殺しと恋とギャンブルと

(ドナルド・E・ウェストレイク『ギャンブラーが多すぎる』巻末解説)

ギャンブラーが多すぎる  

本書『ギャンブラーが多すぎる』Somebody Owes Me Money のオリジナル・ハードカヴァーはランダム・ハウス社(現ペンギン・ランダム・ハウス社)から一九六九年に刊行された(ランダム・ハウスからドナルド・E・ウェストレイクが本名で出すハードカヴァーはこれが最後だが、このあと、リチャード・スターク名義で悪党パーカーものや、タッカー・コウ名義で元刑事ミッチ・トビンものをランダム・ハウスから発表した。そして、七一年に当時NAL(ニュー・アメリカン・ライブラリー社、現バークリー/ペンギン・ランダム・ハウス)の一部であったシグネット・ブックスからペイパーバック版で再刊された。  

ハードカヴァー版やペイパーバック版の著作権ページにこういう但し書きがついている。A condensed version of this novel was serialized in Playboy(この小説の短縮版は《プレイボーイ》に連載された)。調べてみると、当時非常によく売れていた男性雑誌の《プレイボーイ》六九年七月号と八月号に短縮版が二回にわたって分載されていたのだ(しかし、掲載される小説のほとんどは、内容がエロティックでもポルノグラフィックでもない)。一九六九年は、この解説子がちょうどアメリカ中西部の大学から北東部にあるニューヨークの大学に転学した年であり、本書を読むと当時の街の様子が懐かしく思い出される。  

それに、本書には映画版があるのだ。 厳密には、超短篇映画化である。映画タイトルは Baby, I Got Your Money で、監督・脚本はジャック・ガタネラ。チェット役はプシェメク・セレムコ、アビー役はプロデューサーでもあるオードリー・ロレア。二〇一二年製作で、上映時間はたったの五分なので、本当の映画化とは呼べない。YouTube にも映像をアップロードしていない。IMDbによると、タクシー運転手のチェットが殺人現場を目撃する。そのあと、美人の客を乗せると、後頭部に銃を突きつけられる、というところまでしか、ストーリーの説明はない。  

本書は著者がドナルド・E・ウェストレイク名義で発表した長篇第十一作に当たるコミカル・ミステリーである。一九六〇年代後半のアメリカ文化(あるいはニューヨーク文化)に詳しくない読者の皆さんに理解していただくために、まず簡潔な説明を付け加えることしよう。

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献辞は、「本書を肩書きの付いた男/ジョー・ゴールドバーグに捧げる」(3 頁)とあるが、このゴールドバーグ(一九三二〜二〇〇九)はジャズ批評家であり、ウェストレイクの古くからの友人だった。これだけでは短すぎて愛想がないので、あとで改めてかなり長くこの興味深い人物を紹介しよう。  

第一章で、「(競馬新聞である)《テレグラフ》の欄外のスペースで複雑な割り算をした。きっちりと二十二対一、つまり二十三倍のオッズだ」(13頁)とある。日本とアメリカ及びイギリスのオッズの計算方法が異なるので、注意していただきたい。22対1 のオッズで的中したときには、[1(購入単位)+ 22(配当)÷ 1(購入単位)]× 1(掛け金)で合計23が払い戻される。これが日本のオッズでは、百円の購入額で二十三倍の二千三百円が払い戻されることになる。  

第六章で、「アーヴィング・ファルコね」とチェットがターボックに言ったあと、「だが、おれたちがあいつをシッドと呼ぶのは、ある映画の中で……」(57頁)と説明するが、そこで黙らせられる。ここの“ある映画”とは、たぶんダシール・ハメット原作、ジョン・ヒューストン監督の《マルタの鷹》(原題は The Maltese Falconで、たいていは“マルティーズ・ファルコン”と発音)ではないだろうか。その映画では、シドニー・グリーンストリートがガットマン役を演じる。“あいつ”の姓“ファルコ”から“マルティーズ・ファルコン”を連想し、そのあと、シドニー・グリーンストリートを連想し、シドニーの愛称“シッド”を連想したと見当をつけたのだが、見当外れかもしれない。  

