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■E『映画で見る新約聖書の世界』■
『ローマ帝国に挑んだ男 -パウロ-』2000年 176分
(原題:SAINT POLE)

『ローマ帝国に挑んだ男 -パウロ-(2000)』
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【スタッフ・キャスト】
 監督:ロジャー・ヤング
 脚本:ガレス・ジョーンズ、ジャンマリオ・パガノ
 製作総指揮:パオロ・ルチディ
 音楽:カルロ・シリオット

 出演者:ヨハネス・ブランドラップ(サウロ/パウロ)
     トーマス・ロックヤー(ルベン)
       バルボラ・ボブローヴァ(ディナ)
     エンニオ・ファンタスティキーニ(ペテロ)
     G・W・ベイリー(バルバナ)
     ジョルジョ・パソッティ(ヨハネ)
     フランコ・ネロ(ガマリエル)
     ダニエラ・ポッギ(マリア)
     ウンベルト・オルシーニ(千人隊長)
     クリスチャン・ブレンデル(ジェームス)
     ジョヴァンニ・ロンバルド・ラディス(ヘロデ大王)
     ジャック・ヘドレー(大祭司)
       マリア・クリスティナ・ヘラー(ハガル)

【解説】
 この映画は、異邦人伝道を通じて、信者が広がっていく段階において、異邦人に律法の割礼や食物規定を守らせるかどうかで、使徒たちとパウロたちの間で論争があったエルサレム会議が、民族宗教の一教派から世界宗教へと発展していく上での分かれ道となった経緯が描かれています。
 登場するルベンとディナは架空の人物ですが、ルペンは世間の保守的な人間たち(当時の祭司や支配階級の人々、一般的なユダヤ人、常識的な世間)を、ディナは敬虔なクリスチャン像を、それぞれ体現する人物として登場させ、サウロの人物像と回心をより理解させる役割を担わされています。

 特に、復活や天使・霊などについては否定的なサドカイ派の意見をルペンに代弁させ、復活や天使・霊を認めるパリサイ人の立場をパウロの師のガマリエルに述べさせ、これまで描かれることのなかったサドカイ派とパリサイ派の違いを描くなど、創作的なものが織り込みながらも、聖書の本筋を邪魔していないところに、優秀なクリスチャンのスタッフの存在が感じられます。
 特に自分の信仰を過信するあまり、自分以外の信仰を認めないルペンの頑固っぷりに呆れ、神は完全・絶対であっても、人間は不完全で、自分も間違えるかもしれないという恐れや不安がない人間の恐怖を感じさせ、自分の弱さを誇ったパウロやバルバナと対比させている点は評価してもいいと思います。

 それに対し、日本語のサブタイトルを付けた人はクリスチャンではないと思われます。
 本編を見ると、ローマに挑むどころか、ローマに着いたところで終わっていますし、パウロはイエスの教えに従い、神の義と愛を第一に求めたことが、結果としてローマの正義と違っていただけで、ローマに挑もうという意識など全くなかった筈です。
 イエスは敵対するパリサイ派の人々の行動に対しても「彼らのことは放っておきなさい(マタイ15:14)」と言われました。
 それは、神の御心を人間は知ることが出来ないからであり、それを攻撃することは、もしかしたら神様のご計画を邪魔し、敵対することになりかねないからです。

 この映画の中においても、パウロの師匠で民衆全体から尊敬されていたガマリエルという律法学者がペテロとヨハネの裁判において言いました。
 「あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。(使徒5:38-39)」という理由から、使徒たちを擁護したのでした。

 あまり言う人はいませんが、こうしたイエス様の教えやガマリエルの知恵は今日の言論の自由の始まり、民主主義の芽生えと言っても決して過言ではなく、あまりに先進的で進んだ考え方に驚きを禁じ得ません。
 それにもかかわらず、このような好戦的な題名をつけられたら、パウロが語っていたいたイエス・キリストの『迫害するものために祈りなさい』という教えとかけ離れたものになり、間違ったキリスト教のイメージが伝わる恐れがあり、「題名に偽りあり」として、BPOに報告したくなります。
 場面場面で、新約聖書の有名な御言葉が入ると、なぜか嬉しくなり、ほっとします。

