サム・ホーソーン医師の診断書

(エドワード・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿I』解説)

サム・ホーソーンの事件簿1  

作者エドワード・D・ホックの「序文」と「サム・ホーソーン医師の略歴」のほか、本書を捧げられたマーヴィン・ラックマンの「事件年表」があると、ほかに付け加えることはほとんどない。  

本書の原題は Diagnosis: Impossible, The Problems of Dr. Sam Hawthorne といって、野暮に直訳すると、『診断は不可能----サム・ホーソーン医師の事件簿』というところだろうか。一九九六年にミステリー短編集の専門出版社クリッペン&ランドルーから刊行された。初版は九〇〇部のソフトカヴァー(十五ドル)と限定三〇〇部のハードカヴァー(三十八ドル)が印刷され、ハードカヴァーのほうにだけホック自身が書いた「略歴」(自筆のイニシャル付き)が含まれている(もちろん、ハードカヴァーのほうは売り切れ)。  

日本語版には、限定版のみの「略歴」のほうも付けたし、サム・ホーソーンもの十二編のほかに、ノンシリーズの「長い墜落」をボーナスとして付け加えた。この短編の原題は The Long Way Down といい、《アルフレッド・ヒッチコックス・ミステリー・マガジン》六五年二月号に掲載され、ハンス・ステファン・サンテッセン編の『密室殺人傑作選』(ハヤカワ・ミステリ)に収録されているが、ここでは新訳を収めた。このほか、この短編はホックの個人短編集 The Night My Friend (1991) にも、アンソニー・バウチャー編の年刊ミステリー傑作選 Best Detective Stories of the Year 1966 にも、オットー・ペンズラー編の The 50 Greatest Mysteries of All Time (1998) にも収録されている。そして、七三年にロック・ハドソン主演のテレビ番組『マクミラン署長』でテレビ・ドラマ化された。ちなみに、本書のイタリア語版には、ホーソーンもの十二編のほかに、なんと、ガストン・ルルー作の『黄色い部屋の謎』も併録されているのだ。  

ホックの「序文」に補足させていただくと、サム・シェパードは五四年にオハイオ州で妻殺しで逮捕された医師であり、自宅で妻の惨殺死体を発見したすぐあと、自宅から逃げ出していく男を見たと供述した。一審で有罪になったが、再審で無罪になった。そう、人気テレビ番組『逃亡者』(あとで映画化)のモデルになった人物である。父親も兄弟も医師だったので、混同を避けるために、「サム先生」と呼ばれたのだ。  

ホックは「序文」で、「わたしはすぐにホーソーンを選んだ。ニュー・イングランドの探偵にとって、それ以上にふさわしい名前があるだろうか?」と書いているが、もちろん、ナサニエル・ホーソーンのことを指しているのである。『緋文字』や『ワンダー・ブック』で有名な十九世紀の作家で、ニュー・イングランド地方を舞台にした作品が多い。ちなみに、命名にあたって、関係があるかどうかわからないが、Hawthorne の最後のeを取った hawthorn は同じ発音で、「サンザシ」という意味である(かつての英語の単語は綴りが統一されていなかった)。バラ科で、サンザシの実(ホー)をつけ、棘(ソーン)が多い。もちろん、サム・ホーソーンのイニシャル(SH)は、あの有名な名探偵のイニシャルと同じである。  

サム・ホーソーンものの面白い作品は一冊の短編集だけでは収めきれないので、第二短編集や第三短編集を出すことはけっして不可能ではない。  

     *      *  

さて、ここで、エドワード・デンティンジャー・ホックの略歴を簡潔に書いておこう。  

ホックは一九三〇年にニューヨーク州ロチェスターに生まれ育った。ロチェスター大学に在籍したあと、五〇年に陸軍に入隊。除隊後、ニューヨークのポケット・ブックス出版社や、ロチェスターのハッチンズ広告会社で働く。五七年にパトリシア・A・マクマーンと結婚。  

少年時代からエラリー・クイーンを愛読していたホックは、大学時代からミステリー専門誌に短編を投稿していたが、八年のあいだずっと断わり状ばかり受け取っていた。初めて売れて活字になったのは、《フェイマス・ディテクティヴ・ストーリーズ》五五年十二月号掲載の「死者の村」(ハヤカワ・ミステリ刊『ホックと13人の仲間たち』に収録)で、オカルト探偵サイモン・アークものの第一編だった。  

