「大丈夫?」
 女が背中を撫でてくれた。
「あ、ああ。何とか生きてる」
「長居は無用よ。車は?」
 三田村は黙って自分の車を指さす。
 女は自分の車からハンドバックを取ってくると、三田村の車の運転席に乗り込んだ。エンジンをかける。数回アクセルを煽って冷えているエンジンを吹かした。
 三田村が助手席に乗り込むと、ドアを閉めないうちにタイヤを軋ませて車を発進させた。
 コーナーで曲がる度に大きく傾いだ車は内側の後輪が何度も浮かせた。それでも女はアクセルを緩めない。エンジンを唸らせて、幾つかの赤信号を強行に突破する。抗議のクラクションを無視して町中を暴走していく。
 三田村には、女が本当に電話をかけてきた相手なのか、何処へ向かっているのか解らなかった。だが、暴走運転している女が浮かべている笑みの前には沈黙するしかなかった。
 運転しながら、女は自分のハンドバックから器用にハンカチを取り出すと三田村に手渡した。
「これで傷口を押さえといて」
 弾が肉を抉っただけだった。既に血は止まっている。傷が疼く度に、三人めの存在は考えていなかった自分の迂闊さを呪った。
 三田村は黙ったままハンカチを受け取ると、右腕の傷を押さえた。
 〈世界チャンピオンだって、一度引退したら復帰戦で四回戦ボーイにダウンさせられる、ってことか……〉
 女は、町中を抜けて辰巳山から遥か離れた国道に乗ると、ようやく流れに合わせて車の速度を落とした。
「傷の手当しなきゃね」
 女は国道から脇道に車を入れた。しばらく走った後にマンションの駐車場に車を停めた。
「待ってて。家から道具取ってくるわ」
 女はそれだけ言うと、入り口の横にあるキーに自分の部屋の暗証番号を打ち込んだ。自動ドアが開き、女はマンションの中に消えた。
 三田村は、女の残り香を嗅ぎながら女のバッグを開けて中を探った。十万ほどの現金とカード類が入った財布、化粧道具に運転免許証。免許証の名前と写真から、女が間違いなく尾崎貴子だと解った。
 貴子が袋を抱えて出てきた。袋を三田村に手渡すと再び車を発進させる。袋の中身は救急箱と服だった。
「何処へ行くんだ?」
「あたしの家に血だらけの男を入れるわけには行かないわよ」
「川本とはどういう関係だったんだ?」
 貴子は苦笑しながら答えた。
「野暮ね。男と女に決まってるわ」
「川本は何故殺されたんだ? 答えろ!」
「そんなに大きな声出さなくても教えてあげるわよ。あの男(ひと)は熱(ヤバ)い物(ブツ)を扱ってたの。それで火傷したのよ」
 三田村は裏通りにいた若造達を思い出した。
「拳銃(チャカ)か?」
「そう、それも馬鹿みたいな安い値段。一丁一万よ。弾付きなら二万。モデルガンよりも安いんだから、笑っちゃうわ」
 三田村が知っている十年前の相場だと、弾付きの拳銃は最低ラインで十万は下らなかった。大陸や東南アジアの情勢が変化で相場が下がってはいるだろうが、それでも簡単に信じられる値段ではなかった。
「それに覚醒剤(シャブ)。たしか雪ネタとか言う上物を、拳銃と同じように馬鹿安で流していたらしいわ」
「雪ネタか……随分と張り込んだな」
 本来覚醒剤は、雪にように白い結晶状の薬品だ。それ故、ブドウ糖などを混ぜて水増ししていない純度の高い覚醒剤を、隠語で雪ネタと呼ぶのだ。グラム当たりの単価は、町中に出回っているものとは桁違いに高い。当然、仕入れにかかる金額も莫大になる。
 三田村の脳裏に、次々と様々な疑問が浮かんでは消えていく。だがシンナーでも吸ったときのように頭が回らない。
 解らないことだらけだった。
 三田村の身体が大きく左に傾いた。
 貴子は急ハンドルで車を右折させると、ラブホテルの地下駐車場に突っ込んだ。車を停めると、さっさと受付に歩いていく。確かに、ここなら誰にも会わずに部屋に入れる。
 貴子は部屋に入ると、袋から救急箱を出した。箱を開け、消毒液や脱脂綿、抗生物質、包帯などを取り出す。
「傷の手当をするから服を脱いで」
