ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(2)

前回までのお話
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ここは、コーダ大陸西部を領するコーダ共和国の都市パティア。首都モルメアの

北に位置し、コーダ大陸にある三十二の国家のうち十六ヶ国から構成されるコー

ダ連邦の中枢機関が集中しており、いわば連邦の首都である。この街の西のはず

れにある小さな屋敷の二階の廊下を、入手したばかりの大ニュースを抱えた若い

女性が、一番奥の部屋を目指して走っていた。時刻は、そろそろファラの刻間が

終わろうとしていた(=23時頃。惑星ヴェスタリオミアの自転周期は約69時

間なので、イメージとしては地球での朝の8時頃になる。それでも、既に23時

間が経過していることに注意)。



「おひいさま、星が降りました!」



その女性、サーマ・アンティルマが大声で叫びながら部屋に飛び込んだとき、中

にいたリーナ・アルティメア(♀)はアーク・レク(♂)からの性転換を終えた

ばかりで、まだ服を着ていなかった。突然ノックもなしに入ってきたサーマの方

を振り向いたリーナは、ニッコリと微笑むと両腕を胸の前で重ねて恥じらいを見

せた。リーナの背中には純白の翼が折り畳まれていたが、リーナはおずおずと翼

を広げると、二度ほどゆらゆらと動かしてから、両翼で体を包み込んだ。ああ、

なんて見事な翼。私の翼もあれくらい美しかったら・・・。サーマは思わず息を

飲んだ。



こういうときのリーナは、普段にもまして魅力的に輝いている。女性から見ても

魅了されてしまう。彼女を愛して、守らなければならないと思わせられる。外見

的な体の美しさや、王族の末裔だけが持つ独特の気品、そういったものはもちろ

ん素晴らしかったけれど、リーナの魅力はもっと何か、別の次元のものから来る

ようだと、サーマはいつも感じていた。



誰に対しても無防備なまでに心を開き、相手の内側に抵抗なく溶け込んでいく、

そういうリーナの心地よさと危うさが、まるで我が子を守ろうとする親のような

気持ちを、相手の心に抱かせるのかもしれない。サーマはそう思いこもうとした

けれど、一方で彼女は薄々感づいてもいた。リーナの魅力は、底知れないあの超

絶的な「力」の一部分にすぎない、と。生まれた時から共に暮らしているサーマ

ですら、リーナがその「力」を使うたびに恐怖を感じていた。しかし、その恐怖

はサーマにとって、笑顔と同じく心地よさとして感覚されてしまうのである。そ

のことは何か、重要な意味を持っているのかもしれなかったが、とにかくリーナ

を愛してしまう自分を、サーマはどうすることもできなかった。



おひいさまを苦手な方はいらっしゃっても、嫌いな方はきっといないわ。改めて

そう確信しながらサーマは、自分がリーナに見とれているのに気がついて、慌て

て後ろを向いた。



「も、申し訳ありません、おひいさま。お、お着替えをお手伝いいたしましょう

 か?」



「いいえ、一人でできますよ。それよりサーマったら、真っ赤になって。アーク

 の時の体を見られてしまったのかしら・・・?」



翼をすうっと折り畳みながら、リーナはイタズラっぽく言って、クスクスと笑っ

ている。



おひいさまったら、いつもそうやって私をからかう。おひいさまには私の気持ち

など、何もかもお見通しなのだわ。サーマは、まだドキドキしている胸を押さえ

ながら、クルッと振り向いて少しだけリーナを睨んで見せようとした。リーナの

笑顔の前では、無駄な抵抗だと知りつつも、一応からかわれたことへの抗議を示

しておきたかった。しかしサーマの抵抗は、振り向いたその瞬間に敗れ去ってい

た。



薄いピンク色で半透明の下着をまとったリーナは、カーテン越しに漏れてくる薄

明かりの中で、神々しささえ感じさせた。清楚で豊かな亜麻色の髪は肩から左の

胸に流れて、その髪と陽の光よりも白い肌とのコントラストの美しさは、寒気を

覚えるほどだった。純白の翼は既に折り畳まれて下着の下にしまわれていたが、

翼がなくてもリーナの美しさは損なわれるどころか、むしろ、か細さが強調され

て更に輝きを増しているように感じられた。たとえ今は小さな屋敷に住み、質素

な衣服を着けてはいても、世が世なら正統アルティメア王家の王女である。もっ

とも、王家は既に遙かな昔に滅亡し、今は伝説の中で語られる存在となっていた

のだが、それでも細々と、歴史の狭間で王家の血筋は守られていたのだ。幼なさ

の残る顔に湛えられた微笑みからは暖かな親しみが、そしてこの世の全てを見通

すような漆黒の瞳からは全生命体の女王たる威厳が、同時にサーマの心に押し寄

せて、彼女は涙を流しそうになる。普段は耳の後ろに隠れている鰓(えら)が、

わずかに開いて、恍惚感にピクピクと震えた。ああ、この方のために生きている

ことの幸せ・・・!



