ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(11)

前回までのお話
P.11
 

 
 
 

実際に走ったのは数分くらいだったかもしれないけれど、固く目を閉じて緊張し

ながらしがみついているエミィにとっては、数時間にも感じられる間、体中に風

と振動が伝わっては流れていった。
 
 
 
 

「エミィ、エミィったら。着いたよ。」
 
 
 
 

エミィがレジアにそう言われて再び目を開けてみると、周りの景色はすっかり変

わっていて、目の前には第一層の南側の入り口である巨大な門が、ドッカリと腰

を据えている。
 
 
 
 

この門は“朱門”と呼ばれていて、二つの門柱は赤い水晶でできていた。門扉は

真っ赤なレース状に風になびいていて、門というよりは夢の世界への入り口のよ

うに美しかった。それでも高さが十メートルはあるこの門は、やはり見るものを

圧倒する重厚さも備えている。
 
 
 
 

気がついてみるとエミィたちの周りには、例のベージュ色のマントのような服を

まとったリンベル騎士団の騎士が数人、心配げな表情をして集まってきていた。
 
 
 
 

「あ、カティナ、もういいよ。ホントにありがと。」
 
 
 
 

エミィは騎士たちの視線を感じて急に恥ずかしくなり、カティナの背中からもが

くようにして降りた。
 
 
 
 

「お嬢さんたち、大丈夫ですか?何かトラブルでも?」
 
 
 
 

騎士のうちの一人が、真剣な表情で聞いてくる。森で会ったリルたちとは違って

張りつめたような緊張感が伝わってきた。そっか、いつでものんびりしてるって

わけじゃ、やっぱりないのか・・・。「必要なとき」には、ちゃんとそれなりに

仕事するんだな、この騎士さんたち。エミィは思わず、苦笑してしまう。
 
 
 
 

「ちょっと、ね。でも、もう大丈夫みたいだ。」
 
 
 
 

レジアは周囲を注意深く見渡してから、ホッとした表情でそう答えた。ここは、

やや上り坂になった道を登り切った場所にあって、第二層の街並みやセシャル橋

の辺りの様子もよく見渡せたが、怪しい人影はどこにもなかった。
 
 
 
 

「それなら、よかった。そちらのお嬢さんは、怪我をなさっているわけではない

 のですね?」
 
 
 
 

騎士は、エミィの方を見ながらニコッと微笑みかけた。エミィは、カティナに背

負われている自分の姿を思い浮かべて真っ赤になりながら、「だ、大丈夫です。

全然、健康ですからっ。」と、裏返った声で答える。
 
 
 
 

「健康、ですか。それはいいことですね。健康が一番。」
 
 
 
 

そう言っておかしそうに笑う騎士に、エミィはますます体中を真っ赤にしてしま

う。そんなエミィを、やれやれというように横目で見ながら、レジアは騎士に向

かって改まった口調で言った。
 
 
 
 

「レジア・ランテルスです。第一層に入る許可を取ってるんだけど。」
 
 
 
 

「ああ、ランテルス様ですか。はい、お待ちしておりました。」
 
 
 
 

騎士はレジアに笑顔を向けて、敬礼をする。それからエミィの方に向き直って、

騎士は表情を引き締めた。
 
 
 
 

「すると、あなたがエミィ様ですね?ようこそ、第一層へ。国王陛下からのご伝

 言をお預かりしております。」
 
 
 
 

そう言うと騎士は、手のひらくらいの大きさの真っ白な正方形の箱を、うやうや

しく差し出した。エミィがそれを両手で受け取ると、箱の上の面に描かれている

ファレシアの深紅の紋章が光を放って、シン・ファレシアの姿が箱の上に小さく

浮かび上がった。
 
 
 
 

「やあ、エミィ。久しぶりだね。元気でいるかな?エスタミスでの生活を楽しん

 でくれているだろうか?会いに行けなくてすまないと思っている。少し忙しく

 していてね。そのうち、城にも招待するから、待っていて欲しい。妻も、君に

 会えるのを心待ちにしている様子だ。」
 
 
 
 

エミィは、モス・アレス老の家でシンに会ったときのことを、懐かしく思い出し

ていた。ベッドで体を支えてもらったんだっけ・・・。頬が熱くなるのを感じな

がら、エミィは浮かび上がったシンの顔をジッと見つめた。
 
 
 
