“わたし”はだあれ?

(エドワード・D・ホック『サイモン・アークの事件簿4』解説)

サイモン・アークの事件簿4  予定どおり『サイモン・アークの事件簿』の第四巻を出せたことは、読者の皆様のお蔭である。心から感謝したい。

 第三巻の巻末解説でお伝えしたとおり、作者のエドワード・D・ホックは短編集三巻分の作品しか選ばなかったので、本書はホックの自選作品集ではない。訳者厳選の作品集である。本書では、一九五〇年代から四編、七〇年代と八〇年代と九〇年代と二〇〇〇年代からそれぞれ一編ずつの合計八編を選んだ。ホックが選んだ作品以外から訳者が面白いと判断した作品を選んだのだ。

 実作者は通常以上に手間のかかった作品や、自分の好きな題材を扱った作品に愛着を持つ傾向にある。訳者を含む読者のほうも、自分好みの題材や舞台や時代設定を扱った作品を高く評価しやすい。当然のことながら、訳者好みの作品は実作者の好みとは少々異なってくる。

 ホックが三巻分の合計二十六編を選んだあとに、訳者がアーク作品を選ぶのは大変だった。正直に告白すると、訳者はアークもの作品をすべて読んだわけではない。原文が入手できないのだ。ホックが二〇〇八年一月に亡くなったあと、未亡人のパトリシアは自宅の地下にある書庫のどこに、アークものの作品を掲載した五〇年代と六〇年代の古い雑誌があるのか知らない。ネット上の古書店でも、ホックの作品掲載号(とくにアークもの掲載号)は見つからないし、たとえあったとしても(客観的に)法外な値段がついている。幸いにも、訳者は「ドラゴンに殺された女」(本書収録)や The Case of the Naked Niece が掲載されている《ダブル= アクション・ディテクティヴ》の二冊を適価で入手することができた。

       *       *

 サイモン・アークと同じように、ナレーターの“わたし”にも謎が多い。運よく、本書収録の「黄泉[ルビ*よみ]の国の判事たち」で、“わたし”が出自を少し語ってくれている。“わたし”はインディアナ州メイプル・シェイズ(架空の町)で良家の息子として生まれ育った。父親リチャードはその町の判事で、愛する妹ステラはフランク・ブロデリックという男と結婚している。“わたし”は気取って堅苦しい家風や地方の名士ぶった父親を嫌い、二十歳になる前に故郷をあとにして、西部の新聞記者になった。

「死者の村」(第一巻収録)で知り合ったシェリー・コンスタンスと結婚し、そのすぐあとに、死ぬ間際の母親に新妻のシェリーを紹介した。「死者の村」から数年後の「焼け死んだ魔女」(第三巻収録)でアークと再会するまでに、〈ネプチューン・ブックス〉の編集者になっている。そのあと、〈ネプチューン・ブックス〉で編集部長、副社長、発行人に出世し、退職後は編集コンサルタントになった。

“わたし”が愛した女性は妻のシェリーだけではない。「地獄の代理人」(第一巻収録)では既婚者なのにロンドンの若い女性と深い仲になり、「ドラゴンに殺された女」(本書収録)ではかつて愛した女性の殺人事件を調べ、「真鍮の街」(第二巻収録)ではかつて付き合ったことのある女性とベイン・シティーで再会する。  アークには悪魔教に関する決定版研究書の執筆を依頼し、〈ネプチューン・ブックス〉から刊行した。悪魔教やキリスト教に関して造詣の深いアークを尊敬していて、アークからの誘いがあれば、妻シェリーの反対を承知しながらも、悪魔退治の冒険に付き合っている。

       *       *

 では、訳者が選んだ作品を個々に紹介しよう。

 第一話の「悪魔の蹄跡[ルビ*ひづめあと]」はアークもの第二編となっているが、本当は本編が“執筆第一編”なのである。ホックは“発表第一編”の「死者の村」より前に本編を書いた。しかし、“執筆第二編”の「死者の村」のほうが先に《フェイマス・ディテクティヴ・ストーリーズ》一九五五年十二月号(発売は九月下旬)に掲載され、“執筆第一編”の本編が三カ月後の五六年二月号(発売は五五年十二月下旬)に掲載された。その当時、ホックは二十五歳だった。本編には、いつものナレーターである“わたし”が登場せず、アークが列車の中でロンドン警視庁のアッシュリー警部と初めて対面する。アッシュリー警部はのちにロンドンを舞台にした「地獄の代理人」に再登場すし、「切り裂きジャックの秘宝」(本書収録)では、フレイヴァー警部との会話の中で言及される。本編にはローランド・サマーズという男が登場するが、ホックは“サマー”あるいは“サマーズ”という名前が好みらしく、「罪人に突き刺さった剣」(第三巻収録)にはグレン・サマーという男が、「ヴァレンタインの娘たち」(第三巻収録)にはハーブ・サマーズという男が出てくる。  第二話の「黄泉の国の判事たち」はかなり長めの中編で、“わたし”の生まれ故郷であるインディアナ州メイプル・シェイズが舞台である。“わたし”がサイモン・アークに連絡を取ったとき、アークはダーク教授という名前を使って、ハドスン大学の古代史学科で悪魔教の基礎研究をしていた。“ダーク教授”はアークの分身であり、ホックはスティーヴン・デンティンジャー名義でダーク教授シリーズの短編を二編発表している。

 第三話の「悪魔がやって来る時間」は修道院が舞台で、コプト教(エジプト系キリスト教)の元僧侶アークとカトック教徒の修道司祭が交わす宗教論が興味深い。「罪人に突き刺さった剣」で、聖ヨハネ十字架修道院に兄がいるハデン神父がアークと“わたし”にこう言う。「約二年前にあなた(アーク)はそこで大変な問題を解決したそうですね」と。この「大変な問題」が本編の事件のことである。原題は「九時課の時間」という意味だが、非キリスト教徒にもわかりやすく、よりオカルト風に聞こえるようにと、訳者が勝手な邦題をつけた。

