(05/1/3)

2004年回顧


 昨年は、最高裁で逆転勝訴判決を2件ももらうことができました。弁護士仲間では、最高裁の弁論も、逆転勝訴判決も、生涯1度あればとても幸運とされていますから、とてもラッキーでした。

 そのうちの1件(福井県カラ出張情報公開訴訟)(その顛末は、「法学セミナー」1月号に掲載されています。)では、初めて最高裁の法廷に入って、弁論を経験することができました(もっとも、実際に弁論をしたのは私以外の弁護士ですが)。

 もう1件(福井県カラ出張住民訴訟)は、違法なカラ出張につきその返還を当時の県知事に対して求めている訴訟です。1審、2審とも、住民監査請求の対象が特定されていないという理由で訴えが門前払いされていたのが、本案審理するように地裁に差し戻されました。問題とされているカラ出張は平成9年のことですから、もう社会的にも、私自身の中でもほとんど風化して思い出になっていた出来事でした。

 次に、県の推進する魚あら処理施設建設事業に対して、周辺住民の反対運動に協力し、県に対する住民訴訟や事業者に対する建設差止訴訟を提起しました。口頭弁論で、事業者の撤退表明を受け、傍聴席いっぱいに広がる拍手の中で勝利宣言をしました。これほどきれいに県の事業をつぶし、周辺住民の反対運動が完勝したのは、私自身初めての経験でした。(福井県さんごめんなさい)

 昨年1月から京都簡易裁判所で調停事件担当の裁判官を週に1回やっています。自分が代理人の事件はなかなか思うように進まないのに、裁判所の立場で関与した事件はなかなかイイ線で解決しており好評(だと思ってます)。任期は今年暮れまでです。もしみなさんも簡易裁判所に調停を申し立てれば、僕が担当するかも知れません。まあ、司法研修所出たての頃は「協調性がない」ということで裁判官になることを拒否されましたが、今、ようやく念願のそのスタートラインに立てました。

 そして、11月、自分にとって乗り越えるべき存在であった父が77歳で亡くなりました。自分とは違って、とても強く、とても怖く、自分の意見をはっきり言う父は、僕にはプレッシャーであり、乗り越えるべき存在でした。その父も、最後の10年間は、脳梗塞の後遺症と痴呆を患う母の看護と、人工透析やガンとの在宅闘病生活でした。亡くなったときの父は、いつものようにTVの前の自分のイスに深く座っていて、眠ったような顔で息を引き取っていました。ようやくすべての重荷から解放されたように安らかな死に顔でした。湯棺をしたとき、出棺のとき、父の顔を見ると、泣けて泣けて仕方ありませんでした。


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