 

「今日は大石柱の見学だそうだね。この大石柱のことについては、まだよくわか

 っていないことも多い。しかしエミィ、君の力なら、何かを感じ取ることはで

 きるだろう。実り多い一日となることを、心から願っている。それでは。」
 
 
 
 

シンの姿が消えて、箱はただの真っ白な箱に戻った。エミィは箱を両手で包みな

がら、しばらく目を閉じて余韻に浸ってしまう。
 
 
 
 

「うわぁ、エミィ、すっご〜いっ!シン様とお友達なのぉ!?」
 
 
 
 

カティナがウキウキした顔ではしゃぎながら、話しかけてくる。エミィは少し困

惑しながら、「う、うん。まあね。」と言葉を濁した。あの日、モス・アレス老

の家でシンやリーナたちに会ったことは、あまり詳しく話さない方がいいような

気がしていて、今までもその話題はできるだけ避けてきていたのである。エミィ

は何とか話をそらしたくて、レジアの方を見る。すると、レジアは何となく不機

嫌そうな顔をしていた。
 
 
 
 

「レ、レジア?どうかした?」
 
 
 
 

「別に。・・・ただ、あんたがずいぶん幸せそうな顔してるからさ。邪魔しちゃ

 いけないと思っただけ。」
 
 
 
 

レジアの心に、悔しさや嫉妬のような感情が充満しているのを感じて、エミィは

どうしていいかわからなくなってしまう。おまけに、シンの姿を見て自分が幸せ

そうな顔をしていた、ということにエミィは戸惑いを覚えていた。
 
 
 
 

「うちにまで、内緒にすること、ないじゃないか・・・。」
 
 
 
 

レジアは、エミィに聞こえないくらいの声でそう呟きながら、ポケットに手を入

れて、突っ込んであったスケジュール表をグシャグシャと握り潰す。
 
 
 
 

そんなエミィとレジアの間の気まずい雰囲気を和らげるように、騎士の一人が声

をかけてくれた。
 
 
 
 

「さあ、お嬢さんたち。せっかく来たんですから、どうぞ中へお急ぎ下さい。あ

 なたたちが来るのを、大石柱も心待ちにしていますよ。」
 
 
 
 

「そうだよぉ。お姉ちゃんもエミィも、喧嘩しないで。」
 
 
 
 

カティナが泣きそうな顔をしながらそう言うので、レジアも仕方なくうなずいて

門の方に歩き出す。エミィも少しうつむきながら、レジアの後に従って歩き出し

た。レジアがどれほど自分のことを考えてくれているか知っていたので、エミィ

はレジアに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 
 
 
 

騎士の一人が合図をすると、レース状の真っ赤な門扉がカーテンのように両側へ

開いていく。その様子は息を飲むほどに美しかったけれど、それに見とれること

もなく、エミィは門をくぐりながらレジアの背中ばかりを見ていた。
 
 
 
 

三人はしばらくの間、黙りこくって大石柱に向かう道を歩いた。カティナもさす

がにはしゃげなくて、レジアとエミィの顔を交互にチラチラとうかがっている。

辺りには人通りもなく、しんと静まり返っていた。道の両脇を覆う林の木々の枝

には小鳥が群れてとまっていたが、鳴き声を潜めているようだった。エミィはこ

のままではいけないと、思い切ってレジアに話しかける。
 
 
 
 

「レ、レジア。」
 
 
 
 

「ん?」
 
 
 
 

「あ、あの・・・。・・・ごめんね?」
 
 
 
 

レジアは急に立ち止まると、頭をポリポリとかきながら、ため息をつく。それか

ら気まずそうな表情を浮かべてエミィとカティナの方に振り向いた。
 
 
 
 

「もう、いいよ。別にエミィは悪くない。あたしが勝手にへそ曲げただけなんだ

 からさ。・・・ごめん。」
 
 
 
 

「ああ、よかったぁ。」
 
 
 
 

カティナは心からホッとしたように、嬉しそうな声を挙げた。
 
 
 
 

「もう、どうなっちゃうのかと思って、カティナ、泣きそうだったんだからね!