 第四話の「ドラゴンに殺された女」もかなり長めの中編で、“わたし”がかつて愛した女性マージ・フラヴォッティがドラゴンに殺される。マージのダイイング・メッセージが“ドラゴン”なのだ。“ドラゴン”と“大海蛇”の違いについてのアークの蘊蓄[ルビ*うんちく]がかなり面白く、ダイイング・メッセージの真の意味を訳者は気に入っている。怪盗ニック・ヴェルヴェットものの「シルヴァー湖の怪獣」(ハヤカワ・ミステリ刊『ホックと13人の仲間たち』収録)も同じような設定だが、ストーリー展開が大きく異なる。

 第五話の「切り裂きジャックの秘宝」は、ホックが初めて《エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン》(EQMM)に発表したアークもの短編。EQMMの編集責任者であったフレッド・ダネイ(作家エラリー・クイーンの一人)はオカルトがかった作品を好まなかったので、ホックがEQMMに発表するアーク作品は、オカルト色が薄くなり、超自然現象か不可能犯罪を扱うようになる。サム・ホーソーン医師ものも不可能犯罪を扱っているが、ホーソーンものの舞台のほとんどがニュー・イングランド地方のノースモントであるのに対して、アークものの舞台は世界じゅうにまたがっている。本編の舞台はロンドンで、切り裂きジャックの所有した秘宝が絡んでくる。ちょうど七五年に、イギリスでドナルド・ランベローが『十人の切裂きジャック』(草思社)を発表し、切り裂きジャックの真相がイギリスで話題になっていた。「五〇年代半ばにサイモンに初めて会ったとき、わたしは若い新聞記者だった」というのは、「死者の村」事件のときのことだ。EQMMにアークと“わたし”が初めて登場するので、二人の関係を読者に説明しているのだろう。

 第六話の「一角獣の娘」には、神話に登場する動物に関する蘊蓄が披露される。ハーヴィー・クロスという男が“わたし”の働いている〈ネプチューン・ブックス〉に原稿を売り込みに来る。〈ネプチューン・ブックス〉の社員が絡んでくるアークもの作品は、ほかに「悪魔撲滅教団」(第一巻収録)がある。

 第七話の「ロビン・フッドの幽霊」では、“わたし”とアークはイギリスのノッティンガムへ行く。本編は九五年にマクシム・ジャクボウスキーが編纂した No Alibi というオリジナル・アンソロジーに収録された。九五年の秋に、イギリスのノッティンガムでミステリー・ファンの集い、《バウチャーコン》が開かれた。《バウチャーコン》がアメリカ以外の国で開催されるのはこれが三回目だった。それに合わせて、このアンソロジーが分厚いトレード・パイパーバック・オリジナルでリングプル社から刊行された。そして、特別ハードカヴァー限定版がスコーピオン・プレス社から発行され、《バウチャーコン》のプログラムにもアンソロジー全体が収録された。ノッティンガムはロビン・フッドにゆかりのある街である。原題は「ロビン・フッドの迷路」という意味だが、訳者があえてオカルト風の邦題をつけた。アークが迷路全般に興味を抱くのは、神話に登場する人身牛頭の怪物ミノタウロスがクレタ島の迷路に閉じ込められたという単純な理由によるものだろう。ちなみに、“ラビリンス”とは、円や四角の囲いの中に造った一本の曲がりくねった長い通路のこと。一方、“メイズ”とは、行きどまりや分かれ道を円や四角の囲いの中に造った文字どおりの迷路。本編の“レース”は青少年に体を鍛えさせるために造られた一本の曲がりくねった長い走路で、芝生が走路の仕切りの役目を果たしているので、厳密には“ラビリンス”に近い。

 第八話の「死なないボクサー」はオットー・ペンズラーが編纂した二〇〇一年刊のボクシング・アンソロジー Murder on the Ropes に収録された。ペンズラー編纂のスポーツ・アンソロジー・シリーズの(第一巻の野球に続く)第二巻で、このあと、フットボール、競馬、テニス、ゴルフ、バスケットボールをテーマにしたアンソロジーが続く。ホックはほかにも「こういうこともあるさ」や「陰のチャンピオン」(二編とも創元推理文庫刊『夜はわが友』収録)などのボクシングを題材にした作品を好んで書いている。原題は「永遠にボクシングをした男」だが、百年以上も生きていると思われるボクサーが登場するので、不可能性を暗示する邦題を訳者がつけた。

       *       *

 サイモン・アークの愛読者の皆様に嬉しいお知らせがある。訳者が選ぶ作品を集めた『サイモン・アークの事件簿V』を出す企画が通ったので、アークと“わたし”が活躍する中短編をあと八編、お送りできるだろう。楽しみに待っていただければ幸いである。

 それでは、最後に、いつものとおり、サイモン・アーク・シリーズの最新チェックリストを挙げておこう。 [註=完全チェックリストを見たい方は、現物の巻末を参照してください。]

二〇一二年十一月



これは木村二郎名義で翻訳したエドワード・D・ホックの『サイモン・アークの事件簿4』(創元推理文庫、2012年12月刊、税込1029円)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いている。「巻末解説」にある誤りをしてされましたので、ここで訂正しておきます。続編『サイモン・アークの事件簿5』を2013年に無事に出せるように、皆様方の盛大なご声援をお願いします。(ジロリンタン、2012年12月吉日)

日本版ホームページへ

国際版ホームページへ