「ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(13)」

前回までのお話
P.13
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

“人間、私の同胞(はらから)よ
 

 あなたたちの抱く
 

 愛情や友情、夢や憧れ、信頼や自己犠牲
 

 いえ、もっと単純で純粋な、優しさや温もりや
 

 それらの幻想は
 

 先天的に遺伝子に何ものかが“付け加えた”
 

 合目的的な生命活動の揺らぎに過ぎないのです
 

 大いなる破壊と創造の循環、殺戮と生殖のドラマ
 

 そういうものの繰り返しによって純度を増していく
 

 その何ものかのために捧げられるべき中心命題が
 

 私と、そしてあなたたちのただ一つの“理由”
 
 
 
 

 あるいは、そうではなく
 

 私やあなたたち以外には誰も介在しないと仮定すれば
 

 人間という種類の有機物の、心という種類の反応を躍り上がらせるような
 

 あの愛おしい記号の重ね合わせたちは
 

 この世の全てから見れば、大きな摂理からことごとく逸脱し
 

 全く負の価値しか持ちえないほどの乱痴気騒ぎでしかなく
 

 だから私やあなたたちは、ことごとく悲惨に見舞われて
 

 こんな風にはいつくばって涙を流すことになるのです
 

 もし、こんな私の哀れな絶望が滑稽だというのなら
 

 この戦場という名前の日常的な無限地獄の中から
 

 私ではなく、この小さな生命を救い出したまえ”


 
 
 
 
エスタミスを出て以来、モス・アレス老の家にこもりきりのエミィは、朝から晩

まで情報箱にかじりついていた。情報箱からは音楽やスポーツや、その他いろい

ろな情報が、音や映像や、ときには感触や味や匂いとして流れ出し、エミィを退

屈させることはなかった。

しかし日をおうにつれて、その内容はガルシア帝国の武力侵攻についてのニュー

スに埋め尽くされていった。もっとも、論調は客観的に、たとえば今日の何時に

コーダ大陸の南部に上陸したとか、南部諸国は連邦との同盟を破棄したとか、そ

ういう事実だけを淡々と伝えていた。けれど、それ以外の番組があからさまに無

味乾燥なメニューに置き換えられていったために、余計にこのニュースだけが目

立つように感じられた。
 
 

「これって、国際放送協会が情報操作してるんじゃないかな・・・。少しずつ、

 まるで“なんでもないことなんだよ”ってエスタミスの市民たちをこのニュー

 スに慣れさせるために・・・。隠したりするより、うまく知らせる方が効果的

 なのですって。兄が言ってました。」
 
 

そう言ったのは、ニウだった。このニウ・ニルビニマは、エノビ・ルースキンの

片腕であるセル・ニルビニマの妹である。

彼女は、エミィがモス・アレス老の家に戻ってみると、すでにこの家の家政婦と

して働いていた。ルースキンをよく思っていないエミィは猛反対したのだが、老

は面白そうに笑いながら「好きにさせとくさ、役に立つしなぁ。料理の腕は一流

じゃて。」と言ってとりあわなかった。

初めのうちは警戒していたエミィも、ニウの裏表のない性格に次第に信頼を寄せ

るようになっていった。なにより、彼女から流れ込んでくる心の色は、レジアや

カティナと同じくらい、エミィにとって暖かかった。

ニウはこの家に来た理由についても、隠し事はしなかった。「エミィさんには、

隠そうとしても無駄ですし。それにこれは、スパイじゃなくて報道なんですから

ね。」そう言って、ニウは笑う。

そんなニウの意見は今や、エミィにとって貴重な情報源となっていた。
 
 

「情報操作って・・・、ルースキンの奴、そんなことまでやってるの?あいつは

 ガルシア帝国についたってわけ?」
 
 

エミィは、自分が何もできない苛立ちと、ランテルス教授一家が危険にさらされ

ているという不安から、ここ数日はとても不機嫌だった。それでついつい、ニウ

に対しても声を荒げてしまう。
 
 

「あ、いえ、エノビ様はそんなことしません。今、国際放送協会自体がガルシア

 寄りの経営陣ですから・・・。エノビ様や兄は、ハッキリ言うと厄介者扱いな

 んです、協会の中では。・・・ごめんなさい、お役に立てなくて。」
 
 

申し訳なさそうに小声で答えるニウに、エミィは「あ、ごめん、ちょっとイライ

ラしてて。気にしないでね。」と曖昧な笑顔を向けた。最近エミィは、自分の心

がコントロールできずに、頻繁に人を傷つけるようなことを言ってしまう。そん

自分が、エミィには許せなかったが、それでもどうしようもなかった。

エミィがエスタミスを離れてから数日ほどは、レジアとカティナが交互に、教授

や妻のシシアに連れられて訪ねてきてくれた。けれど、訪ねてくるたびに、教授

をはじめ、一家の表情は深刻になっていった。あのカティナでさえ、怯えたよう

な顔を隠さなかった。教授は何度かモス・アレス老と、大声で議論しているよう

だった。

そしてとうとう一昨日の晩、レジアを伴って訪ねてきた教授が言った。
 
 