 せっかく遊びに来たのにぃ!」
 
 
 
 

今まで黙っていた分を取り返すかのように、カティナは次から次へとしゃべりま

くる。エミィもレジアもただただ苦笑しながら、そのおしゃべりに付き合うしか

なかった。
 
 
 
 

「お姉ちゃん、ここって、こんなに寂しいところだったっけ?前、子供の頃に来

 たときは、もっと人がいっぱいいたよねぇ?」
 
 
 
 

「ああ、そうだな。最近ここも物騒なことが続いたから、みんなあんまり来なく

 なったのかもしれない。」
 
 
 
 

「物騒って、何かあったの?レジア。」
 
 
 
 

「そっか、エミィにはまだ教えてなかったんだな。講義をさぼって遊んでばかり

 だったからなぁ・・・。」
 
 
 
 

レジアに恨みがましくそう言われて、エミィは困惑したような曖昧な顔で、ただ

謝るしかなかった。さっきの負い目もあって、エミィはレジアに何を言われても

謝ることしかできない。レジアは軽くため息をついた。
 
 
 
 

「エミィ、冗談だってば。もうさっきのことは水に流そう。」
 
 
 
 

それからレジアは、道に大きくせり出している大樹の枝先を眩しそうに見つめな

がら、昔を懐かしむように話し出した。
 
 
 
 

「あたしらが子供の頃はね、ここも許可なんて要らなくて、誰でも自由に入れた

 んだ。よく近所の子供だけで探検隊なんて作って、遊びに来たんだよ。遺跡の

 中や発掘現場なんて、適当に危険で、いろいろ転がってて、そりゃあ楽しかっ

 たなぁ・・・。」
 
 
 
 

そこで言葉を区切って、レジアは真剣な表情になると、語気を強めた。
 
 
 
 

「だけど、六年前に大きな戦争があってね。そのときガルシアっていう大きな国

 が負けたんだけどさ。戦争をしなくなった代わりに、ガルシアの連中、裏から

 いろいろ小細工するようになってね。」
 
 
 
 

「お姉ちゃん・・・。」
 
 
 
 

カティナが不安げな表情をして震えだしたので、レジアはそっとカティナの肩を

抱き寄せた。
 
 
 
 

「大丈夫だよ、カティナ。怖くないから。・・・まあ、とにかく、ここでもいろ

 いろ、カティナが怖がるようなことが起きたのさ。何人も人が死んだりした。

 大石柱は、この星のほとんどの人間が信じてて、生活や文化の基盤にもなって

 るアルティメア教の、中心的な存在でもあるから、世界の覇権を握りたいと考

 えてる連中は、なんとかここを押さえたい。大石柱はもうひとつ、メアラスに

 もあるんだけど、六年前の戦争であそこは永世中立地帯になっちまったから、

 ガルシアも手を出せないし。結局、ファレシアに味方になれって、あの手この

 手で圧力をかけてるってわけ。」
 
 
 
 

「う〜ん、よくわからないけど、そのガルシアっていう国に、・・・抗議、とか

 できないわけ?」
 
 
 
 

「証拠を残さないからね。みんなガルシアが裏にいることはわかってるけど、誰

 もが納得するような尻尾をつかまない限り、手の打ちようがないよ、表立って

 は。戦争に負けたっていっても、大きな国だから・・・。まあ、リンベル騎士

 団が動いてるみたいだから、最近は何も起きないけどね。あんまり何も起きな

 いもんだから、街の連中、気が緩んじまってて、それも心配かな・・・。」
 
 
 
 

「お姉ちゃん、怖いよぉ・・・。」
 
 
 
 

「ああ、ごめん、カティナ。もう言わないよ。」
 
 
 
 

レジアはカティナの頭を胸に抱きしめて、髪を撫でる。それからエミィに小さく

笑って見せると、少し悲しげな顔になって、低い声で付け加えた。
 
 
 
 

「この娘も、ちょっと巻き込まれたことがあってね。それ以来、ダメなんだ、こ

 の手の話。」
 
 
 
 

「レジア・・・。」
 
 
 
 

エミィは思いもかけない話を聞いて、呆然としてしまう。こんなに、平和そのも

のに見える街なのに・・・。エミィは、カティナを抱きしめるレジアに歩み寄る

と、カティナの左手を両手で包み込んで、自分の右の頬に当てた。カティナの手

は、フワフワした感触で暖かかった。カティナはようやく幸せそうな、いつもの

表情に戻ったようで、レジアはそれを見てホッと胸をなで下ろした。
 
 
 