 明るいところで見た貴子の年は三十手前。小柄だが均整の取れた身体をしているのが服の上からも想像できた。大きな瞳と通った鼻が印象的だ。艶やかな黒髪は肩辺りで揃えられていた。
「さあ、早く」
 三田村は貴子の優しいが強い口調に逆らえず、血で染まっているポロシャツを脱いでベッドに腰掛けた。
 貴子は、三田村が激痛に顔を歪ませるのも構わずに傷の手当を始めた。髪が肌を撫で、甘い体臭が三田村の鼻をくすぐる。頭の中で、人を殺した記憶が暗い衝動を刺激する。
「はい、終わったわよ」
 貴子は三田村に背を向けて後片付けをしていた。
 三田村は形の良い尻に抱きついた。そのまま強引にベッドに押し倒す。
 貴子はさしたる抵抗もしなかった。苦笑すると、悪戯な弟に困った姉のような表情で囁いた。
「傷に障るわよ」
 三田村は、貴子の唇を奪った。
 ベッドが軋み、汗が飛び散っていた。
 三田村は全身の筋肉を酷使して貴子を責め立てていた。
 肉食獣が獲物を貪るように、三田村は貴子を貪っていた。
 貴子は壊れものを扱うような慈しみで、うねる身体を魂ごと全てを受け入れてくれた。
 十代にそれのように自分がコントロールできない。
 生まれて初めて人を殺したという事実と、生命の危機感が三田村の中の暗い衝動を獣のように突き動かしていた。
 脳髄が麻痺したように、何度も何度も続けざまに貴子の膣(なか)に精を放った。
 三田村は身体を軽く痙攣させると、淀みと澱を吐き出し切った。身体ごと貴子に預けると、母の胎内に回帰するような深い眠りに落ちていった。

 川本が悲哀と憎悪と嫉妬と羨望が交錯する、血走った眼で三田村を睨んでいた。右手に握いている拳銃の銃口は、真っ直ぐに三田村に向けられていた。
 胃が激しく痙攣していた。
 三田村の口の中に酸っぱい物や苦い物が上がってくる。
 初めて感じる種類の恐怖だった。

 三田村は眼を覚ました。
 宿酔いでもないのに気分が悪い。
 口の中が苦かった。吐き気がする。
 身体は汗まみれだった。喉がからからに乾いている。
 腕時計を見ると九時を回っていた。ベッドから身を起こすと、隣にいるはずの貴子の姿は消えていた。
 煙草を吸おうと、素っ裸のままベッドから出た。ポロシャツを探したが見当たらなかった。
 胸のポケットに入れておいた煙草とライターはテーブルの上にあった。煙草の下に挟んであったメモには、小綺麗な文字で『また連絡します 貴子』とだけ書いてあった。
 三田村は舌打ちするとメモを投げ捨てた。
 冷蔵庫からビールを出して一気飲みする。
 寝覚めに軽い酔いが加わって、何もかもが悪い夢だったような気がしてきた。だが、昨日の出来事が悪酔いして見た夢でない証拠に、白い包帯が巻かれている右腕の傷が疼いた。
 煙草に火を点けて深く吸いこむと、記憶の整理にかかる。
 川本は誰に殺されたのか。
 何故殺されたのか。
 急に自分を呼びだした理由は何か。
 金が欲しかったのは何故か。
 拳銃や覚醒剤を何処から仕入れたのか。
 誰を相手に商売したのか。
 何故扱った経験のない拳銃や覚醒剤に手を出したのか。
 何もかも不明だった。
 ベッドサイドの電話が鳴った。電話に出るとフロントからのチェックアウト時間の確認だった。
「延長だよ、延長!」
 三田村が叩き付けるようにして電話を切ると同時にドアがぶち破られた。
 田坂が嬉しそうな顔で部屋に入って来る。
「一寸付き合って貰おうか。任意同行だ」
「お断りだ。そんな気分じゃねえ」
「そうかい、そうかい。それじゃあ、しょうがねえよな」
 田坂は、貴子が持ってきた袋に近づいた。中を覗き込むと拳銃を袋から取り出した。
「銃刀法違反容疑で緊急逮捕、ってことにさせてもらうぜ」
 三田村は腹の中で毒づいた。

 「なあ三田村。いい加減に吐い(うたっ)たらどうだ」
 三田村は田坂刑事と机を差し挟んで椅子に座っていた。
 暗い蛍光灯に照らされた取調室には、机と椅子の他にはマジックミラーがあるだけだ。窓すらない狭い部屋は、カビと体臭とヤニの臭いで溢れていた。
