運行表に戻る 前の停車駅 次の停車駅


「 地 の 底 」





地の底に沈んでみれば

あんなにも遠かったか

月の残骸が

惑星と呼ばれるこの上位階級を

清しげに照らし出している

地上に向かうほっそりとした坑道

僕の心根の折れたくないとすがりつく一線



地の底に沈んでみれば

悲しむであろう人が数人と

聴いておきたかった曲が三つ四つ

読み返したいと焦がれる詩が十編

それからここには不似合いな笑顔一つ

一生に一度

会心の笑みは君の顔をしている



地の底に沈んでみれば

朝露が花弁から滴り落ちてくるのを

一心不乱に待ち焦がれている

それが生きることであり

それが生きることであり

恋というのは

いのちごと傾けて滴りわたす絆

花弁の傾きと僕の心の傾きの重なりは

ただ一滴の毒ともしれぬ滴りで結ばれている



地の底に沈んでみれば

見渡せるのは車の腹と人の足裏

ここからは世界の成り立ちが見えている

宇宙に真正面から向き合っているのだから

嘘つきと力無きものたちはやかましく

心あるものはみんな静かに流れる

楽しき日々のことなどは

賑やかな静けさに満ちていて

傷口さえも穏やかな血を流す



地の底に沈んでみれば

しかし

過去を悔いるにはこの牢獄は最良の檻

僕は今でも過去を恥じて生きている

魂の成り立ちを傷跡と感じている

過ぎ去るものたちの鈍い痛みに

耐えきれずに黙り込んでいる

輝かしい細切れ

優しく暖かな胸の日溜まり

手を伸ばし触れた瞬間それらが

傷口に染み込んで腐食し始めている

そして腐った肉片は

また同じ僕の形をしている



地の底に沈んでみれば

何もかもがずっしりと重たくなった気がする

一つ一つ地面にくい込んでいくのが人生だとすれば

生きるとは愚鈍に重ねられても深く重いものだと気づく

地べたにはいつくばらなければ

地球の加速度はわからないものだ

努力を傲慢の免罪符とするものたち

宇宙に満ちる涙と汗を知るがいい

君たちの労苦に僕は感動するが

満天に輝く一粒一粒に及ばぬ

愛おしい愚か者の祭り!

その底辺に押し潰されている僕のこの誇らしさ



地の底に沈んでみれば

新しいものは

ここら辺から地上の方へと突き抜けていくものだとわかる

暗く熱いドロドロした溜まりから押しあがっていく

それがあるべき姿なのだと誰も認めないのは

それが非現実なほどに感動的だからか

存在論も宗教もカサブタのよう

この暗く熱い噴き上がりを魂に焼き付けておけ

ここからは雲の流れや

太陽と小鳥の戯れが見える

小川のせせらぎと汽車の振動の

複雑に紡がれていく機音が聞こえる

いのち球の生半球と死半球

ある時は陽に照らされある時は夜を迎え

その自転を司る地軸

僕はそれこそが魂と呼ばれると知った



地の底に沈め

胎内は還る場所ではなく

自ら求めて踏み込む臨界試験場だ

そしてこの暗く熱い原始衝動の高まりが

輝く地上めがけて噴き上がっていくその一直線を

泣き出しそうな魂の根源の誠実とせよ!

知の亡者たちは唇を歪めながら

いのちは欲望のなすがままだと言うけれど

地の底に沈んでみればわかるはずだ

この奔流は清らかであると

悪意を持たぬ純粋な濁流なのだと

そして

僕が恋し憧れるのは

そういうものたちなのである


運行表に戻る 前の停車駅 次の停車駅