 

「エミィ、見なよ。大石柱だ。」
 
 
 
 

レジアに言われて、レジアが指さす方を振り返ったエミィは、そこに大きな壁の

ようなものを見つけたけれど、しかし大石柱らしきものはどこにも見あたらなく

て、レジアに助けを求めるように顔を向ける。そんなエミィの表情を見て、レジ

アは苦笑しながら、指を遙か上空の方に向けた。
 
 
 
 

エミィは急いでその指さす方に顔を上げて、見つめる。日射しが眩しくて、思わ

ず目を細めながら、エミィは次の瞬間、息を飲んで停止した。
 
 
 
 

大きい・・・!
 
 
 
 

なんて大きさだろう。大石柱は遠くから何度も見ていて、大きいものだってこと

は十分知っていたけど・・・、でも、そばで見ると、こんなにも大きかったなん

て・・・。エミィは、知らないうちに、涙ぐんでいた。
 
 
 
 

大石柱にそって視線を下げてくると、大きな壁のようなものは、大石柱の根元の

部分だった。それは、林の間の薄暗い湿り気の中に静かに落ち着いていて、とこ

ろどころにはツタのようなものが絡みついていた。エミィはもっと、祭壇などが

あって、神聖な感じのする場所を想像していたけれど、ここにはそんなよそよそ

しい感じはなくて、むしろ何か懐かしさのような感覚さえ漂っている。ただ、あ

まりに意外なこの大石柱との出会いに圧倒されて、エミィはなかなか、その場か

ら動くことができなかった。
 
 
 
 

カティナは先に走りだして、壁の前に立ってエミィを手招きしている。レジアが

ポンと背中を押すと、エミィは大石柱に向かって、ヨロヨロと歩き出した。壁の

地面との境目は草にびっしりと覆われていて、白いつぶつぶが無数に舞っている

のが見える。近づいてみると、それは子供の頃、エミィが自分で製本した絵本の

中のホログラムで見つけた、「妖精」に似た生き物だった。エミィは「妖精たん

(妖精についての物語)」が気に入っていて、だからこの光景を見たとき、あま

りの感動に、全身がガタガタ震えだしてしまった。
 
 
 
 

「エミィ、どうしたの?大丈夫?」
 
 
 
 

心配げに顔を覗き込むカティナに、上の空でコクコクとうなずきながら、エミィ

は一歩ずつゆっくりと大石柱の根元である壁に近づいていく。心臓はゆっくりと

しかも力強く拍動を重ねていて、呼吸をするたびに「何か」が体中に流れ込んで

きて、エミィはだんだん心が研ぎ澄まされていくのを感じていた。
 
 
 
 

この感じは、テレパスが能力を集中していくときとは少し違って、高まっていく

というよりはむしろ、濁った水が急速に澄み渡っていくような気分だった。それ

は、以前にモス・アレス老の家から森に向かって走っているときに感じたものに

よく似ていた。やっぱり、空気の中に気持ちをスッキリさせる何かが、溶け込ん

でるんだわ・・・。エミィは改めて確信していた。
 
 
 
 

妖精たちがエミィを包み込むように、集まってくる。エミィは足が宙に浮いてい

るような、それでいて、自分が植物になって大地に深々と根差しているような、

不思議な感覚の中に投げ出されていた。
 
 
 
 

「あ・・・。」
 
 
 
 

突然の。

真っ青な風が吹く。

遙かな遠く、向こう側から。

そして、一瞬。

そう、ほんの一瞬のイメージの広がり。

星の心の真ん中に溶け込んでいく。

あたしは星の一部になるんだ。

ここは星との対話の世界。
 
 
 
 

急上昇していった一粒の水滴が、

天空の底で弾けるのが見える。

砕け散ったガラスの破片はキラキラと虹色の光の輪を放って、

そのひとつひとつから真っ白い大きな鳥が生まれて、

銀河のように広がって飛んでいく・・・。
 
 
 
 

繰り返し天空の底へ滴り落ちていく水滴。
 
 
 
 

ポトン、ピチョン・・・。
 
 
 
 

