参考です No.314 : WAP 2003.12.10 建築・アート・デザイン情報

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■奥村愛:1979年オランダ バイオリニスト □「あの笑顔を見せて」お父さん□
http://wmg.jp/okumura/ WARNER MUSIC JAPAN 奥村愛
http://www.aspen.jp/artist/jp/ai_okumura.html 奥村愛プロフィール
http://special.msn.co.jp/xmas2003/style/song/00.html クリスマス・ソング

■松たか子さんインタビュー Yahoo!ブックス
http://books.yahoo.co.jp/featured/interview/20031126matsu/01.html

■建築家・岡部憲明デザインによる新型ロマンスカー
http://www.d-cue.com/cgi-bin/info/pg02348.pl?key=728&info_kubun=d-cue&mode=online
岡部憲明 N.O.A.N Noriaki OKABE Architecture Network http://www.archinet.jp/index2.html

■JDN -JDNリポート -「ジャン・ヌーベル展」
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/031126/nouvel/
模型や図面を使用せず、視覚効果の美しさで建築の世界を表現。
世界的建築家、ジャン・ヌーベルの展覧会。
2003年11月1日(土) 〜 2004年1月25日(日) オペラシティアートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/exh46.html

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■ヤノベケンジ プロフィール : 現代美術家
1965年大阪府生まれ。89年京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。90年瞑想の
ための体験型作品『タンキング・マシーン』を発表。同年KPOキリンプラザ大阪コン
テンポラリー・アワード最優秀作品賞受賞。以後サヴァイヴァルをテーマに実機能の
ある大型機械彫刻を制作。91年京都市立芸術大学大学院美術研究科終了。92年
水戸芸術館の<妄想砦のヤノベケンジ>展で成功を収める。94年から3年間ベル
リンに活動拠点を移し、<アトムスーツ・プロジェクト>で放射線探知服を身にまと
いチェルノブイリを旅する。未来都市が廃墟と化したような万博会場付近で少年期
を過ごしたヤノベにとって、アトムスーツで廃墟を行くサヴァイヴァルは当然の自己
回帰であり、魂のサヴァイヴァルでもある。ユーモラスな形態に社会的メッセージを
あわせ持つ作品群は海外での評価も高い。近年、イッセイミヤケの新店舗デザイン
や建築家磯崎新との展覧会等、異分野のクリエイターとのコラボレーションも手がけ
ている。
2003年国立国際美術館で開催した大規模な個展「MEGALOMANIA」では
IMIの学生との共同プロジェクトも展開した。
■ヤノベケンジ アートワークス http://web.iminet.ac.jp/yanobe/ オフィシャルサイト
■ヤノベケンジ 日本ゼロ年展
http://www.tinami.com/x/tenpyo/01/yanobe.html
■ヤノベケンジ展 JDN -JDNレポート-資生堂ギャラリー「ex-」
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/010307/shiseido.html

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■田中宇:世界大戦の予感 http://tanakanews.com/d1127iraq.htm 2003.11.27

■ヒエロニムス・ボッシュ「最後の審判」:オランダの画家(1450−1516)
http://www.greengrape.net/kazuhiro/romanesque/wien/misc/bosch_01.html
■ヒロエニムス・ボシュ
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/B/Bosch/Bosch.htm
オランダの画家ボスは、まったく風変わりというか、非常に創造的、というより想像
を絶する絵を描いた画家である。「地獄と怪物の画家」といわれる。心理学者の
カール・グスタフ・ユングは、ボッスの絵に関して、「無意識の世界をあばく画家」

■国立国際美術館 NMAO http://www.nmao.go.jp/
■artscape http://www.dnp.co.jp/artscape/
■全国ミュージアムデータベース
http://www.artscape.ne.jp/museum/icc-j.html
■展覧会スケジュール
http://www.artscape.ne.jp/artscape/reference/exhibition/index.html

■JDN -デザイン年間カレンダー:TDC 周藤さんのメールより
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/YEARCALENDAR/

■DNP Gallery:Art List http://www.dnp.co.jp/gallery/artist/list.html
http://www.dnp.co.jp/gallery/index.html

■新建築12月号
http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/sk/magazine/sk2003/sk12/w_frame.html
■新建築住宅特集12月号
http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/jt/jt2003/jt12/frame.html

■富山の建築フレーム版
http://www.geocities.jp/s_uratti/architecture/hokuriku/toyamaframe.htm
■富山の建築 http://www.norisa.com/new.html