そのあと、ハッチンズ社で勤務しながらも、《クラック・ディテクティヴ》、《ファスト・アクション》、《オフ・ビート》、《タイトロープ》などの五〇年代のミステリー専門誌に作品を次々と発表し、六〇年代から《エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン》(EQMM)や《アルフレッド・ヒッチコック》、《ザ・セイント》、《マイク・シェイン》などの有名なミステリー専門誌誌にも寄稿し始めた。《ザ・セイント》六七年七月号に発表したレオポルド警部ものの「長方形の部屋」(ハヤカワ・ミステリ文庫刊『エドガー賞全集(下)』に収録)でエドガー短編賞を受賞。六八年に受賞したあと、執筆活動に専念する。六九年には初めての長編『大鴉殺人事件』(ハヤカワ・ミステリ)を発表した。これにはミステリー作家バーニイ・ハメットが初登場し、しかもエドガー賞授賞式が舞台なので、エラリー・クイーンやブレット・ハリデイなどの有名作家も実名で登場する。  

ホックと言えば、短編ミステリーの執筆だけで生計を立てている珍しい作家として有名であり、EQMM本国版では七三年五月号から毎号に作品(ときどき再録もあるが)を寄稿している。ホックは思いついたプロットを次々に書きたいほうなので、長編よりも短編を書くほうを好むが、大統領直属のコンピューター検察局ものの長編三作(ハヤカワ・ミステリ文庫刊『コンピューター404の殺人』など)を含む合計八作の長編も執筆している。  

現在では、ほとんど本名で作品を発表しているが、かつてはアーウィン・ブース、アンソニー・サーカス、スティーヴン・デンティンジャー、パット・マクマーン、R・L・スティーヴンズ、ミスター・X、リサ・ドレイク(合作ペンネーム)、R・E・ポーター(コラム用)などのペンネームを持ち、“エラリー・クイーン”名義(ハウスネーム)ではペイパーバックを一作(『青の殺人』原書房)、R・T・エドワーズ名義(ロン・グーラートとの合作ペンネーム)では懸賞小説『エアロビクス殺人事件』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を書いた。そのほか、EQMMや《ジ・アームチェア・ディテクティヴ》にコラムを連載したこともある。  

ジューン・M・モファットとフランシス・M・ネヴィンズ・ジュニアが共同監修する Edward D. Hoch Bibliography (毎年更新)によれば、ホックはじつに多くのシリーズ・キャラクターを生み出している。サム・ホーソーン医師、怪盗ニック・ヴェルヴェット、ジュールズ・レオポルド警部、オカルト探偵サイモン・アーク、暗号解読専門家ジェフリー・ランド、西部探偵ベン・スノウ、ジプシー探偵ミハイ・ヴラドといった現在も活躍しているキャラクターのほかに、ミステリー作家バーニイ・ハメット、インターポールのセバスチャン・ブルーとローラ・シャルム、パロディー探偵サー・ギデオン・パロ、私立探偵アル・ダーラン(前身はアル・ダイアモンド)、デイヴィッド・ヌーン神父、諜報員ハリー・ポンダー、コンピューター検察局のカール・クレイダーとアール・ジャジーン、逃亡者追跡官デイヴィッド・ハーパー(ミスター・X名義)、詐欺師ユリシーズ・バード、ロリポップ巡査ポール・タワー、未来探偵バーナバス・レックス、少年探偵トミー・プレストン、女性刑事ナンシー・トレンティーノ(レオポルド警部の部下コニー・トレントにそっくり)、諜報員チャールズ・スペイサー(アンソニー・サーカス名義)、女性護衛官リビー・ノールズ、犯罪学者マシュー・プライズがいる。九〇年代に登場した新しいシリーズ・キャラクターは、ジョージ・ワシントン将軍直属の諜報員アレグザンダー・スウィフト(時代設定は十八世紀の独立戦争時)と、百貨店バイヤーのスーザン・ホルト。とにかく、すべてのキャラクターを書き出すだけでも大変なくらいである。  

ホックはアンソロジー編纂者としても知られている。デイヴィッド・クック、ブレット・ハリデイ、アンソニー・バウチャー、アレン・J・ヒュービンのあとを引き継いで、〈年刊ミステリー傑作選〉の編纂を一九七六年より九五年まで(途中で版元がダットン社からウォーカー社に、タイトルが Best Detective Stories of the Year から The Year's Best Mystery and Suspense Stories に変わったものの)二十年間も担当した(そのうち日本では七六年版『風味豊かな犯罪』と七七年版『今月のペテン師』と七八年版『最後のチャンス』の三冊が創元推理文庫より紹介されている)。そのほかにもアンソロジーをいくつか編纂しているが、日本ではMWAアンソロジーの二冊----『現代アメリカ推理小説傑作選2』(徳間書店)と『密室大集合』(ハヤカワ・ミステリ文庫)----が紹介されている。  