 熱心なパリサイ派の律法学者であるサウル(パウロ)が、キリスト教徒を迫害する側から、キリスト教伝道者パウロに劇的に変化する、いわゆる「ダマスコの回心」の場面(使9:3-8)が可視化・表現されているのも良かったです。

 さらに、重要な人物でありながら、意外と知られていないガマリエルと共に、バルバナが大きく取り上げらえているのも、この映画の見どころの一つです。
 バルバナは、所有する土地を売って、初代教会の救済資金に捧げた人物です。(使4:36)
 パウロの第2回伝道旅行に際し、従兄弟のヨハネ・マルコ(マルコの福音書の著者)を連れていくか否かでパウロと意見を異にし、袂を分かつに至った(使15:37-39)とされています。
 以後、シラスがパウロの伝道旅行の同労者となりました。
 本編でのパウロとバルバナとの和解は、フィクションかもしれませんが、そうあってほしいという願望もあり、とても感動しました。

 ただパウロがかなりのイケメンでかっこよすぎた点、目が見えなかったり、背骨が曲がっていたなどの弱さや聖書で書かれている棘に関する部分が殆んど描かれていなかった点、「使徒の働き」を記録したルカが全く出て来なかった点、そこが少し残念なところではありました。
 この部分に関しては、映画『パウロ 愛と赦しの物語』で補っていただければと思います。

 福音書とは違い、「使徒の働き(使徒行伝)」を取り上げた作品はあまりないので、この2作品は面白いですし、新約聖書の全体の流れを知る上でも大いに参考になると思います。
 聖書を信じる信じないは別にして、パウロはこの人なくして今日のキリスト教はなかったと言っても過言ではない偉大な人物であり、それほど全世界に、そして歴史に大きな影響を与えた人物の業績について、知識・教養として知っておいても、決して無駄にはならないと思います。(By天国とんぼ)


【ストーリー】(ネタバレ注意)
■一部
 イエスが亡くなって間もない頃、祭司のルベンと天幕職人のサウロは、サドカイ派とパリサイ派と立場も違えば、闘技場で戦うライバル同士でありながらも友人であった。
 ルベンは、父親が亡くなったディナの面倒を見ており、結婚を意識している。
 サウロは、盗賊に襲われていたバルナバとハガル夫婦の命を助ける。
 二人はイエスを信じるキリスト者であった。

 五旬節の日に祈っていると聖霊に満たされイエスの存在を感じるペテロたち。(使2:1-2)
 今こそイエスを宣べ伝え、本当に力が与えられたか試す時が来たと、神殿に立つペテロとヨハネの前に足の萎えた物乞いが現れ、ペテロが「イエスの名において歩きなさい」と命じると、物乞いは立って歩いた。(使3:1-10)
 しかし、ルベンは元々歩けたのだと言って、ペテロを逮捕する。(使4:3)
 神殿の大祭司の前に引き出されたペテロは堂々と「イエスが治した」と宣言する。(使4:1-15)
 大祭司は二人を解放するが、「イエスの名で語ったり教えてがならない」と布令を出す。(使4:18)

 バルナバとハガルはイエスの母マリアと出会い、ペテロからパブテスマを受けるが、イエスの名で語ったことを理由にペテロとヨハネは逮捕される。(使5:18)
 議会では、祭司たちの間でも意見が分かれ、「彼らが偽者なら何もせずとも滅びるし、本者なら我々が神に敵対することになる」と慎重に対処するようにとパウロの師・ガマリエルは主張する。(使6:34ー40)
 「彼らを迫害しないで」とルベンに忠告する母とディナ。
 サウロに意見を聞こうと招くルベン。

