ヴェスタリオミア物語 第1章 エスタミス(8)

前回までのお話
P.8



エミィの叫び声にびっくりしたように、森中が一瞬ザワッと揺れ、それからまた

寄せ返す波のように静寂が森を覆った。エミィは叫びながら、シャトルから飛び

出した黒いカタマリを思いっきり突き飛ばしていた。



それで、黒いカタマリは「ぎゃおぅっ!」という奇妙な呻きをあげながら、三回

ほどでんぐり返ったかと思うと、ちょうど正面に立っていたリルの足にぶつかっ

て止まった。ぶつかった拍子に黒いカタマリは、一回後ろ回りをしてスックと立

ち上がる。



エミィはカタマリを突き飛ばした勢いでしりもちをついたまま、その様子を呆然

と見つめていたが、あまりにもタイミング良くカタマリが立ち上がったので、何

も言葉を発することができなかった。モス・アレス老や、リルをはじめ騎士団員

たちも同様で、その場に何とも言えない間が空いた。小鳥や小動物やゼリー状の

生物たちも、ピクリとも身動きせずにじっとしている。



そのとき、黒いカタマリから二本の手がニョキニョキと生え、カタマリはその両

手を高々と上に伸ばして、こう言った。



「決まった、十点満点やっ!!」



それからカタマリは、呆気にとられて見つめている一同を無視して、ガサゴソと

黒い袋状のものを脱ぎ捨てる。すると、スマートな感じのする初老の男が出てき

た。男はチェック柄のシャツ状の服に灰色の作業着のようなズボンという出で立

ちで、やや薄めの黒髪をオールバックになでつけて整えながら、胸のポケットか

ら取り出した眼鏡(この星にも眼鏡があるんだわっ!)をかけた。



二十四世紀の地球圏では、眼鏡とはいってもファッションとしてのダテ眼鏡しか

残っていなかった(視力は簡単に矯正できる)が、それにしても眼鏡をこの星で

見ることになるとは、エミィは予想だにしていなかった。やっぱり、体の構造が

似てると、こういうものまで似るんだなぁ・・・。エミィは口をポカンと開けた

まま、陽の光を反射している眼鏡を眺めていた。



「いやぁ、いやいやいや、それにしてもびっくりしたでぇ。いきなり突き飛ばし

 よるんやからなぁ。そやけど、上手いこと立ち上がったもんや。なぁ、リル嬢

 ちゃん、そないに思うやろ?」



カタマリだった初老の男は、しりもちをついたまま座り込んでいるエミィを助け

起こそうとしていたリルに話しかけた。ようやく安心したのか、小鳥や小動物や

ゼリー状の生物たちも動き出して、エミィやリルの周りでチョコチョコとじゃれ

ている。



「ええ、お見事でしたわ、教授。」



リルは苦笑いしながら、エミィを引っ張り起こした。



「教授・・・?」



エミィは目の前の男をマジマジと見つめてしまう。この変な人、教授なの?とて

もそんなふうには、見えないけどなぁ・・・。



「これでも、エスタミス大学の天文学部の教授なんじゃよ。」



モス・アレス老は珍しく不機嫌そうな声を出してそう言うと、更に声を小さくし

て吐き出すように呟く。



「あの東部なまり、聞くに耐えんわいっ。」



「聞こえとるよぉ、モス。お前さん、まぁだくたばってなかったんやなぁ。いっ

 たい、いつまで生きとるつもりなんや?素直にわいの実験台になってくれたら

 ええんや。そしたらこの手で引導渡したるのになぁ。」



それから二言三言罵り合って、モス・アレス老と男はプイッとそっぽを向いて、

黙ってしまった。エミィは、まさかモス・アレス老がこんなふうに人と罵り合う

などとは思ってもみなかったので、ただオロオロして二人のやりとりを聞いてい

るだけだった。



「ふふふ、お二人はとっても仲がよろしいのだと、母から聞いていますわ。俗に

 言う、喧嘩友達なのですって。」



さっきから二人のやりとりをニコニコしながら聞いていたリルは、不安げな顔を

しているエミィに話しかける。



「エミィ様、こちらはエスタミス大学天文学部の、サンドレイ・ランテルス教授

 です。国王陛下から委託されて、エミィ様の「星」の内部調査をなさっておら

 れたのですわ。」



それからリルは、そっとエミィに耳打ちする。



「本当は、教授の方から無理矢理、内部が見たいとおっしゃられて・・・。国王

