ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(10)

前回までのお話
P.10
 

 
 
 

「お姉ちゃ〜ん、エミィ、早く、早くぅ!」
 
 
 
 

カティナは左手に持ったお弁当の入れ物を傾けないように気を付けながら、待ち

切れないというように時々後ろを振り返ってレジアたちを急かしては、小走りで

どんどん進んでいく。
 
 
 
 

「わかってるよ、そんなに急ぐと転ぶよっ!」
 
 
 
 

レジアは苦笑しながらカティナに答えると、フッと真面目な顔つきになって、小

声でエミィに話しかける。
 
 
 
 

「だからね、何度も繰り返すけど、人前では絶対あんなことしちゃダメだ。まだ

 あんたには詳しく話してないけど、結構ヤバイんだからね。」
 
 
 
 

「そんなに・・・ヤバイ、ことなの?キスするだけで・・・。」
 
 
 
 

エミィはそう言いながら、リーナの爽やかな甘い香りを思い出していた。リーナ

のことを思い出すだけで、何故だか心が安らいでしまう。しかしその安らぎは、

何か言葉にはならない影の部分を相変わらず感じさせた。
 
 
 
 

いったい、リーナのどこが問題なんだろう・・・。エミィは自分の気持ちの揺れ

が、エミィ自身のせいなのか、それとも本当にリーナに何か原因があるのか、わ

からなくて戸惑っていた。とにかく、早めにリーナにもう一度会って、確かめよ

う・・・。そんなことを考えてボーっとしながら歩いていたエミィは、道に敷き

詰められている石畳につまずいて、転びそうになる。
 
 
 
 

「きゃっ!」
 
 
 
 

「おっと、大丈夫かい?考えごとしながら歩いてるからだよ。」
 
 
 
 

レジアがとっさに支えてくれたお陰で、エミィは転ばずにすんだけれど、やはり

リーナのことが頭から離れなくて、「ありがとう、気を付けるね。」とだけ言う

と、そのままうつむいて歩き始めた。
 
 
 
 

「エミィ、詳しいことは大石柱のところで話すから、今はしっかり歩きな。とに

 かく、あんたの星にどんな習慣があるかは知らないけど、<左頬にキス>する

 のだけはダメだ。要らないトラブルに巻き込まれるモトだからね。」
 
 
 
 

「うん、わかった。」
 
 
 
 

とりあえず、リーナのことは今考えていても仕方ないもんね。エミィは気持ちを

切り替えるためにフッと息を小さく吐き出すと、周りの街並みを眺めてみた。
 
 
 
 

ここはエスタミス市の第三層の南側の大通りで、エミィたちは通りを南側から北

に向かって歩いていた。エスタミス市は、大石柱を中心に据えて、その周りを三

層に街が取り囲んでいる大城郭都市である。
 
 
 
 

中心部の第一層には大石柱とその他の古代王朝時代の遺跡群が散在し、観光地で

あるとともに学術調査が盛んに行われていた。一方、第二層には政府の官庁街や

公共施設があって、層の北側には、大石柱と並んでエスタミス市のシンボルとも

なっている、エスタミス城がそびえていた。この城は、朝日に輝く城壁の様子か

ら、別名“白皇城”とも呼ばれる美しい城であった。それに対して第三層には、

一般の居住区や商工業区域が広がっていて、五十万人近いエスタミス市の人口の

大部分が集中していた。ランテルス教授の家も、この第三層の南側にあった。
 
 
 
 

本来、エスタミス市の城郭は二層構造であり、北部山岳地帯の諸国の武力侵攻か

ら大石柱を守る目的で建設された。したがって、シン・ファレシアはエスタミス

城を防衛の最前線拠点となる位置に建てていたのである。
 
 
 
 

ところが、この国の基本方針である文化振興政策や、それに基づく治安の良さに

惹かれて、徐々に人口が増えてしまい、第三層を建設せざるを得なくなった。だ

から、城郭都市としての防衛機能は、ほとんど期待できなくなっていたのである

が、それに代わる新しい機能がこの第三層には生まれていた。
 
 
 
