ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(12)

前回までのお話
P.12
 

 
 
 

その夜、エミィはいつものように、ランテルス家の屋上の天体観測所に登って、

夜空を見上げていた。あの超空間通信機からのたった一度の発信が届いていたな

らば、「ノア2」は既にこの付近を探索していてもいい頃である。エミィはこの

一週間、毎晩夜空を見上げては、白馬のたてがみ座(真っ白なガス状星雲がそん

なふうに見える)の方向、「ノア」の砕け散った辺りに意識を集中させていた。
 
 
 
 

ランテルス教授の観測記録によれば、その場所は白馬の瞳の辺りで、「ノア」の

爆発する姿は、まるで白馬が血の涙を流したように見えた、ということだった。
 
 
 
 

だから、「ノア2」がまず探索するとしたら、白馬の瞳の辺りなのである。それ

でエミィは、意識を集中して、その付近の空間にテレパシー送信を試みていたの

だった。
 
 
 
 

地球圏におけるテレパシー研究の成果にはめざましいものがあって、既に宇宙空

間におけるテレパシー通信法も確立されつつあった。距離としては、最大で月と

木星の衛星エウロパとの間での通信が行われたという記録もあったが、これにつ

いては実験方法など、様々な疑問も提出されていて、未だに結論は出ていなかっ

た。それでも、テレパシーが宇宙空間を超えて伝わることについては、異論を挟

む余地はなかった。
 
 
 
 

やり方は簡単で、古来から繰り返し言われているとおり、額の中央やや下、眉間

の直上辺りで、脳の奥の方に意識を集中する。そこには、解剖学的には松果体が

あるのだが、テレパスではこの松果体が大きくなって、構造が特殊に発達してい

ることがわかっていた。おまけに、その松果体と大脳皮質および辺縁系との間に

は、普通見られない神経の連絡があるらしかった。そして、テレパスが意識を集

中した状態では、この松果体から特殊な波長の電磁波が放射されるらしい、とい

う報告が多く見られたが、これについてはなお、異論もあった。
 
 
 
 

とにかく、松果体の辺りに意識を集中して、自分のすぐそばから徐々に、たぐり

寄せるように、テレパシーを伝えたい方向のイメージを拡大していくのだと、論

文には記載されていた。それでエミィは、練習もかねて、毎晩欠かさず夜空を見

上げては、想いを徐々に遠くに伝えていったのである。もっとも、白馬の瞳の辺

りまでテレパシーを伝えられるかどうか、エミィには自信がなかったのではある

が、できるかどうかはともかく、やるしかなかった。
 
 
 
 

少しずつ、焦らないで。

そう、ゆっくり、ゆっくりだよ。

あたしの体にまとわりつく空気の麻衣が、

目には映らない光を放ちながら、

穏やかに螺旋を描くように、より合わされていく。

我慢するの、まだまだ、そう、もう少しだけ。

遠くに届くように、想いを凝縮させるの。

力を抜いて、眠りとの狭間で・・・。
 
 
 
 

やがて、あたしの想いの花束が、

無邪気に笑ってはち切れる。

突風のように大気の間を駆け登っていくの。

グングン、グングン、駆け登っていくの。

真っ白い空気の輪を、いくつもくぐり抜けて。

もう誰にも、この想いは止められないんだからっ!

大気圏を引き千切るように突き抜ける瞬間、

真っ赤なワインの海面に浮かび上がり、

フッと息を吐き出す。
 
 
 
 

真空の星空を、深呼吸したことある?

とぉっても、気持ちいいんだから。
 
 
 
 

ここからは無限の世界。

前に進むたびに、

少しずつ広がっていく想いの麻衣の波動。

だから、一歩踏み出しては振り返り、

それからまた慎重に空間を滑る。

想いが、千切れてしまわないように。
 
 
 
 

ああ、でも、でもね、

ここはなんて美しいんだろう。

重力波って、星たちを包み込む妖精のダンスなんだよ。

決して触れてはいけないの、想いと妖精が中和してしまうから。
 
 
 
 

いつかアリムと、

大好きな彼と一緒に、星の間を旅してみたい。

遙かな昔の、ジャズっていうのかな、

“Fly Me To The Moon”。

つまりね、

あなたを愛してるってことなんだよ。
 
 
 
 

アリム。

アリムったら。

あたしはここにいるよ。

聞こえる?

ここにいるんだってば。

聞こえないの?

ここにいるって言ってるじゃないかっ!

聞こえないのかよ、ばっかやろぉぉぉ!
 
