ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(3)

前回までのお話
P.3



それは、暖かい夢だった。



サラサラ、サラサラと、雨が降り続いている。

パパとママが死んだって聞かされた、あの日。

あたしを包んでいた大きな温もりが、

雨に洗い流されていくような気がしていた。

あたしは気象プログラムの気まぐれに感謝してる。

もし晴れてたら、現実をあんな素直に認められなかった。



夢の中であたしは、あの日の自分を見つめてる。



薄暗い部屋に一人きりで、アースライト・ハープを弾いていたっけ。

アースライト・ハープって、ホントはグラビトン・ハープっていうのよね。

空間内の重力の差を利用して音を出す、青白い光のハープの音色。

ママはこのアースライト・ハープを弾くのが上手だった。

そしてパパは、ママのハープを隣で聞きながら、

いつも子供みたいな顔をして眠ってた。

控え目で優しいママと、活動的で陽気なパパの記憶。

悲しかったけれど、あたしの心は静かだったのを覚えてる。

パパもママもあたしを愛してくれたし、あたしも二人を愛してた。

青白い音色に抱きしめられながら、あたしはとっても幸せだったと思う。

いつの間にか、部屋にはアリムがいる。

夢の中だからじゃなくて、あの時も気がついたらアリムがいたの。

あたしの下手くそなハープを聞きながら、アリムは座っている。

あの日、アリムは一日中そばにいてくれたんだよね。

何も話さなかったけれど、そこに彼がいてくれるだけで十分だった。



ずうっと見ていたいけれど、この夢はもうすぐ覚めるらしい。

だんだんハープの音色が遠ざかっていくのを感じてる。

雨音がぼやけて滲んでいく。



すると突然、微かになったハープの音色が不協和音に変わった。

胸が、ドキドキする。

全身がグルグル回って、気分が悪い。

学校で遠心装置の体験実習を受けた時みたいな感じ。

それから、無数の閃光が奔流となってあたしの中に流れ込んでくる。

心の中にズカズカと入り込まれて、荒らし回られてる気がする。

それは波のように、退いたかと思うとまた押し寄せてくる。

何度も何度も、容赦なく蹂躙は繰り返され、あたしはパニックを起こした。

少なくとも、これは単なる悪夢じゃない、現実に起きていることだ。

でもいったい何が起きているのかが、全然理解できないのよ!

何とかしたくて、もがこうとしたんだけどダメだった。

磁気嵐の中で翻弄される小型シャトルみたいに、

ただ、なされるがままにされているだけ。

やめて、もうやめて・・・!

これ以上続いたら、あたし、壊れちゃうよ・・・!