 

それは「文化的防衛線」と呼ばれる機能であって、他国はエスタミス市を「文化

的不可侵地域」として認識するに至っていた。そして、エスタミス市民は誇りを

持って自分たちを「五十万の人の城壁」と呼んでいたのだが、実際にヴェスタリ

オミア新暦二十五年に起きたノーリスの戦いにおいて、その機能の有効性が証明

され、エスタミス市が守られたばかりか、戦争を終結させる原動力にさえなった

のである。
 
 
 
 

また、エスタミス市に第三層が建設された頃から、この城郭都市の周囲の森がそ

の範囲を広げ始め、現在では天然の城郭と言えるほどに広大な地域を覆っている

という事実は、世界中の人々に「文化的防衛線」の意義を無言のうちに訴えかけ

ていたのであるが、それについては懐疑的な見方も当然多かった。
 
 
 
 

エミィは、昨日レジアに教わったエスタミス市についてのこれらの知識を、いろ

いろと思い出しながら、「五十万の人の城壁」と自分たちを呼ぶこの街の人々の

活気と力強さを、肌に感じて歩いていた。
 
 
 
 

道の幅は五十メートルくらいだろうか、それが全て歩道だった。この街の人々は

ほとんど乗り物を使わず、とにかくどこに行くときも自分で歩いた。もちろん、

ボーラのような六輪の自動車もあったし、アミタと呼ばれる四本足の動物に乗る

こともあったけれど、それは街の外へ行く場合であって、市街地では歩いて移動

するのが普通であった。
 
 
 
 

それで、いつでも道は人々が行き交って途切れることがなかったのだが、その誰

もが実に活き活きとした表情であることに、エミィは驚きもし、少し戸惑うこと

もあった。
 
 
 
 

地球圏では、たいてい誰でも「落ち着いた」表情をしていた。決して活気がなか

ったわけではないし、むしろエミィが接していた人々はみんな、なにかしら目標

に向かって努力していた人ばかりで、元気がよかった。しかしそれでも、この街

の人々に比べると、誰もがゆったりとした、静かな表情だった。目の輝きにして

も、この街の人々は何か、弾けている感じがする。この差はいったい何だろう?

エミィにはよくわからなかった。もしかしたら、地球圏の人類の方が精神が成熟

していたのかも、そう考えている自分に気づいて、エミィは何となく惨めな気持

ちになってしまった。
 
 
 
 

道のあちらこちらで、笑い声や歓声が上がる。しかし騒々しい感じは全然しなく

て、楽しい雰囲気が街の中を整然と流れているのである。子供たちが大人たちの

間をスルスルと走り抜けて、物売りの店先で上演している客寄せの人形劇や手品

の前に集まっていく。
 
 
 
 

天気は上々で、この季節(二月は普通、肌寒い)には珍しく、汗ばむほどに暖か

かった。レジアによれば、これはエミィの「星」が落ちたのに伴う、「星風」の

影響もあるのだろう、ということで、エミィはなんだか申し訳ないような気がし

ていた。そんなエミィにレジアは、「お祈りすると願いが叶うんだよ?あんたは

全世界の悩める乙女に、プレゼントばらまいたんだ。ちょっとくらい暑くなって

も、どってことないよっ!」と言って、笑っていた。
 
 
 
 

道の両側には暖色系の色使いの建物が並んで、たいていの入り口は道に向かって

開け放たれていた。店を出しているものもあれば、玄関の前に座り込んで何か飲

み食いしながら、ゲームや話に夢中になっている集団もいる。
 
 
 
 

そして、この街並みには植物と水が、非常に豊かに溶け込んでいた。道を覆う石

畳はところどころ途切れていて、そこから水が湧き、自然の噴水や池になってい

た。植物はその水場を中心に繁っていて、森の一部ではないかと見紛うような場

所さえあった。また、水場には様々な動物や鳥たちも住み着いていて、よく街の

中に出てきては、子供たちから餌をもらったりしていた。
 
 
 
