私の事件簿

全国トンネルじん肺北陸福井訴訟                  (99年2月21日更新)

 1997年10月8日、福井地方裁判所に、大手ゼネコン14社を含む被告33社を相手に、元トンネル坑夫20名が総額6億6000万円(原告一人当たり3300万円)の損害賠償請求を提起しました。

 これは、5月19日に、東京地裁など全国5地裁に元トンネル坑夫原告95名が集団提訴をした第1次先行代表訴訟に続く、第2次先行代表訴訟として提起したもので、同時に金沢、松江、大分、熊本でも提訴されました。 その後、12月10日には、さらに鹿児島、広島、新潟、前橋、長野で原告72名が57社を相手に訴訟を提起しました。

 じん肺とは、大量の粉塵を吸入することで、肺胞が破壊され、肺のガス交換機能が失われていく病気であり、他の呼吸器系の疾       県民福井新聞10月9日

患をも併発する不治の病です。私たちの身近にある道路トンネルや鉄道トンネルを掘削する過程で、トンネル建設工事を請け負ったゼネコンの不注意(健康保持義務違反)により、多くのトンネル坑夫がじん肺に罹患したのです。

 トンネルがあることで大変便利な生活をしている私たちですが、その陰で多くのじん肺患者が発生していると聞くと、放っておけません。

 第1回口頭弁論期日は、平成10年1月21日午後1時10分、福井地裁2号法廷で行われました。当日は、雨天であったのに、裁判所前に約80名が集まって支援集会が開かれました。法廷では、原告代表者の意見陳述や、原告代理人の意見陳述が行われました。 その中でも、川上弁護士の意見陳述は、じん肺被害の実態をあますところなく描写しており、その訥々と話す口振りに、思わず目頭が熱くなる思いがしました。

 福井第一次訴訟に引き続き、1998年12月8日、さらに12名の原告が追加提訴をしました。第一次・第二次合わせて原告32名、被告37社に上ります。

 今、現在、訴訟は、原告ごとのトンネル作業現場の職歴確定(どの原告がどの被告のどのトンネル現場で何時から何時まで坑内作業をしていたか)作業中です。原告一人あたりトンネル作業現場は10〜50ありますから、大変な作業です。

 全国的には、仙台地裁で被告鉄建公団関係の訴訟(青函トンネル)はすでに証拠調べを終了し、判決ないし和解の時期に来ています。また、東京でも医師によるじん肺被害の証言がなされ、裁判長による職権和解勧試がなされています。いよいよ全国トンネルじん肺訴訟も一つの山場を迎えようとしつつあります。

 第6回口頭弁論は、平成11年4月28日午後1時30分、福井地裁2号法廷の予定です。被害救済・根絶に向けて判決をとるべく、 原告から今後の立証計画を提示する予定です。


パチスロモーニング事件(98年11月8日更新)

 パチスロって、遊んだことはありますか。パチンコ店で、パチンコ玉の代わりにメダルを投入し、ストップボタンを3つ押して、777とかバーバーバーが出れば大当たりになるという機械です。これを、風俗営業適正化法では、回胴式遊技機と言います。

 ところで、パチンコ店の開店前に、人が大勢並んでいるのを見たことがありますよね。私なんか、朝から暇だなと思っていましたが、皆さん、暇だから並んでいるんじゃなくって、「モーニング」を期待して並んでいるんですね。朝一番から大当たりする機械があるんです。それを、通称「モーニング」と呼んでいます。パチスロ機のモーニングは、昔は、手で打ち込んでいたのですが、最近では、打ち込み機という機械をセットしてモーニングをかけます。

 この裁判では、パチスロ機に打ち込み機をセットしてモーニングをかけることが風適法の「遊技機の変更」にあたるのかどうかが争われました。遊技機の変更をする場合は、事前に公安委員会の承認を得ないといけないことになっています。これは、一旦遊技機を設置した後、勝手に違法な(「著しく客の射幸心をそそるおそれのある」)遊技機にすることを防止するためです。

 パチスロ機のモーニングは、大当たりの前に「リーチ目」が出ることに着目して、機械的にパチスロ機の打ち込みを行い、「リーチ目」が出たときに打ち込みを止める打ち込み機(モーニング機)をセットすることで行いますが、これは手動で打ち込みをするのを機械的に行っているだけなのです。ですから、モーニング前とモーニング後とは、パチスロ機が大当たりの直前の状態になっているだけの違いしかなく、機械の性能そのものには何の変化・影響もないのです。