「堅気のふりしても、お前がワルだってのは変わらないさ。十年ぶりに何しにやってきた?」
 既に老年に差し掛かっている田坂刑事は、犯罪者の扱いを知り尽くしている。舐めるように顔を近付けると、芝居っ気たっぷりに話を続けた。
「辰巳山で何があった? 銃をドンパチやらかしたんだろう? 解ってるんだよ、全部な」
 三田村は黙秘を押し通していた。
 物的証拠は何もない。銃声を聞いた住人の証言と駐車場の血痕はあるにしろ、それを三田村と結びつける物もない。
 死体や貴子の車は男達が始末したはずだし、三田村が拒否していれば硝煙反応検査をされることもない。血の付いたポロシャツは貴子が始末してくれたらしくラブホテルにはなかった。いま三田村が着ているTシャツは貴子が持ってきた荷物の中にあったものだ。
「弁護士を呼んでくれ」
 三田村は何度も繰り返した台詞を言うと、再び押し黙った。
「ふざけるな!」
 田坂が爆発した。両手で机を叩きながら立ち上がる
 机を跳ね飛ばすようにして近寄って来ると、三田村は襟首を捕まえられた。柔道の奥襟締めで首を締め上げられる。
「イキがってるんじゃねえぞ、チンピラが!」
 打つ手がなくなった田坂が挑発に出てきたことは解り切っている。それでも三田村は、沸き上がってくる暗い衝動を堪えるのに苦労した。
 考えを反らす為に、何故貴子が自分を売ったのかを考えてみた。貴子の行動には不審な点が多すぎた。三田村を呼びだした理由が解らない。こうなっては貴子が言っていた、川本の女だったことや川本が殺された理由すら怪しくなってくる。
 三田村が挑発に乗らないことが解ったのか、田坂は襟首から手を離した。獲物を追う猟犬のような眼で三田村を睨み付けてくる。
「川本の件だって、上の方は事故で片付けようとしてるが、俺は諦めねえぞ。必ず犯人(ホシ)を逮捕し(あげて)てやる」
 三田村は川本の名を聞いて黙秘を止めた。
「川本は殺されたんだろう。それに関しては俺もあんたと同意見だ。だが、殺ったのは俺じゃない」
 田坂はニヤリと笑うと再び椅子に腰掛けた。再び机を真ん中に引き寄せると、両肘を着いて話し始めた。
「拳銃が街に溢れてることは知ってるな。俺は拳銃を流していたのは川本だと睨んでる。奴が殺されたのは、取引のトラブルだろう。その他にも覚醒剤の絡みも考えられるしな」
「何でこんなに拳銃が出回ってるんだ。随分と取り締まりが甘いじゃねえか。俺が街にいたときとはえらい違いだ」
「警察にも、色々あるんだよ。手前らみたいな屑から付け届けを受け取るような腐った奴がな。この署にだって鼻薬を嗅がされた奴が大勢いる。だがな、俺は違うぜ」
「確かにあんたに限ってはそれはねえだろうな。その年で平の刑事なんだから」
「余計なお世話さ」
 田坂は苦笑すると懐から煙草を取り出した。三田村にも一本勧め、ライターで火を点けてくれた。三田村の好みの銘柄ではなかったが、数時間ぶりに吸う煙草は旨かった。
 二人の吸った紫煙が蛍光灯の光をちらつかせた。
「川本は何処から仕入れてたんだろう」
「拳銃を見りゃあ解る。大陸物さ。中国か《北》、あとはロシアってあたりだろうな」
 三田村は短くなった煙草を床に投げ捨てた。靴底で踏みにじって火を消す。
「けっ! 国際化万々歳だ。東西冷戦の最後のツケが極東の島国に流れ着いたってのか」
「『紅い国から来た拳銃』ってとこか。それにしても川本は何故、危ないブツに手を出したんだろうな」
「俺も、そこが解せないんだ。アイツはチンピラだが馬鹿じゃない。拳銃や覚醒剤に手を出したらどうなるか、解ってたはずだ」
「人間てのは変わるもんなのさ。良くも悪くもな」
 田坂は苦笑して立ち上がった。
「とにかく、そういうことだ。さてと、弁護士先生を呼ぶまでもねえな。帰れ」
「ちっ! あんたの腹は解ってるよ。泳がしておこうって腹だろう。俺が動けば事が動くって寸法だ」
「まあな。どうせ、街から出ていくつもりもないんだろ?」
「俺だって命は惜しいさ」