■菊竹清訓建築設計事務所 2003年10月7日HPリニューアル
http://www.kikutake.co.jp/

■リチャード・ロジャース Richard Rogers Partnership
http://www.richardrogers.co.uk/

■手塚建築研究所:手塚貴晴+手塚由比 TAKAHARU TEZUKA+YUI TEZUKA
http://www.tezuka-arch.com/
■「屋根の家 設計/手塚貴晴+手塚由比」スタイルのある住宅に暮らしたい
http://media.excite.co.jp/daily/weekend/030913/architect.html
■9坪ハウス−デザイン:手塚貴晴+手塚由比
http://www.9tubohouse.com/lineup/tezuka/ttyt_newdesign.html

■NKSアーキテクツ [福岡県] http://www.nksarc.com/ : 末廣宣子&末廣香織

■アソシエイテッド・アーツ [東京都] http://www.a-arts.co.jp/
インテリア・建築・都市空間アートのプロデュース会社。個人、企業・設計事務所の方へ、アートの相談に応じる。

■第12回<現代日本の建築家>展 
http://www.ga-ada.co.jp/japanese/ga_gallery/index.html
GA JAPAN 2003:日本建築の最前線にある建築家14組の現在進行中の最新
プロジェクトを模型、図面、映像などで紹介する。 
GAギャラリー(東京都渋谷区) 11月1日(土)〜12月23日(火)

■あかり:イサム・ノグチが作った光の彫刻 http://www.momat.go.jp/
東京国立近代美術館本館(東京都千代田区)10月28日(火)〜12月21日(日)

■『国際ガラス展・金沢 2004 』アート/工芸・クラフト 2004年3月15日 大賞:100万円
http://compe.japandesign.ne.jp/ap/01/art/glass/  

■日経エレクトロニクス「NE ONLINE」 http://ne.nikkeibp.co.jp/

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■「新しい都市再生のための生活支援と地域プロデュース」
基調講演:佐藤滋(早稲田大学理工学部)ほか
2003年12月12日(金)/阪急豊中駅前
http://www.gakugei-pub.jp/zassi/event/event01.htm

■「風景を市民のものとするためには」
問題提起:西村幸夫(東京大学大学院)ほか
2003年12月15日(月)/工学院大学
http://www.gakugei-pub.jp/zassi/event/event02.htm

■「今、まちづくり人が求める情報とは」
問題提起:宗田好史(京都府立大学)ほか
2003年12月21日(日)/学芸出版社
http://www.gakugei-pub.jp/zassi/event/event03.htm

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■DESIGNTOPE 第3回 デザインコンペティション「ゲート&フェンス」入選発表
デザイントープと株式会社竹中製作所は、2003年7月よりインターネットを使っての
国際コンペを開催いたしました。その受賞作品が決定しましたので、結果発表を下
記URLよりご覧下さい。尚、商品化検討が各審査員企業にて慎重に行われている
ため画像作品は掲載しておりませんので予めご了承下さい。来年2004年1月中旬
には画像作品も発表を予定しております。2003年12月8日
URL: http://compe.designtope.net/3/winners.html

製品化できるアイデアの提案として「ゲート&フェンス」というテーマに、世界中の
方々から現実性を持ち、製品化の可能性がある作品の提案を頂きました。その中か
ら、審査委員長黒川雅之、審査委員企業4社として松下電工株式会社、四国化成工業
株式会社、YKK AP株式会社、株式会社竹中製作所で厳選なる審査を致しました。
今後、審査員である各エクステリア企業にて慎重に商品化に向けて進めて参ります。
(DESIGNTOPE コンペ委員会事務局 担当:鹿子嶋さんからのメールより)
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■「私には夢がある−I have a dream」 堀浩哉 : 美術という場から 7(「東北学」連載)
   