感極まったように無言でこちらを見つめるサーマに、ちょっと肩をすくめて、リ

ーナはとにかく着替えを済ませる。サーマって、とっても頼りになるんだけど、

時々自分の世界に入り込んじゃうのよね・・・。髪を結いながらリーナは、ため

息をついて言った。



「サーマ、何か用事があったのではなくて?」



「あ、そうでしたわ、忘れるところでした。」



サーマはようやく現実に復帰すると、また自分の世界に入り込んでいたことに気

づいて、小さく一つ咳をした。それから部屋に入ってくる前の「さあ、大変!」

という顔に戻って話し始めた。



「星が落ちたのです、エスタミスの近くだそうですわ!なんでも、ファレシア国

 王が御自ら動いていらっしゃるとか。国際放送協会さえも抑えられてしまった

 そうですわ。一応、学術調査のため、ということになってはいるようですけれ

 ど・・・。」



リーナは少し表情を曇らせた。



「あの国王陛下は、どんな時にでも御自ら動いてしまわれるものねぇ。困った方

 ・・・。誰かにお任せになれれば、もっと騒ぎも小さくてすむのに・・・。そ

 れで?」



「はい、それで、星の中にはゲストが乗っておられたとかで、今はモス・アレス

 様のお屋敷に・・・」



サーマが言い終わらないうちに、リーナの顔も声も、体中がパッと花開いたよう

に輝いた。



「わぁ、モス・アレス様の?それでは、久しぶりにモス様のおうちに遊びに伺わ

 ないわけには、いかないわよねぇ?」



リーナは顔全体をキラキラさせながら、サーマの瞳をジッとのぞき込む。サーマ

はまた頬を赤らめながら、ため息混じりに言った。



「どうせ、私がお止めしても行かれるのでございましょう?知りませんよ、ご不

 在の間に共和国政府からアーク様にお呼びがかかったり、エルメ様がはるばる

 おひいさまに会いにいらしたとしても・・・」



「それは言いっこなしだわ、ありがとう、サーマ!」



リーナはサーマの首に腕を回して抱きしめると、左の頬にキスをした。リーナの

温もりを全身に感じながら、サーマは思った。たとえ共和国政府の特使に怒鳴ら

れようと、エルメ様の恨み言をクドクドと聞かされようと、私はおひいさまさえ

笑っていて下さるなら、どんなことにも耐えられるわ!



「せ、せめて、妹は連れていって下さいませね、おひいさま・・・。」



「わかってる、連れていかなかったりしたら、きっとロレッタは怒るわね。あの

 子も最近刺激がないってボヤいていたし。ロレッタのおもりはわたくしに任せ

 てね!」



「い、いえ、そういうことではなくて・・・」



「いいから、いいから!それより、エルメ様がいらっしゃったら知らせてね。一

 瞬で帰ってくるから。」



「い、一瞬って、あれはいけません!おひいさまがテレポートをなさるたびに、

 星中の空間に「ひずみ」が出てしまうって、何度も申し上げてるじゃありませ

 んか!」



「止めても無駄よ。恋に生きる乙女は、誰にも止められないの!心配しないで、

 うまくやるわ。それより、ロレッタは?ロレッタ、いるんでしょ?出かけるわ

 よ、ああ、そうだ、サーマ。玄関にボーラ(=この世界の内燃動力の六輪車)

 を回しておいてね・・・」



リーナは言い終わらないうちに、荷造りのために隣の部屋へ駆け出していった。

ああ、いつもこうなんだわ。最近は大人しくなっていらっしゃったのに。サーマ

は諦めたようにため息をつくと、ボーラを取りに車庫へ向かった。



外はとてもいい天気で、空は抜けるように青かった。この季節には珍しく、暖か

い東よりの風が吹き付けてくる。それは「星風」と呼ばれる、特別な風だった。

星が降ると必ずその方角から、季節に関係なく暖かい風が吹いてくるのだ。長い

ときは一週間も止まないことがある。



この風には様々な伝承が残されていて、その中に「ゲオルゲスの魔女が、風を求

めて星を呼ぶから」というのがある。ゲオルゲスというのは、浮遊島群メアラス

の中にある無人島で、この島にある「音の聖洞」という洞窟を風が通るとき、風

の状態によって七十二通りもの曲が奏でられる。この島に住む魔女が、何か特別

な曲を奏でたいときに、星風を吹かせるために星を降らせるというのである。魔

女が特別な曲を奏でるくらいだから、星風が吹くときには、大きな出来事が起こ

るとされていた。その出来事が良いことだという地方もあれば、悪いことが起こ

るという地方もあったけれど、共通しているのは、星風に手をかざして願い事を

すると、風が吹いて機嫌の良くなった魔女がそれを聞いて、一つだけ願いを叶え

てくれる、ということだった。



風に手をかざして、サーマは口癖になった台詞をつぶやいた。



「ご自分の恋のためには、星中の空間を歪めてしまう・・・。ああ、やっぱりこ

 の星は、おひいさまを中心に回っているのだわ・・・。どうか、おひいさまが

 ご無事でありますように!」



星が降り、風が吹いた。時は、ヴェスタリオミア新歴43年2月。リーナ・アル

ティメアの運命も、この星の歴史も、今ゆっくりと、しかし確実に回転し始めて

いた。



作・ 小走り

EMAIL:kobashi@nsknet.or.jp
http://hideo.com/kobashi/



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