プライベート・コーナー 
































§− 見 え な い 父 親 −
(精神科の診察室から)


 私の勤めている総合病院精神科は、今年の4月から増築され、うれしいことに新しい診察室の窓から北アルプスの雄姿をながめる楽しみができた。目の前に剣や立山の山々が、朝な夕なに雪が降ろうと雨が降ろうと暑い夏にも、四季おりおり姿を変えながらも、そこに慄然とそびえ、周囲の山々を引き連れ、北アルプス連峰を形成している。
 現実の診察場面に立ち返ると、最近は父親というか父親像が診察室から消えているのに気がつく。特に、待合室の一角を確実に占めつつある登校拒否や家庭内暴力、摂食障害、境界性障害者を診察している場合に、その傾向が顕著である。何が、私にそう感じさせるのか。診察に疲れてふと外の景色に目がいくと、目の前に展開している見えない父親(像)と窓の外から見える剣や立山の存在感の違いはどうしてこんなにも違うのかと考えてしまう。私は、診察室の出来事と片付けることのできない、現代日本社会の縮図がそこにあると思えてしょうがない。次に、5つのタイプに分けて、示してみたい。
 第一に、物理的に診察室に父親が訪れることが少ない。どうしても幼少時の養育が母親中心になりやすいにしても、患者が20代、30代、結婚していなければ、いや結婚していてもそれ以上の年齢でも母親が付き添ってくるのが多い。時に一瞬、小児科医になった錯覚にとらわれるのです。
 第二は、子供のことで夫婦で診察室に現れた場合でも、父親がいないのである。母親が一方的にしゃべりまくり、父親は刺身のつまのような存在にすぎない。この父親は、送り迎えの役割だけで、何のために診察室に入っているのだろうかと、男性である私をしてイライラさせる。子供の養育は父親にもあるのだろうから、刺身にならなくても、ぴりっと辛いわさびぐらいの存在になれないのかと思ってしまう。
 第三は、父親が診察室にいるが、より母親的な父親が目の前にいる場合である。ことこまかく子供のことを述べ、子供の思いなどに頓着無く近視眼的に目の前の出来事にだけに指示し、干渉するタイプ。家には、小母親と大母親しか存在しないのである。私はため息を気づかれないように吐きながら、子供が大人になれるわけがないとつぶやくのです。
 第四は、より母親的な第三と違って、より友達的である父親の場合である。「何でも、子供と話し、子供の意見は尊重してきました。」と語り、一見物わかりが良さそうで、理想的と思われそうなタイプである。これが食わせ物で、父性を置き忘れているという自分の問題に気づきにくく、私にとってもこのタイプが一番苦手である。鯛が腐っても鯛であるように、父親は父親であってほしい。子供にとっての友人は家の外で見つけるものであると言いたくなる。
第五は、父親(像)が診察室はもちろん、家庭に存在しなくなっている場合である。患者さんや母親からは、「不安でしかたがない。」、「学校にいけない。」、「友人ができない。」、「食べて吐いている。」などの症状とともに、「息子は、私に甘えてこまっている。」とか「母親が叱ってばかりいる。」など家族関係を巡る問題が語られるのが普通である。しかし、このタイプでは父親との関係が話題になることはなく、医師が思いあまって「お父さんは。」と聞いたりして、やっと「父親は仕事がいそがしくて。」、「あんまり家にいなくて話すことがない。」などと返ってくるだけである。患者や母親を通じて、父親が自分の子供が病気になった事態をどう考え、どう対処しようと考えているのか、医師にはまったく見えてこないタイプでもある。「父親どこにいったー。」と医師が叫びたい衝動にかられてしまう。
 以上のように、私の診察場面で「見えない父親(像)」と思わせたものを具体化すると、5つを示すことができた。私は、日頃から見えない父親(像)から、見える父親(像)になることが、子供の心の病が良くなるためには必要と考えている。では、これを単に父親がしっかりしていないとかだらしないとかで片付けていいのであろうか。個人の問題として考える必要がある部分と、現代社会が生み出している部分もあり、分けて考える必要があろう。