 どしゃぶりの雨に打たれながら、31人の若者たちと一緒に30分間、声を限りに叫びながら全力疾走するようなパフォーマンスをやった。
 つぎの日はまだ興奮が残っていたせいかどうか大丈夫だったのだが、一日置いて突然声が潰れ、腰と膝がガクガクになってしまった。おまけにしばらくしてから免疫力低下で帯状疱疹にまでかかってしまったのだから、瞬発的な無理はまだまだきくけれど、後が危ない。どうも自分の実年齢と、うまく馴染めていないのだ。 
 「第二回大地の芸術祭ー越後妻有アートトリエンナーレ」が7月20日にオープンしたのだが(9月7日まで)、そのオープニングの日のこと。パフォーマンスの会場は、今回のトリエンナーレに合わせて十日町市の市街地に新設された「十日町ステージ」と称する
建物。建物、とはいっても、原広司設計のこの建築物は、コンクリート打ちはなしの回廊だけがあって、中はオープンエアーの池になっている。その40メートル四方ほどある広い正方形の池のど真ん中に、オープニング・レセプションのために9メートル四方の木製仮設ステージを設け、回廊とは仮設の橋でつなげられた。その仮設ステージを中心に、回廊全体も使って、午後6時から始まるレセプションの前の午後5時から、ぼくらがパフォーマンスをやることになったのだ。雨はパフォーマンス開始直前に降り出し、進行に合わせて少しづつ弱まって、終了と同時にピタリと止んだ。まるで、仕組んだ人工雨みたいに劇的に。
 ぼくらユニット00(堀浩哉、堀えりぜ、畠中実)は、その一回限りのパフォーマンスとは別に、十日町市の市街地にある「旧織物会館」というビルの二階にある和室で、ビデオ・インスタレーションの作品も設置した。
  タイトルはどちらも同じで(つまり同じコンセプトで)、「記憶するためにー私には夢がある」。英文では「To remember-I have a dream」。「I have a dream」が、あの故マーチン・ルーサー・キングの有名な 言葉であることは、英訳してから気付いたが、偶然とはいえ、それと重なったことをうれしい必然だと思ったりもした。
 このトリエンナーレは、新潟県の、日本で最も雪深く、魚沼産コシヒカリなどの米所としても有名な越後妻有地区の六市町村の、広範な里山と市街地全体が会場となっていて、市街地であれば空き地や空き店舗、建物の使われていない部屋など、そして里山の棚田の中や、廃校、廃屋、河川敷から、信じられないほど奥深い森の中まで、世界二十三カ国百五十人(組)の作品(前回から撤去されずに残っている作品も含めれば、全部で二百二十四点の作品)が点在している。
  ぼくらは、すでに前稿で書いたように、当初から十日町市街地でのプロジェクトを要請されていて、具体的な作品プランを決める前に何度か十日町に通い、郷土史家や町の世話役、役所や公民館の職員、居酒屋の従業員、高校生、さらに町を出て東京で働く美容師など様々な人々に、町の歴史から地場産業の現在、毎日の生活や将来のことなどを聞いて回った。その結果浮かび上がってきたことといえば、細部のリアリティは別にして、きわめて平凡な、おそらくは日本中の過疎化しつつある地方の小都市がすべて抱えているであろう問題、町に「希望がない」ということだった。地場産業(十日町なら繊維関係)が崩壊し、その再生もそれにとって変わるべき新たな展望もなく、町には働く場所がない。大都市に働きに出て、しかしあの美しい里山にやはり戻りたいと願いながら、働く場所がない以上それもかなわない。町に残ることができた(あるいは残るしかなかった)のは、親から継ぐべき仕事があったか、運よく公務員になれたか、数少ないサービス業についたという人たち。親からの仕事を継いで
も嫁のきてがなく、東南アジアから日本語のわからない妻を迎えた人も少なくない。町に残った人たちは、皆自分なりの明日を語ろうとするのだが、あの深い雪のように全体を被っている閉塞感は拭いがたい。
 そうした現実の中で、ぼくらは町の若者たちにあえて「夢」を問いかけることを、基本的なコンセプトとした。以下はインスタレーションの会場入り口にも掲げた、そのテキスト。
 
   記憶するためにー私には夢がある 

   どうせ分かりはしない、と心を閉ざす。
   たかが知れているさ、と卑下する。
   くだらねぇ、と人をハネつける。
   だせぇ、と見下す。

   でも、だからこそ、 

  「あなたの 夢は なんですか?」と問いかける。
   問いつづける。           
   問い、という贈り物をする。
  「私には 夢が ある」と答える。 
   答えつづける。
   答え、という贈り物をする。

   誰に?自分に。そして、隣り合う誰かに。
   他者に。
   どんなに閉ざされていても、
   たとえ縛られ動けなくても、
   問いを忘れない。
   答えを忘れない。