 パチスロ機のモーニングは、パチスロ機の登場した昭和60年ころから行われており、当初、警察は黙認状態でしたが、平成7年から取締の対象となり、罰金を払わされるケースが出てきました。本件は、平成8年初めの事件です。正式裁判で公判廷で争われるのは、全国で初めてです。

 この事件、1年半近くかけて、鑑定などもして審理してきたのですが、平成10年1月28日に罰金10万円の有罪判決が言い渡されました。名古屋高裁金沢支部では、憲法論・風適法解釈論の鑑定申請を却下して、1回結審し、7月9日、控訴棄却判決をしました。

 現在、最高裁に上告中です。

 また、刑事裁判が確定していないのに、福井県公安委員会は、これまで行政処分を控えてきたのを急に方針を変更して、3月16日から30日間の営業停止処分をしてきました。直ちに営業停止処分取消訴訟を提起すると同時に、営業停止処分の執行停止申立てを行いましたが、裁判所は、倒産するおそれはないという理由で、執行停止を認めませんでした。 そのため、営業停止期間が終了した後は、営業停止処分の取消を求める訴訟は訴えの利益がないという状態になりましたので、やむなく訴えを取り下げました。裁判をする権利の侵害です。

 本件の争点は、次のとおりです。皆さんは、どう考えますか。

1 遊技機の変更の基準は、風適規則7条(遊技機の基準)か(1審判決の基準)、それとも遊技機の認定・検定の基準である検定規則の定める「技術上の規格」か(弁護側の基準)、それとも性能への影響の有無か(2審判決の基準)。

2 風適規則7条(遊技機の基準)のパチスロ機についての「遊戯の結果が客以外の者の意図により決定されるおそれが著しい遊技機」という基準は、風適法4条3項の委任の範囲外にあって、無効ではないか。

3 右基準は不明確ゆえに憲法31条に反し無効ではないか。

4 右基準をモーニングがかけられて内部あたりの状態になっているパチスロ機で見ても、遊技の結果は客の技量そのものによって決定されるのだから、右基準には該当しないのではないか。

5 モーニングをかけることによって、パチスロ機は性能に影響のある変更があるのか。


建物移転補償費請求訴訟 (99年2月21日更新)

 どこにでもある話ですが、歩道整備工事で建物が一部かかるため、その移転が必要となりました。依頼者も、県側も契約まではお互いスムーズに交渉が進んできたのですが、最後に、契約書に調印するときに、県担当者は、あらかじめ依頼者の名前を書き込んだ契約書を持参し、依頼者から判子を借りて、県担当者が判子を押してしまい、しかも契約書は県の印を押してから送るということで、依頼者は、結局、一度も契約書の内容を見る機会のないまま、調印が終わってしまいしました。

 実は、この手の話は、よくあることで、公共工事の補償の契約は、大体このように調印されているようです。よく言えば、県のおせっかい、悪く言えば県の好き勝手ができる方式です。お役所仕事、お上意識の現われでしょう。

 ところが、本件では、その契約書には、それまで依頼者が県担当者から聞いてきた契約金額から「1」が落ちた金額、すなわち1000万円少ない金額が記載されていたから、大騒ぎになりました。

 公判では、県の土木事務所用地係の担当者は、最初から曳家工法で500万円程度と説明しており、依頼者からも了解を得ていたと平気で嘘の証言をしました。

 曳家工法で500万円程度の補償額積算をした補償コンサルタントを尋問したところ、県の作成した「損失補償額標準算定書」に従って、建物を評点計算し、それに県が予め定めた係数をかけることによって補償額を算定したことが明らかになりました。そのような算定方式を取ることが一般のようですが、その場合は、実際の施工価額と一致するかどうかは全く分かりません。 そもそも補償業務の資格は持っているが、建築士の資格もなく、施工に携わったこともないというのですから、実際の施工価額は全く関係がないようです。補償業務は、100%官からの依頼だということであり、お役所の利益に追従しているのではないかとの懸念を抱かざるを得ません。

