メッセージ:「読者からのおくりもの」



メッセージ:子供が将来悩んだとき、この本を読んでもらいたいと思う。
メッセージ:この童話と出会えて本当に良かった。
メッセージ:私も「子の心親知らず」で、今もいます。
メッセージ:自分とダブらせた涙は、今となっては懐かしい涙なんです。



このコーナーは、みなさんからのいただいたメッセージ、つまり「読者からのおくりもの」を掲載しています。ぜひ、いろんな想いをお届けいただければ幸いです。このコーナーは、季刊:Be!49(1997.December)の52ページから57ページに「涙がくれたおくりもの」に寄せる手紙の題で、映代さんへの手紙、ご両親への手紙と映代さんから編集部への手紙が掲載されたものと一部オーバーラップしています。興味のある方は購読して読んでみられたらよいかと思います。ただ、このホームページでは、ASKの編集部の都合で割愛された手紙の部分も見ることができます。最後に、このHPに載せることに快諾していただいた川崎さん、吉田さん、Y・Mさん、S・Mさんに感謝いたします。



























 ●子供が将来悩んだとき、この本を読んでもらいたいと思う。 

 このような童話をお子さまに書いてもらえるとは、すごくうらやましいと思った。酒を飲んだことに対して、お子さまがどう思っていたか、どこがどう嫌だったか、それで、どうしたかが、わかるのだから。私の場合、私が飲むことに対して子どもは泣いて抗議していた。嫌だったことはわかるが、子どもがまだ小さくて話さないから、心の中のくわしいことはわからない。いつか語ってくれるのかもしれないが、今のところ、まったく予想がつかない。
 語ってくれなければ、それもイイなと都合のよいことを思ったりする。このように書いてもらえることは、親にとって幸せなんだろうが、自分だったらスゴク恥ずかしいことでもあると思う。同じアルコール依存症者として、馬鹿なことをやってきたから。
 また、このような童話を書けるお子さまのことを、うらやましく思う。童話の中に、自分が感じたことを書くことによって、自分の立場をハッキリさせることによって、過去の自分を救っている。いや、自分を救いたいから書いたのダと思う。
 家内も読んだンですが、家内はこう思うと言ってます。現在、上山さんが断酒しているから、子どもさんが少し許してくれるようになって、このような話を書かれたンだろう。今も飲んでいれば、当然恨んでいるだろうし、また、止めたといっても、まだ、恨んでいるならば書かなかっただろう。また、そうでなければ、酒を飲んでいた父親は寂しかったんだ、自分をかまってくれないと思っていた母親は声を掛けられないくらいに忙しかったんだと思う様にはなっていない筈だと言っています
 また、話の前半に、めぐちゃんがすごく寂しくて、トナリのうちはイイナという箇所があるが、私が入院していた時、時期が丁度正月に重なっていたのだが、アパートの親しくしていた家族と出会って、むこうは家族でニュージーランドへ旅行するという話を聞いた時、子供は部屋に戻って、私が、その1年前に仕事でニュージーランドへ行ったときの写真を部屋で黙ってジット見ていたことがって、あの時は、子供は寂しそうでカワイソウに思ったことを思い出したと、家内は言っていました。
 マイナスをプラスにするという考え方は、すごくうらやましい発想で、なかなかできないものだと思う。そう考えるまでには長い間の葛藤があったんダロウが、マイナスをプラスにすると結論づけ生きていくのは、何か大変で辛い生き方だと思う。私自身も酒を飲んで、子どもに何をしてきたかワカラナイ。加害者としてこんなことを言える立場ではないのだが、プラスにできないまでも、あの時はイヤだったんだヨ、つらかったんだヨと言うだけでも、子どもは楽になるのかもしれないと思う。
 また、お父さんが酒をのんでいた時、とても寂しいかったヨというメッセージだけが聞こえてきて、心の痛みは、雪の日の足の冷たい思い出だけが語られている様で、痛いよ、辛いよという声が少なく、まだまだ言い足りない様な気がする。家内は寂しいかったヨという言葉に総てを含んでいると言っていますが。
 現在、自分の子どもが、毎日、どう思って生きているかわからない。私が酒を飲んだことによって、その考え方にどういう影響を与えているか、まったくわからない。子どもが将来悩んだとき、あなたはACだからこう思いなさい、こんな考え方をしなさいとは絶対に言えない。自分がその苦しさを与えた張本人であるから、そんな資格はない。その時にでも、この童話を読んでもらいたいと思う。こんなフウに思っていた先輩(お姉さん)がいたヨと言って。
川崎清人




























