墓穴を掘った泥棒

(ドナルド・E・ウェストレイク『バッド・ニュース』解説)

バッド・ニュース  いい知らせと悪い知らせがある。

 いい知らせは、『骨まで盗んで』(ハヤカワ・ミステリ文庫)から四年ぶりに不運な泥棒ドートマンダーもの長篇が翻訳されたことである。そう、あなたが手に持っている本書『バッド・ニュース』のことだ。じつは、本書の第一章は "Spectacles" というタイトルで《プレイボーイ誌》本国版二〇〇一年五月号に掲載され、「眼鏡違い」という邦題で《ミステリマガジン》二〇〇五年十一月号に訳載された。

 悪い知らせは、そのドートマンダーもの長篇第十作の原題 Bad News(二〇〇一年刊)を直訳すると、「悪い知らせ」になることである。そのほか、「厄介な問題」とか「嫌なやつ」という意味もある。本書では厄介な問題が次々に持ちあがり、嫌なやつが登場する。この嫌なやつが誰を指しているのかは、本書を読んでいただければわかるはずだ。いや、ドートマンダーではないよ。

 いい知らせは、本書を原作者のドナルド・E・ウェストレイクが捧げた複数の相手の中に、あなたが知っている人間も紛れ込んでいることだ。

 悪い知らせは、その人間がジロー・キムラだということだ。たぶん本書の日本語版翻訳者、木村二郎のことだろう。それとも、あなたはラウラ・グリマルディかジーン・エッシュをご存じなの? それに、訳者のもとに二錠のアスピリンはまだ届いていない。

 いい知らせは、二〇〇一年四月に訳者がニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるミステリ専門書店〈パートナーズ&クライム〉の所有者の一人、マギー・グリフィンから電子メールを受け取ったことだ。「ウェストレイクが新刊の中であなたに素晴らしい献辞を贈っていたわ。おめでとう」とかいうような内容だった。訳者はまだ原書を読んでいないし、現物も見ていなかったので、どういうことなのかマギーにメールで尋ねた。すると、マギーは本書にあるような献辞全体を訳者にメールで知らせてくれたのである。

 悪い知らせは、「例えば、彼らは本書の第一章で『迫真力』の箇所をうまく処理しなければならないだろう」という不可解なことをウェストレイクが献辞の中で述べていることだ。「迫真力」の箇所は原書ではこうなっている。"This just adds whadayacallit. Verisimilitude. Unless that's the color." verisimilitude というのは「迫真力」という意味だ。では、その迫真力と色がどう関係しているのだろう? あなたに考える時間を五秒あげよう。カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。わからなくて当然だ。アメリカ人でも半数以上がわからないだろう。仕方なく、訳者はウェストレイクに恐る恐る尋ねてみた。

 いい知らせは、ウェストレイクがその質問に答えてくれたことだ。verisimilitude と vermillion(朱色)というよく似た単語を混合するアメリカ人が多いらしい。そういうわけで、「もしヴェリシミリテュードが色の名前であれば別の話だ」とドートマンダーは考えたわけだ。これで疑問は解けたかな? あなたに訳者の手の内を見せるのは、野暮の骨頂なんだけど、この場合は仕方ない。

 悪い知らせは、本書の第四十五章にあの嫌われ者の故買屋アーニー・オルブライトが登場することだ。では、ドートマンダーものにしばしば顔を出すアーニーについて紹介してみよう。アーニーはかつてこう言ったことがある。「わしの性格だろうな。違うとは言わせんぞ、ドートマンダー。自分でもわかってるんだ。わしはみんなの気持ちを逆撫でする。反対せんでくれ」というのは、『逃げだした秘宝』第九章からの引用だ。

 もしくは、こう説明した。「自分が鼻つまみ者だってことはわかってる。この街の住民はレストランに電話をかけると、予約をする前にこう言うんだ。“アーニー・オルブライトが来るのか?”ってな。」というのは、『骨まで盗んで』第三十三章からの引用だ。

 こうも言った。「少なくとも、あんたは嘘をついてくれる。たいていの連中は、わしがどれほどのクソ野郎なのか言うのを待ちきれないほどだ」というのは、《ミステリマガジン》一九九五年十一月号訳載の「雑貨特売中」からの引用だ。こう説明もした。「わしの医者はこう言うんだ。“悪いが、待合室ですわったまま、病状を大声で話してくれないか”とね」というのは、《ミステリマガジン》二〇〇〇年六月号訳載の「今度は何だ?」からの引用だ。うん、原典を捜すのは厄介だったよ。原書では明らかにしてくれていないからね。

 いい知らせは、アーニーがだんだんましな人間になっていくことだ。二〇〇五年刊の Watch Your Back! で、アーニーは《地中海クラブ》で知り合った傲慢な男に不快感を抱き、ドートマンダーたちにその男の留守宅に忍び込み、金目の物を盗み出すように依頼する。