第七章で、チェットは「ほかにすることがなくて、マーガレット・オブライエン主演の古い競馬映画を11チャンネルで観ていたのだが……」(69頁)、この映画は、たぶん五六年公開の《稲妻グローリー》だろう。この競馬レースとはケンタッキー・ダービーのことで、例年五月の第一土曜日にケンタッキー州ルイヴィルのチャーチル・ダウンズ競馬場で行なわれる。  

第十一章で、レオは「ディーラー役を務めて、ガッツ・ポーカーのカードを配った」(130頁)とあるが、この“ガッツ・ポーカー”にはいろいろなヴァリエーションがあり、ここでは“二枚ずつ裏向きに配る”もっともポピュラーなゲームだろう。プレイヤーがまずアンティ(参加料)をポット(テーブルの中央)に出す。ディーラーがプレイヤーに二枚ずつ裏向きに配る。ワンペアが最高の役になる。
 ポーカー・ゲームでよく使うほかの用語を簡単に説明しておこう。
 スート(またはスーツ):組札、カードの種類。ハート、ダイアモンド、クラブ、スペードの四種類。
 ディール:カードを配ること。
 ベット:賭け金を出すこと。
 コール:相手方のベットと同額の賭け金を出すこと。
 レイズ:賭け金を吊り上げること。
 フォールド:おりること。
 アップ・カード:表向きにしたカード。
 ダウン・カード(もしくはホール・カード):表を伏せた裏向きのカード。
 ショウダウン:持ち札をすべて見せること。
……まあ、これだけわかれば、本書は楽しめるだろう。
 

第十二章で、「じつのところ、おれはサニー・ダラーズくじをやってるんだ」(137頁)とチェットがアビーにためらいがちに言う。この“サニー・ダラーズくじ”は現在存在しないので、複数のわずかな情報から見当をつけてみる。六〇年代後半にサノコ石油(サン・オイル・カンバニー Sun Oil Company の略)のスタンドで客たちに配った“くじ”で、“サニー”と書いた左半券と“ダラーズ”と書いた右半券(いずれも中身がすぐに見えないように密閉されていた)を客たちに配っていたのだろう。折り畳んだサニー半券かダラーズ半券には、一ドル、二ドル、五ドル、百ドル、千ドルのいずれかの金額が書いてあった。同じ金額を書いたサニー半券とダラーズ半券をスタンド従業員に見せれば、その金額を獲得できるという“くじ”だが、なかなか揃うことはなかったという。  

第二十一章で、チェットとアビーは週末に「ジン・ラミーやオーヘルをやり、得点を記録するクリベッジ盤を見つけると、クリベッジを」(231頁)やる。ジン・ラミーは人気のあるカード・ゲームなので、説明は不要だろうが、“オーヘル”(ほかに“オーヘック”とか、ワイセツな卑猥語の別名もある)と“クリベッジ”についても簡潔に説明できると容易に考えたが、門外漢の解説子には無理だと実感した。申し訳ないが、興味のある方はネットか専門教則本で調べていただきたい。  

第二十二章で、チェットは「自分がネロ・ウルフになったような気分だよ。おれはこのアパートメントから一歩も出る必要がなくて、遅かれ早かれ、このいまいましい騒ぎの関係者全員がおれを訪ねてきてくれる」(240頁)と言う。ネロ・ウルフはレックス・スタウト(一八八六〜一九七五)が創造した巨漢のグルメ探偵で、ニューヨークのウェストサイドに住み、屋上で蘭を育てている。アーチー・グッドウィンが秘書兼外勤調査員を務め、ウルフ自身はめったに自宅のビルディングから外出せず、ほとんどの作品の最後で関係者を自宅に集めて、優れた推理力で真犯人を突きとめる。  