 ●この童話と出会えて本当に良かった。 

 涙がくれた贈り物を読みました。
 アルコ−ル依存症の父親と、母を見つめる子どもの姿が自分自身の家族と重なり合い、言いようのない思いでいっぱいになり、私も涙しました。そうです、わたしも、めぐちゃんのお父さんと同じアルコ−ル依存の患者です。私には、三人の子どもがいます。長女は中学1年生、二女は小学校4年生、そして一番下の長男は小学校2年生です。
 酒害に気が付いて2年8カ月が過ぎようとしています。妻と二人で断酒会に通っていますが、家に残された三人の気持ちを考えると心が痛みます。理解してくれているようで、有りがたいと思いながらも、淋しさや、切なさを押さえながらの生活が、子供達の心の傷となって残っていくのか、それとも、今の淋しさやつらさを踏み台にして、強い子どもに成長してくれるのかは、これからの、私自身の生き方にかかっていると自覚しています。
 この童話と出会えて本当に良かったと思います。これからも、断酒生活に頑張って行きたいと思います。
吉田重明



吉田重明さんは、メールの中で、「私も、ホ−ムペ−ジを作成しより多くの人々に自分の思いや、酒害に悩み苦しむ仲間のメッセ−ジを伝える役割が出来ればいいな、と思っています。」と述べられています。吉田さんのホームページは下記の通りです。アクセスしてみられたらいかがでしょうか。
福祉と人権の街菟田野町(アルコ−ル依存症でお悩みのコ−ナ−)




























 ●私も「子の心親知らず」で、今もいます。 

 童話を読ませていただき、感動しました。
 これはわが子が訴えている、理解して両親を許してくれている、マイナスをプラスに変えてくれている、----と、私は思いたい気持ちです。こんなにつらい体験を、このように妖精にたとえて、きれいにまとめながら心の傷を回復してこられ立派に成長された映代さんに大きな拍手を送りたいです。
 子どもは、現実にはまだ何も訴えてくれません。きっとつらさは同じだと思います。今も生きづらさを感じているわが子を思い浮かべて読みました。私も仲間の方々の体験を聞かせていただき、勉強しているうちに、自分自身も生きづらい人生を送ってきたことに気づきました。それを力に変えて、その力がこれからの人生でいろいろな障害を乗り越えていく役に立つのだと考えたいと思いました。いつも自分の足元をみすえて、一日一日を大切に、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいと思いました。
 でも私はすぐに元の自分に戻りやすいので、この童話を枕元において、くりかえし読んでいこうと思いました。
 あとがきの奥様の気持ちも私にはよく伝わってきました。私も「子の心親知らず」で、今もいます。早くこれを乗り越えたいと願っています。
 映代さんに「ありがとう、よく書いてくださいましたね」とお伝えください。
かしこ  Y・M




























 ●自分とダブらせた涙は、今となっては懐かしい涙なんです。

 はじめまして。いくにちか前に新聞で記事を読み、入手して読みました。思わず涙がこぼれそうになりました。
 実はなぜ興味があったかというのは、私の幼少時期と似ている境遇だったからです。店を経営していた父は、様々なコンプレックスを持つ中で、経営者としてがんばってきましたが、仕事を契約した人から裏切られたり様々な苦労をしました。そして、お酒に飲まれていきました。雨のふるなか、母と裸足で逃げたこともありました。包丁を振り回されたこともありました。何回も殴られました。夜中にたたき起こされました。そんな私はいつしか、「ただいま」という父の声で、どのくらいの量のお酒を飲んでいるのか判断できるようになってしまいました。そんな中で、父は私にはいろいろな話をしてくれました。私も年を重ね、淋しい父の気持ちが少し感じられるようになりました。
 強く優しくおおらかな母のおかげで、私たち兄弟も無事成長しました。また、幼少時期は家庭のコンプレックスから、暗く悲しい (それこそ、毎日涙を流して枕をぬらしていました)日々もありましたが、その環境から学んだり感じたりしたものが、今の私を作っているんだなあ、と感じています。
 とにかく、自分とダブらせ涙を流した本でした。その涙は決してただ悲しいというようなものではなく、今となっては懐かしい涙なんだと思います。
 
S・M