   開いていくために。

   記憶するために。
 
 町の若者たちにビデオカメラを向けて、インタビューしていった。「あなたの夢はなんですか?」と問いかける。それぞれの答えがかえってくる。もう一度問いかける。少し悪意を込めて。「カメラを見つめたまま、黙って考えてください。その夢は、本当に実現すると思いますか?」。困った表情の人、照れて笑う人、顔をそむける人、憤然とする人、じれて声を出す人、何度もうなずく人、泣き出しそうに涙を浮かべる人。カメラは、その表情を執拗に追いつづける。無言の中に、それぞれの人間性や個人史が横切っていく、、、、、。
 インタビューは、順調に進んでいった。最終的には101人。しかし、場所がなかなか決まらなかった。 場所が決まらなければ、具体的なインスタレーションとパフォーマンスの形は見えてこないのだ。
  前稿でも書いたように、もともと十日町市街地のプロジェクトはトリエンナーレ反対派が市長になったため出遅れていたのだが、ようやく動き出してもなお、ぼくらの場所については難行した。 ぼくらがインスタレーションの場所として最初に下見をし、希望していた場所は、なぜかかなえられず、しかし次に決定した場所が最初以上にぼくらにとっては理想的な場所だったので、最初の理不尽な決定については忘れることにした。ところが、これがまた覆ってしまったのだ。開会42日前のこと。これは痛かった。
 広範な場所で数多くの作品が同時進行で制作、設置されているのだから、混乱はしかたがない。やっていて分かったことだが、企画全体を受け持った総合プロデューサー北川フラム率いるアートフロント・ギャラリーのスタッフの誰ひとりとして、全体の進行を把握し統括している人間はいなかった。そうした中で、十日町市街地の場所の交渉を担当していたスタッフが、ばかばかしいほどの初歩的ミスを犯していたことが、後になって発覚したのが原因だった。そのスタッフは、結局途中でリタイアしてしまった。この変更は、ぼくらにとっては プランの縮小につながり、残念でならなかったが、もうぼくらには、時間的にも選択の余地がなくなってしまっていた。とはいえ、その場所はぼくらにとっては、ある意味では必然的な場所であったかもしれない。
 最終的に決まった「旧織物会館」は、かって隆盛を誇ったこの町の地場産業の名残りの場所であり、今は市の施設として使われていて、ぼくらが使うことになった和室の反対側の会議室では、会期中も連日、地域再生のための市町村合併へ向かって熾烈なせめぎ合いが繰り広げられていた。廊下を通れば、その会議の声と、若者たちが「夢」を語る声が同時に聞こえてくる。
 和室の中には白い蚊帳が吊るされ、蚊帳の中に入った観客に向かって、蚊帳の外のプロジェクターから、インタビューのビデオ映像が投影される。映像は、反射光ではなく、透過光として、いったん 蚊帳の紗幕に映り、さらに透過して側面や上部や畳、さらに観客自身にも映り、なお背後の紗幕へと透過する。観客は、若者たちの「夢」とその苦渋の「中」にいることを知らされる。そして、その「中」とは、自らが眠り夢をみるかもしれない場所=蚊帳でもある。「夢」と「夢」がシンクロする場 、、、。
 一方、パフォーマンスの場所もまた難行した。 ぼくらのパフォーマンスは、これまでは映像も使う関係で、暗くすることができる閉ざされた空間の、舞台も客席もないような場所でやってきた。今回も当初はそのような場所をリクエストしていたのだが、適切な場所が見つからず、十日町ステージの回廊の一部を区切る形でやる予定になっていた。それが、開会38日前になって突如、その場所がダブルブッキングになっていることが分かり、変更されてしまったのだった。
 新しく与えられた仮設ステージはちよっと能舞台のようでありながら、観客のいる回廊からははるかに遠く、しかも周囲全体から見られてしまう。まだ明るい時間なので、映像も照明も効かない。出演者も、この広い場を支配するためには、予定していたより相当多くなければ無理だろう。一体どうやればいいのか。しかし、舞台としてはなんとも魅力的ではあるし、こちらの方はプランの拡大であり、オープンエアーでの新たな挑戦としても積極的に受け入れたい。というわけで、ぼくらはそれまで準備していたプランを一度白紙にもどし、そこから全面的に仕切り直しすることになってしまった。