 陛下もお断りしきれなくて・・・。とてもいい方なんですけど・・・」



すると、反対側からモス・アレス老までが耳打ちしてくる。



「こいつは、わしやリーナの特別な力を研究材料にしたがっておるんじゃよ。と

 んでもない奴じゃ・・・」



「こりゃこりゃこりゃこりゃぁぁぁ!!」



ランテルス教授は我慢がならないというような顔をして、リルとモス・アレス老

を押しのけた。



「まったく、黙って聞いとったら、とんでもない奴らや。いらんこと吹き込んで

 からに・・・。嬢ちゃんが誤解するやないか、まったくぅ。」



リルもモス・アレス老も、やれやれというように、苦笑いを浮かべている。なん

だかこの教授、とんでもない人みたいだなぁ・・・。でも、この人の心の色は、

とっても透き通っていて、気持ちがいいんだけど・・・。おまけに、モス様やリ

ルさんだって、口ではああ言ってるけど、心ではむしろ好意さえ持ってるみたい

だしねぇ・・・。エミィは、ランテルス教授という人がどういう人なのか把握し

きれなくて、戸惑いながらも、彼という人間について興味を抱き始めていた。



ふと見ると、教授の足下にはゼリー状の生物が数匹まとわりついて、モゾモゾと

遊んでいる。教授はエミィの方を見ながら、その傍らで、足の先で彼らを突っつ

いたりして、遊んでやっているようだった。



「いやぁ、いやいやいや、すまんなぁ。まだ挨拶もしてへんのに、見苦しいとこ

 見せてしもうて。「星の嬢ちゃん」にようやっと会えたっちゅうのに。堪忍し

 たってや。」



そう言ってニカッと笑うと、ランテルス教授はエミィの左肩に右手をポンと乗せ

て、膝を軽く曲げた。これもこの星の挨拶なのかな?そう思ってエミィも、軽く

膝を曲げてみる。



「わいは、エスタミス大のランテルスや。気楽に“サニー”って呼んだってや。

 あんたはエミィっちゅんやろ?ええ名前やなぁ。まあ、これから長い付き合い

 になるやろから、仲良うしようやないか。」



「は、はぁ。よ、よろ・・・」



「ところで、星の嬢ちゃん。あんたの「星」、見せてもろうたで。ありゃあ、な

 かなかのもんやなぁ。あんなごっついもん、初めて見たわ。」



この教授、ホントによくしゃべるなぁ・・・。おまけに、人の話、全然聞かない

人みたいだわ・・・。まあ、聞いてもらえても、あたしはまだ、言葉を話せない

んだけどさ・・・。



「でな、「星」の主がおるやろ?」



へ?「星」の主?なんのことだろ?ヌシって呼ぶようなもの、シャトルに積んで

たかなぁ・・・。エミィは何のことを聞かれているのかピンとこなくて、困った

顔をする。



「あれや、あれ。ピコピコカシャカシャ言うて、わけわからん文字やら何やらを

 画面に表示してくる奴や。」



あ、もしかして、それって“ジーンズ”のこと!?“ジーンズ”が生きてるんだ

わ!!エミィは突然、ここに来た目的を思い出してキッと表情を引き締めると、

教授を押しのけてシャトルのハッチに駆け込んだ。



「あ、星の嬢ちゃん、待ってぇな!わいも行くから・・・。あ、あかん、放射能

 遮蔽シールドを着な・・・。ええい、めんどくさいっ!」



教授は少しの間、黒い袋状のものを被ろうともがいていたが、諦めてポイッと放

り出すと、エミィの後を追ってハッチに飛び込んだ。



一部始終を眺めながら、モス・アレス老とリルは顔を見合わせて、深いため息を

ついた。



「モス様、どうぞ、行ってあげて下さい。エミィ様はまだ言葉をお話になれない

 のですから、モス様がいらっしゃらなければ、いろいろご不自由でしょう。」



「ふむ、そうじゃなぁ・・・。まったく、あやつが首を突っ込むと、余計な気遣

 いばかりが増えるわい・・・。」



「あ、モス様。よろしければ、教授のお持ちになった、この放射能遮蔽シールド

 を着て行かれてはどうでしょう?」



「いらんよ。そんな不格好なもん、生ゴミじゃあるまいし。第一、そんな薄っぺ

 らい袋が、役に立つと思うかな?」



リルは最上級の笑顔を浮かべながら、首を横に振った。そんなリルに首をすくめ

て見せると、モス・アレス老はゆっくりゆっくり、ハッチの中に消えた。



一方、シャトルの中に入ったエミィは急いでコクピットに座ると、“ジーンズ”