 ドイツのミッチャーリッヒという学者は、現代社会を「父親なき社会」と名付けている。昔は、農業や手工業を中心の父権主義社会であった。父親から子供へと生活実践の方法や良心が伝えられ、父親(像)が権威構造の基礎となっていた。ところが、現代は父親の仕事を継ぐことは難しい。父親の働く姿は子供の視界から消えつつあり、その結果として、父親の指導に関する父親像が喪失してしまい、父親像までも喪失する危機にある。ここに現代の子供の成熟の困難性があり、同時に父親像の喪失にともない伝統的秩序の崩壊、価値観の転換をもたらし、人々はこの状況で自分をしっかり位置づけることができず、子供のように退行したり、不安や攻撃などの心の問題が生ずると述べている。生き方が分かりにくくなっているともいえる。
 さらに、日本では太平洋戦争に敗北して、大きな価値観の変動があった。縦社会が横社会となり、日本ナイズされた民主主義が広がった。その中で生きた世代の子供が団塊の世代と言われているが、第四のタイプの父親がこの世代には多いのでは思える。友達的な父親の家族は、中心となる者がおらず、家族それぞれがバラバラとなりがちである。その状態で住んでいるのを「ホテル家族」と林 道義は言っている。私は、縦横社会が必要で、縦でも横でもどちらの社会であっても矛盾が大きくなると思う。
 さらに、戦後の女性の社会進出は、父親像を大きく変えたと思う。山際寿一は著書の中で、類人猿の中でも、生まれてまもなく母サルにつかまる事のできるチンパンジーなどと、ゴリラの子供のようにつかまることができないものではオスとメスの在り方がことなり、チンパンジーは群をつくり、ゴリラはオスとメスの二匹のペアと子供という形をとるという。ゴリラでは、母ゴリラは半年間は赤ん坊を手放さない。つまり、母ゴリラと子供では生きていけないことになる。オスのゴリラは新生児期には子供の世話はしないが、保護的な役割をしており、チンパンジーと違う行動をとる。その他の行動と共にオスのゴリラの父性と考え、以下のような父性行動を観察したという。それは、家族的な集団を統合し、保護し、子供の相手をしながら発達のための刺激を与え、適切な時期に独立させることであると規定している。人間の父性がそれに近いとすれば、女性だけでも子育てができる環境が整いつつある現代社会の中で、益々父性が発達しにくいの現状である。だから、人間としての新しき父性が求められているのかもしれない。「悩める者、そなたの名前は父親。」と言えるであろう。
 その上に、女性ホルモンに似た働きのある物質、例えばDDTなどが、オスの生殖機能を低下させているという警告がある。人類も例外でない。困ったものである。
しかしながら、内外の厳しい状況の中で、個々の男性は、新しき父親像を求めて船出しなければならない。その為には、新しき母親像も同時に必要になる。現代社会では、父親の父性はあっても気付きにくい。子供は、父性行動を母親を通して知ることが多いからである。父親像は母親像の背後にあるものであり、母親の愛の大きさ、すばらしさを知ることは、同時に父親の愛を知る契機にもなる。両親との歴史を知って、新しい自分が、新しい父親像を確立できるのではないだろうか。今、社会のせいにしても何も変わらない。それぞれが実行できる行動として、内観があり、自分を知ることによって、新しい子供との関係も生まれるだろう。
 私の診察室に、父性を持った父親が現れたり、父親像が患者さんから語られるようになれば、さぞかし私は世の中から名医として評価されるのにと苦笑にも似た思いが浮かぶ。剣や立山の山々を横目で見ながら、父親よ「父親に帰れ」と叫びたくなるこの頃である。



