 広いオープンエアーでのパフォーマンスの、基本的な構造は「デモ」(前稿で報告してからこの間、さんざんやってきたことが、ここで繋がった)。拳を突き上げて、歩行のリズムで床を踏み抜くように、強く足踏みをしつづける。「デモ」と「雨」のリズムがシンクロする。そして、シュプレヒコール。「あなたの」「あなたの」「夢は」「夢は」「なんですか」「なんですか」執拗に繰り返されるシュプレヒコール。その間に、堀によって白いテープでグルグル巻きに拘束され、自由を奪われた若者たちが、ひとりひとり、仮設ステージの島を出て、回廊を走り、自らの「夢」を観客に挑むように叫び、ぶつけていく、、、、、、、。
 インスタレーションもパフォーマンスもさらにオリジナル・サウンドが重要なポイントだったし、細部はもっといろいろあるのだが、これ以上言葉にしてもしょうがないだろう。 
 というわけで、大きな国際展にはありがちな様々なドタバタを経て(他にも多くのトラブルがあったはずだ)、ようやくトリエンナーレは開幕した。  
 「私、市役所に勤めながら、こんなに楽しい日々があろうとは、夢にも思わなかったですよ。やあー、ホントに楽しかった!仕事でこんなに楽しくていいのか、と思いました」
 一段落した飲み会の席で、しみじみそう言ったのは、行政の側からぼくらの作品を担当し、いろいろ支援してくれた、十日町市役所のKさん(中年男性)だ。
 トリエンナーレが始まってすでに一ヶ月以上が過ぎた8月24日、ぼくらはオープニング・レセプションでやったパフォーマンスの記録ビデオ(5台のカメラで撮ったものを編集したもの)を、出演してくれた人々や関係者に見てもらうための上映会を、十日町市で開いた。Kさんの言葉は、その後の飲み会でのもの。トリエンナーレに参加した各作家には、 アートフロント・ギャラリーのスタッフと、越後妻有地区六市町村の役所の人が一人ずつ担当者として決まっていて(もちろん彼らは複数の作家を受け持つわけだが)、さらには制作の実働部隊としてボランティアの「こへび隊」の若者たちがサポートするシステムになっていた。
  Kさんは、ぼくらがビデオ・インスタレーションのために十日町の若者たちをインタビューする際のセッティングや、パフォーマンスのための人集めを、先頭に立ってやってくれたし、トラブルがあるたびに助けてくれ、この催しの準備のために覚えたという慣れないメールでのぼくらとのやりとりも含めて、本当に力を尽くしてくれた。しかし、それだけではない。Kさんは、どんどん作品の中にのめり込んできた。作品を理解し、味わいつくそうとする。その結果、ひかえめだけれど進行中の作品の感想を言ったり、意見を 述べたりもするようになった。ぼくらの設置の完了を待ちかねたようにまっ先に見て、「やあー、これは、これは!」と喜んでくれたのもKさんだった。
 またKさんは、前回の作品を見て好きになったというクリスチャン・ボルタンスキーの今回の作品の進行が気になっていて、その作品は十日町以外の地域で設置されるのに、制作の準備を担当している「こへび隊」のAくん(彼女は大学のぼくのクラスの学生でもある)に、テリトリーを越えて、なにかと力になってやったりもしていた。後でAくんに聞くと、Kさんは山奥の廃校に完成したボルタンスキーの作品の中で2時間もたたずんでいたという。ぼく自身は、今回のボルタンスキーの作品は、彼のいつものパターン通りのいささか陳腐なメロドラマ的物語になっていたと思うが、しかし自分の好きな作品の中で2時間たたずんでいたという、そのKさんの時間をぼくは大切に思う。
 そんな、普段は閉塞感に被われた町の、普通の市役所職員であるKさんを、熱病のように巻き込んでしまう吸引力のようなものが、この展覧会には間違いなくあったのだ。まさにこれは「祭り」だった。Kさんだけではない。ぼくらのビデオ・インタビューに応じてくれたり、パフォーマンスに出演してくれたりした町の人たちも、最初はとまどいながら、しかしいったん受け入れると真っ直ぐに中へ入ってきてくれた。これも、「祭り」ならではの構造だったはずだ。
 普通の「展覧会」というのも、主催者や作家にとっては一種の「祭り」であるに違いない。しかし観客にとって「展覧会」は、非日常的な特殊な場所に入って、出て来るという空間移動であり、そこで日常はいったん置き捨てられている。だから、距離がある。それに対して、この「祭り」=「展覧会」では、「住民」=「観客」もなんらかの形で参加したり、あるいは参加しないまでも自分たちの日常的な場所がそのまま非日常に転位することで、彼らもまた「祭り」の中の住人になっていたのだ。
