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「 鋼(はがね)」





僕に鋼があるのです。

笑顔を向けられて、笑顔を返せなかった日。

笑顔を向けたのに、笑顔が返らなかった日。

優しさの裏側のため息を聞いた日。

喜びの内側のなめし革にふれた日。

一番あいたいと思う君の、

一番声が聞きたい君の、

そして電話の向こうで寂しそうに待っている君の、

ぬくもりに背中を向けて車を走らせている、

そういう鋼があるのです。



僕に刃があるのです。

こんなことを言葉にしてしまう、

それを読んでいる君の涙を知っている、

だけどあふれてしまうほどの、

そういう刃があるのです。

そしてその刃の切っ先は一途に、

僕の喉元に突きつけられていて、

喉笛を貫いて掻き切ることを夢見ながら、

柔らかな皮膚に触れた刹那、

まほろばに砕け散ってしまうのです。



君は気づいていないのか、

あるいは知らない振りをして、

ふるさとになっているのか。



言葉はいつもカソウです。

非現実の火あぶりの最低です。

この頭の隅で鳴り響く警報は、

味方なのか敵なのか、

わかっています、君の無条件のぬくもりと、

この言葉の世界のろくでなしの断崖絶壁のことならば。



けれど刃は鋼に憧れて、

醜い黒光りとすえた臭いをものともせず、

ただ純粋な子供心ですがりつくのです。



僕に鋼があるのです。

それは君にさえも明け渡さない僕の最果てでしょうか。

そしてそれよりはもう少しだけ暖かい狂気が、

僕にとってそれは何かしら親しげな、

人生の行く末を重ね合えるようなものなのですが、

あるいはもしかしたら君への裏切りを償える、

唯ひとつ僕の誠実なのかもしれませんが、

そういう人見知りがちな無邪気さが、

君の抱擁によって受け入れられるというのならば、

僕には、刃があるのです。


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