その時なの。

あの「声」がまた、優しく流れ込んできた。



<お嬢さん、落ち着いて。怖がることはない。>



ホントにこの「声」は不思議だ。

あたしはまだ混乱していたけど、心の隅っこに冷静さを取り戻していた。

それから一生懸命、「声」の聞こえてくる方に意識を集中した。



<心を静めて、ゆっくりと全体を見渡してごらん・・・>



あたしは「声」に頷きながら、心で深呼吸して気持ちを静める。

いつもいつも、あたしを導いてくれる不思議な「声」。

ああ、そう。お祖父様に少し似ているのかな。



そういえば、思い出した。

あの何度も押し寄せてくる光の波の感覚を、あたしは覚えている。

あれは、お祖父様の家に遊びに行ったときのことだった。

あの時はパパもママも一緒だった。

あたしはあの日、生まれて初めてテレパスカードを外してみたんだ。



テレパスカードは、お祖父様の大発明だった。

磁気性シリコン板なんだそうだけど、テレパシーを遮断することができる。

テレパスは長い間、一般の人たちから、酷い差別的な扱いを受けていたらしい。

それはそうよね、テレパスじゃない普通の人にとってあたしたちは恐怖だ。

でも、お祖父様がテレパスカードを発明してからは、状況が一変した。

普通の人は思考を読まれる心配がなくなるし、

テレパスも余計な思考が流れ込んで悩まされることがない。

お祖父様は世界テレパス連盟を結成して、テレパスの人権を守りながら、

テレパスカードを普及させることによって差別と戦ってくれている。

恒星間交流の推進も、テレパスが生きるための武器なんだって。

あたしたちの世代のテレパスが気楽に生きていられるのも、

お祖父様たちが頑張ってくれているおかげなんだよね。



あたしのように、生まれた時にテレパスだとわかると、

その時点でテレパスカードを携帯させられる。

首から鎖でぶら下げておくんだけど、

あたしにとってはずうっとお守り代わりだった。

それであの日、恐る恐るテレパスカードを外してみるまでは、

あたしは自分の能力と「テレパス」という言葉の意味を知らないで育った。

子供時代に能力を使わないために、感受性が消失する場合も多いけど、

あたしの場合は反対に、生まれた時よりも感受性は増加していた。

まだ十歳のあたしに、「今日からお前は大人なんだよ」って、

真剣な顔をして言っていたお祖父様の眼差しを思い出す。



カードが外された瞬間、あたしは海の中に放り込まれた気がした。

息苦しくて、その上いろいろなものがまとわりついてくる。

ネバネバしていたり、サラサラしていたり、

繰り返し押し寄せてくる波のように逆巻いていたり、

そういうものが何重にも絡み合いながら体を締め上げていく。

それから、光の束が次々にあたしの中に入り込んできて、

内側からあたしをグルグルと、容赦なくかき回した。

だんだんにその光の束は、人間の姿に変わって、

あたしは数え切れないほどたくさんの人に囲まれていく。

まるで、裸のまま群衆の中に放り込まれたような、そういう感覚。

その群衆の一人一人があたしに手を伸ばし、体中に触り、話しかけてくる。

同時に聞こえてくる何千、何万もの言葉の一つ一つが、

子供にはわからない感情まで、ハッキリと聞き分けられた。

それは、優しさや喜びの表現であり、憎悪や欲望の呻きだった。

今まで経験したことのない恐怖感に襲われて、

あたしは悲鳴をあげていた。



パパとママは、急いであたしを抱きしめてくれた。

あたしはママの体に必死にすがりついているしかなかった。

パパもママもあたしと同じ、エクセレント級のテレパスだったから、

すぐにあたしの心に入り込んで、何とかあたしを落ち着かせようと努力した。

でも、二人の暖かい感触でさえ、

混乱したあたしにとっては新たな侵入者でしかなかった。

ますますパニックに陥ってしまって、あたしはガタガタ震えてた。

その時あたしを助けてくれたのは、お祖父様の静かな優しい声だったんだ。



「エミィ、落ち着くんじゃ、怖くない。わしがついてるからね。」



暖かな眼差しと、優しい声。

それはどんな鎮静剤よりも安心感を与えてくれるものだと思う。

あたしはお祖父様の顔を見上げて、コクコクと頷いていたんだって。

あとからパパとママが、「私たちのことはあんなに怖がったのに」って、

恨みがましそうに言っていたっけ・・・。



「さあ、心を静かにして、ゆっくりと周りを見渡してごらん・・・」



あの時のお祖父様の声と、不思議な「声」が重なって響いていく。



<そう、そうだよ、その調子だ。>



その「声」に導かれながら、

あたしは、すっかり冷静さを取り戻していた。

あの波のように押し寄せる光の感覚は、きっとあの時と同じだ。

たくさんの人の心が流れ込んできた、その感覚に違いない。

あの時以来、あたしは二度とカードを外さなかったの。

あんな怖い思いはもうしたくないって思ったから。

それでも、「ノア」に乗るために、

お祖父様にテレパシーのコントロール法は教えてもらっていた。

テレパスカードも、完全には能力を遮断しないものに変えて、

日常の中でテレパシーの感覚に慣れるようにはしていたの。

だけど、急にあんなにたくさんの心が流れ込んできたら、

