ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(6)

前回までのお話
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走る、走る!

グングン走る!

地面も川も青空も

ビューンビューンと

後ろの方へ飛んでいく

ズキズキ痛んでいた胸も

ドキンドキンとときめいて

あたしは大地を渡る風になる

心の中にはいつの間にか

星の声が流れ込んだ

もっともっと!

もっと速く!

熱い涙の粒たちも今は渇いて

お腹の底から笑顔がわき出して

土の弾みがダンダンと足に響いて

生きることは響くこと

そして風になること

あたしは心の両手を広げて

この星の胸に飛び込んでいくの!




燦々と降り注ぐ陽光の中を、エミィは緑を踏みしめて走る。大石柱の根もとの方

角、シャトルのある森までは、大きな川沿いの道をまっすぐ行けばいい。豊かな

川の流れがキラキラと、エミィの隣をついてきた。なんて気持ちいいんだろう!

以前、地球に降りたときも、エミィは地面の上を走ったことはあった。でもあの

時は、パパが手を握っていてくれた。あたしを導いてくれた。今は違うの、あた

しは自分の足で、この大地を踏みしめて走ってる!



足が地面を打つたびに、ズキンズキンと痛かったし、自転周期からいっても地球

より重力の大きいこの星では、足も重くて息も切れる。それでもエミィは、走り

続けていた。足が止まらない、体が止まらない、心が止まらない!風は少し肌寒

かったけれど、吐く息の白さがますます加速度に力強さを添えていく。



遠くの草原には、六本足の馬のような動物や真っ黒な鹿に似た動物がいて、丈の

低い格子状になった植物の実を食べるかたわら、エミィの方をジィッと見つめて

いる。流線型をした四枚羽の小鳥のつがいが、さっきからエミィの横をスイスイ

と流れるように飛んでいる。もしぶつかったら怪我をしそうな形をしていたけれ

ど、クルルルという鳴き声が可愛い。



それにしても、なんだか変だ。こんなに気持ちいいなんて。さっきまであんなに

悲しかったのに・・・。空気を吸い込むたびに、清々しさが流れ込んでくる。そ

れも、ただ空気が綺麗だっていうだけではないような気がする。空気の中に、き

っと何か溶け込んでるんだわ、気持ちをスッキリさせる何かが・・・。



途中何度か立ち止まって息を整えながら、エミィは三十分くらいも走って、よう

やくシャトルが不時着しているはずの森の入り口に辿り着いた。時間については

時計がないし、相変わらず太陽の位置もほとんど変わらなくてハッキリしなかっ

たけれど、運動量や空気の状態と心拍数から、およその時間経過を推測する訓練

は受けていたので、三十分くらい走ったのだとわかる。



「ハァ、ハァ、ハァ、ッフゥ〜。」



三十分も走った割には、呼吸が整うのが早い。これも空気のせいなのかな?そう

考えながら深呼吸を何度かしていると、エミィの心に、森の気配が流れ込んでき

た。静かな植物たちの意志のベースの上に、小動物たちの愛くるしい生活の息吹

が踊っている。ワルツのリズムの間に、ところどころ小さなつむじ風が起きる。

消えていく命や生まれてくる命、元気な命や衰えかけた命など、いろんな色彩の

光たちがモザイクを作って揺らめいている。森の鼓動が、穏やかに溢れている。



森の入り口には独特の湿り気があって、侵入者を拒んでいるようにも見える。森

の奥に続く道はそれでも、磁力のように、入っておいでと手招いていた。エミィ

は一歩、また一歩と、恐る恐る森の中に足を踏み入れていく。道は自然に踏み固

められたようで、ところどころ背の低い草花が群れていた。むき出しになった石

や点々と散りばめられた水たまり、その間を縫うように木漏れ日が絵画を描く。

やがて薄明かりもだんだん少なくなって、道は暗闇の中に吸い込まれていった。

何気なく振り返ったりしたら、怪物でも出てきそうな気がする。それでもチラチ

ラと道の脇を覗き見ると、不規則に並んだ木々の幹が様々な表情でエミィを見つ

めていた。



怖い、森って、怖い!エミィにとっての初めての森は不気味に息を潜めながら、

エミィのことを値踏みしているような気がする。森に入った瞬間から、植物も小

動物たちも心を静めてしまっていて、感じられる色彩からは警戒心や恐怖心ばか

りが読みとれる。知らず知らずエミィは早足になって、そのうち駆け出してしま

っていた。もちろん、ホログラムなどで森の中に入ったことはあったけれど、作

り物の森にはこんな圧迫感はない。



「あっ!」



木の根っこのようなものにつまずいて、エミィは前のめりに転んでしまう。なん

とか顔から地面に突っ込むことは避けられたけれど、両腕をしたたか打ってしま

った。心細いやら情けないやらで、起きあがりながらエミィは涙ぐんでいた。



「エミィ、大丈夫か?」



突然、後ろから声をかけられて、エミィは「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。少

しの間エミィは動くことができずに、ゴクンと唾を飲み込む。それからそっと後

ろを振り向いてみると、そこにはモス・アレス老が立っていて、エミィを心配げ

に覗き込んでいた。



「モ、モス様!?」



な、なんでモス様がここにいるの!?確かあたしが家を出たとき、モス様は居間

の安楽椅子に座ってたはずよね・・・。そのあとあたしは、ほとんど全力疾走で

この森まで来た。途中何度か休んだけど、でもモス様に追いつかれてしまうなん

て、絶対あり得ないことだ。じゃあ、目の前にいるのは、誰・・・?