第二十五章で、「(チェットが拳銃を悪党どもに)見せたら、あなたは鉛の弾をたくさん撃ち込まれるから、あたしたちはあなたの体に黄色のペイントを塗って、あなたを巨大な鉛筆として使えるわ」(288頁)とアビーは言う。大部分のアメリカ人にはわかっても、日本人にはわかりにくいだろう。アメリカ人の使う鉛筆のほとんどは鉛筆の芯を保護する木の外側を黄色く塗ってあるのだ。芯の材料である良質の黒鉛が中国で採れ、中国では黄色が高貴な色と見なされているからだという。もちろん、すべての鉛筆が黄色いわけではないし、中国産の黒鉛が最良だとは限らない。  

黒鉛(石墨ともいう)は純粋に炭素でできた物質で、かつては鉛からできていると考えられていた。そして、鉛筆の芯はかつて有毒性のある鉛でできていた。一方、銃弾のほとんどは安くて重い鉛でできているので、銃弾を人体に撃ち込んでも、鉛筆にはならないが、これは誤解に基づく冗談なので、寛容な気持ちでにやっと笑って先に進んでくだされ。  

第三十六章で、「もしローボール・ポーカーをしてたら、今頃おれはニューヨーク州を所有していることだろう」(391頁)とダグが言う。“ローボール・ポーカー”とは、最弱のカードを持ったプレイヤーが勝つポーカーの変則形なので、ダグがその前に、「素晴らしい手だし、すごい手だ」と言ったのは、冗談のはずだ。  

第三十七章で、「夜に吠えなかった犬の話を覚えてるかい?」(409頁)とチェットがアビーに尋ねる。そう、この“夜に吠えなかった犬の話”とは、ネタバレをさけるために、教えられないが、ある有名な作家の有名な作品を指しているとだけ言っておこう。ここを先に読んだ人は、その名作のプロットをすぐに忘れるようにお勧めする。  

疑問箇所の説明がいちおう終わったので、最初の説明に戻ろう。  

本書の献辞を贈られたジョー・ゴールドバーグは、イリノイ州のノースウェスタン大学でラジオ&コミュニケーションズ学部(現在のメディア学部に近いかも)を卒業したあと、シカゴのTV局でプロデューサーをしていたが、五〇年代半ばにライターを志望してニューヨークに移り、タイムズ・スクエア近くの有名レコード店〈サム・グディー〉で働きながら、ジャズ雑誌《ジャズ&ポップ》やクラシック雑誌《アメリカン・レコード・カタログ》などの音楽雑誌に記事を寄稿していた。初めて依頼されたレコードのライナーノートは、たぶん五七年録音のソニー・ロリンズ《ニュークス・タイム》だろう。そのほか、多数のジャズ・レコードにライナーノートを書いた(確認できただけでも、チャーリー・パーカー《ウィズ・ストリングズ》、マイルズ・デイヴィス《スティーミン》、ハンク・モブレー《ソウル・ステーション》が見つかった)。  

生活費を稼ぐのに苦労しているときに、男性雑誌にポルノ小説に関する記事を寄稿した。ちょうど同じ頃、ウェストレイクやローレンス・ブロックやハル・ドレズナーが生活費を稼ぐために、それぞれエドウィン・ウェストやシェルドン・ロードやドン・ホリデイのペンネームでソフトポルノ小説を書き殴っていた。その三人のうちの誰かが、ウェストとロードとホリデイの三人を文才のあるポルノ作家として褒める記事が載った男性雑誌(ドレズナーによると《スワンク》、ブロックによると《ナゲット》)を見つけてきて、ほかの二人のうちの一人が書いたものとばかり思っていた。三人ともその記事を書いたことを否定し、この“ジョー・ゴールドバーグ”が本名かどうか確かめてみることにした。ニューヨーク市マンハッタン区の電話帳で調べてみたあと、ゴールドバーグに電話で連絡して知り合い、長年の友人になった。  