§− 老 年 期 の 無 気 力 −
(元企業戦士の日暮れ時)


 老年期の無気力は、学生や若者で語られる無気力と比べて注目されることが少ない。その理由は、無気力のみが単独でかつ純粋な形で、私たちの目の前に出現することが少ないためであろう。老年期は、あらゆる体の病気や心の病気が、他の年代と比較して非典型的であるのと関係しているかもしれない。この無気力は、アルコール依存症、抑うつ状態やその他の状態の原因の一つであったり、結果であったりもする。ここで、老年期に無気力になったAさんに登場していただき、その生の声を聞きながら、今回の主題について考えてみたい。
(Aさんの日暮れ時)
 まどろみから目が覚める。頭がぼーっとした中で、ふとこぼれる光から、日がすでに傾いているのがわかる。たしか、早朝に起き出して自動販売機が作動して、寝ている家族にわからないように酒を2本だけ、1本は道すがら飲み、持ち帰った1本も、これ以上は飲まないつもりだったが。
 2年前に、ある有名企業を退職して悠々自適の生活をする予定でいたはずだった。半年間は、今までの骨休みをし、後は趣味やボランティア活動でも見つけ、孫のお守りでもしながら、3年後に定年になる妻と旅行でもする夢を描いていたはずなのに。退職したら、虚脱感とともに、考えていた目標が目の前から無くなってしまい、身近と思っていた家族も遠く感じられた。
 酒が飲みたい!。朝、家内や子供達の軽蔑した視線を丸くなった私の背中に感じたが、一人になった時、淋しさと気力のなさという大海の中で小舟のように翻弄され続けている。
 自分は、企業の課長として、「仕事ばかりしないで子どもや家の事にも目を向けてよ。」と家内に言われ続けていたが、人に負けたくない、自分の人生は仕事だ、と日曜出勤もあたりまえで、会社に出るとほっとしていた自分を思いだした。あのころは、営業成績は上り調子で、周囲から猛烈社員の代名詞のように注目を浴びていた。接待は別として、家に帰ったら、まず、喉こしをしみわたるアルコールを飲み、一人酔いの世界に彷徨するのが一日の区切りであった。 もうすぐ、家内が帰ってくる。言いつけられていた仕事も何もしていない。昼食も、米の水で済ませてしまった。「お父さんは長いこと仕事をしておられたんだから、好きな酒をすこしぐらいは。」と言っていた家内の顔も最近は鬼の形相と化している。家族も離れていき、親しかった友達も櫛の刃が欠けるよう去っていき、次第に心は冬支度となっている。今日も、家内や子供達の目を誤魔化せるだろうか。空瓶や空き缶が畳に転がっている。それにしても、酒がほしい。一杯だけ飲めば、しゃっきりするのに。
 ここに登場するAさんは、アルコール依存症である。Aさんが定年を向かえた後、坂を転げるように依存の世界に入っていった経過の背景に、無気力という心理を考えることができる。一方、アルコールを飲まなくても、うつ状態やもの忘れ、ささいな身体症状を訴えて来院される心気的な老人の方々の背景にも、無気力を見つけることもある。ここで、Aさんというアルコール依存症を通して、最近増えつつある老人の無気力を考えてみたい。
 では、Aさんがどうして治療まで受けなければならなくなったのか。Aさんは、幼少期に父親を失い、愛情喪失体験より、幸福願望をより強く持っていた点を除けば、同世代の人達と大きく変わったことはない。朝7時に出勤し、夜の11時に帰宅するというセブンイレブンの勤務をこなし、管理職に到達しており、会社人間としては優秀な方であった。また、おままんを得れるかどうかを心配した世代であり、高度成長期の日本を支えた企業戦士であった。
 一方、Aさんの家庭生活は、会社で水を得た魚のように生きてきたが、家庭では「おい、飯、風呂、寝るぞ。」で済ませており、もちろん晩酌の習慣を結婚したころから持ち続けていた。よく観察すれば、酔いの世界ではスーパーマンとして存在し続けることができ、その万能感を求めて飲酒しているのであるから、欠点として家族とのコミュニケーションや情緒的交流が少なくなっていた。飲みながら「家族のために働いているんだ。こんなつらい思いをしている俺を家族はわかってくれているはずだ。」と勝手に思いこんでいた節もあった。そんなAさんに、定年が訪れたらどうなるのだろうか。
 Aさんの世代は、「ご飯粒を残したらばちがあたる。」と教えられて、働くことが美徳であった。現代は、どう痩せるかが問題にされ、ダイエットや糖尿病がマスコミで取り上げられ、まさに飽食の時代である。働くこと以外の芸術やスポーツも価値観が認められ、価値観の多様化が起こっている。当然、家庭も例外でなく、価値観の変化の波が訪れ、さらに縦社会も崩れてきている。そんな中で、退職を向かえた場合、食べることに誰も不自由しなくなり、趣味一つ覚えることなく過ごしたAさんのような方は、多様な価値観の渦の中で生きる方向を見失い無気力になってもおかしくないだろう。
 さらに、縦社会が崩れた上に、Aさんのように家族との情緒的交流をおろそかにしていた結果、家族との親密な関係を結べなく、家庭の中で孤独を強いられている事がさらに、無気力を助長しているのではないか。「家族のために働いたのだから、家族は自分を理解すべきだ。」という自分勝手の公式は通用しない。単なる社会からの取り残され感だけでなく、家族からの孤立感が無力感増大には大きいのでないか。
 さらにAさんには、幸福願望が人より強かった。 ベルギーの劇作家、モーリス・メイテルリンクが書いた戯曲「青い鳥」は、きこりの子供のチルチルとミチルが妖精に言われた、青い鳥を求めていろいろな国に行くが、目が覚めたら求める「青い鳥」が自分の家の鳥かごの中にいたという内容であった。Aさんは自分の青い鳥を求めて、学歴に、仕事に、ついには酒に求めたが、どこにも見あたらなかった。この酒に求めたことがアルコール依存症になった原因の一つであろう。
 このように、企業戦士のAさんに、定年後に無気力が訪れ、それが酒を呼び、酒が無気力を呼び、さらに幸福願望を満たせない事が酒への逃避となり、いくつもの要素がモザイクのように絡み合ってアルコール依存症を形成したものと思われ、その複雑性が老年期の特徴であろう。
 では、Aさんには家族との幸せな夕食の団らんが訪れないのだろうか。酒をやめれば、夕食の団らんは訪れるが、幸せという形容詞を満たすためには、断酒のみが十分条件ではないと思う。幸せな家族団らんには、無気力を取り払う必要があり、今までの価値観を変えることや家族との絆の再構成が必要である。その為に、幸福への青い鳥を「自分を知る事」の中に見つける必要があると思う。Aさんのようなアルコール依存症の方には、治療を受けることは勿論としても、そうでない方にも、是非、自分の中に青い鳥を見つけ、幸福な人生を送っていただきたいと思う。Aさんが、その後自助組織活動を通じ自分の棚卸作業を行い、内観を体験することができ、現在は憂鬱な日暮れ時から、楽しい一家団欒を送っている事を付け加えておきたい。
 最後に、老人の増大に伴い、日本にはさまざまな問題が出現してきている。その一つに、Aさんのような病気の背景に無気力という精神病理が存在するのではないかと考えられる。老年期を向かえた人も向かえる人も、今、無気力について考えることも重要でないだろうか。



