誰だってびっくりして、パニックを起こすに違いない。

そっか、きっとカードが壊れちゃったんだ。

シャトルが故障して、惑星に突っ込んじゃったんだもんね。

あるいは、「ノア」の中を逃げ回る間に壊れたのかもしれない。

とにかく、あたしは、助かったんだ・・・。

そしてこの星には、たくさんの生命がいる・・・。



あたしは急速に心が高まっていくのを感じていた。

その高まりは、一つの懐かしい記憶を呼び起こしてくれた。

パパが死ぬ前、一度だけ地球に連れていってもらったことがあった。

あの時登った、チョモランマっていう地球の最高峰の頂からの、

視界が無限に広がっていくような雄大な感覚が甦ってくる。

足下には真っ白な稜線が伸びていって、やがて黒々とした下界に連なる。

氷と雲の海を越えて、遙か彼方には山脈や高原や大河が開けている。

どっちを向いても地平線が丸く広がって、青白い空が生まれる。

空には宇宙が透けて見えていて、月に手が届きそうだった。

あの大パノラマのことは、一生、忘れられないと思う。

テレパスが意識を集中する感覚は、あの光景とよく似ていた。



ゆっくりと見渡してみると、

あたしの周りには光の海が広がっている。

まるであたしが銀河の中心にいるような錯覚を覚えた。

銀河のあちこちで、星々が死んだり生まれたり。

銀河のあちこちで、星々が囁いているの。

出会ったり、別れたり。喧嘩したり、仲良くなったり。

さっきまであんなに怖かった光たちが、今はこんなに愛しく思える。



<そう、それでいい。さあ、それじゃあ、みんなが挨拶をするからね。>



あたしは頷いて、全ての感覚を研ぎ澄ました。

すると、星々の海の中からいくつかの光が浮かび上がり、

あたしのすぐそばに流れてきて、緩やかに静止する。

そして一人ずつ、キラキラと瞬き始めた。



<初めまして!異世界の人!>



<ようこそ、我がファレシアへ!>



<やあ、こんちわ!体の具合は、どう?>



<お会いできて、嬉しいわ。>



<ねぇ、あなたのお名前は?>



あたしたちテレパスが心を感じる時、

何か「言葉を読みとる」と思ってる人もいるけど、それは違う。

あたしたちは心を、「色」として感覚しているの。

ロー級やハイアー級のテレパスだと、

色の数はせいぜい二百五十六色くらいなんだけど、

エクセレント級になると色の解像度は、数万色にもなるらしい。

数えたわけじゃないけど、お祖父様がそう言ってたから。

それで、「色」の中には光だけでなく音もあるし、

他にも、匂いとか味とか温度とかがあって、

そういう種々の「色」をあたしたちは一瞬の間に融合して感じる。

瞬間的に数億にものぼる情報を、相手の心として感覚している。

感覚された「色」は、頭で一瞬にして言葉に翻訳されるから、

まるで相手の言葉を「聞いた」かのような状態になるのだ。

っていっても、あたしがそう思ってるんじゃなくて、

お祖父様をはじめ偉い学者さんたちが言ってるんだけど。

ようするに、相手がどんな言葉を使って考えていたとしても、

あたしたちはそれを色として感覚してから自分の言葉に直すので、

言葉の通じない人たちともコミュニケーションできる、

ということらしい・・・。

便利だけど、ホントなのかなぁ・・・。

特別な訓練をしなくても、本能的に感覚を分析できるっていうのも、

あたしにとってはありがたいことだけど、何か不安だしね・・・。

ほら、あんまり勉強しないで試験を受ける時の、あの心境なの。

答えが出ても、ホントにここはこれでいいのかな、って。



とにかく、話しかけてくれた光たちは、

とても優しい感じがして、あたしは安心した。

ただ、どの光も今まで感じたことのない色をしてる。

男性も、女性もいるらしかった。

どれもみんな好奇心に満ちてはいたけれど、

普通の人がテレパスを見るときの冷たい感じとは違う、

もっと親しみのこもった色なのがとっても嬉しい。

あ、何だか、若々しい高貴な感じの光もある。

どういう人なのかはわからないけれど、

ちょっと緊張しちゃうな・・・。



それから少し離れたところに、とても暖かい大きな光を見つけた。

きっと、あの「声」の人に違いないと思って、

あたしがその光に向かって微笑みかけると、

光はますます優しげな色を増してくれた。

そして光は何かに気がついたように、あの「声」を響かせた。



<うん?リーナ、何をしているんだね?さあ、挨拶をして。>



<でも、モス様。わたくしが急に話しかけては、この方、またパニックになって

 しまうんじゃないかしら・・・?>



リーナ(あえて発音すれば、「リーナ」になる音だった)って呼ばれた声は、

他の声と違って、どこかずうっと上の方から響いてくるような感じがした。

でも、その声を出してる光を探してみても、どこにも見あたらなかった。

あちこち見回して戸惑っているあたしに、モス様の「声」が聞こえる。

そっか、あの「声」の主はモス様っていうお名前だったんだ・・・。



<お嬢さん、リーナは、とても「大きい」のだよ・・・。>



そのモス様の「声」には、

少しためらいのようなものが含まれている。

え?大きい・・・?