六五年に、ゴールドバーグはジャズ・ファンの必読書とされる Jazz Masters of the '50s(五〇年代のジャズの巨匠たち)を発表し、マーティン・ウィリアムズやレナード・フェザーズ、ホイットニー・バリエットほど有名ではなくとも、少しは名の知れた批評家になった。  

しかし、六七年に、ジョン・コルトレーンが亡くなり、ザ・ビートルズなどがアメリカに進出してきて、アメリカのジャズがすたれ、ジャズ・クラブが次々に閉店し、ジャズマンたちの多くが仕事を捜すために、ヨーロッパに渡った。フリーランスのゴールドバーグはニューヨークで生活の糧を失い、西海岸のハリウッドへ移り、《パラマウント映画》や《二十世紀フォックス》で持ち込み脚本を閲覧・審査する仕事に就いた。ハリウッドでは、《明日に向かって撃て》の持ち込み脚本(ウィリアム・ゴールドマンによる)に“購入すべし”の判定を下したそうだ。そこで、やっとフリーランス・ライターから組織の一員として「肩書きの付いた男」になったわけだ。紹介が長くなったが、なかなか面白い話なので書いてみた。  

ウェストレイクは悪党パーカーについてこう説明していた。「今までのところ、悪党パーカーは白人男性(《ポイント・ブランク》のリー・マーヴィン)と黒人男性(《汚れた7人》のジム・ブラウン)と女性(《メイド・イン・USA》のアンナ・カリーナ)が演じている。この人物は定義づけに欠けていると思うと言った友人がいた」(この友人がゴールドバーグらしい。)  九〇年代には、映画会社を退職して、故郷のウェスト・ヴァージニア州エルキンズに戻り、育った家に落ち着くと、ジャズ批評とライナーノート執筆を再開し、フランク・シナトラなどとのインタヴュー記事を書いた。母親の実家があるニューヨーク市ブルックリンで生まれたゴールドバーグは、二〇〇九年に故郷のエルキンズで亡くなった。七十六歳だった。ウェストレイクが亡くなって九カ月十日後のことだった。

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著者のドナルド・エドウィン・ウェストレイクについては、ミステリー愛読者ならよくご存じなので、今更堅苦しい紹介など必要ないだろう。しかし、新潮文庫に登場するのは、なんと本書で初めてだというので、簡潔に紹介しよう。  

ウェストレイクは一九三三年七月十二日にニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区で生まれ、ヨンカーズや州都オルバニーで育った。オルバニーにあるカトリック系の高校を卒業してから、ニューヨーク州立大学のプラッツバーグ校、トロイ校、ビンガムトン校に通ったが、三年生で中退し、二年半ほどアメリカ空軍に入隊した。  

除隊後、ニューヨークにある〈スコット・メレディス文芸代理店〉の閲読係、《ミステリー・ダイジェスト》の編集者をしながら、ミステリーやSFやソフトポルノを書き、専門雑誌に投稿を始めた。  

初めて売れた短篇はSF雑誌の《ユニヴァース》五四年十一月号に掲載された Or Give Me Death で、初めて刊行された長篇は“アラン・マーシャル”名義で書いた五九年刊のソフトポルノ小説 All My Lovers だった。ウェストレイクはアラン・マーシャルのほか、アラン・マーシュ、エドウィン・ウェスト、ジョン・デクスター、アンドルー・ショーなどのペンネームを使って、五九年から六十四年まで二十八作のソフトポルノ小説を書いたといわれている。ただ、アラン・マーシャル名義はほかの作家も使っているので、すべてがウェストレイク作とは限らない。例えば、アラン・マーシャル名義の第一作 Sin Resort はウェストレイクの一番目の妻ネドラが“代作”したという。  