§− 望まれるインフォームド・チョイス −
(元企業戦士の日暮れ時)


 インフォームド・チョイスとは、聞き慣れない言葉である。インフォームド・コンセントであれば、医者がいろいろな治療にあたって、患者さんによく説明をして、治療の同意を得てから行う意味で、「説明と同意」と訳され、マスコミでも使われるようになっている。
 インフォームド・チョイスという耳新しい言葉は、インフォームド・コンセントによく似ているが、私の頭に強烈に焼き付いているので紹介したい。「やどかりの里」という精神障害者の社会復帰施設長である谷中輝雄さんの講演の中で、始めてこの言葉を聞いた。谷中さんは、長らく社会復帰に携わった中で精神障害者の社会復帰へのしづらさに対し、ステップ・バイ・ステップ方式で、例えば料理の仕方を教え、次にメニューを増やし、一人で生活を始めるという段階を経るように、谷中さん施設側がメニューを考え実行してきた。しかし、この方式は思うような成果をあげなかった。ところが、次のような例に多く遭遇した。入院生活でトラブルメーカーとして有名であったAさんが退院し、やどかりの里に入居を希望した。社会復帰はとうてい無理と思ったが、本人に今後の希望を聞いたところ、施設での生活でも無理と思われる要望であった。料理の仕方もわからず、お金もないのに、一気に一人で生活をする提案である。だめになるのは時間の問題と考え、黙ってみていたそうである。しばらくすると、Aさんが始めたのは、毎日1時間試食販売コーナーで話を聞いて、ただで材料をもらって生活をするのを日課にし始めた。そこに、たくましく生きるAさんの姿を発見した。谷中さんは、自分の考えや判断を押しつける方法にどこか間違いがあると考えた。その後は、できるだけ彼らの考えや判断を尊重した。インフォームドはするが、どうするかの選択つまりチョイスは相手側に与え、選択が間違って落ちてきたらそれを拾うことにした。今は、その方法でうまくいっているという主旨であった。
 一方、このインフォームド・チョイスがうまくいっていない例は多数あると思う。例えば、親が子供に向かって「勉強しなさい。」は、日本の家庭のありふれた光景である。ところが、親が命令ばかりしていると、しまいに子供は命令されるのがあたりまえとなり、成績でも下がるような事でもあれば、「何で勉強をしろと言わなかった。」と親の責任が追求され、最悪の場合は家庭内暴力という結末にいたることもありえる。親は勉強の大事さや、勉強をしてほしい気持ちや、しない子供をみると不安になる気持ちを伝える事は大事であっても、勉強をするかしないかの判断は子供にしてもらう必要があると思う。
 北日本新聞の天地人に最近こんな文が載っていた。日本の若者は、話の際に文章の組み立てが下手で、単語だけですませる傾向がある。親がかまい過ぎるのが原因の一つかもしれない−と一つの例をあげている。たとえば「おなかが痛いから病院につれていって」と訴えないといけないのに今は親が「どうしたの」「どこが痛いの」としつこく聞くから「おなか」といえばすんでしまう。これも、狭められたチョイスによる、言葉つかいまでに影響した例であろう。
アルコ−ル依存症の家族の方にも、似たような事がみられる。患者さんのことを心配して、いつも酒を飲むなという禁止命令ばかりだしている。そんな家族の方に、診察室で「飲んでほしくない考えや、いろんな理由で心配している気持ちを告げることは必要だが、それを聞いて飲むか飲まないかは患者さんに任せた方がいいのでは。」とアドバイスする。飲むかどうかの決定権が患者さんに移るだけでも、実際の治療はかなりいい線までいく。
 インフォームド・チョイスがうまくいっていないのは国のレベルでもしかりである。最近の住専問題は、いくら大蔵省が国民のため?と思ったのにしても、情報開示もせず、自分たちで都合良くチョイスしていたために、自分たちのやがて行き先をチョイスし難くなってきている。
 最後に、親子関係に始まって、国のレベルまで、健康度を保つには次の事が大事ではなかろうか。最初の動機は相手に対して良かれと思った事であったにしても、十分な情報を相手に与えず、自分の考えを押し付けした時は、相手を奴隷化し選択権を奪い取ってしまいかない。日本のあちこちで、毎日のようにそんな修羅場が再現されていると思うにつけ、インフォームド・チョイスという概念は、今の日本に望まれているのでなかろうか。



