「星の嬢ちゃん、残念やけど、しばらくは来れへんようになってな。なに、心配

 はいらんけど、まぁ、念のためって奴や。」
 
 

ハッとしたような表情で教授の顔を見つめているエミィに、レジアが小声で付け

加える。
 
 

「うちらさ、父さんの故郷に・・・ロステムスに行くことにしたんだ。うちらだ

 けなら何とかなると思うんだけどね、ほら、カティナもいるし・・・。」
 
 

そう言ってうつむいたレジアに、エミィは何も言えなかった。戦争になれば、い

つ再会できるかもわからない。けれども今は、それ以外に方法はなかった。せめ

て、戦禍がエスタミスに及ぶ前に脱出できるよう、祈るしかなかったのだ。
 
 
 
 
 

それからもモス・アレス老の家には、様々な人々がひっきりなしに訪れた。どの

顔も、疲労を刻んで、厳しく引き締まっていた。もちろん、ファレシア王国の関

係者が一番多く、一度はシン・ファレシア自身も老を訪れて、師からいくつかの

アドバイスを受けていた。エミィは本当なら話しかけ、励ましたかったところだ

ったが、師弟の間の峻厳で熱気あふれる雰囲気に気後れして、遠くから眺めてい

るだけだった。それでもシンが、師の言葉を聞くにつれてイキイキとした表情に

なっていったのが、エミィには嬉しかった。それからシンは、いつもの如く純白

のマントをひるがえして、風のように帰っていった。

また、リーナもときどき老を訪れては、差し入れをしたりマッサージをしたりし

ていた。初めて逢ったときと比べて、リーナの表情も厳しく、別人のように見え

た。それでもエミィを見つけると、あの魅惑的な笑顔を全身に浮かべて、リーナ

は走り寄ってくる。
 
 

「エミィ、お久しぶり!わたくし、どんなにあなたに会いたかったか!きっと

 不安な毎日を送ってるんだろうなって・・・。」
 
 

その笑顔と声に触れただけで、エミィの心からは不安とイライラが消え去ってい

くようだった。けれど、よく見るとリーナの顔にも、疲労の痕が刻まれている。
 
 

「あ、なんか、リーナも疲れてる?もしかして。」
 
 

「え、あ、そうね。エミィほどじゃないかもしれないけど、やっぱりわたくしも

 心配だし。まあ、ちょっとは忙しいし・・・。でも、わたくしなんかより、モ

 ス様の方が心配だわ。深く、疲れていらっしゃるみたい・・・。」
 
 

確かに、モス・アレス老の疲労ぶりにはエミィも心を痛めていた。老が戦争を回

避するためにあらゆる手段を講じていることは、エミィの眼にも明らかだった。

毎日何十通もの手紙を書き、何十人という人に会い、相談を受け、その一つ一つ

に老は答えを示していった。それでも、なかなか状況が好転しないことは、何と

なく伝わってくる。エミィは何も役に立たない自分が情けなく、そして老を見て

いるのが辛かった。

けれど、リーナが訪ねてくるときだけは、老もホッとしたような表情を浮かべて

いる。エミィはそんなとき、リーナが少し羨ましく、そして、それ以上になぜか

とても嬉しく感じられた。

帰っていくリーナを優しい笑顔で見送っているエミィに、ニウが耳打ちした。
 
 

「あの方は、とても危険です。・・・心を許しちゃダメですよ。」
 
 

エミィはその言葉に反論しようとして、ニウの顔をにらんで口を開いた。けれど

一言も発することができなかった。心のどこかで、ニウの言葉を肯定している自

分がいる、理由はわからないけれど・・・。エミィは唇をキュッと引き結んで、

ルースキンの言葉を思い出していた。
 
 

「案外ホントの敵は、自分の心の一番近いところにいるのかもしれないよ?」
 
 

なんで、こんなときにあんな奴の言葉を思い出すんだろ?エミィは悔しくて、涙

が溢れてくるのを止めることができなかった。
 
 
 
 
 

更に数日が過ぎた頃、どこからともなくこんな歌が、ティミア村にも伝わってき

た。それは、哀しげで、しかし心を奮い立たせるような、美しい旋律だった。
 
 

今、白皇は日に映えて

天空めざす石柱よ

我らが故郷、エスタミス

始まりの森に抱かれし

オスナムの裔(えい)幾十万

心と心の大連峰

愛する君を、我が子らを

守りに守れ、勇ましく

さあ、立ち上がれ

時は今・・・
 
 