ウェストレイク名義の第一作である六〇年刊の『やとわれた男』は、MWAエドガー新人賞部門にノミネートされた。ウェストレイクは“ダシール・ハメットの再来”と称され、将来を期待されたハードボイルド作家だった。しかし、六四年刊の第五作『憐れみはあとに』は心理サスペンスで、六五年刊の第六作『弱虫チャーリー、逃亡中』では、突然、コミカル・ミステリーを書き始めて、読者を戸惑わせた。このあと、ウェストレイクはコミカル・ミステリーの第一人者と見なされた。  

一方で、六二年にポケット・ブックス(サイモン&シュースター社のペイパーバック部門)から『悪党パーカー/人狩り』をリチャード・スターク名義で発表した。裏切られ瀕死状態で放っておかれたプロの強盗パーカーが妻と相棒を捜して出して、強奪金の分け前を手に入れるためには手段を選ばず、犯罪組織にはいった相棒の上司、その上司、ついには組織のボスに交渉するという単純かつハードボイルドな物語だ。それが、悪党パーカーものの第一作である。初稿の結末では、パーカーが逮捕されることになっていたが、原稿を読んだ編集者が主人公のパーカーを気に入り、パーカーが結末で逮捕されないようにして、シリーズを年に三作書けないだろうかと提案した。  

そのあと、七四年刊の第十六作『殺戮の月』まで続き、二十三年のブランクを経て、九七年刊の『エンジェル』では何もなかったかのように、復帰した。二〇〇八年刊の第二十四作 Dirty Money まで続いた。そして、パーカーものの『襲撃』『カジノ島壊滅作戦』『殺戮の月』で一緒に強盗を働く俳優強盗アラン・グロフィールドを主役にしたスターク名義のシリーズが四作ある。現在、ロバート・ダウニー・ジュニア主演、シェイン・ブラック監督・共同脚本でシリーズの映画化が進行中。  

六六年から七二年まで、タッカー・コウ名義で刑事くずれのミッチ・トビンを主人公にした探偵許可証を持たない“私立探偵”ものを五作発表した。八六年から八九年までは、サミュエル・ホルト名義でTV番組で刑事を演じた俳優探偵サム・ホルトものを四作執筆した。  

ウェストレイク名義では不運な泥棒ジョン・ドートマンダーものが有名である。七〇年刊の『ホットロック』はエドガー長篇賞にノミネートされ、七二年にロバート・レッドフォード主演で映画化された。ドートマンダーものは短篇もあり、長篇は〇九年刊の Get Real まで十四作発表された。  

ずいぶん長い著者紹介になってしまったが、ウェストレイクが多作で多芸で多才な作家だということがわかっていただけただろう。  

“アメリカ探偵作家クラブ”といちおう邦訳されている Mystery Writers of America(MWA)には、入会していないときもあったが、MWAアンソロジーに短篇作品が収録されることになって、入会したという冗談のようなエピソードがある。MWAエドガー賞には何度もノミネートされたが、受賞したことが三度ある。六七年刊の『我輩はカモである』で長篇賞と、八九年発表のドートマンダーもの「悪党どもが多すぎる」(短篇集『泥棒が1ダース』に収録)で短篇賞と、九〇年公開の映画《グリフターズ/詐欺師たち》(原作はジム・トンプスン)で映画脚本賞の三度である。そして、九三年にはMWAからグランド・マスター賞(巨匠賞)を、〇四年には Private Eye Writers of America(PWA)からアイ生涯功労賞を受賞した。  

二〇〇八年十二月三十一日、休暇先のメキシコで大晦日のディナーを食べに行く途中、心臓発作のために亡くなった。七十五歳だった。本書に登場するアビーが三番目の妻アビゲイル・アダムズだと推測する人もいるが、たぶん違うだろう。本書を執筆していた六八年には、二番目の妻サンドラと結婚をしていて、タッカー・コウ名義のトビンもの全五作は妻のサンドラに捧げられている。サンドラと離婚したのは七五年で、アビー・アダムズと結婚したのは七九年なので、本書を書いているときに、アビー・アダムズのことは念頭になかったと推測する。  