§− 機関誌(断酒剣)発刊を祝って− 


 富山県断酒連合会機関誌・第一号が発刊されましたことを、私事のようにうれしく思います。
 県内の断酒会の機関誌は、手元にあるのを見ますと過去に幾つも出されており、各断酒会活動の高揚期を見る思いがします。しかし、今回発刊は、県内各断酒会の発刊と異なった意味があると考えます。何故ならば、過去にも断酒会活動が活発になった時期もあったが、今回の機関誌発刊にならなかったからです。
 私は、毛利元就の「三矢の教え」のように、県内断酒会や各会員の「病気理解、断酒行動、和」が一致した時、スクラムを組む事ができ、そして大きな力を発揮できると思うし、その素地が今できた一つの現れではないかと思っています。では、具体的にどんなことか述べてみたい。
 最初の「病気理解」については、病気が個人レベルの問題だけでなく、夫婦や家族レベルまで、つまり家族病という認識を持ち、単なる断酒を最終目標でなく、自己や家族変革を目標に持つことでないでしょうか。
 第二の「断酒行動」は、断酒新生指針の中に、酒に対して無力と認め、例会に出席し、過去を素直に認め、聞く耳を持ち、自己新生に努め、償いをし、断酒の喜びを伝えると詳しくその行動指針が書かれおり、その指針を会員が共通理念として持ち、行動に少しでも反映していくことでないでしょうか。
 第三の「和」は、断酒新生指針4に、断酒会会員間の人格の触れ合いや心の結びつきが大事で、その為に仲間たちとの信頼を深めることが必要と書かれています。それができれば、自然に和が輪となると思います。それは、妥協したりなれ合いでなく、互いを認め会うことから始まるのでしょう。
 最近、山陰断酒学校に幾つかの断酒会の会員が誘い合い、ともに参加したり、入善のコスモホールで開かれる会に幾つかの断酒会会員が応援したりする姿を見聞きしました。これらは、発刊の運びとともに3本の矢の具現だと信じています。
 最後に、私の口癖でもありますが、県断連も各断酒会も、家族も断酒会会員それぞれも開かれたシステムであることが大事であり、それを目指すことができれば、2号、3号と続くのではと思っています。



























§− 指示待ち症候群なんて吹っ飛ばせ− 


 私が勤務している病院に、毎年若い医師が交代でやってくる。その中に、指示待ち症候群と思われる者を最近見受ける。この症候群は、指示された事はそつなく行うが、指示されないことは、周囲からは常識的に考えて行って当然と思われる事も、指示がないとかマニュアルに書いてないといって何もしない行動パターンをいう。
  会社の管理職の方と親しく話しする場で、同じ話題が出た。その場でみな異口同音、最近目立ってきているという結論になった。この症候群に近いものを他に探すと、マニュアル育児とか、マニュアル管理とかが見つかる。
 どうしてなのだろうかと考えてみた。彼らの人生は、親や先生の言われた通りやるのが一番効率的で安全で「よい学校」に入る近道だと修得した結果でないのか。生まれてからずっと指示されぱなっしの中で、一番うまく適応した人間ではないのか。確かに「よい学校」に入るのに適していた。しかし、大人社会では、未熟労働者として働くのであればそれでよいが、上に立つ立場になるのには大事な点が欠けている。わからないことは、苦労しながら、試行錯誤や工夫を繰り返し、自分で道を探さなければならないのであり、マニュアルがないのである。
 親や学校、私も含めて、指示や命令数を減らさなければならないのではと、近頃思うのですが。