 
 
 

エミィはいつものごとく、ハァハァゼェゼェと肩で息をしながら、唇を噛みしめ

て星空を睨みつけた。
 
 
 
 

「なんや、星の嬢ちゃん。まぁた、ここにおったんかいな。あんたも、よう飽き

 へんもんやなぁ・・・。」
 
 
 
 

エミィが振り返ると、ランテルス教授が寝間着姿で立っていた。ニッと笑うと、

教授は後ろ手に隠し持っていた直方体の箱をエミィの前に差し出した。
 
 
 
 

「食うか?」
 
 
 
 

それは、今夜の夕食でも出された、「キウォユーヌ」という食べ物だった。透明

なゼリー状のカプセルの中に、森で採取された空気が圧縮して詰め込んであるの

で、口に入れると、柔らかい舌触りのあとに爽やかで豊かな香りが弾ける感触を

楽しめる。割に安く手に入る、一般家庭の食卓には欠かせない一品だった。
 
 
 
 

「教授、こんな時間に食べると、太っちゃいますよ。」
 
 
 
 

エミィはそう言いながら、いそいそと箱に手を伸ばす。教授はエミィの方に箱を

傾けながら、自分も一粒つまんで口に運んだ。
 
 
 
 

「星の嬢ちゃん、最近わいのこと、サニーって呼んでくれんなぁ。」
 
 
 
 

「だって、レジアが恥ずかしいからやめろって・・・。」
 
 
 
 

エミィはキウォユーヌを口の中で転がしながら、再び夜空を見上げた。口中にし

み出してくる爽やかな空気を味わっていると、昼間の大石柱での出来事を自然と

思い出す。ホントに、いろんなことがあった一日だったな・・・。
 
 
 
 

あれから、エミィたちはステナの刻間中、ずうっと大石柱のそばで過ごした。レ

ジアやカティナにとっては久しぶりの大石柱だったし、第一層に入る許可を取る

のが面倒だったので、せっかく入れたんだからなるべく長くいようということに

なったのである。エミィはその間に、さすがに疲れたのか、たっぷりと八時間も

睡眠をとった。レジアとカティナはエミィが安全であるように周りに気を配りな

がらも、八時間の間に妖精たちと共同で、“花の塔”を造り上げ、目を覚ました

エミィを大いに驚かせた。
 
 
 
 

それにしても、林の木陰で、草に寝そべって眠るのはとても気持ちがよかった。

キウォユーヌの原料になるのと同じような、爽やかな空気を全身で吸い込みなが

ら、いつしかあのルースキンのことも忘れて、エミィは赤ん坊みたいに眠ること

ができた。
 
 
 
 

ところで、このキウォユーヌというのは、単なる食べ物の名前ではない。たまた

ま、中に詰めたものの主成分が「キウォユーヌ」だったので、この食べ物の名前

になっているに過ぎなかった。この星では、大石柱や森の周りの空気に含まれて

いる「何か」はキウォユーヌであり、大地は星のキウォユーヌであり、家族はそ

の家庭のキウォユーヌであり、生と死はキウォユーヌの関係にある、などと表現

された。
 
 
 
 

エミィは初め、この言葉に「調節因子」とか「エレメント」とかいう語を当てて

いたけれど、レジアに説明してもらうほどにどんどんこの言葉に含まれる概念は

拡大していってしまって、とても地球圏の言語では表現しきれなくなった。それ

で、エミィはこのキウォユーヌという言葉をそのまま受け入れることにしたので

ある。
 
 
 
 

キウォユーヌ、この言葉が、エミィの脳裏から離れない。それはグルグルと回り

ながら、やがてあの男の顔を浮かび上がらせる。ルースキン、彼の言った言葉が

チクチクとする棘のように、エミィの心の奥に突き刺さっている。「案外ホント

の敵は、自分の心の一番近いところにいるのかもしれないよ?」・・・。
 
 
 
 

ホントの敵って、なんなのよ。あの時は、大石柱に触れたせいで、感情が麻痺し

てたんだわ。よく考えてみたら、あんたより怪しい敵なんて、他にいるわけない

じゃないかっ。エミィは、ルースキンの顔を思い出すだけでイライラしてくる自

分を抑えられなくて、キウォユーヌを十粒ほどわしづかみにすると、一気に口の

中に放り込んだ。
 
 
 
 

そんなエミィの様子を横目でうかがいながら、教授は恐る恐る声をかけた。
 
 
 
 

「なぁ、星の嬢ちゃん。さっきも言うたけど・・・」
 
 
 
 

「教授、キウォユーヌって、ホントに美味しいですねっ!」
 
 
 
 

「話をそらさんと、ちゃんと聞いてや。」
 
 
 
 

「あたし、逃げ出すなんて、嫌ですからっ!」
 
 
 
 

