万六〇〇〇円)であった。それに対し、レコーダーやアシスタントレコーダーに対応する常勤裁判官であるサーキットジャッジの年俸は六万一六〇〇ポンド(約一二三〇万円)であり、レコーダーの二〇九日分の額にあたるから、レコーダーはサーキットジャッジの年俸の日割り分をもらっている計算となろう。もっとも、日本で導入する場合は、制度がうまく軌道になるまでの間は調停委員の日当程度でも良いのではないだろうか。>

<(注24)前掲兼子=竹下『裁判法[第三版]』は、裁判官の職務専念義務として「裁判官は常勤の公務員として、職務に専念し忠実にこれを遂行しなければならない(国家公務員法一〇一条参照)。」(二五七頁)とするが、これは誤りであると思う。裁判官の職務専念義務は、常勤であることを求めるのではなく、裁判官として裁判事務を行うときはそれに専念しなければならないことを求めるものにすぎない。だからこそ、裁判所法には国家公務員法一〇一条(職務専念義務)に該当する規定が置かれておらず、裁判官の勤務時間に関する法律も定められていないのである。>

<(注25)アメリカでは、前述したごとく、必ずしも非常勤裁判官の数は多くはないが、「アメリカ法曹協会による新裁判官行為規範 The American Bar Association's New

Code of Judicial Conduct 1972」でもその存在は肯定されており、次のように規定されている(一般裁判資料一八号『アメリカ法曹協会による新裁判官行為典範及び弁護士責務典範』)。

「 兼業裁判官(part-time Judge)とは、継続して、また定期に勤務するが、法により(by law)他の職業に時間を割くことを許され、かつ、そのためにその報酬が専任裁判官(full-time judge)よりも少ない裁判官をいう。兼業裁判官は、

(1)範則5C(2)(他の報酬のある活動の禁止)、D(受託的活動の禁止)、E(仲裁の禁止)、F(弁護士業務の禁止)、G(司法外の任命の禁止)及び範則6C(裁判官報酬以外の報酬の公開)に従うことを要しない。

(2)自己が勤務する裁判所又はその裁判所の上訴管轄権に服するすべての裁判所において弁護士業務を行い、また自己が裁判官として扱った手続またはこれに関係するその他の手続において、弁護士として行動してはならない。」>

<(注26)もっとも、常勤の裁判官と非常勤裁判官とは、執務形態と報酬額が異なるだけで権限は何ら変わらないということでは、実現が極めて困難であるかもしれない。非常勤裁判官制度導入の意義を注20で述べたように考えるならば、弁護士が裁判事務を行うこと自体にも大きな意義があるのであるから、司法行政上の権限が導入のネックになるのであれば、制度導入当初は、司法行政上の権限はなくてもよいのではないか。>

<(注27)市民の参加する司法が「国家司法」である必要はない。むしろ司法の民主化を進めるのであれば、「自治体司法」もその視野に入れられるべきであろう。もっとも、地方分権論議がかまびすしく、地方分権推進法が制定された今日にあっても、「司法」は外交、防衛等と並ぶ「国家の存立に直接関わる政策に関する事務」として捉えられているようである。公法学会でも、「地方自治の本旨」の中に自治体司法権が含まれないことは当然視されているようである。しかしながら、自治体司法権の提唱は、鴨野幸雄『憲法学における「地方政府」論の可能性』(金沢法学二九巻一・二号四四三頁以下)、同『地方自治論の動向と問題点』(公法研究五六号二三頁)、中川剛『地方自治体の司法権』(自治研究五四巻一号六七頁以下)、手島孝『憲法学の開拓線』二六八頁によってなされているところである。最近では、篠倉満『司法と地方自治』(熊本法学七九巻九七頁以下)(一九九四年)が陪審制度をとることを条件に裁判官、検察官の人事を含め司法に関する事務を地方自治体の仕事として降ろすことを提言していることが注目される。篠倉教授は、司法に関する事務は本来国だけがやらなければならないものではなく、わが国でも地方自治体が司法に関する事務を行った歴史があり、明治になって国が司法に関する事務を独占的に掌握するようになったのだと指摘する。自治体司法については、また機会を改めて論じてみたい。>