「何なら警察(ここ)に居たっていいんだぜ。留置場(ブタバコ)に空きはあるしな。そうだな、辰巳山の件で話しでも聞かせてもらおうか」
「解ったよ。引き上げるさ」
「せいぜい気を付けろよ」
 三田村が立ち上がると、突然に鼓膜が圧迫された。破裂音と同時にマジックミラーが粉々に弾け散る。前に立っていた田坂の腹から吹き出した血と肉片が三田村に降り注いだ。
 三田村は咄嗟に田坂の身体を抱きかかえて盾にすると、田坂の腰のホルスターから拳銃を奪った。マジックミラーの向こう側から撃ってきた相手に数発撃ち返す。
 反撃はなかった。結局、飛んできた弾丸は一発だけだった。
 三田村は、ようやく自分がハメられたことに気が付いた。
 田坂の身体を床に寝かせると取調室を飛び出した。机や椅子の影に隠れていた警官達に拳銃を振りかざして威嚇すると、捜査一課の刑事部屋を飛び出した。警官達は恐れをなしたのか、廊下には誰もいない。
 血塗れの三田村は一階の玄関を目指して階段を駆け下りた。
 腰の拳銃を抜きかけている玄関警護の警官二人に向けて一発威嚇で撃った。実戦の恐怖に凍ったように動けなくなった若い二人の警官の間を走り抜ける。
 建物の外に出た途端、焼け付くような陽射しと熱気が三田村を覆った。眩しさに眼を細めた三田村の眼の前に、勇ましい排気音をたてた赤いオープンカーが急停車した。拳銃を向けると運転席のサングラスの女が微笑んだ。
「乗って、早く!」
 貴子だった。
 三田村に考えている時間はなかった。助手席に飛び乗ると、貴子は後輪を煙を上がるほど空転させて車の向きを変えて、そのまま発進させた。身体がシートにめり込みそうな猛烈な加速で警察署から離れていく。
「何故俺を売った?」
「見つかるからもっと隠れて!」
 三田村は座席を目一杯下げると、苦労して助手席の前の床に身体を押し込んだ。
「答えろ!」
「男は細かいことに拘らない!」
 貴子がそう言って微笑んだ途端、車は大きく跳ねた。逃げ場がない狭い場所で三田村は身体に受けた衝撃に苦悶する。
「それに、お喋りしてると舌噛むわよ」
 貴子が急ハンドルを切ると、右に旋回した遠心力で三田村の身体が捻られた。本当に舌を噛みそうになり、我慢して口を閉じた。

 曲がりくねった山道を駆け抜け、三田村を乗せたオープンカーは小一時間ほどで県境を越えた。更に山の奥深くへと入っていく。
「ここまで来れば大丈夫よ」
 エンジンを切ると、うるさいほどに鳴いている蝉の声が耳に飛び込んでくる。助手席の床に潜り込むようにして隠れていた三田村は、ようやく車から降りることが出来た。
 貴子が車を停めたのはガレージだった。外に出るとガレージが山中に建っている丸太小屋風の山荘に組み込まれていることが解った。
 辺りには深い森が続き、全く人の気配はなかった。
 貴子は、山荘の玄関ドアの鍵を開けて中に入っていく。
 後に続いて三田村も中に入った。
 熱気と咽せるような木の香りが建物の中に漂っていた。
 以外と広く2LDK程の広さがある。貴子が窓を開けていくと、爽やかな風が入ってきた。
 三田村の顔は、浴びた血が乾いてこびりついていた。白かったTシャツも、いまはドス黒く染まっている。急に皮膚に張り付いている不快感に襲われた。
 貴子は三田村が握っていた拳銃をそっと手をかけると、タオルと着替えを差し出した。
「赤鬼みたいよ。お湯は出ないけどシャワーは使えるわ」
 三田村は一瞬抵抗したものの、ここまで来て罠があるとも思えなかった。結局、拳銃を手渡してタオルと着替えを受け取った。腹を決めてバスルームで水のシャワーを浴びた。
 三田村は、水の冷たさが自分に冷静さを取り戻させていくのを感じた。血と同時に澱んだ思いを洗い流す。
 事件は三田村が想像していたよりも遥かに大きな規模で動いていた。川本が殺された事は事件全体のほんの一部でしかない。警察署内で刑事を撃たれること自体、異常なことだ。 しかも、更にその罪を三田村に擦り付けた真犯人も警察官以外には考えられなかった。つまり、その背後には警察に深く食い込んでいる大がかりな組織が存在するに違いなかった。 