歴史はいつも、歌から始まる・・・と、ヴィットリ・ロステムスは言う。まさに

今、エスタミス市民の間から歌が生まれた。そしてそれは、一人一人の意志とは

無関係に、多くの人を戦乱へと駆り立てていった。ひとたび闘争へと駆り立てら

れた心の中では、獣が牙を剥く。もはやそれは、抑えがたい衝動となる。

シン・ファレシアをはじめ王国議会の関係者は、コーダ連邦やパース大公国の助

言に従い、市民をコーダ共和国領土内に脱出させるための準備を進めていたが、

歴史は、そして人の心の衝動は、それを許さなかった。市民たちは、ノーリスの

戦いでの奇跡的な成功を神話的に盲信し、「人の城壁」戦術を採った。

ことここに至っては、シン・ファレシアも覚悟せざるを得なかった。戦争を防ぐ

工作が全て水泡と化した今、彼とリンベル騎士団はその身を最前線にさらす以外

に道はなかった。王妃セシャルをはじめ女性や子供たちは、大石柱の元に集まり

必死に祈りを捧げた。
 
 
 
 
 

もともと、「人の城壁」戦術が有効だったのは、戦いが“戦争”ではなく“いく

さ”だった頃の話である。その時代、戦いは人の生き様そのものであり、人生の

一場面だった。人間と人間の、真剣な結び合いであった。だからこそ、戦いには

感動があり、意味があり、ドラマがあった。戦うことによって人は、“騎士”と

称えられ、尊敬を集めた。そういう時代が、ヴェスタリオミアでは長く続いてい

たのである。

しかし、今ガルシアが起こそうとしているのは、紛れもなく“戦争”であった。

大量殺戮兵器による、大虐殺であった。そこには熱も意気もなく、ただただ醜い

欲望だけが剥き出しに曝されていくのである。その背景にどのような想いが込め

られていようとも、戦争は無意味であり、残虐であり、悲惨である。
 
 
 
 
 

そしてエミィは、とうとう“その朝”を迎えた。
 
 

情報箱からは、平和的な行進を続けるガルシア帝国軍の映像と、エスタミスの城

壁の外に幾重にも立ち尽くす市民の映像が、交互に流されていた。
 
 

すると突然、大地を揺るがすような轟音が、エスタミスの方向から響きわたった

のである。一度、二度、そして三度・・・。そのたびに大石柱さえも覆い尽くす

ような火柱が、何本も吹き上がっては天を焦がした。
 
 

エミィは、最初の轟音と共に流れ込んだ何万もの人の心の衝撃に耐えかねて、数

分の間、意識を失っていた。それから、大きく、哀しみに満ちた腕に抱き起こさ

れて、気がついた。モス・アレス老の真っ白なひげと眉毛に埋もれたふたつの瞳

からは、赤い血が沸き出しては、エミィの胸を紅に染めた。
 
 

しばらく身動きもできずに、エミィとモス・アレス老はエスタミス郊外の森が煙

をあげて燃えるのを、黙って見つめていた。かたわらではニウが、音楽情報しか

流さなくなった情報箱を操作して、あらかじめルースキンに教えられていた周波

数にセットしていた。この周波数は、コーダ連邦諸国やパース大公国にも、セル

やその仲間を通じて伝えられていた“ホット・ライン”であった。ニウは無表情

で作業を進めていたが、その瞳からは、とめどなく涙が溢れていた。
 
 

間もなく、雑音に混じって、途切れ途切れにあの、ルースキンの声が聞こえてき

たのだった。
 
 

・・・ちら・・・際放・・・の・・・ビ・・・スキンで・・・

・・こちら・・国際放・・会の・・ノビ・・ースキンです・・

・・こちらは、国際放送協会の、エノビ・ルースキンです・・
 
 

「やあ、みんな。ご無沙汰しちゃったねぇ。元気だったかい?

 僕は今、地獄にいるよ。

 これからみんなに、本物の地獄ってやつを見てもらいたいと思う。

 忘れないで欲しい、これから僕の見せるもの、

 それだけがホントのことなんだ。

 そして、いいかい、こいつから目を背けないでいて欲しい。
 

 ここはさぁ、つい最近まで“エスタミス”って呼ばれてたところだ。

 あっちこっちに転がってる、腐りかけた肉のカタマリが見えるかい?

 あれがね、ほんのついさっきまで、“五十万の人の城壁”と呼ばれていたモノだ。」


 
 
 
 
 
 
作・ 小走り
EMAIL:kobashi@nsknet.or.jp
http://hideo.com/kobashi/




 
 

<コメント>
 
 

間もなく20世紀が終わり、21世紀となります。私が生まれたこの「20世紀」という時代、それは紛れも

なく「戦争の世紀」でした。私も含めて、戦争を知らない世代は、戦争や殺人や、教育や政治や、思想や宗教

や、あるいは科学や自然といったものを、理性を用いて“客観的に”判断しようとします。しかし、客観とい

うのは高邁な虚構世界であることを忘れてはなりません。そこには体温がない。戦争の記録などを見て私たち

が感じる、怒りや哀しみや、そういった主観こそが、現実世界の構成要素なのです。私が20世紀に生まれた

人間として、21世紀の人間に伝えたいこと、それは、戦争はただ、残虐であり悲惨である、ということだけ

です。このことに関しては、いたずらに議論を操って、人の心を左右してはならない、私はそう思うのです。





 

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