口をポカンと開けて自分を見つめるエミィをニコニコして眺めながら、モス・ア

レス老はおかしそうに笑った。



「ほっほ、驚かせてしまったかな?わしは、幻ではないよ?ほら。」



そう言ってモス・アレス老は、エミィの手を握って助け起こす。老の手は、驚く

ほど力強かった。エミィは信じられない思いで、老の手を握り返した。



「あ、ありがとう。モス様って、なんて言うか、とってもお元気なんですね。」



「ほっほ、わしはそんじょそこらの年寄りとは違う。普段はのんびりしとるが、

 お前さんよりずっと速く走れるし、力だってあるんじゃよ。お前さんに追いつ

 くことくらい、ちょいちょいっとな。」



モス・アレス老は言いながら、右腕の袖をまくって、力こぶを作って見せた。太

い腕ではなかったけれど、みずみずしい筋肉が盛り上がっている。エミィはそれ

を見つめながら、自然と声を立てて笑っていた。そっか、モス様は、スーパーお

じいちゃんなんだ。そういえば、シン様も確か、モス様のことを「我が師」って

呼んでたもんね・・・。ここはあたしの生まれ育った世界とは違う。どんなこと

が起きたって、目の前にあることだけがホントのことなんだ。エミィはパンパン

と膝や肘についた土状のものを払い落とす。服のお陰で、どうやら擦り剥いたり

はしていないようだった。



「さあ、それじゃあ、お前さんの「星」のところまで、急ぐとしようかの?」



言うが早いか、老はエミィを背中に背負った。エミィは「きゃっ!」と叫ぶと、

あたふたしながら老に話しかける。



「モ、モス様!?あたし、ちゃんと歩けますから・・・」



「ほっほ、この森は意外に広くて深い。お前さんの足では、「星」のところまで

 まだずいぶんかかってしまうよ。心配ない、言ったじゃろ?わしはお前さんよ

 りずっと速く走れるし、力持ちなんじゃよ。」



モス・アレス老は「どっこいしょっ」と声を出してエミィを背負い直すと、もの

すごいスピードで走り始めた。老の背丈はエミィの胸の高さくらいしかなかった

ので、エミィは地面スレスレを低空飛行しているような感じだった。顔のすぐ横

を木の枝が通り過ぎたりして、結構怖い。エミィは必死に老の背中にしがみつい

ていた。そんなエミィの様子を背中に感じながら、モス・アレス老は静かな口調

で話しかけた。



「エミィ。」



「は、はい?」



「森は、怖いかね?」



「え?あ、ええと、少し・・・。」



「そうか・・・。今もまだ、怖いかの?」



「い、今は・・・。森は、怖くない・・・です。」



「ほっほ、少しゆっくり走ろうかの?」



「ええ、で、できれば・・・。」



モス・アレス老は少しスピードを緩めた。エミィはホッとして、恐る恐る周りの

様子を見回してみる。すると、さっきまで静まり返っていたはずの森が、にわか

に活気を取り戻していた。木々はサワサワと揺らめき、梢にはリスに似た小動物

や色鮮やかな小鳥が姿を現して、こちらを物珍しそうに眺めていた。



「エミィ。」



「はい、モス様?」



「お前さん、森に入る前、挨拶するのを忘れたじゃろう?」



「あ・・・。」



「森は、礼儀正しいのだよ。」



「ご、ごめんなさい・・・。あたし、知らなくて・・・。」



「ほっほ、別に謝らんでもいい。ただ、このことは忘れないでおくれ。森は怖く

 ない。お前さんが自分で怖がってしまったんじゃよ。だから、森はお前さんを

 受け入れてはくれなかった。いや、お前さん自身が森を受け入れようとはしな

 かったんじゃな。」



「あ・・・。」



「おわかりかの?森もまた、お前さんやわしと同じ、星なんじゃよ。むやみに怖

 がったり、疑ったりしてはいけないんじゃ。なかなかみんな、それがわからん

 ようじゃがなぁ・・・。」



エミィは自分が恥ずかしかった。あのときと同じだ。リーナさんの光を怖がって

しまった、あのときと・・・。森よ、ホントにごめんなさい。こんなあたしでも

よければ、お友達になってね・・・。



「ほっほ、エミィ、焦ってはいけないよ。森は気むずかしい。さあ、急ごう。」



モス・アレス老の言葉通り、森はエミィを気にもとめないように、穏やかな営み

を続けている。小動物や小鳥たちも、そっぽを向いて毛繕いなどに忙しそうだ。

エミィは少し寂しくなって、老の真っ白な髪に頬を埋めた。目を閉じると、生き

ているものの温もりの匂いがした。



作・ 小走り

EMAIL:kobashi@nsknet.or.jp
http://hideo.com/kobashi/



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