 では、中ではなく外から来た観客にとってはどうなのか。まずは空間移動、それはそうだ。
 開会時には忙しくて、他の作品を見る余裕がなかったぼくらも、遅ればせながらこの上映会の前後3日間、広範な六市町村のエリアを車で走り回って、開会直後に見たぼくらの近くの作品と合わせて、全部で百四点の作品を見た。作家としては、すでに述べたように必ずしも楽しいことばかりではなかったが、観客としては、これが実に楽しかった。山道の段差で、車のエンジンルームの下部カバーを割ったり、突然の雨でずぶ濡れになったりしながらも、久しぶりに楽しい時間だった。作品が良かったから、というわけでは必ずしもない。
 「祭り」とは、日常的な場所がそのまま非日常の祝祭的空間に転位する、時間軸の捩れのようなものだとすれば、地図を頼りに市街地を巡り歩き、ナビと地図を突き合わせながら車を走らせ、時には迷いどうにもたどり着けない場所があったりするあの移動につぐ移動の行脚自体、その時間軸の捩れの通路をたどる 転位の行程そのものだったのだ、と言いたい気がする。
 行脚の中で、使い切られて朽ち果てる寸前の民家に見とれ、里山の深さに感嘆し、ばかばかしい作品に出会えば舌打ちをし、棚田の美しさに打たれ、みごとな作品に歩き回った脚の痛みも忘れ、そうしながらそうしている行程そのものを(作品や里山以上に)楽しんでいる自分に気付く。たぶん、こうして外からの観客もまた、日常と非日常が捩りあわされたような、その「祭り」の時間の中にいることに気付かされるのだ。  
 話はトリエンナーレから脱線するが、パフォーマンスの疲れがようやく少し癒えたころ、京都国立博物館で行われていた「アート オブ スター・ウォーズ展」を見に行ってきた。
 あの、映画「スター・ウォーズ」シリーズのドローイングやフィギュア−を、国立博物館で展示するということで話題になっている展覧会だった。総指揮をとった同館のキューレータの狩野博幸がこれまでやってきた展覧会をぼくは尊敬していたし、独立行政法人となった国立館のこれからの方向の指針の一つであるかもしれないし、単なる集客目的ではなくアートとしての「スター・ウォーズ」を見せるという前宣伝も気になって、見に行ったのだった。
 ひどく失望した。くだらない。京都国立博物館のあの防腐剤の臭いにまみれたような空間(本当は、それをぼくは嫌いではない)が、これまでのどんな展覧会よりも古びて、墓場のように見えた。「これは立派なアートなのだ」と、あえていうために、ことさら麗々しくガラスケースに納め、モダニズムの作法そのままにきっちりと展示してあり、あの映画から「これでもか!これでどうだ!」という逸脱するケレンの味を取り除けばただの通俗年代記になってしまうように、ここではその生き生きとしたケレンならではのリアルがすべて剥ぎ取られて、ただの人形や説明的イラストが並ぶだけになってしまっていた。
 なぜ、「アートだ」とあえていう必要があるのか。あれは、あくまでも通俗娯楽巨大資本映画なのだ。そこにリアリティーを付与するために、徹頭徹尾細部にこだわり、過剰なほどに説明的要素を加えていくことにによって、「通俗娯楽もの」でありながら同時にそこから逸脱した、非実質的なリアルを生み出してもいる。それを「アートにする」のではなく、「アートだ」というのでもなく、その通俗なままをあえて国立博物館という空間に移植してみせるほどの思い切りがあったなら、あるいはそのときに、その逸脱の過剰さによって、アートという概念の境界は揺らいで見えたかもしれない。そこにしかポイントはなかったはずだ。しかしここでは、「これはアートだ」と言い急ぐあまり、すべてをただ凡庸な説明に貶めてしまい、ただ実質としての人形とイラストがあるだけの「展覧会」にしてしまっていたのだ。「スター・ウォーズ展」におけるあの博物館的陳列は、博物館の未来への指針ではなく、すべてを博物館という墓場へ封じ込めてしまうという、この時代の閉塞感を示しているものでしかなかった。
 京都で久しぶりに会った人たちと痛飲して、一泊したつぎの日は、大阪の万博公園にある国立国際美術館へ行った。この美術館は、1970年の 万博のパビリオンの一つとして作られ、その後国立の現代美術専門館として今日まで活動してきたが、老朽化にともない今年度いっぱいで一時閉館して取り壊された後、改めて大阪市内にリニューアル・オープンすることになっている。ぼくにとっては、かって「近作個展」を開いてもらった館でもあり、これが見納めという意味もあって行ったのだった。もちろん主な目的は展覧会であり、目指すは「ヤノベケンジ展」。