 

初めてエスタミスに来たとき、エミィはそれを見て「道が壊れてるのに、誰も直

さないなんて・・・」とランテルス教授に訴えたことがあった。それに対して、

教授は驚いたように、「なに言うとんのや、土を全部隠してもうたら、わいら、

みぃんな死んでまうやないかっ!」と答えている。
 
 
 
 

この星には、土とのつながりをなくした生命は、衰えて死んでしまうという考え

方があって、人々は土に触れることをとても大切にしていた。しかし、生まれて

からほとんど土のない環境で育ってきたエミィには、この考えは全く理解できな

かった。むしろ、道が途切れているところで転んで怪我をしたり、あるいは何か

の病原体が繁殖するのではないか、という心配が大きかった。
 
 
 
 

それでも慣れてしまうと、この土と水と植物の存在は、エミィにとっても心地良

いものとなった。エミィはふとしゃがみ込んで、そばにあった湧き水を手ですく

ってみる。それは冷たいばかりではなく、柔らかな水だった。土や水に触れてい

ると、確かに何か暖かい力強さが心にこみ上げてくる気がした。
 
 
 
 

カティナは、しゃがみ込んだエミィや、その後ろに立ってエミィを待っているレ

ジアにお構いなしに、どんどん人の流れの中を泳いでいく。それで、エミィはカ

ティナを見失ってしまいそうになって、ハラハラした。
 
 
 
 

「レジア、あの娘、大丈夫かな?一人で先に行っちゃって・・・。」
 
 
 
 

「平気、平気。行き先はわかってるんだしね。それよか、うち・・・じゃない、

 あたしには、あんたの方が心配だね。」
 
 
 
 

そう言って、レジアはニッと笑う。どんなに離れてもレジアには、カティナを見

つける自信がある。昔からレジアは、カティナを人混みで見つける名人だった。

たとえカティナの真っ赤な服や、あの逆立ったような独特のヘアースタイルがな

くても、レジアにはカティナの気配のようなものが感じられた。カティナを包ん

でいる「何か」が、いつでも見えたのである。
 
 
 
 

「ま、姉妹の血、ってやつかな。」
 
 
 
 

「ふ〜ん、すごいんだね。まあ、たとえ・・・迷子、になっても、この街なら、

 みんなで・・・探し出してくれそうだけど、ね。」
 
 
 
 

「そうそう。この前なんて、すごかったよ。お城の前あたりで迷子が出たんだけ

 どさ、そしたら、この子のかぁちゃんどこだぁっ!って、あっちこっちで叫び

 声が挙がってさ。結局すぐに母親は見つかったんだけど、五百人くらいの人が

 母親探しに集まっちゃって。ちょっち見てて恥ずかしかったけどね。」
 
 
 
 

「ふぇ〜。あ、でも、レジアもその中にいたんだ・・・?」
 
 
 
 

「え?あ、ま、まあ、ね・・・。あ、あの子、泣いてたから、つい・・・。」
 
 
 
 

真っ赤に頬を染めてシドロモドロになるレジアを見て、エミィは思わず大きな声

を立てて笑ってしまう。そんなエミィをキッと睨んで、レジアはぶっきらぼうに

言った。
 
 
 
 

「エミィ、あんた、自分が迷子になったりしないでよね。一応、今のとこ誰にも

 気づかれてないけど、あんたは「異星人」、なんだから。」
 
 
 
 

「あっ・・・。」
 
 
 
 

エミィはレジアに言われて、ハッとした。そうだった、あたしはここでは異星人

なんだ。もしそれがバレたら、大騒ぎになってしまう・・・。今までは大丈夫だ

ったけど、気を抜くことはできないんだよね・・・。
 
 
 
 

エミィがランテルス家に来るようになってから、教授の妻のシシアは、エミィが

暮らしやすいように何かと手助けしてくれたのだが、その中でも服装に関しては

シシアのお陰で、エミィは何の心配もせずにすんでいた。
 
 
 