天空の底に生命の水が滴り落ちて、

一滴、また一滴と重なって、積もっていく。
 
 
 
 

そうなんだ。

そうやって大石柱はできた。

この大石柱は、天空から生えて地上に届いた。

この星の生命が降り注いでできあがった、

静かで激しい、「生き物」なんだわ。
 
 
 
 

エミィはいつの間にか、壁の前に座り込んで、大石柱の表面に頬を当てていた。

耳には静かな、しかしハッキリとした水の音が流れ込んでくる。その音を聞きな

がら現実の世界に舞い戻っている自分を感じて、エミィは何か表現しようのない

感動に包まれていた。大石柱の表面はゴツゴツ、ザラザラとしていて、乾いてい

る上に冷たく凍えていた。それは何か、悲しみのようにも、あるいは峻厳な意志

のようにも訴えかけてくる。エミィは流れ落ちる涙を止めることもできずに、た

だジッとして大石柱を抱きしめていた。
 
 
 
 

「エミィ、ねぇ、エミィったら。何してるの?」
 
 
 
 

カティナが横から話しかけてくる。エミィは大石柱から耳を離すことができなく

て、そのままの姿勢でカティナに答えた。
 
 
 
 

「聞こえるんだよ、水の・・・音が。たくさんの・・・命が、・・・ピチョン、

 ピチョンって、・・・滴り落ちていくの・・・。」
 
 
 
 

カティナも急いで、耳を大石柱の表面にピッタリとくっつけてみる。
 
 
 
 

「エミィ、なぁんにも、聞こえないよぉ?」
 
 
 
 

「カティナ、目をね、閉じるの。静かにして、心を開くんだよ・・・。」
 
 
 
 

「ん〜・・・。」
 
 
 
 

カティナは一生懸命目を閉じて、水の音を聞こうとして頑張っていたが、なかな

か聞こえないようで、涙ぐみ始めていた。レジアはそんなカティナの頭を撫でな

がら、エミィが耳を当てている少し上辺りを、指で擦っている。
 
 
 
 

「レジア、どうしたの?」
 
 
 
 

「ん?あ、ごめん、エミィ。邪魔しちゃったかな。ここね、子供の頃、イタズラ

 して傷を付けちゃったんだよね。それがさ、・・・まだ残ってる。」
 
 
 
 

レジアは今まで見たこともないほど優しい微笑みを浮かべていて、その表情はど

こか、子供のようにも見えた。普段はぶっきらぼうで、大人ぶりたがるレジアの

そんな顔を見上げながら、エミィは大石柱にもたれかかって座り直した。妖精た

ちが、三人の周りをフワフワと飛び回っている。レジアはエミィの視線を感じて

少し頬を赤らめながら、大石柱についてエミィに説明した。
 
 
 
 

「この大石柱はね、エミィ、どこにも継ぎ目がないんだよ。科学的に調査したけ

 ど、内部にも途切れた部分は見つからなかった。つまりね、この大石柱全部が

 一個の石からできてるんだ。一個の石からできた柱が、遙か上空まで続いてい

 る。すごいだろう?古代王朝の人たちって、どうやってこんなすごいもの、作

 れたんだろうねぇ・・・。」
 
 
 
 

レジアは夢を見るような表情になっている。エミィは「ホントに、すごいね。」

と相づちを打ちながら、さっき感じた豊かなイメージとレジアの話の接点を探し

ていた。謎の古代王朝人と、生命の柱。土との接触を命の源と考える人々と、天

空に向かって滴り落ちる命の水。そして、大石柱のある街を守るように取り囲ん

でいる、意志を持った森の存在・・・。何かが、エミィの心の中でつながりかけ

ているようだったが、それはまだハッキリとした形を成してはいなかった。
 
 
 
 

「メアラスにもこれと同じのがあってね、ホントはそっちのが本物だって言われ

 てるんだ。この大石柱の表面には何にも書いてないけど、向こうのには、表面

 に「レアナレス」が刻まれてるからね。ただ、メアラスは浮遊してる島の集ま

 りだから、当然、大石柱もあっちこっち動いちまうわけで、固定されてるこっ

 ちの大石柱の方が本物だって言う人もいるんだけどさ。」
 
 
 
 

「レアナレス・・・?」
 
 
 
 