彼の死後、ウェストレイクが六〇年代に書いたという“実存主義的小説” Memory が親友ローレンス・ブロックが見つけ出し、一〇年に死後出版された。The Actor というタイトルで、ライアン・ゴズリングが主演する映画が企画中である。  

そのあと、作家仲間のマックス・アラン・コリンズがウェストレイクから預かったまま未刊だった The Comedy Is Finished のタイプ原稿が見つかり、一二年に刊行された。それで、ウェストレイクの未刊の小説はないと考えられていたが、ボツになったジェイムズ・ボンド映画の原案を長篇に書き改めたスパイ小説 Forever and a Death が一七年に刊行された。  

そして、ウェストレイクが女性雑誌《レッドブック》七九年六月号に発表した中篇 Call Me a Cab の長篇版があることを、〈ハード・ケイス・クライム〉の出版人兼編集人であるチャールズ・アーダイが知ったあと、何度も改稿されたタイプ原稿を編集して、二二年に刊行した。これがたぶんウェストレイクの“最後の遺作”になるだろう。Call Me a Cab(便宜上、CMACと呼ぶ)では、タイトルからもわかるとおり、キャブ、つまりタクシーが登場する。主人公はトム・フレッチャーというニューヨークのタクシー運転手だが、本書のチェットとは違う。離婚経験者であり、データ会社の下級幹部をやめて、父親の経営するタクシー会社で働いているのだ。乗客としてトムのタクシーに乗ってきた美女キャサリンは造園家で、これから西海岸のLAにいる美容整形外科医の求婚者バリーの元へ行って、求婚の返事をしなければならないという。しかし、六時間後に返事ができそうにないので、このままタクシーでLAまで乗って行くという状況設定だ。  

ミステリー専門ペイパーバック出版社である〈ハード・ケイス・クライム〉では珍しく、「なんの犯罪も起こらないサスペンス小説」と銘打っているが、ウェストレイクはこれまで『ニューヨーク編集者物語』とか『聖者に救いあれ』のように、犯罪の起こらない小説も書いてきた。本書が“ロマンティック・サスペンス小説”だとすれば、CMACは“サスペンスフルなロマンス小説”だと言える。ほとんどの読者が結末を予想できるが、ウェストレイクのことだから、陳腐なロード・ノヴェルでもないし、陳腐な終わり方でもないよ。じつは本書の訳者とこの“新作”には深い因縁があるのだが、それについては日本語版が無事に刊行できたなら、こっそりとお教えしよう。  

追記:それでは、これからウェストレイクの著作リストを見ていただいて、彼の多作家ぶりの功績に驚いていただこう。(五代目古今亭志ん生風に言うと、作成・編纂した“あたし”も驚いた!)

(二〇二二年五月、ミステリー研究家)
[註=ドナルド・E・ウェストレイクの著作チェックリストを見たい方は、現物の巻末を参照してください。]

追記:巻末著作リストの訂正及び加筆----
[訂正]429頁12行 -- Killy (1963)『その男キリイ』丸山聰明訳(ハヤカワ・ポケット)
[加筆]431頁09行 -- The Spy in the Ointment (1966)『平和を愛したスパイ』木村浩美訳(論創海外ミステリ)九月刊
[加筆]439頁03行 -- Flashfire (2000)『悪党パーカー/地獄の分け前』小鷹信光訳(ハヤカワ文庫)リチャード・スターク名義/パーカー#19 ※二〇一三年に Parker(邦題『PARKER/パーカー』)の題で映画化の際に映画名に改題



これは木村二郎名義で翻訳したドナルド・E・ウェストレイクの『ギャンブラーが多すぎる』(新潮文庫、2022年7月刊、税込880円)の巻末解説の元々の長いヴァージョンであり、自称研究家の木村仁良が書いている。増刷になるように、皆様方の盛大なご声援をお願いします。(ジロリンタン、2022年7月吉日)

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