 

もともとエミィは、外見的にはそれほどこの星の人々と違ってはいなかったが、

それでも服装には注意しないと、やはり問題があった。特に、顔はなるべく露出

しないようにしたかったのだが、シシアはいろいろ考えて、結局、帽子を被るの

が一番だという結論に達した。それで、エミィに似合うような、それでいて顔を

なるべく隠せるようなデザインで、しかも流行からそれほど外れていないような

ものを、シシアはあれこれと工夫してくれた。もうひとつの問題である指が一本

多いことについては、手袋を着用することにして、これもシシアがあまり目立た

ない、違和感のないものをあつらえてくれた。
 
 
 
 

ただ、履き物については、足を露出するサンダル状のものが一般的に履かれてい

たのだが、これでは指が見えてしまうために、仕方なくコーダ大陸の東部のロス

テムス王国辺りで履かれている、足首までスッポリ覆う靴を取り寄せた。それを

見て東部生まれの教授は喜んだが、レジアは「だっせぇ〜。でも、まあ、正体が

バレそうになっても、東部生まれだって言ってごまかせるかもな。」と顔をしか

めながら呟いた。
 
 
 
 

とにかく、こうやって苦労して用意してもらった服装を、エミィはいつも楽しみ

にしながら着ていた。特に今日の服装は、ベージュ色を基調にしたフワフワした

ワンピースに、つばの広い花飾りのついた帽子という出で立ちで、今までシシア

が用意してくれた中でもエミィは一番気に入っていた。それで、エミィは今朝か

ら少し、ウキウキしていたのである。今までは外出するときには細心の注意をし

て、余計な動きをしないように気を付けていたのだが、今日はさっきから、しゃ

がみ込んだり声を立てて笑ったりと、いくらこの賑やかな街中とはいえ、ひとつ

間違えば目立ってしまいかねなかった。
 
 
 
 

表情を引き締めて黙り込んでしまったエミィを見て、レジアはしまったというよ

うに、わざと明るい声を出す。
 
 
 
 

「まあ、この街の連中じゃあ、たとえ異星人だとわかっても、たいして驚きもし

 ないで受け入れちゃうだろうけどね、きっと。」
 
 
 
 

「うん、そうかもしれないね。」
 
 
 
 

エミィは実感を込めて、ニッコリと笑ってうなずく。今までにも何度か、ほんの

一瞬だけ顔を見られてしまったことはあったけれど、そのときも「変わった顔立

ちだねぇ、どこの生まれだい?メアラス辺りかね?」と聞かれる程度ですんでし

まっていたのだ。
 
 
 
 

「さあ、もう少し急ごうか。カティナのやつ、ふくれっ面してこっち見てる。」
 
 
 
 

「あ、ホントだ。それにしても、カティナって目立つよねぇ。」
 
 
 
 

レジアとエミィは顔を見合わせて肩をすくめてから、カティナに向かって小さく

手を振ると、早歩きで歩き出した。
 
 
 
 

エミィたちが歩いているこの大通りは、エスタミス市を南北に貫く幹線道路でも

あって、このまままっすぐ行けば、第二層に入る門に突き当たり、そしてその先

には第一層と大石柱があった。ちなみに、東西方向にはオスナム川が、エスタミ

ス市の中心よりやや南側を貫いて走っており、交通と物資の輸送の大動脈となっ

ていた。
 
 
 
 

第二層にはランテルス教授が勤めるエスタミス大学もあったので、エミィたちは

時々大学に遊びに行くために第二層には入っていた。しかし今まで機会がなかっ

たために、エミィにとっては、第一層に入るのはこれが始めてである。
 
 
 
 

しばらく歩いて第二層に入る門の手前で、レジアとエミィはようやくカティナに

追いついた。カティナは相変わらず、ふくれっ面をしている。
 
 
 
 

「おっそいよ〜、二人ともっ!」
 
 
 
 

「ごめんよ、カティナ。でも、エミィはまだ慣れてないんだから、エミィに合わ

 せなきゃダメだろ?」
 
 
 