実は、この夜の夕食のとき、情報箱からショッキングなニュースが流れたのであ

る。それは、ガルシア帝国がガルシア大陸の北側の水域際に、軍隊を集結し始め

ている、という報告だった。表向きには、皇帝ガルシオ四世の誕生日を祝うため

の軍事演習ということにはなっていたが、コーダ大陸の南部の諸国はこのガルシ

アの動きに同調する気配を見せていた。
 
 
 
 

もともと、コーダ大陸の南部の諸国は、コーダ共和国やロステムス王国、ファレ

シア王国を中心とするコーダ連邦に対しては批判的である。しかし、各国とも自

国の安定を図るために、形式上は連邦と同盟を結んでいた。それで一応、コーダ

大陸はひとつの勢力として、パース大公国やガルシア帝国と肩を並べるだけの力

を持ちつつはあったのだが、やはりその結びつきは脆弱なものとならざるを得な

かった。
 
 
 
 

ガルシア帝国にとってはそこが狙い目で、これまでにも何度か、南部コーダ諸国

を抱き込んで、コーダ大陸内部を混乱させていた。ただ、これまでの介入では、

その目標とするものはコーダ大陸の豊富な資源であった。しかし今回に限っては

これまでとは違って、その目標は明らかにエスタミス市である。大石柱を手にす

るということには、それほどの意味があった。いってみれば、ヴェスタリオミア

全体の精神的な中心地のひとつなのである。
 
 
 
 

ちなみに、このニュースの報道責任者は、あのルースキンであった。大石柱から

帰ってくる道すがら、エミィとレジアは話し合って、ルースキンのことは教授に

は黙っていようと決めていた。余計な心配はかけたくなかったのだ。ところが、

夕食中このニュースが流れたとたん、カティナが「あぁ、この人、昼間会ったん

だよぉ。」と得意げに話し出してしまって、結局エミィたちは教授に、ことの顛

末を報告せざるを得なくなった。
 
 
 
 

「なぁ、星の嬢ちゃん。あのエノビ・ルースキンいう男は、いけ好かんやつやけ

 ど、言うこともやることも嘘のない男や。おそらく、あいつがあんたの前に現

 れたんは、単なる取材やなくて、警告や思う。」
 
 
 
 

「で、でも・・・」
 
 
 
 

「もちろん、今すぐにこのエスタミスが危なくなるわけやないで。コーダ連邦も

 総力を挙げて守るし、たぶんパースも味方してくれる。」
 
 
 
 

「だったら・・・」
 
 
 
 

「けどなぁ。あの男があんたに警告したっていうことは、エスタミスは大丈夫で

 も、あんたは危ないいうことや。最近のガルシアは、何するかわかったもんや

 ない。利用できるもんは何でも利用する。」
 
 
 
 

「だけど、なんであたしが・・・」
 
 
 
 

「星の嬢ちゃん、もうちぃと、自覚せなあかんで。あんたは星の世界から降って

 きた、いってみれば、レアナレスに記されてる“運命の発動者”や。あんたを

 手に入れたもんが、古代王朝の正当な後継者になれるかもしれん。」
 
 
 
 

「へ・・・?な、なに、それ・・・?」
 
 
 
 

「しかも、あんたはファレシア国王シン陛下のお友達や。あんたを抑えとけば、

 ファレシアは言うこと聞くかもしれん、そないに思うわな。そのくらいのこと

 は、連中も調べとるでぇ・・・。」
 
 
 
 

「あ、え?で、でも・・・」
 
 
 
 

「ホンマはな、あの、リーナっちゅう娘が欲しいんや、ガルシアは。なんせ、古

 代王朝の王族の末裔やからなぁ。いくら隠したかて、そんなん、すぐにバレる

 わな。せやけど、あの娘はチョロチョロしとって、なかなかよぅ捕まえん。そ

 れやったら、あんたみたいなのんびりしとる娘の方が、扱いやすい思うんは当

 然とちゃうか?」
 
 
 
 

「そ、そんな・・・」
 
 
 
 

「世の中はなぁ、いっつも自分の知らんとこで、一番重要なことが動いとるもん

 や。怖いでぇ、ホンマ。そやから、しばらくほとぼりが冷めるまで、モスの家

 から出んほうがええ。あいつは気に入らんやつやけど、力は持っとる。それに

 わけわからん仲間がぎょうさんいてる。ガルシアも、あいつにだけは手ぇ出せ

 んさかいなぁ・・・。」
 
 
 
 

「だ、だけどあたし、まだここでやりたいことがあるんですっ!大石柱のこと、

 もう少しで何かがわかりそうな気がするし、それにレジアやカティナとだって

 離れたくない・・・!」
 
 
 
 

そう言って、すがるような目をするエミィに、教授は優しい眼差しを向けると、

首を大きくゆっくり、二度ほど横に振った。
 
 
 
 