 ヤノベは1965年大阪生まれで、もの心がついたころにはこの万博跡地を遊び場に育ったという美術家。彼は万博跡地を「未来の廃虚」と感じて育ち、アニメや怪獣映画などから引用された奇怪な装置を作り、やがて原発事故後のチェルノブイリを訪れて、放射能からサバイバルするための「アトムスーツ」や、さらにサバイバルから未来へリバイバルするためのさまざまな装置的作品をつくりつづけている。
 今回の彼の展示は、美術館の一つのフロアーいっぱいに これまで作り続けてきた多くの作品を、遊園地のようでもあり、万博の縮小版のようでもあり、未知のパビリオンのようでもあり、あるいは未来の廃虚でもあるような、渾然一体とした「世界」として組み換え提示したものになっていた。
 これはみごとだった。ヤノベは、自らのアートと美術館を、遊園地であり廃虚でもあるものに組み換えることで、際物的物体を非実質的なリアルへと突き抜けさせてみせたのだ。ある意味では、「スター・ウォーズ」と同じような世界であり、同じようにフィギュア−が並ぶ展覧会であるだけに、制作費が天と地ほど違えば、比較して無惨にも見えかねないところを、ジュニアーの獣神サンダー・ライガーがボブ・サップを一瞬にして締め落としたとでもいうような、みごとな逆転勝利だった。そして、どうせヤノベ展をやるのなら、とぼくは思った。この展覧会のスケジュールを一時閉館前の最後にもってきて、本当に解体しつつある美術館の中でこそ、未来の廃虚を幻視させてほしかった、と。
 美術館という空間が解体してしまうことを、ぼくは望んでいるわけではないし、そこに特別な意味を見出そうと思っているわけでもない。ただ、美術館が解体した先に見えるかもしれないビジョンの一つとして、「大地の芸術祭ー越後妻有アートトリエンナーレ」があったのかもしれないし、そこでは、近代以降の展覧会というシステムが、根本から読み直され、変更される可能性の一端が示されていたのかもしれないと、先の二つの展覧会と対比してみて、改めて思ったのだった。
  特殊な非日常的空間としての美術館(それが初期の見せ物的空間であれ、モダニズムの空間であれ、ポストモダンな空間であれ )へ入って、出て来る体験としての展覧会から、日常空間そのものが非日常に転位して、日常と非日常が捩りあわされた特殊な時間としての 祝祭性の中を旅する「祭り」=「展覧会」へ。
  もちろん、美術館を使わない展覧会や屋外展は世界中にいくらもあるし、それが美術館概念の拡張であると同時に、美術館という抑圧的制度の「檻」の拡大でもありうるという二重性を、ぼくらはすでに知っている。今回もまた、町や森さえも美術館という制度の「檻」で囲い込んでしまったという、両刃の剣のような危うさを孕んで
いたことは間違いない。しかし、それでもなお、 単なる屋外展や脱美術館展とは異なる「祭り」の時間への転位の可能性を、現実のものとして見せた北川フラムの構想力を、ぼくはやはり高く評価したい。 (2003年8月31日)
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堀浩哉 HORI Kousai (美術家・多摩美術大学教授)
http://kgs-tokyo.jp/ikeda/2004/040705.htm ギャラリー池田美術 堀浩哉展
http://www.gaden.jp/info/2004/040418/06.jpg HORI Kousai JPEG
http://www.gaden.jp/info/2004/040418/0418.htm 『四批評の交差-いま、現代美術を問う』展
http://www.japandesign.ne.jp/portside/portsidegallery/011212/ ポートサイドギャラリー AIR空気展
http://www.art.pref.tochigi.jp/jp/exhibition/t040718/index-02.html ピクチャー・イン・モーション展

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西岡守明 NISHIOKA Moriaki
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