 

「だってぇ〜、お姉ちゃん・・・。」
 
 
 
 

ちょっと申し訳なさそうにして、カティナは上目遣いにエミィを見る。エミィは

苦笑するしかなかったけれど、そういうカティナが可愛くて仕方なかった。
 
 
 
 

第二層に入る門は“草門”と呼ばれ、石でできた門柱には緑と黄色の植物が絡み

合いながら巻き付いていた。しかし、門とはいってもその扉は常に開け放たれて

いて、閉じられたことはなかった。べつに警備の人間がいるわけでもなく、単な

る第二層への入り口に過ぎない。それでも第三層ができる前には、ここはエスタ

ミス市の表玄関であり、その名残の壮麗な装飾や、警備塔の跡が重厚なたたずま

いを見せている。
 
 
 
 

エミィはこの門が何となく気に入っていて、来るたびに門柱の石に触るのを儀式

のようにしていた。石の表面は湿っていて、ツルツルとした手触りだ。
 
 
 
 

「エミィ、行くよぉ。」
 
 
 
 

「は〜い。」
 
 
 
 

レジアに呼ばれて歩き出したエミィが、何気なく門の方を振り返ってみると、さ

っきエミィが触っていた門柱の石の辺りを、熱心に見つめている男がいる。その

男は石に顔を近づけたり指で撫でたりしながら、何かメモを取っているような感

じだった。
 
 
 
 

エミィの心臓が、急にドキドキと鼓動を速める。「危険っ!」心の中で警報が鳴

り響いた。
 
 
 
 

それから、男はエミィが見ていることにようやく気づくと、慌てて門の向こう側

へ走って去っていった。何だろう、あれは・・・。エミィの心臓は、まだ警告信

号を響かせ続けている。
 
 
 
 

「どうした?エミィ?」
 
 
 
 

レジアが心配そうな顔で走り寄ってくる。エミィは心を解放して、周囲を注意深

く感じ取ってみたけれど、レジアやカティナの不安以外には、特別な感情は読み

取れなかった。
 
 
 
 

「あそこの門のところで・・・、あ、ううん。何でもない。」
 
 
 
 

とりあえず近くに何も危険を感じなくなったので、エミィは余計な心配をかけた

くなくて、言葉を濁した。レジアは釈然としないという顔をしながら、門の方を

しばらく見つめていたが、何もなさそうだとわかると、「ま、いっか。」と言い

ながら、エミィの左手を握って歩き始めた。
 
 
 
 

「エミィ、あたしから離れないようにするんだよ。」
 
 
 
 

レジアは少し厳しい表情でそう言うと、握っている手に力を込めた。
 
 
 
 

「うん。でもさ、レジア、ちょっと・・・手が痛いよぉ。」
 
 
 
 

「え?あ、ああ。ごめん。つい・・・」
 
 
 
 

「お姉ちゃん、カティナも手ぇつなぐぅ。」
 
 
 
 

「お前なぁ、いったいいくつなんだよ。もうそんな歳じゃないだろ?」
 
 
 
 

「エミィよりは年下だもんねぇ。」
 
 
 
 

「じゃあ、カティナ、こっち来なよ。エミィ姉ちゃんと手つなごう。」
 
 
 
 

「わーいっ!」
 
 
 
 

カティナはエミィの右手をギュッと握ると、ブンブンと振り回して、戯けて見せ

る。カティナのこういう子供っぽさは、たびたびエミィたちの心を和ませてくれ

た。ただ、エミィはカティナの心の中に、大人びた部分も見つけていて、だから

多分にカティナのこういう行動は意識的であることも知っていた。
 
 
 
 

「カティナ。」
 
 
 
 

「ん?なぁにぃ、エミィ?」
 
 
 
 

「・・・ありがと。」
 
 
 
 

「え?・・・へへぇ、どういたしましてぇ。」
 
 
 
 

