ハメット&ゴアズ

(ジョー・ゴアズ『スペード&アーチャー探偵事務所』解説)

スペード&アーチャー探偵事務所  本書『スペード&アーチャー探偵事務所』(原題:Spade & Archer)はサブタイトル (The Prequel to Dashiell Hammett's THE MALTESE FALCON) からも推測できるように、ダシール・ハメットの不朽の名作『マルタの鷹』の前日譚である。

 いろいろな名作の前日譚や後日譚、続篇のほか、有名なシリーズ・キャラクターのパスティーシュやパロディーにうんざりしている読者がいることは重々承知しているが、まあ、この巻末解説を読んでから、本書を読むかどうかを決めていただきたい。

 本書を手に取った方の多くは、ハメットの正典『マルタの鷹』を読んだか、ハンフリー・ボガート主演の映画版『マルタの鷹』を観たか、その両方だろう。そういう方は本書を読んでから、『マルタの鷹』を再読するか、映画版を再鑑賞していただければ、正典の印象が変わるかもしれないし、新しい発見があるかもしれない。

 もしくは、ハメットやボガートやサム・スペードの名前を聞いたことがないという方もいるかもしれない。そういう方には、こういう余計な解説を読まずに、ただちに本篇のほうを読むことをお勧めする。そのあとに、正典の『マルタの鷹』のほうを読んでいただきたい。本書を読んでも理解しにくい箇所があれば、『マルタの鷹』を読めば、理解しやすくなるかもしれない。

 ほとんどのミステリ研究家は『赤い収穫』(一九二九年刊)と『マルタの鷹』(一九三〇年刊)と『ガラスの鍵』(一九三一年刊)をハメットの三大傑作として挙げている。人気の高い映画版のおかげで、『マルタの鷹』と『影なき男』(一九三四年刊)はハメットの二大人気作であり、主人公のサム・スペードやニック・チャールズの名前は年配の映画ファンならよく知っている。つまり、ハメット作品の中で、一番人気のある傑作は『マルタの鷹』なのである。『マルタの鷹』が名作であることを否定する人は、ミステリ読者の中でもたぶん五パーセント以下だろう。

 私立探偵小説家のビル・プロンジーニによれば、ハメットが『マルタの鷹』を発表していなければ、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウもロス・マクドナルドのリュー・アーチャーも登場していなかったかもしれない。つまり、プロンジーニの名無しの探偵も、ロバート・B・パーカーのスペンサーも、ローレンス・ブロックのマット・スカダーも、スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンも(例をあげればキリがない)登場していなかった。そして、アメリカだけではなく、世界中の私立探偵小説が当然のことながら、現在とは変わっていただろう。

 しかし、この解説ではハメットの経歴や作品については、あえて述べない。皆さんがすでに読んだか、これから読むであろう『マルタの鷹』の巻末に述べられているからである。そひて、あとで、ハメットの伝記(ダイアン・ジョンスン著『ダシール・ハメットの生涯』早川書房、ウィリアム・F・ノーラン著『ダシール・ハメット伝』晶文社など)を読めば、だんだん面白みが増してくるので、皆さんの興味を殺[ルビ*そ]ぎたくはない。

       

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 ここでは、本書と著者のジョー・ゴアズについて述べていこう。ゴアズが本書を書いた経緯はこうである。

 ハメットの研究家でもあり伝記作家でもあるリチャード・レイマンが『マルタの鷹』を“アメリカ初の実存主義的小説”と呼んだ。つまり、登場人物はただ存在するだけで、どういう経歴を持っているのか、まったく説明がなされていない。ある意味では、言動だけで物語を進めていく本来の“ハードボイルド”小説は実存主義的小説とも呼べる。それを聞いたゴアズは、スペードがどういう経歴の持ち主なのか、どうして『マルタの鷹』であんな態度を取るのかということに興味を抱いた。

 そして、レイマンの紹介でハメットの遺族に会ったゴアズは、一九九九年に、ハメットの次女ジョゼフィン・マーシャルに手紙を書き、『マルタの鷹』の前日譚を執筆したいという希望を告げた(そのときは、ハメットの遺族が著作権やキャラクターの名称使用権を所有していた)。しかし、マーシャルの娘(つまり、ハメットの孫娘)ジュリー・リヴェットがノーの返事を書いてきた。「遺族はそういうことをしてほしくありません。ちゃんとかける人は誰もいないでしょうから」

