名機にロックオン

GRADIUS II
(1988 KONAMI)

SIDE−A (暫定公開版)




●1987−名機、彗星のごとく現る!

88年AOUショーにおいて、ゲーメスト編集部も展示ブースをもつことになりました。ショー前日の夕刻、ブースの設営もほぼ終わり、会場散策中にコナミブースの前を通りかかったときに私達は「なにそれ!?」と驚愕の声を発したのでした。そう、そこには「GRADIUSII」と記したテーブルポップの立った筐体が多数あったのです。電源も入っていないに係わらず、何かあふれんばかりの存在感を醸しだしています。アーケード専門誌という立場上、各社の新製品発売情報については常にいち早くキャッチしていたのですが、グラIIの出現はまさに「寝耳に水」でした。「やられた!」と思うと同時に「はやく明日のショーにならないか−」と、まるで遠足前日の小学生のようにワクワクしたものでした。

当日のコナミブースは案の定大盛況。「すげーすげー!」と絶賛するプレイヤー達を見て、(もちろんゲームもプレイしたうえで)私たちは「グラIIが大ヒットする」ことを確信しました。そしてその確信は現実となったのです。


●危うく短命で終わるところだったグラディゥスII

発売直後から大ヒット街道を進みはじめたグラIIですが、すぐさまとんでもない欠点が発見されました。それは「5面のホッピングモアイ4匹(高得点)で点数稼ぎをしてからわざとミスする」という行為を繰り返すと、残機を減らさずに(ミスするころにエクステンドしてしまう)際限なく点数が伸びてしまうというものでした。

幸い発見がはやく、このバージョンは短期間しか流通せず、ほどなくほとんどのグラIIが「ホッピングモアイの点数を下げ、エヴリエクステンドの点数間隔を厳しくした新バージョン」へと切り替えられたのでした。なお、市販されたグラIIのビデオは旧バージョンで高次面を収録しており、画面上部にずらりと並んだ残機表示が圧巻です。


●ゲーメスト攻略記事の真相

さて、当時のゲーメストのグラIIの記事においては、第1回目がいきなり2周目の攻略で、第2回目に1周目の詳細な攻略が掲載されるという変則的な取扱をされました。
実は次のようなエピソードがあったのです。

AOUショーまでその開発・進行を一切公にせず、極秘に進めてきたコナミ。グラIIにかける思いは相当なものがあったようです。自信をもって発表した「作品」だというのに、早い時期に飽きられてしまってはたまりません。「商品」としての寿命は長くあってほしいと思うのがメーカーとしては(プレイヤーとしても)当然です。
ゲーメストにしても、大ヒット確実なゲームでもあり、強力にプッシュしていきたかったものですから、グラ・の紹介には細心の注意を(笑)払うことにしました。裏では半ば笑い話のようなかけひきが隠されていたのでした。

<第一回目攻略時のかけひき(要旨)>
編集部(以下、編)「今回のグラIIの攻略記事××までやりたいのですが。」
コナミ(以下、コ)「うーん、△△までで----」
編「それじゃぁ情報量少なくって記事になりませんよ。なんとかなりません?」
コ「じゃぁ、○○まで。」
編「それもねぇ----じゃぁ2周目やりましょう、2周目!。2周目なんて誰も行ってませんから。」(すごい論理展開----御)
コ「そうですね。じゃあそれで。」(納得してるし----いいのかコナミ----)

----結果、いきなり2週目の攻略が紙面に載ることとなり、読者は面食らってしまったという----


<第二回目攻略時のかけひき(要旨)>
編「この前はどうもでした。で、次回はいよいよ1周目攻略をばーんと----」
コ「でも安全地帯は載せちゃだめですよ。」
編「ええっ----じゃぁ〔玉置浩二〕ならいいでしょ、歌手の〔安全地帯〕のボーカルの。敵の攻撃をかわすのは〔安全地帯〕じゃなくて〔玉置浩二ショー〕ですよね。ディナーショーみたくていいですね。うん、それがいい。」(なんて無茶苦茶な----)
コ「(苦笑しつつ)まぁいいでしょう----」(おいおい、説得されるなよ----)

----かくして迷言「ザ玉置ショー」なる言葉が生まれたのでした----


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