 また、曳家工法を選択できるかどうかは、曳家できるだけの土地の余裕があるかどうかや、隣地の境界がどこかを確認しなければならないのに、全く本人や地権者には確認を取っていないというのです。最後には、一旦補償額を出した後に、県の担当者から出し直しを求められて、数字を出し直したことがあることを認めました。果たして、このような補償額を市民は信頼して良いのでしょうか。

 この事件、1999年1月27日に福井地裁の判決が言い渡されました。結論は、原告の敗訴です。 その理由は、原告が契約調印後に県に対してクレームをつけるにあたり、地元県議や国会議員から、土木事務所のメンツをつぶさないように、契約の瑕疵ではなく、補償額の積み上げを求めるように助言を受けて出した陳情書を原告に不利に援用され、原告は補償金額を認識した上で契約締結に至ったから、補償金額に錯誤があるとは認められないとするものです。

 私は、用地買収は、法形式上は県と私人の売買契約ですが、土地収用法による収用手続が予定されており、「損失補償基準」の適用を受けるものですから、単純な私人間の売買とは異なり、「損失補償基準」に基づいて算出される正当な補償金額が用地買収上の補償金額となるものであると考えます。地裁判決は、事実問題(当事者間の合意)として事案を処理したものですが、私が提起したこの法律問題については、「当事者間に契約が成立している場合には、その意思表示に瑕疵がある場合、契約内容が公序良俗に反する場合、契約締結の過程において行政側の優越的地位の濫用等がある場合等特段の事情のある場合は格別、右合意に法的効果が与えられるのが当然であって、原告の主張するように、右特段の事情を認めるに足る証拠のない本件において、直ちに私的自治の原則が修正され、当事者の合意に優先して損失補償基準に基づいて算出される金額が本件契約における補償金の額になるものではないというべきである。」と述べて、私の法理論の認められる余地を認めたものとなっています。


覚せい剤取締法違反被告事件(98年5月10日更新)

 被告人は、大阪南港で、パトカー数台の追跡を受ける大捕物の果てに、逮捕されました。逮捕されるときは、例によって殴る蹴るの暴行を警官から受けました。逮捕事実は、無免許運転ということでしたが、被告人は、逮捕時に、大量に覚せい剤・大麻を所持していたということになっています(被告人は、この覚せい剤・大麻は自分のものではないし、所持もしていないと否認しています)。

 ここまでは、よくある話です。ところが、被告人は、普通であれば、大阪地裁に起訴されるところ、被告人は、福井に指名手配が出ているということで、わざわざ福井に送られ、しかもその指名手配容疑の事件は不起訴になったのに、大阪南港の事件で福井地裁に起訴されたのです。

 どうも被告人の弁解を聞いていると、被告人は、大阪地検特捜部の大阪府警の不正事件の捜査に協力する見返りに、大阪での立件をすべて免除されていたようなのです。アメリカでは、よく聞く話ですが、まさか日本でも刑事免責による捜査協力が行われていたとは!

 そこで、業を煮やした大阪府警が、福井県警と協力して、立件の余地のない事件を福井で作って身柄だけを福井に送り、大阪での大量覚せい剤・大麻所持事件をでっち上げて、被告人を刑務所に送り込もうとしたようなのです。

 現在、証拠調べに入ったところです。

10月31日午後1時10分 公判期日

被告人が逮捕時に覚せい剤等を投げ捨てるのを見たという警官の証人尋問

 その警官は、塀に登って逃げようとする被告人が、塀から上半身を乗り出し、左半身になって体をねじり、右手は体の前を交差させて左へ出して、わざわざそこに覚せい剤入りの財布を手に握って(だから、塀には手をかけていない)、その姿勢で財布を下に投げ落としたというのです。塀に攀じ登って逃げようとする者がどうしてそんな不自然な格好で、しかも警官の目に付くように財布を握って下に落とすでしょう?どう考えたって、不自然で信用できない。

 しかも、覚せい剤が入ってパンパンに膨れ上がった財布が、地上3メートルから落とされて、雑草の上に乗っかっていた、しかしその場にいた他の警察官2人は誰もそれを目撃しておらず、唯一のその警官だけが目撃して押収したという。

 ところが、財布が落ちているところを写真撮影するわけでもなく、その場で試薬で予試験をするわけでもなく、一人で警察署まで持って帰って、そこで始めて押収の手続きを取った。押収手続きとしても、きわめて不自然です。

