断酒会の歴史 




 日本に生まれた断酒会は、1935年にアメリカで誕生したAA方式に影響されたが、日本の文化や宗教観の違いを配慮して作られた自助グループである。特に、AAと異なり組織化、非匿名、会費制が導入され、日本の国民性に合った自助グループとして発展してきた。

 その誕生の歴史は、明治時代に始まった禁酒運動に発端がある。昭和28年に、禁酒同盟の中でAA運動に触発され、それを学んだ者が日本にその運動を根付かせようとして「断酒友の会」を設立したが、まもなく挫折した。昭和32年に組織を改めて「東京断酒新生会」として再発足した。

 昭和33年に、高知市において禁酒同盟の小塩完治によって、AAと「東京断酒新生会」などの活動が報告された。それに触発され、下司孝麿医師と元患者の松村春繁らが 中心に、「高知断酒新生会」が発足した。この2つの東京、高知の断酒会誕生により、その活動が全国に広まった。

 昭和38年に全日本断酒連盟(全断連)が結成され、初代会長に高知県断酒新生会会長・松村春繁が就任した。会長を中心に、断酒道場の開設(昭和39年)、断酒子供会の結成(昭和39年)、断酒学校が開催(昭和40年)され、全国に相次いで断酒会が発足し、地域ブロック大会や、全国大会が各地で催された。このような活動の波が全国に拡がり、断酒会活動は全国規模となり、現在の隆盛を認めている。

 現在、断酒の目的は同じであっても、悩みがそれぞれ異なったりするために、グループ化が起こっており、サブグループとして単身者の「シングル」、身障者の「虹の会」、女性アルコール依存症者の「アメシストの会」などと発展を認めている。