が機能していることを確かめた。よかった、大丈夫。音声出力は壊れたままみた

いだけど、“ジーンズ”はしっかり動いてる。モニターに次々に映し出される文

字や数字が、とても愛しく見える。あんたも無事だったんだね、ホントによかっ

た、嬉しいよ。あたしたち、たった二人だけ、助かったんだよね・・・。



エミィはつい、涙ぐみそうになるのをこらえた。今は、泣いているときじゃない

んだ。一刻も早く、超空間通信機が使えるかどうか、確認しなければいけない。

エミィは、「ライトスタッフ」での訓練や「ノア」でメルリアから教わったこと

を必死になって思い出しながら、たどたどしい指使いで、コントロールパネルに

情報を入力していった。



「どうや、星の嬢ちゃん。上手いこと動きそうか?」



教授はエミィのすぐ後ろに立って、エミィのすることを眺めながら、時々話しか

けてきたけれど、今のエミィにはそんな教授に構っている余裕はなかった。そこ

に、モス・アレス老も入って来る。



「なんや、モス、この狭いのに・・・!何しに来たんや?」



「ふんっ、少しは黙ったらどうじゃ?エミィの気が散る。わしがおらんと、お前

 はエミィの話も聞けまい?感謝して欲しいもんじゃな。」



相変わらずうるさく言い合っている二人を無視して、エミィはどんどん情報を入

力していく。“ジーンズ”の動作も正常そのもので、あとは回答が出てくるのを

待っていればいい。それも、そんなに時間はかからないはずだ。お願い、超空間

通信機が、作動しますように・・・!



この超空間通信機は、「ノア」の動力である核融合エネルギー波動転換炉と全く

同じ原理で、多次元に渡るような高出力の波動を作り出すことによって、三次元

内のあらゆる座標に情報を送ることができるという、素晴らしい発明であった。

もちろん、ディメンション・ジャンプと同じように、情報の届く時間もわずかで

済む。しかし、残念ながら非常に高出力の動力が必要となる欠点があった。



そのために、遭難した時点でエンジン部が崩壊していたことを考えると、自動的

に救難信号を発信できた確率は低かったし、シャトルの小さな動力では、航行し

ながら通信機を起動することは不可能だった。



今なら、動力を全て通信機に回せるから、理論上は動くはずなのよね。ああ、お

願い、どうか通信機が壊れていませんように・・・、あ、回答が出たみたい。ど

れどれ、ええと・・・。



「通信機の各種ドライバ、全て正常に作動。しかし、動力系の損傷のため、送信

 は一回が限度であり、その後エネルギーのオーバーロードにより、全てのシス

 テムは二度と起動しなくなる可能性があります。」



一回、チャンスは、一回だけ・・・。それも、そのあとは“ジーンズ”まで停止

してしまうっていうの・・・!?そんな・・・。エミィは目の前が真っ暗になっ

たような気がした。



この星において、動力系を修理できる可能性は低いだろう。あたしは、この一回

のチャンスにかけるしかないんだろうか・・・。おまけに、“ジーンズ”まで止

まってしまうなんて。あたし、ひとりぼっちになっちゃうよ・・・。送信だって

必ずアリムに届くとは限らない。どこかにトラブルが起きて、上手く送信できな

いかも・・・。どうすればいい?あたし、どうすればいいの?



