「読売新聞」平成10年4月12日(日)人間模様

【涙がくれた家族の絆】

酒浸り40年、荒れる父
殴られ、けられ耐える母
雪の夜、はだしで逃げた

つらい体験断酒した父「罪滅ぼし」
娘が童話に「泣けて----」両親が出版

 お父さんの暴力に耐えられなくなって、めぐとお母さんは雪の中をはだしのまま、外へ逃げ出したことがありました。
 千葉県松戸市の主婦横田映代さん(33)の童話「涙がくれたおくりもの」は、アルコール依存症の父親とその家族の異色の物語だ。それは、自らの幼いころのつらい体験をモチーフになっている。
 富山市に住んでいた小学三年の時の大雪の夜。泥酔して帰宅した父に、母は「遅かったね」と声を掛けた。深夜の帰宅をなじられたと思った父は「ダラ(バカ)にしやがって」とどなった。目がすわっていた。
 「またいつもの暴力が始まる」。危険を感じた母は映代さんの手を引き、裏口から逃げた。二人ははだしで雪の中を走った。追いついた父に、映代さんは両手を広げて立ちふさがった。「お父さん、やめて。お母さんを殴るんだったら、私を殴って」。さらに約1`離れた駅まで逃げ、待合室で体に新聞紙を巻きつけ、ゴミ袋をかぶって寝た。
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映代さん父、上山順二さん(70)は三年前、四十年間に及ぶ飲酒を断つまで、すさんだ毎日だった。気が小さく、面白くないことやつらいことがあれば飲んだ。飲んで帰ると責められるのではないかと思い、母の香代子さん(61)を殴る、ける、包丁を振り回す----。外でもしばしばトラブルを起こし、会社員やトラック運転手など職も転々とした。
 一人っ子だった映代さんは、友だちにも家庭のことを話せず、「自殺したい」「父を殺したい」とまで思い詰めたこともあった。
 父に反発し、学校では過剰なまでに優等生を演じた。東京の大学に行くように勧められた。「父から逃げたい。でも母を守る人がいなくなる」。気持ちが揺れたが、結局、東京を選んだ。
 めぐは妖精に連れられ、「だれもおれのことをわかってくれない」と居酒屋で泣く父や、めぐの寝顔を見つめて涙ぐむ母の姿を見せられた。めぐもまた涙を流す。その涙は「他人の悲しみを知ることで、愛の気持ちが生まれたからだ」と、妖精に教えられる。
 93年から二年間、夫の仕事の都合で過ごした米国で、映代さんの心に「転機」が訪れた。実家の話は夫以外にしたことがなかったが、親しくなった米国の知人に少しだけ話すと、アルコール依存症の親を持つ子供のことが書かれた本を持ってきてくれた。徐々にに心が開いていった。
 最も印象に残ったのは、「神さまの与える試練には、すべて意味があるのよ」という友人の言葉だ。「自分が子供時代に受けてきた苦しみにも、意味があるはずだ」と思うようになれた。
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 順二さんの酒乱は、映代さんが富山を離れた後、一段とエスカレートし、警察の世話になることも増え、95年春からは幻覚症状も出始めた。ささいなことでスナックで暴れた時、警察官が「精神科へ連れて行ったほうがいい」と勧めた。
 医師は「このままでは廃人になる」と告げ、週一回の通院と、同じ苦しみを持つ人たちの集まり「断酒会」に行くことを義務づけた。
 断酒会では、被害を受けた妻たちが体験を語る。順二さんには、酒を飲んだ後の記憶がほとんどない。香代子さんが話すのを聞いて、涙があふれた。
 二十年という長い長い歳月がたってようやく、めぐのお父さんは「アルコール依存症」という、とてもこわい心と体の病気とたたかう決心を自分でしたのです。
映代さんが帰国したのは順二さんが酒を断って間もなくだった。翌年春、父母が松戸に来た際、地元の断酒会を一緒に訪ねてみた。
 めぐは知ったのです。世の中には、同じ病気で苦しんでいる人とその家族がどれほど多いかを。
 「心に痛みを持つ人ほど、他人を思いやることができる。だから、つらい思いをしている今のあなたにも価値があるのよ」。映代さんは、かっての自分と同じように苦しんでいる子供たちに、それを伝えたいと思った。新聞で童話の募集広告を見つけると、三か月がかりで書いた。
 「悲しかったり、つらかったりして流す涙って、決してむだにはならない」「心が傷ついている人ほど、大きな愛を感じ取ることができるし、人の心に愛の種をまくこともできるのよ」
 妖精にこんなせりふをつけた。
 制限枚数を超えて応募しないままになっていたが、その年の秋、出産の手伝いに来てくれた香代子さんに見せた。帰路、車中の約四時間、香代子さんは涙が止まらなかった。
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 数日後、電話が鳴った。
 「泣けて泣けてしょうがないんだよ」。順二さんからだった。娘には暴力を振るわず、かわいがっていたつもりだっただけにショックだった。一方、映代さんは父が童話を読んだことにヒヤッとした。怒ってまた酒に逆戻りするのではないかと思った。たが、「二人でいくら借金しても出版しようねと言ったんだよ」と、思いがけない言葉が続いた。順二さんたちは「童話を形のあるものにすることが、娘へのせめてもの罪滅ぼし」と思ったという。
 昨年、自費出版された童話のあとがきに、香代子さんは「『涙がくれたおくりもの』は、主人と私に希望と勇気を与えてくれました。そして、親子の絆という、限りない愛が伝わってきました」と記した。映代さんは「初めて親子三人が心を一つにできた家族の作品だと思います」と語る。
 めぐが妖精からもらった涙の粒で出来たペンダントには、「希望」の文字が浮かび上がっている。
 めぐの旅の終わりを告げるこのシーンには、「どんなにつらくても絶望しないで」というメッセージが込められている。
(藤田 和之)


 「涙がくれたおくりもの」は、四百円分の切手か郵便為替を同封して上山さん(富山市月見町4-30,0764・29・2852)に申し込むと、郵送してくれる。