 ゴアズの文芸代理人で、小説『ハメット』(一九七五年刊)の執筆を提案したヘンリー・モリスンは、この企画をあきらめるようにとゴアズに言った。

 しかし、二〇〇四年にハメット関連の集まりがあり、マーシャルがゴアズを脇に呼んで、こう言った。「『マルタの鷹』の続篇をあなたに書いてほしいのよ」

「続篇は書けないよ」

「どうして?」

「スペードとエフィ以外はみんな死んだからね。でも、前日譚なら書くよ」

 ハメットの世界を描ける作家はハメット以外にいないとしても、一番近い世界を描ける現役作家は、ハメットと同じような経歴を持つジョー・ゴアズしかいないと納得した末の判断だったのだろう。

 というわけで、ゴアズは四年かけて、この前日譚を完成させたのだ。

 公式の刊行日は二〇〇九年二月十四日だった。ハメットの『マルタの鷹』刊行日のちょうど七十九年後で、ハメットが《ブラック・マスク》で『マルタの鷹』を連載し始めたのが一九二九年九月号だから、そこから計算すると、八〇年後ということになる。

 ゴアズが本書を執筆しているという情報は、二〇〇五年頃には広まっていて、二〇〇七年暮れには刊行される予定だった。しかし、販促用の見本ゲラ(最近では電子メールでPDFファイルとして添付される)が届いたのは二〇〇八年の暮れだった。

 出版記念パーティーは、本書にも『マルタの鷹』にも登場する〈ジョンズ・グリル〉で開かれ、次女のジョゼフィン・マーシャルや孫娘のジュリー・リヴェット、孫息子のエヴァン・マーシャルなども出席した。

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 ちなみに、『マルタの鷹』の続篇はすでに存在するのである。

 いや、ハメットが一九三二年に発表した三篇のスペードもの短篇ではない。でも、いちおう参考のためにその三篇のタイトル(と戦後の比較的入手可能な日本語版)を挙げておこう。

 A Man Called Spade (American Magazine 1932-07)「スペードという男」(砧一郎訳、『名探偵登場4』ハヤカワ・ミステリ)、「スペイドという男」(田中小実昌訳、『世界短編傑作集4』創元推理文庫)、同題(稲葉明雄訳、『ハメット傑作集2』創元推理文庫)、同題(田中西二郎訳、『血の収穫』に併録、嶋中文庫)

 Too Many Have Lived (American Magazine 1932-10)「赤い灯」(稲葉明雄訳、『ハメット傑作集2』創元推理文庫)、「赤い光」(田中融ニ訳、『死刑は一回でたくさん』講談社文庫)

 They Can Only Hang You Once (Collier's 1932-11-19)「二度は死刑にできない」(稲葉明雄訳、『ハメット傑作集2』創元推理文庫)、「死刑は一回でたくさん」(田中融ニ訳、『死刑は一回でたくさん』講談社文庫)

 いやいや、ジョージ・シーガルがサム・スペード・ジュニアに扮した一九七五年公開のパロディー映画 The Black Bird(日本未公開)が続篇でもない。この映画にはゲイル・パトリック(エフィ役)やエライシャ・クック(ウィルマー役)も特別出演した。

 いわゆる“続篇”とは、一九四六年から五一年まで続いたラジオ番組 The Adventures of Sam Spade (ハワード・ダフがスペードの声をほとんど担当)の一エピソードに The Kandy Tooth というのがあり、一九四六年の十一月ニ十四日と十二月一日のニ回に分けて(合計一時間)CBSラジオで放送された。これには、なんと、あのキャスパー・ガットマンも登場するのだ。演出はウィリアム・サピアー。脚本はロバート・トールマンとジェイスン・ジェイムズ(コロムビア映画と専属契約していたジョー・アイジンガーの筆名)。そして、一九四八年一月十日には、同じ台本を使って別のラジオ番組 Suspense で再演されるのだが、この番組の進行役をロバート・モンゴメリー(映画版『湖中の女』のフィリップ・マーロウ役)が務め、ストーリーの中でスペードがモンゴメリーのマーロウに電話する“場面”がある。このエピソードは、タイトルをネットで検索すれば、無料でダウンロードできる。

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 旅行好きの方は、サンフランシスコの地図を参照しながら本書を読めば、また一段と面白みが増すだろう。

 一九〇六年の大震災とそれに伴う大火災のあと、サンフランシスコの街は徐々に復興し始めた。一九二〇年代にはほとんど復興して、街はどんどん発展していった。

 現在のサンフランシスコと一九二〇年代のサンフランシスコの通りはほとんど変わらないので、ハメット研究家の一人ドン・ヘロンが一九七七年からハメット・ツアーのグループを先導している。しかし、もちろん、変わったところもあるので、本書に登場する場所に限って、なるべく簡潔に書き出してみよう。