エミィは、たまらなくなって、モス・アレス老の方を振り返った。モス様、お願

いです、教えて下さい・・・!あたし、どうしたらいいんですか・・・?知らず

知らず、エミィの両目には涙が浮かんでいた。



「な、なんやいな。どないしたんや?ぶっ壊れたんか?そういえば、なんやな、

 さっきわいが調べとったときから、この「星」、えらい生命力が弱かった気が

 してなぁ・・・。」



教授は、そんなエミィのただならぬ様子を見て、オロオロと話しかける。モス・

アレス老は、教授の肩に手を乗せて、今までとは打って変わった穏やかな口調で

彼に言った。



「サンドレイ、今は、とても重要なときなんじゃ。すまんが、黙っていてはくれ

 まいか・・・。」



それから老は、厳しい表情になってエミィに話しかける。



「エミィ。自分のことじゃ。自分で決めなければいけないよ。・・・ただ、これ

 だけは忘れないでおくれ。決して、お前さんはひとりぼっちなんかじゃない。

 そうじゃろう?」



「モ、モス様・・・。」



「あとは、信じることじゃ。お前さんがひとりぼっちでないことを。そして、お

 前さんを探しているはずの誰かが、きっとお前さんの想いを、受け止めてくれ

 るということを。いつも、信じることが大切なんじゃよ、エミィ。」



そのときエミィの脳裏には、懐かしいアリムの顔が浮かんでいた。エミィの両親

が死んだとき、エミィが「ライトスタッフ」に入学したとき、そして「ノア」で

出発する前日。アリムはいつも言ってくれたんだ。



「エミィ、僕に任せろ。何かあったら僕を呼べ。どこにいたって、僕はきっと、

 エミィの声を受け止めて、助けに行くから。約束だよ・・・」



そう、あたしは、信じよう、アリムの言葉を。たとえ宇宙のどこにいたって、あ

たしはひとりぼっちなんかじゃない。あたしが呼べば、アリムはきっとあたしの

声を受け止めて、助けに来てくれる・・・。それに・・・。



エミィは、モス・アレス老と教授を見つめて涙を拭うと、ニコッと微笑んで見せ

る。今のあたしには、モス様やリーナや、リルさんや教授や、たくさんお友達が

いるんだもんね。ごめんなさい、ひとりぼっちだなんて言っちゃって。



教授は何が何だかわからないといった顔をしながらも、ニカッとエミィに笑い返

した。モス・アレス老は穏やかな表情に戻って、深くうなずいた。そんな二人に

うなずき返すと、エミィはフッと小さく息を吐き出して、シートに座り直す。



モニターを見ると、既に通信機へのエネルギー充填率は上限に近かった。エミィ

はきゅっと唇を引き結んで、お腹に力を入れる。さあ、いくぞっ!!そう決心し

てモニターを見ると、不思議なことに画面上には“ジーンズ”という文字が表示

されていた。それに続いて、「準備完了」の文字が映し出される。



ごめんね、ホントにごめん、“ジーンズ”・・・。せっかくあたしとお前の二人

で助かったのに、ここでお別れしなくちゃいけないの・・・。ためらいを感じる

エミィを励ますかのように、モニター上で「準備完了、いつでもどうぞ」の文字

が点滅している。



通信機には既に、「ノア」の遭難した位置とこの星の位置が入力されている。こ

れも“ジーンズ”が全てやってくれたことだ。“ジーンズ”、あんたのことは、

あたし一生忘れないよ。ホントに、ホントにありがとう・・・。



エミィは、モニターの左上にある通信機の送信ボタンに手を伸ばした。心なしか

指が震えている。不安と恐怖がエミィの心に流れ込んでくる。信じなくちゃ。ア

リムはきっと、受け止めてくれる。このたった一度だけの発信を、あたしの声を

受け止めてくれる。迷いを打ち消すために、エミィは最後に一度、大きく深呼吸

をした。



届け、心・・・!!



強く念じながら、エミィは送信ボタンを静かに、そしてしっかりと押し込んだ。

ピィィィンという小さな発信音がしたかと思うと、次の瞬間、キュウルルルとい

う音とともに、全ての動力が活動を止め、モニターも真っ黒い一枚の平面に変わ

ってしまった。エミィはこのたった一度の発信がアリムに届いたことを信じなが

らも、どうしようもない悲しさが襲ってきて、抱きしめるようにしてモニターの

上にうつ伏せてしまう。涙をこらえながら、エミィは心の中で「火星に行こう」

の歌をうたっていた。それは、エミィが“ジーンズ”に初めて教えてあげた歌で

もあったのだ。



モス・アレス老とランテルス教授は、そんなエミィをただ黙って、静かに見つめ

ていた。



作・ 小走り

EMAIL:kobashi@nsknet.or.jp
http://hideo.com/kobashi/




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