 悪い知らせは、ドートマンダーたちの動きを探っているやつらがいて、盗んだブツを横取りしようと企んでいることだ。

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 いい知らせは、『アマデウス』や『ヘヤー』でお馴染みの監督ミロシュ・フォアマンが本書を映画化しようという噂があることだ。脚色はダグ・ライトが担当する。

 悪い知らせは、その噂は刊行当時からあったが、映画がまだ製作されていないことだ。ハリウッドのことだから、期待しないほうがいいだろう。

 いい知らせは、ウェストレイクの単発もの『斧』(文春文庫)の映画版をコスタ= ガヴラスがフランスで監督して、Le Couperet(肉切り庖丁)というタイトルで二〇〇五年三月に公開されたことだ。コスタ= ガヴラス自身も来日して、〇五年に横浜フランス映画祭で上映された。

 悪い知らせは、コスタ= ガヴラス監督作品なのに、映画版『斧』が日本でもアメリカでも一般公開されていないことだ。それに、訳者が横浜フランス映画祭のことを知ったのは閉会したあとだった。

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 いい知らせは、ウェストレイクはドートマンダーものを本書のあとも書き続けていることだ。二〇〇四年にはドートマンダーもの短篇集 Thieves' Dozen と長篇 The Road to Ruin を発表した。通常なら、ミステリアス・プレスから刊行されるウェストレイクの長篇は三作に一作がドートマンダーものなのだが、二〇〇五年刊の長篇 Watch Your Back! もドートマンダーものだった。そして、同じ二〇〇五年の秋に刊行されたエド・マクベイン編纂の中篇アンソロジー Transgressions にドートマンダーものの珍しい中篇 Walking Around Money が収録されている。

 悪い知らせは、Thieves' Dozen(泥棒たちの一ダース)には、タイトルどおりではなく、十一篇しか収録されていないことだ。つまり、「眼鏡違い」が含まれていなくて、一篇足らないわけだ。しかも、収録作品の一篇では本物のドートマンダーものではなく、ドートマンダーの平行世界に住むドートマンダーにそっくりのジョン・ラムジーという泥棒が活躍する。

 もう一つの悪い知らせは、二〇〇五年にウェストレイクが十回も網膜剥離の手術を受けて、長いあいだ執筆の仕事ができなかったことだ。

 いい知らせは、ウェストレイクがドートマンダーものの長篇第十三作を書き終えたことだ。ウェストレイクにしては珍しくドートマンダーものが三作続いたわけだが、新作のタイトルは What's So Funny? といい、二〇〇七年には刊行されるだろう。リチャード・スターク名義で二〇〇四年に発表した悪党パーカーものの第二十二作 Nobody Runs Forever の続篇 Ask the Parrot のほうは二〇〇六年秋に刊行される。

 もう一つのいい知らせは、ドートマンダーものの短篇「真夏の日の夢」(現時点では仮題)が《ミステリマガジン》二〇〇六年十月号(八月二十五日発売)に訳載されることだ。

 そして、一番のいい知らせは、ウェストレイクがあなたと同時代に生きていることである。

 二〇〇六年七月


〈ドートマンダーもの長篇リスト〉
01 The Hot Rock (1970)『ホット・ロック』平井イサク訳/角川文庫
02 Bank Shot (1972)『強盗プロフェッショナル』渡辺栄一郎訳/角川文庫
03 Jimmy the Kid (1974)『ジミー・ザ・キッド』小菅正夫訳/角川文庫
04 Nobody's Perfect (1977)『悪党たちのジャムセッション』沢川進訳/角川文庫
05 Why Me (1983)『逃げだした秘宝』木村仁良訳/ミステリアス・プレス文庫
06 Good Behavior (1985)『天から降ってきた泥棒』木村仁良訳/ミステリアス・プレス文庫
07 Drowned Hopes (1990)
08 Don't Ask (1993)『骨まで盗んで』木村仁良訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
09 What's the Worst That Could Happen? (1996)『最高の悪運』木村仁良訳/ミステリアス・プレス文庫
10 Bad News (2001)『バッド・ニュース』木村二郎訳/ハヤカワ・ミステリ文庫 本書
* Thieves' Dozen (2004) 短篇集
11 The Road to Ruin (2004)
12 Watch Your Back! (2005)
13 What's So Funny? (2007)




これは木村二郎名義で翻訳したドナルド・E・ウェストレイクの『バッド・ニュース』(ハヤカワ・ミステリ文庫、2006年8月刊、880円+税)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いている。続編が無事に出せかどうかは、不幸なことに本書の売り上げにかかっていますので、皆様方の盛大なご支援をお願いします。残念ながら、冷淡な事実なのです。(ジロリンタン、2006年8月吉日)

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