 スペードは地方検事局や検屍事務所を訪ねるときに、司法ビルディングへ行く。英語では The Hall of Justice (縮めて、The Hall)と呼び、司法及び法務関係の官庁(市警本部や裁判所、郡拘置所も含む)がはいっている。一九二〇年代には、カーニー・ストリートのワシントンとマーチャント・ストリートのあいだにあって、ポーツマス広場を見おろしていた。TV番組《鬼警部アイアンサイド》でも使われていた。現在はソーマー地区(マーケット・アヴェニューの南)のブライアント・ストリート四五〇番地(七番ストリートとハリエット・ストリートのあいだ)に移った。古い司法ビルディングのあとには、〈ヒルトン・ホテル〉が建っている。

 スペードが〈バンカーズ生命〉のレイ・ケンツラーと会う〈フライシュハッカー水浴場〉は実際に存在したアメリカ最大の巨大プールで、サンフランシスコ動物園の南、マーセド湖の西にあった。太平洋に近く、海水を利用していた。一九二五年に一般公開されたが、気温が低いためか、だんだん入場者が減少した。第二次世界大戦中には、軍隊が上陸作戦演習のためにこの巨大海水プールを利用した。一九七一年一月の嵐で排水管が破裂し、採算が取れなくなり、同年六月に閉鎖された。プールは埋め立てられて、隣接する動物園の駐車場になったが、脱衣所やレストランのある建物は廃屋と化して、内部はゴミや落書きだらけである。

 スペードがレッド・ロック島のことを調べてもらう公立図書館は、シヴィック・センターをはさんで、市庁舎のむかいにあり、ちょうどラーキン・ストリートのマッキャリスターとフルトン・ストリートのあいだに位置した。新しい図書館本館はその一ブロック南のラーキン・ストリート一〇〇番地にある。古い図書館は改装されて、現在はアジア美術館になっている。

 レッド・ロック島はリッチモンド=サン・ラファエル橋の少し南側にある小さな島で、サンフランシスコ郡とマリン郡とコントラ・コスタ郡の境にある。サンフランシスコ湾では唯一の私有島である。マンガンが多くあるので、その色から「レッド・ロック」と呼ばれたり、底広型練り棒の形に似ているので、スペイン人に「練り棒(モレタ)島」と呼ばれたり、Moleta の綴りを間違えたイギリス人船長に「モレイト島」とも呼ばれた。また、海賊が宝物を埋めたという伝説があったので、「宝島」とも呼ばれた。一九二〇年代からいろいろな所有者の手に渡り、一九六四年に弁護士のデイヴィッド・グリックマンが約五万ドルで購入した。現在、タイ在住の宝石商になったグリックマンは二千二百万ドルでこの島を売りに出している。しかし、公式に「トレジャー島」と呼ばれる人工島とは異なる。トレジャー島はゴールデン・ゲート国際博の会場を建設するために、湾からさらった土砂で一九三六年から三七年にかけて造られた。

 本書や『マルタの鷹』を読んで、あの有名なサンフランシスコのシンボルが出てこないのはなぜかと思った方はいないだろうか? 一九四一年公開の映画『マルタの鷹』では、背景にゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)が見えたではないか。サンフランシスコの街から北のマリン郡まで橋を渡すことは、両岸の住民にとって長年の夢だった。そして、やっと吊り橋を建設する計画ができ、一九三三年に着工して三七年四月に完成した。つまり、一九二〇年代にはまだゴールデン・ゲート・ブリッジは存在しなかったのである。だから、サンフランシスコの埠頭からマリン郡のサウサリートやラークスパーに行くために、スペードはフェリーに乗ったのである。

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 最後になってしまったが、けっして忘れてならないのは、本書の著者ジョー・ゴアズのことである。

 一九三一年十二月二十五日、ミネソタ州ロチェスターに生まれた。インディアナ州のノートルダム大学で学士号を、カリフォーニア州のスタンフォード大学で英文学の修士号を取得した。スタンフォード大学では、ハメットやチャンドラーやロス・マクドナルドに関する修士論文を書きたかったが、彼らの作品は文学ではないと担当教授に言われて、ジョゼフ・コンラッドやジャック・ロンドン、ロバート・ルイス・スティーヴンスンなどの南太平洋を舞台にした冒険小説に関する修士論文を書いたのだ(その研究が本書に反映されている)。それに、タヒチへ貨物船で行ったこともあるし、アフリカのケニヤで英語教師をしたこともある。モーテルの副支配人や運転手、ジム・インストラクターなどの仕事を転々としてから、〈L・A・ウォーカー探偵社〉や〈デイヴィッド・カッキート探偵事務所〉で私立探偵をした。ローン滞納自動車の回収が主な仕事だった。