エミィはこの言葉を何度か耳にしてはいたけれど、まだその正確な意味を知らな

かった。レジアは少し難しい顔をする。
 
 
 
 

「レアナレスっていうのは、古代王朝人の残した神話、みたいなものかな。でも

 まだ、その内容はハッキリとは解読されてないんだ。ただ、アルティメア教の

 教義の中心であることだけはハッキリしてる。一部の学者は、古代王朝の歴史

 が記されているに過ぎないって言うけど、でもそれにしちゃ、説教臭いことが

 書いてあったり、未来への予言があったりするし・・・」
 
 
 
 

レジアがそこまで話したとき、突然聞き慣れない男の声がした。
 
 
 
 

「そう、そして、そのレアナレスを信じて、未来を予言通りにしてしまおう、な

 んて考えてるとんでもない連中も、いるわけなんだねぇ。」
 
 
 
 

「誰!?」
 
 
 
 

レジアはそう叫びながら、エミィとカティナを背中の後ろにかばって、サッと身

構えた。妖精たちが一斉に飛び去っていってしまう。いったいどこから現れたの

か、エミィたちのいる場所から一番近い位置にある大きな木の幹にもたれかかり

ながら、男はレジアの方を見据えると、口の端を少し動かして、笑顔を作る。
 
 
 
 

「おやおや、ランテルス家のご長女は、勇ましいんだねぇ。」
 
 
 
 

「レジア、この人、さっきあたしたちをつけてた人だわ・・・。」
 
 
 
 

エミィは、大石柱と接触した影響からか、慌てることもなく、心が静まり返った

状態で男をまっすぐに見つめていた。男はピュウッと短く口笛らしき音を立てる

と、エミィに向かってうやうやしく敬礼してみせる。
 
 
 
 

「その通り。確かエミィさん、でしたねぇ。初めてお目にかかります。僕の名は

 エノビ・ルースキン。国際放送協会の・・・」
 
 
 
 

「国際放送協会の花形記者さ。世界中どんなところにでも現れて、人の幸せを壊

 して歩いてる、疫病神だよ。」
 
 
 
 

レジアはルースキンの言葉を遮ってそう叫ぶと、すっかり怯えているカティナを

かばいながら、燃えるような眼差しを彼に向けた。エミィも、言われてみればこ

の男の顔を、何度か見たことがあった。ランテルス家の情報箱(テレビとラジオ

と新聞と雑誌を合わせたような、世界中の情報を受信できる装置)を覗くたびに

この男の名前と顔が、登場していたような気がする。
 
 
 
 

「おやおや、ずいぶん嫌われてるんだなぁ。僕はそんな、疫病神じゃないんだけ

 どねぇ。ただひたすら、真実ってやつを追求してるだけ、なんだなぁ。」
 
 
 
 

「くっそぉ、巻いたと思ったのになぁ。よりによって、こいつにつけられてたな

 んて、最悪だっ!」
 
 
 
 

レジアは心の底から悔しそうな顔をして、呻くように言う。そんなレジアを、冷

めたような笑顔でルースキンは見つめた。
 
 
 
 

「巻くも何も、まっすぐ走って逃げただけだしねぇ。第一、行き先はわかってい

 たんだよ?まあ、お嬢さん方。この僕を巻こうなんて無駄なことなんだなぁ。

 国際放送協会の看板記者、エノビ・ルースキンは、狙った獲物は逃しやしない

 んだからねぇ。」
 
 
 
 

「入り口にはリンベル騎士団がいたんだっ。どうやって入ってきた!?」
 
 
 
 

レジアはなおも、ルースキンを睨みつけて食い下がる。ルースキンは肩をすくめ

ながら、綺麗に七・三にわけられた髪をかき上げた。
 
 
 
 

「入り口なんてものは、どこにでも転がってるんだよねぇ。リンベル騎士団も、

 もう少しお勉強しなけりゃ、僕を止めることはできないんだなぁ。」
 
 
 
 

「くっ・・・。」
 
 
 
 

とうとうレジアも、黙るしかなかった。ルースキンの態度は自信に満ち溢れてい

て、とても太刀打ちできる相手でないことは、レジアにもエミィにも、一目瞭然

だった。
 
 
 
 