あたしは少しの間その意味がわからなくて、考え込んだ。

あ、そうか。リーナさんの光は、きっと他の人より大きいんだな。

そう納得してから、改めて周りを見回してみたあたしは、

思わず息を飲んだ(心だって、息を飲むのよ)。



大きい、なんてものじゃなかった。

今までてっきり「背景」だと思っていたところが、

ぜぇんぶリーナさんの光だったのよぉ・・・!

あまりに圧倒的なその光は、決して強烈ではないけれど、

強い意志を感じさせながら、ゆったりとした周期で明滅してる。

あたしは、ホントにもう少しでまた、パニックを起こすところだった。

いくら宇宙は広いっていっても、こんなのは許容範囲を超えてる!

星全体の生命の光の集団より大きい光を持っているだなんて!

あたしの心は知らず知らず、一歩下がって身構えていた。



リーナさんは、そんなあたしを気遣うように、優しい声で話す。



<ごめんなさい。でも、怖がらないで・・・。>



そう言ってリーナさんの光は、あたしをスッポリと包み込んだ。

それはまるで、鳥の羽に包まれているように思えるくらい、

暖かくて気持ちよかった。

ただ、その気持ちよさの中心部に、

何か底知れない、影みたいなものを感じて、

あたしは安心感を覚えながらも、一抹の不安を拭えないでいた。

きっとこれは、彼女の光があんまり大きくて驚いたせいだわ。

あたしは不安を振り払うように、

リーナさんの光に身を任せて笑いかけた。



<ありがとう・・・。>



リーナさんの光も微笑み返してくれたけど、

その色は寂しそうで、

あたしは胸がキュンと痛くなった。

あたしってなんて馬鹿なんだろう、こんなに簡単に人を傷つけて・・・。

心の触れ合いだから、ちょっとした揺れ動きが伝わってしまう。

たぶんリーナさんは、

今までにもこういう思いを繰り返してきたんだろう。

あの大きな光のせいで、彼女はずうっと孤独だったんだろう。

人と出会い、心を触れ合わせるたびに、

自分と相手の違いを感じたり、怖がられたり、

どうしようもない絶望や無力感に傷ついてきたんだ。

それでも毅然として自分のあるがままを認めようとしてる。

いつか心の底からわかり合える相手に出会うことを、夢見ている。

そういう彼女の悲しみや切なさや意地らしさが、静かに流れ込んできた。

きっと彼女は、あたしとの触れ合いに希望を抱いていたに違いない。

もしかしたらって、彼女はドキドキしながら待っていたと思う。

だけどあたしは彼女を受け止めることができなかったんだ。

テレパスを拒む人たちと同じ事を彼女にしてしまった。



<大丈夫、リーナもお嬢さんの気持ちは、わかっているよ。>



あの優しい「声」でモス様は、あたしを抱きしめてくれる。

考えてみると、あたしはいつもこうやって、誰かに抱きしめてもらってる。

たくさんの人の優しさに甘えながら、ここまで生きてこられたんだよね。

いつかあたしも、誰かを抱きしめてあげられるようになりたいと思う。

リーナさんの、あの大きな光だって、きっと抱きしめてあげるんだ。



そんなあたしの気持ちに軽くポンッと触れてから、モス様の「声」が響く。



<ところでお嬢さん、体は動かせるかな?無理をすることはないが・・・。>



そっか、あたしはまだ、自分の体の状態も把握してなかったんだ。

何かテレパスって、こういうところがとっても間抜けだよね。

とりあえず、息はできるし、どこも痛くはない。

でも、手や足がどの辺にあるのかが、よくわからなかった。

しばらく体のいろんな部分に神経を集中させていると、

何とか手も足も、僅かに力を入れることはできた。

ただ、動かせるようになるまでには、もう少し時間がかかりそうだった。



指だとか首なんかも、まだ動かせそうもなくて、

あたしは泣きたくなったけれど、

瞼だけは、頑張れば何とかなりそうで、少しホッとした。

コールドスリープで何年かぶりに目を覚ますみたいに、

あたしはドキドキしながら、そっと目を開けてみた。



作・ 小走り

EMAIL:kobashi@nsknet.or.jp
http://hideo.com/kobashi/



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