 英文学が専攻で、作家になるのが夢だったゴアズが売った初めての短篇小説は、本国版《マンハント》一九五七年十二月号掲載の Chain Gang(日本版《マンハント》六二年五月号に「途中下車」として訳載)である。MWA(アメリカ探偵作家クラブ)サンフランシスコ支部で私立探偵についての話をしたのがきっかけで、ミステリー作家でもある評論家のアンソニー・バウチャーに勧められて、私立探偵の経験を生かした作品を書き始めた。『死の蒸発』や『赤いキャデラック』、『目撃者失踪』、『32台のキャディラック』などのダニエル・カーニー探偵事務所(DKA)ものの作品群である。

 MWA(より三部門でエドガー賞を三度受賞した。一九六九年刊のノンシリーズもの『野獣の血』で処女長篇賞を、同年発表の「さらば故郷」で短篇賞を、そして、七五年に放映されたTV番組『刑事コジャック』の No Immunityu for Murder でTVエピソード賞を受賞したのだ。二〇〇八年には、PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)より功労賞に相応するアイ賞を受賞。

 ゴアズが一九七五年に発表した小説『ハメット』は、一九二八年のサンフランシスコを舞台にして、作家の卵だったハメットを主人公に据えた作品である(映画版は八三年公開、フランシス・フォード・コッポラ製作、ヴィム・ヴェンダーズ監督、フレデリック・フォレスト主演)。ゴアズはそれを執筆したときの調査資料も大いに参考にして、本書を書いたのだ。

 本書に登場する〈カリフォーニア市民銀行〉(カリ市民)はゴアズのDKAものに出てくる銀行で、〈カリ市民〉が貸し付けたローン滞納の自動車を回収してくれとカーニー所長に依頼する。それに、金貨窃盗事件に絡んでくる船の名前は、ゴアズの住んでいる場所に由来する(ちなみに、一九二一年にサンフランシスコ港で実際の金貨窃盗被害に遭った船の名前は〈ソノーマ号〉)。

 現在はサンフランシスコ郊外のマリン郡サン・アンセルモに妻ドリーと住んでいる。近くにフェアファックス町の図書館がある。目下、ゴアズはDKAものの次作 Repo on Sight を執筆中。

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 本書と『マルタの鷹』で言及される出来事は一致しないところもあるが、スペードが大嘘つきだということを考慮していただければ、辻褄が合うかもしれない。一致しなくても、メイン・プロットにはたいした影響はない。

 ハメットの『マルタの鷹』を“聖典”と見なす方は、ゴアズの解釈に賛成しないかもしれない。読者それぞれが異なる解釈を論じてくださっても大いに結構である。本書に不審や疑念を抱く方は、とにかく、まず読んでから批判していただきたい。賛否にかかわらず、正典の『マルタの鷹』をより深く理解するうえでも、読んで損をすることはけっしてないだろう。

 もしかしたら、ハメットやスペードの名前を聞いたことがない方のほうが、余計な先入観がないので、本書や『マルタの鷹』を純粋に楽しんでいただけるのかもしれない。

 二〇〇九年十一月

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〈ジョー・ゴアズの単行本チェックリスト(短篇集を含む)〉
A Time of Predators (1969)『野獣の血』角川文庫
Dead Skip (1972)『死の蒸発』角川文庫 DKA#1
Final Notice (1973)『赤いキャデラック』角川文庫 DKA#2
Interface (1974)『マンハンター』角川文庫
Hammett (1975)『ハメット』ハヤカワ・ミステリ文庫
Gone, No Forwarding (1978)『目撃者失踪』角川文庫 DKA#3
Come Morning (1986)『裏切りの朝』角川文庫
Wolf Time(1989)『狙撃の理由』新潮文庫
The Mayfield Case and 10 Other Stories (1990)『ダニエル・カーニー探偵事務所』新潮文庫 DKAもの短篇集(日本独自編纂)
32 Cadillacs (1992)『32台のキャディラック』福武文庫 DKA#4
Mostly Murder (1992) 短篇集
Dead Man(1993)
Menaced Assassin (1994)『脅える暗殺者』扶桑社文庫
Contract Null and Void (1996) DKA#5
Cases (1999)『路上の事件』扶桑社文庫
Speak of the Devil (1999) 短篇集
Stakeout on Page Street and Other DKA Files (2000) DKAもの短篇集
Cons, Scams, and Grifts (2001) DKA #6
Glass Tiger (2006)
Spade & Archer (2009)『スペード&アーチャー探偵事務所』早川書房 本書
[“DKA”はダニエル・カーニー探偵事務所のこと。ノンフィクションやアンソロジー編纂書は省いた。]



これは木村二郎名義で翻訳したジョー・ゴアズの『スペード&アーチャー探偵事務所』(ハヤカワ書房、2009年12月刊、2100円)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いている。単行本版の巻末解説よりも少々挑戦的である。(ジロリンタン、2009年12月吉日)

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