 過ぎ越の祭りで屠られる子羊の数が2万匹、その皮で天幕を作ることでサウロは金持ちとなり、大祭司を脅して守衛長になったとディナに語るルベン。
 ルベンの母が危篤になり、死ぬ前にペテロに会いたいとルベンに頼む。
 民衆の前で説教しているペテロのところに母を連れていくが、救いを信じるかというペテロの問いに答えられず、母は亡くなり、安らかに亡くなったというディナとサウロに反発し、ますます頑なになるルベン。

 ヘロデのところに泣きつく大祭司。
 ローマの千人隊長とガイオ将軍も数千人いるイエスの信奉者を鎮圧するように要請する。
 イエスの御言葉を語る(まさにイエスの姿と重なる)ステパノを侮辱するルベン。
 止めるガマリエルの言葉を無視して、ルベンに従い、ステパノの死に関わるサウロ。(使7:58-8:1)

 サウロはヘロデに、「異端であるキリスト者を見つけ出し連行してくるので、ダマスコに行かせて」と願い出て許される。(使9:1)
 ダマスカスの会堂の長であるアナニヤへ警告しに向かうバルバナ。
 サウロとルベンを追ってきたディナは、「何故迫害するの?」とサウロに尋ねると、「既に人を殺していて後戻りできない」と答えるサウロ。
 ダマスコ途上、落馬するサウロに、「何故私を迫害するのか」という声が聞こえ、誰かと訪ねると、「お前が迫害しているイエスだ。町に入ってなすべきことをするように」と告げられる。(使9:4)
 狂ったように暴れるサウロは目が見えなくなっていた。(使9:8)

 アナニアは夢で、「サウロを探し出して目を治せ」と命じられる神の声を聞く。(使9:10)
 「サウロに会えばお前は殺されるし、どこにいるかもわからないだろう」と止めるバルナバに、「サウロはユダの家にいて、私が来るのを待っている」と神の言葉を伝えるアナニア。(使9:11)
 アナニアは、サウロの家に向かう。

 客が来たと告げるディナに、サウロは「アナニアだ」と告げ、「アナニアが来て目を治してくれると夢で神の声を聞いた」と告げるサウロ。
 「主の聖名を異邦人たちに運ぶ、選ばれし器だ」という神の声(使9:15)をサウロに知らせるアナニア。
 アナニアが手を置き、目がみえるようになるとサウロはバルナバから洗礼を受ける。(使9:18)

 キリストを信奉する者たちの集会に現れたサウロは、「タルソのサウロだ」と自己紹介するが反発する会衆に、「自分はイエスに出会い、洗礼を受けた」と証しをし、受け入れられる。(使9:20)
 サウロを探すルベンに嘘の情報を伝えたことで、もう戻れないし苦難が待ち受けると告げるバルナバに覚悟を受け入れるディナ。
 ルベンが殺そうと探し回る中、サウロはかごの中に入り城壁つたいにつりおろされ、逃げることに成功する。(使9:25)

■二部
 サウロを求めて狂ったように神殿内を探すルベンに、ガマリエルは祈りをを妨げるなと言うが聞く耳を持たない。
 人々の前で自分の罪を告白し、改心したことを証しするサウロ。(使9:20)
 バルナバは、サウロ改めパウロを引き受け、使徒たちに会わせていた。(使9:27)
 「イエスの御言葉を異邦人に伝える器として選ばれた」というパウロの言葉に反発するヤコブ。
 パウロに異邦人伝道の許可を与え、祝福するペテロ。

 身の危険を感じたペテロは、ヤコブだけをエルサレムに残し、パウロを故郷であるタルソに(使9:30)、自分はユダに(使9:32)、バルナバはアンテオケへ派遣する。
 ディナとルベンは結婚する。
 「パウロを守り、ルベンをどぞ許してください、そして彼の心が開かれますように」と祈るディナ。

 異邦人伝道に反対するヤコブに、「神は私に差別するなと告げられた」とペテロは語るが、反発するヤコブ。
 ルペンはヘロデに「妻のディナを利用してキリスト者を捕まえる」と申し出て、その冷血ぶりを呆れられるが、意に介さないルベンは、ディナを言葉巧みにだまして、パブテスマを授けている場所を急襲し、捕まえた指導者をヘロデは処刑する。
 民衆の喝さいを浴びたことに味をしめたヘロデは、ペテロを捕まえることをルベンに命じる。
 ペテロを捕まえたルペンを「悪魔」と叫ぶが、自分のせいだと落ち込むディナに、主の祈りを教える聖母マリア。