ふざけたようにそう言って笑うカティナを、エミィはやっぱり可愛いと思う。そ

して、自分がテレパスでなかったらよかった、とも思うのである。もっとも、あ

たしがテレパスじゃなかったら、こうやってみんなと話すことだってできなかっ

ただろうけどさっ。
 
 
 
 

そんなふうにして、三人でおしゃべりしながら歩いているうちに、オスナム川に

かかるもっとも大きな橋である“セシャル橋”に着く頃には、三人とも不安な気

持ちなどすっかり忘れてしまっていた。
 
 
 
 

このセシャル橋は、言わずと知れたシン・ファレシア妃セシャルにちなんで名付

けられた橋で、幅は三十メートルくらい、全長は百五十メートルほどあった。ち

なみにこの橋の名前は、シンがセシャルとの結婚に際して、彼女に贈ったもので

ある。そのときシンはセシャルに、こう言ったと伝えられている。
 
 
 
 

「この橋は、この国の人々の暮らしを支える中心だ。君が王妃になるということ

 は、この国の人々の暮らしを支える存在になる、そういうことなんだよ。その

 ことを忘れないために、この橋に君の名前を付けるんだ。」
 
 
 
 

セシャル橋を渡りながら、レジアからその話を聞いて、エミィはシンの顔を思い

浮かべていた。シン様って、立派な王様なんだろうけど、なんか奥様に対して厳

し過ぎないかなぁ・・・。そりゃあ、王様と結婚するってことは、自分の幸せば

っかり考えらんないってことだろうけど。せめて結婚するときくらい、もうちょ

っとロマンチックなこと言ってあげればいいのに・・・。まあ、愛する奥様を喜

ばせるためだけに、橋に名前付けるなんていうのは、もっと嫌だけどさ。
 
 
 
 

「ねぇ、お姉ちゃん。シン様とセシャル様って、ホントに仲悪いのかなぁ。」
 
 
 
 

「そんなわけないだろ?あんなの、国際放送協会のでっち上げだよ。最近あそこ

 も、何かとシン様に対抗意識むき出しだからなぁ・・・。」
 
 
 
 

レジアとカティナのそんな会話を聞きながら、エミィは橋の下を流れるオスナム

川を眺めて歩いた。そこには大小様々な船が行き交っていて、中でもキーナと呼

ばれる中型の帆船は、ゆったりと流れながら、とても美しい航跡を水面に映し出

していた。ところどころ、大型の流線型をした魚(のような生物)の群が波を立

てる。両岸に近い辺りでは、漁をしているのだろうか、アルティメナ人たちが水

に潜っている。彼らは鰓があるために、水中でもある程度の時間、活動すること

ができた。水の音、水の香り、川面を渡る風。エミィにとっては何もかもが珍し

く、そして気持ちよかった。
 
 
 
 

橋のところどころには、螺旋を組み合わせたような不思議な形のオブジェが飾ら

れていて、さながら美術館か宮殿の中のような雰囲気を醸し出している。時々立

ち止まってそれらを眺めるのも、また楽しかった。
 
 
 
 

夢見心地でボーっとしながら、いつしかエミィたちは橋の中間辺りまで来た。橋

とはいっても幹線道路上だけあって、人通りはかなり多かった。それで、エミィ

は何度も人にぶつかりそうになったのだが、そのたびにレジアが腕を引っ張った

りして、避けさせていた。
 
 
 
 

「おいおい、エミィ!しっかり歩いてくれよぉ。」
 
 
 
 

「あ、ごめん。大丈夫、今度こそ、ちゃんと前見て歩くよ。」
 
 
 
 

「・・・」
 
 
 
 

「?・・・レジア?」
 
 
 
 

「しっ、黙って・・・!」
 
 
 
 

突然エミィの左腕をつかんだまま立ち止まったかと思うと、レジアは振り返らな

いまま、背中の方に意識を集中しているようだった。すぐ横を歩いていたカティ

ナも、不安そうな顔でレジアの方を見る。
 
 
 
 

「二人とも、振り向かないで。前を見て、このまま普通に歩いて。」
 
 
 