 三田村は込み上げてくる乾いた笑いを押さえられなかった。店の資金を稼ぎに来たはずが、反対に絶望的な状況に巻き込まれている。店の心配どころか命さえ危うかった。
 バスルームから出てくると、貴子がビールを用意していた。ソファーに座った三田村に、露の付いた缶ビールを渡すと、自分のビールを缶を軽く当てた。
「あたし達の脱出劇に」
 三田村はビール缶をテーブルに置いた。
「何故、俺を売った」
 文字通り缶ビールを一息で飲み干した貴子は、ほんのりと紅く染まった眼差しで答えた。
「あたしは脅されたのよ。売春容疑で逮捕するってね。仕方ないでしょう。三田村さんを売らないと、あたしが捕まってたもの」
「始めっからそのつもりだったんだな」
「だって、刑事さん『聞くことを聞いたら、すぐに釈放(だ)してやる』って言ってたから……」
「刑事ってのは田坂か」
「名前なんか知らないわ。店に来て手帳を見せただけ」
「警察の脅しに乗るようなお前が、危ない橋を渡ったのはどういう訳なんだ」
 貴子は何も言わずに身体を預けてきた。雌の臭いと柔らかな胸の感触が、強烈に三田村を誘惑する。頬を撫でる髪を振り払うように、三田村は無理矢理に貴子を引き剥がした。
 貴子は、驚愕と侮蔑が入り交じった眼差しで三田村の瞳を覗き込んだ。
「一度寝た女に用はないってわけ? あんたも川本と同じ種類の人間ね」
 身を翻した貴子は、冷蔵庫からもう一本缶ビールを取り出すと自棄気味に飲み出した。
「ふざけんなよ。お前はそういう台詞を言う女じゃない。狙いは何だ? 答えろ!」
 三田村は凄んでみせたが、貴子には通用しなかった。その表情には少しの悪びれもない。
「あんたに惚れたのよ」
 そう、けろりと言ってのけた。
「冗談に付き合うつもりはない」
「本当よ。あんたの度胸と腕に惚れたの」
「もう一回、撃ち合い(ドンパチ)をやれってのか?」
 貴子は、見透かしたような視線を投げ掛けてきた。
「これからどうするつもりなの。逃げるにしろ何にしろ、大金がいるわよ」
「俺は何もやってない」
「じゃあ警察に戻る? 出来る訳ないよね」
「俺にどうしろって言うんだ」
「簡単よ。あたしと組んで、あんたをハメた奴らから金を頂くの。その後は高飛びするなり好きにすればいいわ」
「なるほど。で、俺に死ねって言うんだな」
「あら、そんなこと言ってないわよ。それはあんたの腕と度胸、それに運の問題だわ」
「嫌だと言ったら?」
 貴子は妖艶な微笑みを三田村に向けた。
「あんたは乗るわ。だって他に選びようがないもの。それに、川本に借りがあるんでしょ。だから、この街に帰ってきた」
 三田村は答えなかった。
 重苦しい沈黙が部屋の中を支配する。
 貴子は黙って立ち上がると、部屋の隅にあるTVをつけた。ちょうど夕方のローカルニュースの時間だった。画面のアナウンサーが今日の主だった事件を伝える。だが、その中に三田村のことは何一つ触れられていない。
 三田村はビール缶を握りつぶしていた。プルトップが弾け飛び、ビールが辺り一面に飛び散った。心の中に押さえていた暗い感情が一気に吹き出していた。全身の筋肉が張りつめ、抑えが効かなくなっている。
 相手は警察内部に深く食い込んで、事件そのものを闇に葬った。奴らにとって三田村は、道端に転がっている邪魔っけなゴミにしか過ぎない。敵だとさえ思われていなかった。
 三田村が罠だと思っていた事は、単なる邪魔者をまとめて始末するための網にしか過ぎなかった。網に引っかかった邪魔者は網ごと捨てる。まさにゴミ扱いだった。
「上等じゃねえか。ここまで舐められて黙ってられるかよ」
 窓の外を見ていた貴子が叫んだ。
「ちょっと! あれ見てよ!」
 三田村も立ち上がって窓の外を見た。
 薄暗くなってきた山道を、二台の車のヘッドライトが近づいてきていた。

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