 ペテロは聖霊に導かれて脱獄するが、ヘロデはルベンに10日以内に捕まえることを命じる。
 しかし、まもなく急死し、アグリッパが王位に就く。

 バルナバはタルソに行き、伝道旅行に誘う(使11:25)。
 船旅でキプロス島のサラミスに到着するパウロたち(使13:4)。
 ローマの将軍はルベンにパウロはキプロスにいるから探せと命じる。
 パウロがルステラで生まれながらの足なえの人に信仰があると見て、「歩け」と命じると歩いた。(使14:8)
 そこにルペンが現れ、石で打ち、パウロとバルナダを崖から落すが、二人は無事だった
 アンテオケの教会に二人はいた。
ペテロも滞在していたが、ヤコブの使いが来るとペテロとバルナバは異邦人たちから離れた。
 律法では、異邦人たちとの食事は禁じられていたからだ。
 割礼の問題も含め、そのことで揉めるが、一か月後エルサレムで会議することに。(使15:2)

 そこでパウロは「イエスが律法を終わらせた。イエスはキリストだ。我々はキリスト者(クリスチャン)だ」と宣言する。
 「重要なのはイエスの教えを受け入れさせること」で、「衣服や食事の規則は正しい生活のための慣例であって絶対的な規則ではなく押し付ける必要はない」、「律法の中心は互いに愛すること」、「食物より、口から出る言葉が大事なのだ」と主張するパウロに、「考えを改めた」と同意するペテロ。
 ヤコブも、「異邦人に律法の重荷は負わせないが、神の戒めには従ってもらうことで満場一致で決議したと布告を出す」と異邦人伝道を認める。(使15:19)

 パウロは「まずギリシャに行き、次いでローマに行く」とバルナバに告げる。
 「神々の居る国で歓迎されない」と消極的になバルナバに、「信仰がない」と叱咤するパウロに、「傲慢だ」と反発し、「イエスを殺したローマに行くなど自殺行為で神の意志である筈がない」と言うバルナバに、「神の意志だ」と告げ、決裂する二人。
 トロアスに向かうパウロ。(使16:8)
 アクアとブリスキアというクリスチャン夫婦と出会い、イエスの御言葉を語るパウロ。

 エルサレムに戻るパウロ。
 ヤコブの要請に従い髪を切るパウロ。
 パウロが戻ったと知り、怒り、殺そうとするルベン。
 そこへ駆けつけたヘロデは、千人隊長に殺してはならぬと命じる。(使21・32)
 「自分はローマ人だ」と告げるパウロ。(使21・39)

 大祭司らの前で、「自分はローマ人であり、律法を守ってきた。
復活を信ずるパリサイ人で、そのことで罪を受けている」と訴えると、復活や霊を信じるパリサイ派と信じないサドカイ派の間で議会が真二つに割れる。(使23:6-)
 パウロを殺するまで飲み食いしないと誓うルペンとユダヤ人たち。(使23:12)
 暗殺計画をヘロデに訴え、パウロを助けるディナ。
 牢獄で「ローマに行くように」という神の声を聴くパウロ。
 
 新たな王となったアグリッパの前でイエスの愛を説き、ローマに送られることになるパウロ。
 ローマ行きの船に乗ろうとするパウロの前にバルナバが現れ、互いに詫び和解する。
 ディナとも出会い、互いに命の恩人と感謝し合う。
 パウロを殺すことに失敗したルペンは,ローマの将軍に殺される。
 船の上で嵐に会うが、パウロは、「貴方は必ずカイザの前に立つ、船の者は全員助かる」という神の声を聴く。(使27:24)
 こうして全員マルタ島に辿り着き無事であった。
 そして、ようやくローマにつくパウロ。

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