ルースキンは木の幹から離れて、エミィたちに二、三歩近づきながら、指を鳴ら

して合図する。すると、今までどうやって隠れていたのか、木の上から一人の小

柄な男が飛び降りてきて、ルースキンのすぐ後ろに控えた。エミィは彼らの近づ

く気配すら感じることができなくて、そのことに素直に感動してしまう。そんな

エミィの心の動きを見透かしたように、ルースキンはニコッと笑顔を浮かべた。
 
 
 
 

「この男は、僕の第一助手をしている、セル・ニルビニマ。これからしばらく、

 お嬢さん方と顔を合わせることも多くなるだろうから、紹介しておくよ。ちな

 みに、さっき橋の上でお嬢さん方を逃がしちゃったのは、正確に言うと僕じゃ

 なくて、セルなんだなぁ。まあ、とにかく。星が落ちて以来、ずうっと国王陛

 下のお言いつけを守ってきた僕たち国際放送協会も、いよいよ本格始動ってわ

 けなんだねぇ。いつでも<人生は天秤の上>だから、今度は国王陛下が僕たち

 にチャンスをくれる番、なんだなぁ。」
 
 
 
 

それから、ルースキンは更に近づいてきて、身構えるレジアの直前に立った。レ

ジアは絶妙の間合いにアッという間に入り込まれて、身動きひとつできない。
 
 
 
 

「レジア、だったねぇ。君、ちょっと誤解してるよ?僕は今まで、一度だって誰

 かの幸せを壊したことなんかないんだなぁ。そういうつまらないことをやって

 恥じることがないのは、僕以外の、新しく入社した連中なんだよねぇ。」
 
 
 
 

そう言いながらルースキンは、レジアの顎に右手をかけて、クイッと上を向かせ

ると、瞳を覗き込んだ。
 
 
 
 

「君は、賢いからわかるだろうけど、最近うちの会長のイキン・スラマが病気で

 お休みしちゃっててねぇ。それで、会長代行の馬鹿オヤジの野郎が、なぁんと

 ガルシオ・アルティメロス家の出身だったりするんだなぁ、これが。やつが仕

 切り始めて以来、うちの仕事、ホントに品がなくなっちゃってるわけさ、悲し

 いけど。」
 
 
 
 

「ガルシオ・アルティメロス家って、ガルシア帝国の・・・。」
 
 
 
 

レジアは声をわずかに震わせながら、それでも気丈にルースキンの瞳をキッと睨

み返して、絞り出すように言った。ルースキンはそんなレジアを優しい眼差しで

ジッと見つめると、顎から右手を離して、レジアの左肩をポンッと叩く。
 
 
 
 

「そう。連中は、こんなところからも手を伸ばして来るんだねぇ。かなり必死な

 んだなぁ、ガルシアも。今度失敗すると、国がなくなりかねない。それで、な

 んと六年もかけて、世界中に罠を仕掛けてたってわけなんだねぇ。」
 
 
 
 

「それで、あんたまさか、正義の味方気取って、連中からエミィを守ろうってい

 うつもりなんじゃないだろうな?」
 
 
 
 

レジアはルースキンの手をパシッと振り払いながら、ぶっきらぼうに言った。叩

かれた手の甲をさすりながら、ルースキンは苦笑して言う。
 
 
 
 

「いやいや、その役目は君にお任せするよ、レジア。僕はただ、真実ってやつを

 知りたいだけなのさ、いつでもねぇ。」
 
 
 
 

それからルースキンは、震えたままのカティナを抱きしめながらことの成り行き

をボーっと見つめていたエミィに、視線を移した。
 
 
 
 

「今日のところは、せっかく大石柱の見学に来たみたいだし、ご挨拶だけでこの

 まま帰りますよ、エミィさん。今度また、ゆっくりと独占インタビューを撮ら

 せてもらうつもりですので。あなたがどこから来て、どこに行こうとしてるの

 か、そしてその理由は何なのか。大いに興味がありますからねぇ。そのときは

 よろしくお願いしますよ。それより・・・」
 
 
 
 

大石柱にそって上の方に視線を移しながら、ルースキンは眩しげに目を細めた。
 
 
 
 

「僕なんかより、ずうっとタチの悪いのに狙われてるんだなぁ。案外ホントの敵

 は、自分の心の一番近いところにいるのかもしれないよ?十分に気をつけるこ

 となんだねぇ。」
 
 
 