「あかん。気持ちはわかるけどな。あんたに何かあったら、星の世界からあんた

 を迎えに来る誰かさんに、わいはなんて謝ったらええんや?」
 
 
 
 

「そうだよ、エミィ。父さんの言う通りさ。」
 
 
 
 

いつの間にか、レジアとカティナがエミィの背中越しに立って、エミィを見つめ

ていた。二人とも微笑んでいたけれど、風でも吹いたら泣き出しそうな雰囲気に

見えた。レジアが思い切ったように言った。
 
 
 
 

「今だって、一日おきにモス爺さんの家に帰ってるじゃないか。そんなに生活が

 変わるわけじゃないだろ?まあ、講義が中断するのは残念だけどさ。」
 
 
 
 

「レジア・・・。」
 
 
 
 

「エミィ、遊びに行くからね。」
 
 
 
 

カティナはそう言うと、エミィの両手を自分の両手で包み込むように握りしめな

がら、精一杯の笑顔をしてみせる。
 
 
 
 

「まあ、そんな長い間やあらへん。またすぐに、来れるようになるわな。まった

 くホンマ、若い娘は大袈裟やなぁ・・・。」
 
 
 
 

三人の思い詰めたような雰囲気を和らげるように、ランテルス教授はわざと大き

な声を出した。それから教授は大きく伸びをすると、エミィたちの肩を叩いて、

歩き出しながら言った。
 
 
 
 

「さあ、そうと決まれば、今夜は早くに寝て、明日は朝のうちにエミィをモスの

 家まで送ってかななぁ。母さんに言うて、荷造りしてもらわな。渡したいもん

 もあるし・・・。おぉい、シシア、シシア。ちょっと手伝ってんか・・・」
 
 
 
 

エミィは、そんな教授の背中が階下に消えていくのを見送ってから、改めて星空

を見上げてみる。星がキラキラと瞬くのは、空気がある証拠だ。そういえば、あ

たしがこの星に来てから、まだ一度も雨が降っていない。ずうっと星空が見えて

いるんだ、地球圏の時間で一ヶ月以上も・・・。
 
 
 
 

レジアとカティナも、星空を見上げていた。きっとそれぞれに、いろんな想いを

込めてるんだろうな・・・。エミィは、二人の心が流れ込んで来ないように、静

かに心の中に壁を立てた。
 
 
 
 

星空を見上げる三人に向かって、大石柱の方角から微細な風が吹いてくる。その

風は三人の間で小さなつむじを巻くと、三人が気づく前に、森の奥の方へと流れ

ていった。
 
 
 
 
 
 
 
 

そして、翌朝。
 
 
 
 

レジアやカティナと三人で床に入ったエミィは、一晩中いろいろな話をして、ほ

とんど眠っていなかったけれど、それでも何故か意識は冴え渡っていた。
 
 
 
 

「湿っぽくなるから、見送りはここまでにするよ。どうせまた、すぐに会えるん

 だし。」
 
 
 
 

レジアが照れくさそうに言う。カティナは眠そうな目を擦りながら、「遊びに行

くからねぇ。」と、あくび混じりに手を振っている。
 
 
 
 

ここは、エスタミス市の入り口である、第三層の南側の門のすぐ外の広場だ。普

段は人通りの多い場所だが、この時間はほとんど人影もなく、木々の風に揺れる

音以外には何も聞こえず、静まり返っている。
 
 
 
 

エミィは、「さぁ、ほなら、行こか。」という、ランテルス教授の声にうなずい

て、歩き出した。途中、何度も何度も振り返りながら、レジアとカティナの姿が

見えなくなるまで、エミィは手を振り続けた。
 
 
 
 

それからしばらく歩いて、モス・アレス老の家のあるティミア村に通じる、例の

森の入り口が見え始めたとき、エミィはもう一度、何気なくエスタミス市を振り

返って見た。朝日に輝く白皇城が、まるでこの世のものではないように美しい。
 
 
 
 

もう、二度とこの美しい街を見ることはないかもしれない。エミィは突然そんな

想いに襲われて、ハッとする。そんなこと、あるはずがないっ!あたしはまた、

ここに戻ってくるに決まってるっ!エミィはギュッと目を閉じると、頭をブンブ

ンと横に振って、不吉な予感を振り払おうとした。
 
 
 
 

エミィが再び目を開けてエスタミス市を見つめたとき、白皇城はさっきよりも力

強く輝いて、「大丈夫だよ」と笑って言うシン・ファレシアの声が、エミィには

聞こえたような気がした。
 
 
 
 

三つの月のうちで一番最後に沈むエストの月が、いつもにもまして蒼く冴え冴え

とした光を、大石柱に向かって投げかけていた。
 
 

作・ 小走り
EMAIL:kobashi@nsknet.or.jp
http://hideo.com/kobashi/




 

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