11月14日午前10時 公判期日

被告人の尿から覚せい剤が検出されたとする鑑識の証人尋問

 鑑定書には詳細な鑑定経過は記載されていません。また、押収物の鑑定に当たっては、覚せい剤だとの結論は書かれていても、鑑定資料のスペクトルは添付されておらず、大麻の剛毛が観察されたとは書かれていてもその写真は添付されておらず、ガスクロマトグラフィーの結果のグラフも添付されていない。どうやってこの鑑定書が正確か検証できるのかと聞くと、再鑑定をすれば確認できるという始末。

 風邪薬、特に咳止め薬には覚せい剤の原料となるエフェドリンが含有されています。鑑識の証人は、エフェドリンが体内で覚せい剤であるメチルフェニルアミノプロパンに代謝されることはありえないと最初証言しましたが、追及していくうちに、それは厚生省の薬事行政に対する信頼に過ぎないことが暴露され、結局、エフェドリンの体内代謝については分からないことが多いこと、歯の治療(歯の充填物)に使うパラジウムは、エフェドリンから覚せい剤を製造するときに使用する触媒であることから、体内で覚せい剤が検出される可能性がないとは言えないこと、が明らかになりました。

平成10年3月20日公判

 被告人を取り調べた本多巡査部長の証人尋問

 本多巡査部長は、平成9年5月21日に、指名手配案件である金津署管轄の事件である4月の金津での覚せい剤所持事件の捜査のために、金津署から大阪の住之江署に被告人の身柄を受け取りに行ったのですが、そこで、本件である大阪での覚せい剤所持の事件の引継ぎも受けてきました。 そして、5月22日には被告人の尿の覚せい剤検査を鑑定嘱託し、同日中に陽性の結果を聞き、これは4月の覚せい剤とは別のものだとの印象を持ちました。そして、5月22日から住之江署から引継ぎを受けた証拠物について指紋検査を行い。26日には覚せい剤かどうかの鑑定嘱託をして、5月中には覚せい剤であるとの結果報告を受けています。しかも、彼は、指名手配案件についての裏取り捜査は行っていないのです。

 指名手配案件は、確たる証拠物もなく、本格的な捜査も行うことなく、被告人が自白しているのに、6月1日には不起訴釈放とし、同時に、大阪における事件である本件で再逮捕しました。不起訴釈放とは形ばかりで、実際には被告人は金津署に勾留しつづけられているのです。指名手配案件は、本件捜査のための違法な別件逮捕だったのではないか、そういう実態が明らかになってきました。

平成10年4月17日公判

 被告人を取り調べた本多巡査部長の証人尋問の続行

 この日は、被告人自身が尋問をしましたので、さながら被告人による本多巡査部長の取調べのようでした。

平成10年5月8日公判

 被告人を取り調べた本多巡査部長の証人尋問の続行

 3月の尋問のときとは微妙に証言のニュアンスが変わってきました。3月には、私の質問に答えて、被告人は取調べの途中で、昔から知っている刑事さんにこれ以上嘘をついても仕方ないからと、否認から自白に転じたと証言していたのに、前回の被告人による質問のときから少し雰囲気が変わり、この日には、「被告人は覚せい剤の所持については否認のままで、覚せい剤の使用については自白したが、その2日後には大麻に付着していた覚せい剤をそれと知らずに吸っただけだとの否認に変わった。最初に否認から自白に転じたときも被告人には反省している様子はなかった。自分は最初から被告人の自白を取ることは必要だとは思っていなかったので、被告人の供述するとおりを調書に取った。」と述べるに至りました。

 これは、取調べの中で、被告人と本多巡査部長との間で、犯行を認めるのなら、被告人に有利な調書にまいてやるとの約束がなされたために、自白調書があまりにも概括的で、犯行の核心部分は抽象的なままで何ら具体的ではない内容になっていたのです。それでも、被告人が自白を維持していたのであれば、シャブ中だから記憶もあいまいでしようがないですんだのですが、被告人が公判廷で否認したものだから、その説明に苦しんでの策だったと思われるのです。

次回は、平成10年6月12日午前10時10分、第1号法廷で、科捜研の鑑定人と大阪府警の田口係長の証人尋問の続行です。 

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