 

そう言うやいなや、ルースキンは三人に向かってうやうやしく敬礼をすると、ク

ルリと後ろを向いて、スタスタと向こう側の林の中に消えていった。セルもいつ

の間にか、姿を消してしまっている。
 
 
 
 

エミィもレジアも、しばらくはただ呆然と、ルースキンが去っていった方を見つ

めているだけだった。ただカティナは、震えながらも、しっかりと目の前にある

現実、すなわちお弁当の包みを忘れてはいなかった。走っている間も、カティナ

は決してこの包みを離すことはなかったのである。
 
 
 
 

「お姉ちゃん、お腹減った。」
 
 
 
 

「え?」
 
 
 
 

カティナにそう言われて、ようやくレジアもエミィも我に返ることができた。レ

ジアはカティナにニコッと笑いかけると、「よしっ、お弁当にしよう。」と明る

い声を出す。すると、カティナが素っ頓狂な声を挙げた。
 
 
 
 

「あっーーー!!!」
 
 
 
 

「いったいどうしたんだ、カティナ!?」
 
 
 
 

「お弁当がぁ・・・、グチャグチャになっちゃってるよぉ。」
 
 
 
 

「あ・・・。」
 
 
 
 

レジアとエミィがお弁当の箱を覗き込むと、グチャグチャというのは大袈裟だっ

たにしても、中身がひっくり返って、一部が混ざり合ってしまっている。エミィ

が「どうしよう?」という顔で見つめると、レジアは肩をすくめながらカティナ

をなだめにかかる。
 
 
 
 

「カティナ、大丈夫。母さんの弁当は、綺麗にそろってなくても、世界一美味し

 いんだから。そうだろ?」
 
 
 
 

「うん・・・。」
 
 
 
 

カティナはうなずきながら、早くもパクパクと、パゴイラを口に運んでいる。パ

ゴイラというのは、植物性蛋白の豊富なパグという木の実を、団子状に練り上げ

て焼いた、綿のような感触のパンで、この星の主食である。その様子を見てホッ

としながら、レジアとエミィもお弁当に手を伸ばした。おかずはファガという、

馬くらいの大きさの豚に似た動物の肉を、甘辛く煮つめた料理と、繊維質に富ん

だ色鮮やかな果物が、何種類か入っていた。
 
 
 
 

「あ〜あ、ファガと果物が混ざっちまって・・・。それもこれも、あの馬鹿ルー

 スキンのせいだっ。」
 
 
 
 

レジアは、ラルアと呼ばれる弱アルコール炭酸飲料(のような飲み物)を喉に流

し込みながら、ブツブツとボヤいている。エミィは苦笑しつつ、ようやく戻って

きた妖精たちを見つめながら、レジアに話しかけた。
 
 
 
 

「ねぇ、レジア?」
 
 
 
 

「ん?」
 
 
 
 

「あの人が最後に言ったこと、どういう意味かな・・・。」
 
 
 
 

「ああ、そうだなぁ・・・。気にすることないよ、エミィ。あんなやつの言うこ

 となんて、いい加減に決まってる。さしずめ、あんたをそうやって不安にさせ

 て、インタビューをやりやすくする腹なんだろ。」
 
 
 
 

「ん、そうかもしれない、けど・・・。あたしね、あの人、そんなに悪い人には

 思えないんだ、どうしても・・・。」
 
 
 
 

「まあね・・・。心配要らないって、エミィ。あんたには、あたしがついてるん

 だからさ。」
 
 
 
 

「カティナも、ついてるんだからさ。」
 
 
 
 

レジアの口調をまねしてそう言うカティナに、エミィもレジアも思わず笑ってし

まった。しかし、エミィは「そうだね、頼りにしてます。」と二人に言ってはみ

たものの、やっぱりスッキリとはしないままで、相変わらず妖精たちを静かに見

つめ続けていた。
 
 
 
 

妖精たちのダンスは、そんなエミィたちにはお構いなく、最高潮の盛り上がりを

見せているようである。そして大石柱は、地上で繰り広げられる様々な生き物た

ちのドラマを、遙かな天空から、ただ黙って悠然と見下ろしているのだった。
 
 

作・ 小走り
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http://hideo.com/kobashi/




 

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