 

そう言うレジアの声は、今まで聴いたことがないほどに緊張している。エミィと

カティナは、言われたままに前を見つめて、歩くしかなかった。ついつい二人も

緊張して、右手と右足が同時に出てしまいそうになる。たまらず、エミィが小声

でレジアに話しかける。
 
 
 
 

「いったい、どうしたの?」
 
 
 
 

「・・・、つけられてる。」
 
 
 
 

「え!?」
 
 
 
 

「お、お姉ちゃん、どうするの?」
 
 
 
 

カティナも、今までとは打って変わって真剣な表情をしている。エミィは周囲の

心を感じてみた。すると、いつの間にこんなに近くに来たのか、確かにエミィた

ちを観察している人がいる。それはどうやら、さっき門のところで会った男のよ

うだった。エミィの心臓は、再び警告信号を連発し始めた。ただ、さっきよりも

ハッキリ感じることは、この男の心は、危害を加えようというよりもむしろ、好

奇心に近い色であるということだった。しかしそれでも、警告信号が鳴り止むこ

とは決してなかった。
 
 
 
 

「いいかい、うちが合図したら、二人とも一斉に走るんだよ。」
 
 
 
 

「走るって、レジア、あたしはそんなに速く走れないよ・・・。まだこの星の重

 力に慣れてないし・・・。」
 
 
 
 

すると、カティナがニコッと微笑みながら、小さな声ではあるが力強く言った。
 
 
 
 

「じゃあ、エミィはカティナがおんぶしてあげる。」
 
 
 
 

「え!?で、でも・・・」
 
 
 
 

エミィが戸惑ってレジアの方をチラッと見ると、レジアは真剣な顔に少しだけ笑

顔を浮かべて、ウィンクをする。
 
 
 
 

「よし、そうしよう。大丈夫、カティナはヴェスタリオだから、エミィ一人くら

 いなら、どうってことない。」
 
 
 
 

「わ、わかった・・・。」
 
 
 
 

エミィは仕方なく同意する。非常時だけに、これ以上あれこれ考えているわけに

は、いかなかった。
 
 
 
 

「とにかく、うちが合図したら全力で第一層の正門を目指して走るんだよ。正門

 までいけば、リンベル騎士団が警備についてるはずだから、なんとかなる。」
 
 
 
 

「わかったよ、お姉ちゃん。」
 
 
 
 

「わかった。・・・カティナ、ごめんね。」
 
 
 
 

「気にしないで、エミィ。カティナが守ってあげるからね。」
 
 
 
 

それからレジアはもう一度、背中越しに気配を探った。その間の数秒は、エミィ

にとってはとてつもなく長い時間に感じられた。目眩がしそうなほど、心臓が高

鳴っている。レジアが息を吸い込む音が聞こえる。
 
 
 
 

「いくよ。・・・、走れっっっっっっ!!!!!!」
 
 
 
 

レジアの合図とともに、エミィはカティナの背中に飛び乗ってしがみついた。そ

れと同時に、レジアとカティナは全速力で走り始める。そのスピードは、まさに

驚異的で、周りの景色が線になって吹っ飛んでいった。
 
 
 
 

後ろの方では、「しまったぁぁぁ!!!」という男の叫び声が、かすかに聞こえ

た気がした。
 
 
 
 

それにしても、これって、すっっっごい、恥ずかしいよぉぉぉ!!!エミィは、

カティナの背中にしがみついている自分を見ている、周囲の人々の視線を想像し

て、顔が熱くなるのを感じた。それでもどうすることもできずに、エミィはただ

振り落とされないように、身を固くして、目をギュッと閉じているしかない。
 
 
 
 

今や、二筋の疾風となったレジアとカティナの姉妹は、ただひたすら、第一層の

正門を目指して、やや人通りの少ない真昼の官庁街を駆け抜けていくのだった。
 
 

作・ 小走り
EMAIL:kobashi@nsknet.or.jp
http://hideo.com/kobashi/




 

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