今もなおパトリシアと一緒にロチェスターに住んでいて、EQMMやオリジナル・アンソロジーに短編を精力的に寄稿している。二〇〇〇年には怪盗ニックものの新しい短編集 The Velvet Touch が刊行される。
[なお、この解説の後半は光文社文庫刊の個人短編集『革服の男』の巻末に寄せた拙文を改訂したものである。]

       *       *  最後に、エドワード・D・ホックの作品集リストを挙げておこう。
[作品集リスト]
@ The Judges of Hades (1971) サイモン・アークもの中編五編収録
A City of Brass (1971)  アークもの中編三編収録
B The Spy and the Thief (1971) ジェフリー・ランドもの短編七編とニック・ヴェルヴェットもの短編七編収録
C Enter the Thief (1976)『怪盗ニック登場』(ハヤカワ・ミステリ、日本で独自に編纂) 小鷹信光編、ヴェルヴェットもの短編十二編収録
D The Thefts of Nick Velvet (1978) ヴェルヴェットもの短編十三編収録(限定版には十四編収録)
E Hoch's Dozen (1978)『ホックと13人の仲間たち』(ハヤカワ・ミステリ、日本で独自に編纂 木村二郎編、ホックの創造した十三のシリーズからそれぞれ一編ずつ十三編収録
F The Thief Strikes Again (1979)『怪盗ニックを盗め』(ハヤカワ・ミステリ、日本で独自に編纂 ヴェルヴェットもの短編十二編収録
G Hoch's Locked Room (1981)『密室への招待』(ハヤカワ・ミステリ、日本で独自に編纂)ホックの密室ミステリー短編十二編収録
H The Cases of Captain Leopold (1981)『こちら殺人課!----レオポルド警部の事件簿』(講談社文庫、日本で独自に編纂) 風見潤編、レオポルド警部もの短編八編収録
I The Adventures of the Thief (1983)『怪盗ニックの事件簿』(ハヤカワ・ミステリ、日本で独自に編纂) ヴェルヴェットもの短編十編収録
J The Quests of Simon Ark (1985) アークもの中短編九編収録
K Leopold's Way (1985) レオポルド警部もの短編十九編収録
L Tales of Espionage (1989) エレノア・サリヴァン&クリス・ドーバント共編、ホック作のランドもの短編八編とインターポルもの短編七編のほか、ロバート・エドワード・エッケルズ作のCIAもの短編八編と、ブライアン・ガーフィールド作のチャーリー・ダークもの短編八編も収録
M The Spy Who Read Latin and Other Stories (1991) ランドもの短編五編収録
N The Night My Friend: Stories of Crime and Suspense (1991) フランシス・M・ネヴィンズ・ジュニア編、ノンシリーズ短編二十二編収録
O Diagnosis: Impossible, The Problems of Dr. Sam Hawthorne (1996)『サム・ホーソーンの事件簿I』(創元推理文庫) サム・ホーソーン医師もの短編十二編収録(日本語版にはノンシリーズの「長い墜落」も併録) 本書
P The Ripper of Storyville and Other Ben Snow Tales (1997) ベン・スノウもの短編十四編収録(限定版にはほかにノンシリーズ短編一編も収録)
Q The Problem of the Leather Man and Other Stories (1999)『革服の男』(光文社文庫、日本で独自に編纂) 木村仁良編、『EQ』訳載のシリーズ作品を中心にした短編十二編収録
R The Velvet Touch (2000) ヴェルヴェットもの短編十四収録(限定版にはほかに詐欺師ユリシーズ・バードもの短編一編も収録)
S The Night People (2001) ノンシリーズ短編を収録
21 The Old Spies Club and Other Intrigues of Rand (2001?) ランドもの短編を収録
22 The Iron Angel and Other Tales of Michael Vlado (2002?) ウラドもの短編を収録
[なお、作品集リストを作成するにあたり、毎年更新されているジューン・M・モファット&フランシス・M・ネヴィンズ・ジュニア共同監修の Edward D. Hoch Bibliography を参照させていただいた。]

二〇〇〇年四月
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これは木村二郎名義で翻訳したエドワード・D・ホックの『サム・ホーソーンの事件簿I』(創元推理文庫、2000年5月刊、860円)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いている。続編『サム・ホーソーンの事件簿2』が出せるように、皆様方の盛大なご声援をお願いします。(ジロリンタン、2000年5月吉日)
お陰様で、『IN☆POCKET』(講談社文庫)主催の作家が選んだ文庫翻訳ミステリーで第2位に、『週刊文春』の傑作ミステリー海外部門で第3位に、『2001本格ミステリー・ベスト10』(原書房)の海外部門で第2位に輝きました。続編『サム・ホーソーンの事件簿2』は2002年に刊行されるかもしれません。(ジロリンタン、2001年3月吉日)

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